昌平黌(しょうへいこう)と昌平坂学問所



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20180119 湯島聖堂
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 *****

我が国の最高学府といえば東京大学ですが、東京大学は、もともとは江戸時代の昌平坂学問所が母体となっていた、ということは昨今、よく言われることです。
そういうことだからダメなのです。
本当の名前は、
「昌平黌(しょうへいこう)」です。

ところが「昌平黌」の「(こう)」という字が当用漢字にないむつかしい漢字だからということで、「昌平坂学問所」だという。
そういうことだからいけないのです。

まず、当用漢字なるものが、戦後のGHQによる日本人の精神解体工作活動の一環として昭和21年に施行されたものだということは、先日書かせていただきました。
その当用漢字では、たとえば「學校」のことを「学校」と書きます。
「校」という字は、木の横で人が脛(すね)を組んで座っている象形です。
「学」は、子供達が学ぶところで、上にある篇(へん)の部分が、いわば校舎、その中に子供がいるわけです。
つまり当用漢字で「学校」と書けば、子供達が学ぶために木の横で体育座りをして、立膝にした足を組んでいるといった意味にしかなりません。
学ぶ主体は子供達であり、子供が主体的に学ぶところだというわけです。

ところが昔は「學校」と書きました。
「學」という字は、上の部分の両サイドが大人(教師)たちで、中に「☓」が縦に二つ並べて書かれていますけれど、これが大人たちの腕です。
その大人たちが、校舎内にいる子供を、上から引っ張り上げている象形が「學」という字です。
つまり「學」は、主体が大人の側にあり、大人たちが子供を一人前の大人にするために、引っ張り上げるところという意味の象形文字なのです。

ですから「學」と書けば、主体は大人たちになります。
大人たちが、子供を一人前に育てる場所が「學校」なのです。

それが「学」では、主体が子供です。
子供の側が「ボク、大人になんかなりたくないも〜〜ん」と言ったら、それで「学校」は成り立たなくなってしまうのです。
このことは、現代教育の抱える問題そのものといえるのではないでしょうか。





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「昌平黌」の「黌」という字は、「學」の子の部分に「黄」と書かれた字です。
「黄」というのは黄金のことですから、まさに金の卵といえる、優秀な若者たちを、さらに一人前に育てる場所が「黌」ということになるのです。

なるほど江戸時代に、昌平黌の学生などが書いた書簡の中に、昌平坂学問所と記したものはあります。
けれど常識を働かせていただきたいのです。
そこの現役の学生が、果たして自分のことを金の玉子だと自慢げに書くでしょうか。
偉い武士でも自分のことを遠慮して拙者と呼んだ時代なのです。
少しは頭を働かせていただきたい。

「昌平」も、昨今では単に「孔子の生地が昌平郷であったから、その名を付けた」とのみ紹介されますが、これまた履き違えも甚だしいものです。
そもそもいくら良いものでも、なんでもかんでも外国のものをありがたがるというのは、決して良いことにはなりません。
どこまでも国風化してこそ、そこに意味があるのです。

昌平黌と名付けた人たちは、明確にそのことを意識しています。
だから「昌平郷」ではなく、「昌平黌」です。
意味がわかれば、東京大学などという名前よりも、はるかに深いことがご理解いただけると思います。
けれど、まだあります。

そもそも昌平黌の開祖は、江戸時代初期の儒者である林羅山(はやしらざん)です。
林羅山は、十代の頃からとても優秀で、坊主になるように奨められたりもするのですが、断固としてこれを断り、宋学に我が国独自の神道の教えを加えた
「神儒合一論」
を唱えた人です。

これは「儒學の教えと日本古来の神ながらの道の教えは根本を一にする」というもので、ただ外国の儒学をありがたがるのではなく、それを日本的価値観に起き直した學問であり、その根本にあるのは、
「今生きているこの世をこそ、王道楽土にする」
というものです。
ここでいう「王道」は、天皇を中心とした上古の昔からの日本の形を意味します。
つまり「天皇のもとにある日本を王道楽土にする」ということが、林羅山の教えです。

林羅山は、これを京の都で講義していたのですが、このことを知った清原博士という儒者が徳川家康に、
「最近、林羅山という者が、
 京の町で新たな儒学を説いているという。
 昔から勅許がなければ、
 新書を講じてはいけないしきたりである。
 いわんや、市井の者が儒学の新説を講ずるなど
 生意気で、おこがましい」
と評しました。

これを聞いた家康は、このとき、
「それをやり遂げようとしている
 羅山という若者こそ見どころのある男だ」
と述べ、ほどなく林羅山を居城に招いて、家康の前で講義をさせています。

そしてこの講義のあと家康は、林羅山を徳川家の顧問として正式に迎え入れ、さらに羅山に江戸の上野不忍池の5000坪の土地と費用を与えて、私塾「弘文館」を開かせ、さらに徳川家の旗本の子たちをそこで学ばせるようにしています。
林羅山が弱冠23歳のときのことです。

たとえ20代の若者であっても、そこに見るべきものがあり、語る内容が正鵠を射たものであれば、身分や年齢などに関わりなく、堂々とこれを登用する。
ここが家康の凄みです。
もっとも、ただ若ければ良いということではなくて、登用された林羅山自身が、実に立派な青年であったのはいうまでもありません。

ちなみに林羅山は、この後の方広寺鐘銘事件で、京都南禅寺の禅僧文英清韓の書いた「国家安康、君臣豊楽」が徳川家を呪詛するものとして、秀頼を叩く口実を見出したりもしています。

