阿南惟幾陸軍大将の自刃



新しい動画です。
日本の志を育む学問の力 ~昌平坂学問所~
何のために学ぶのか。学問とは何なのか。
江戸時代、東大の前身であり幕府の肝入りで建てられた昌平坂学問所(昌平黌)。
そこで学んだ人々はその後、各地で多くの功績をのこした。
林羅山、佐藤一斎、佐久間象山といった、昌平坂学問所で教え・学んだ者たち。
そして幕末に大きな影響を与えた佐久間象山の弟子である小林虎三郎、吉田松陰。
彼らは何を学び、どう行動していったのか。
京の都に学習院をつくった光格天皇の功績も紹介しながら、江戸から連綿と続く「日本の学問」についてです。



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昭和の軍人を見下したようなことを言う人がいます。
腹を切ってから物を言え
と言わせていただきます。
軍人としての覚悟、日本人としての覚悟は、
いにしえの武人も、昭和の軍人も、そして現在の自衛官も
まったく変わりはありません。


※ 末尾に海上自衛隊・三宅由佳莉さんの歌の動画を掲載しています。

阿南惟幾陸軍大将
阿南惟幾陸軍大将


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 *****

これからご紹介するのは、いまから18年前の平成12年8月13日に、国際派日本人養成講座で伊勢雅臣さんが書かれた文です。
ご一読いただき、日本人であるということを再考していただければと思います。

~~~~~~~~~~~~
■国際派日本人養成講座■
平成12年8月13日
題名:「阿南惟幾~軍を失うも国を失わず」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog151.html

 本土決戦を避け、
 全陸軍550万を終戦に導く責務は、
 一人の陸軍大臣の双肩にかかっていた。

────────────
1.もしもあの時、一歩を誤って軍が暴走していたら
────────────
昭和20年8月11日、
外電が日本の降伏受入れ予想を報道し始めると、
China派遣軍総司令官岡村寧次大将は
次のような激烈な電報を陸軍中央に送ってきた。

数百万の陸軍兵力が
決戦を交えずして降伏するが如き恥辱は、
世界戦史にその類を見ず、
派遣軍は満8年連戦連勝、・・・
百万の精鋭健在のまま
敗残の(蒋介石の)重慶軍に
無条件降伏するが如きは、
いかなる場合にも絶対に承服し得ざる所なり

海軍の戦力はほとんど失われていたが、
当時の陸軍兵力は内地237万余、
外地310万余。
特にChina派遣軍は「満8年連戦連勝」の状態で、
いきなり無条件降伏せよ、と言われても
「絶対に承服」できないのは当然であった。

もしもあの時、一歩を誤って軍が暴走していたら、、、
または陸軍が抗戦派と和平派の二つに割れて友軍相撃となり、
そこへ米軍やソ連軍が入ってでも来たら、
日本はどうなっていたことか、、、
そしてどれほど多くの日本人が犠牲になっていたことか、、、。

そんなことにならずに済んだのは貴様のおかげだ。
よくぞ無事終戦に導いてくれた。

もと参謀次長・沢田茂中将がこう感謝するのは、
終戦時の陸軍大臣・阿南惟幾(あなみこれちか)である。



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────────────
2.他愛ない父
────────────
「父は戦争がなかったら”他愛ない父”として
 終わったであろうと思います。」
長男・惟敬(これひろ)の言葉である。

阿南は大変な子煩悩で、
日曜日は子どもたちを
ピクニックやデパート、映画などに連れて行き、
常に一緒に夕食をとった後はトランプをし、
子どもたちが勉強を始めると、
羽織をかぶって寝てしまう。
家族の団欒にこのうえなく満足している
平凡な父親であった。

父は陸大(陸軍大学)の入試に3度落第し、
4度目にやっと合格していたと聞いていたので、
私共も落第や浪人を苦にしなかった一方、
「父は頭は余りよくないのだ」
と漠然と思っていました。

陸大受験の頃、
阿南は中央幼年学校の生徒監であった。
この職はかなりの自由時間があるので、
上司が陸大受験の配慮から
つけてくれたポストであったが、
阿南は受験は私事として、
生徒指導に全力を尽くしていた。

数学の出来の悪い生徒に個人教授をしたり、
生徒の日記をよく読んで、
注意や批評、
時には和歌までも書き込んで指導した。
阿南が4度目にとうとう合格した時は、
かつての教え子達は歓声をあげて、
祝賀会を開いた。

結婚してからは、
演習地から妻に
自らの騎乗の姿をスケッチしたはがきを送り、
その中には
「演習の野に咲く萩を馬蹄にかけまいと」
などと書いている。

────────────
3.不思議な縁
────────────
昭和4年、42歳の時から4年間、
阿南は侍従武官として昭和天皇に使えた。
その半年前に
海軍軍令部長であった鈴木貫太郎が
予備役編入と共に
侍従長