さて、ではなぜ家康は、23歳の若い儒者に幕府の教育を委ねたのでしょうか。
そこには明確な理由があります。
儒者は、この時代に他にもたくさんいました。
しかしそれらの儒者は、単に漢籍の教養を鼻にかけるだけの者でした。
林羅山ひとりが、日本的価値観と儒教の融合を図る人であったのです。

羅山の思想は、日本古来の神道と、儒学の中の宋学(朱子学)を結びつけたものです。
我が国は天皇のシラス国であり、民は天皇の「おほみたから」です。
しかし、いくら「おほみたから」だといっても、100万の人があれば、考え方は100万通りです。
みんな違いがあるのです。
これをひとつにまとめる働きをするのが、皇臣民における「臣」の役割です。
従って、これを行う臣は、ウシハク者とならなければなりません。
その臣における根幹を、林羅山は儒教に求めたのです。

つまり国全体を考えるときには神道で。
民を「たから」とする考え方は、上古の昔からの神ながらの道以外にありません。
これを根幹においたうえで、臣の中においては、厳しい上下関係を機能させる。
林羅山の教えは、Chinaの宋学とも違う、そこに我が国独自のエッセンスが入っていたのです。

要するに家康は、渡来物をただありがたがるのは、愚かなことだと考えていたわけです。
家康にとって大事なことは、戦国を完全に終わらせ、我が国に王道楽土を築くことです。
そのために必要なことは、皇帝ただひとりがあらゆる権力と権威を持ち、わがまま放題に世間を牛耳るという政治体制ではありません。
日本古来の良さを基礎に置きながら、いかにして太平楽の王道楽土を建設するか。
そのために必要なことは、儒教でもなければ、老荘思想でもない、ましてやただ勝てば良いという孫氏の兵法でもない。
我が国に見合った体制の構築なのです。

結果として家康は、日本全国の3分の1の土地を領有し、当時の宣教師の言葉を借りれば、世界一の大金持ちとなり、兵力も持ち、しかもこの時代の鉄砲の数からいえば、我が国は世界最大の鉄砲保有国、つまり、いわば世界最強の軍事強国となり、その中心人物はまさに家康その人でありながら、意図して天皇のもとにある将軍の地位を受け入れています。
天皇のシラス国である中にこそ、理想とする太平楽があり、王道楽土があると見極めて、全力でそのための国家作りを家康は行ったのです。

だから林羅山なのです。
だから、上野の不忍岡に「弘文館」を開かせたのです。

有名な話があります。
ある日のこと、井伊侯が羅山に問いました。
「人は漢の高祖の時代の
 猛将・樊噲(はんかい)の勇気を称えます。
 けれど勇気なら私も負けていません。」

羅山は次のように答えました。
「樊噲(はんかい)が称えられているのは、
 戦に強かったとか、
 武勇に優れていたからではありません。
 相手が高祖であっても、
 堂々と諫言を行ったからです。
 これは大勇者でなければできないことです。
 その身を矢や投石にさらし、
 敵をしりぞけ、首を斬り、
 旗下の急を脱することももちろん勇ですが、
 それは鎧武者を連ねて指揮を執る者ならば、
 誰もが行うことです。
 それだけでは君はその将の言うことを聞きません。
 外に向けての攻撃ではなく、
 自らの内側から省(かえり)みる心がなければ、
 人は、その者の言うことは聞かないものです。」

この解釈は、皇帝とその部下の将軍が人として対等であることを説いた解釈です。
そして部下であっても、人として成熟していくならば、当然にその言を上司は用いなければならないとしています。
身分の上下だけを何よりも重んじるChina式儒教とは、その考え方がまったく違う、日本化された儒教といえます。

ちなみに林羅山の名前が「羅山」であることから、羅山の学問は、秀吉の朝鮮出兵の際に我が国に流入した朝鮮朱子学であり、羅山の号も朝鮮の『延平問答』に由来するなどと、アホな解説をしている日本に住んで日本国籍を持ち、日本語を話すけれど日本人でない者がいます。
まったく違います。
「羅」という漢字は、鳥を捕える網を意味します。
要するに、山で鳥を捕えるのです。
姓も林です。
林でも森でも、山で鳥を捕まえるのは、至難の技です。
けれどあえて、その困難に挑戦していこうとする、それが、林羅山という名前に込められた意味です。
「ちょうせん」は「ちょうせん」でも、「朝鮮」ではなく「チャレンジ(挑戦)」のための名前なのです。

こうして林羅山の「忍岡聖堂」は、以後、代々林家が世襲していくのですが、その「弘文館」が寛政年間に、林家から離れて幕府直轄の学問所である「昌平黌」となりました。
それが1790年(寛政2年)のことです。
天皇が第119代光格天皇、将軍が第11代徳川家斉の時代です。

この寛政の改革のひとつの目玉になったのが、「寛政異學の禁」です。
これは蘭学を否定して、あらためて宋学を教育の柱にしようとしてなされたものなのですが、幕府はこれに伴って弘文館を林家から切り離し、幕府直轄の教育機関としました。
そしてその学問所に、あらためて「昌平黌」の名を与えたのです。

繰り返しになりますが、昌平黌で教えた學問は、単に四書五経や朱子学を丸暗記に説くものではありません。
どこまでも、我が国古来の伝統文化を重んじ、その目指すところの王道楽土の建設のために、儒学を学ぶのです。
だから「昌平」です。
「昌平」は、あらゆる人々に公正平等に光を注ぐという意味です。
そのために金の卵を育てるのが「黌」であったのです。

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20160810 目からウロコの日本の歴史


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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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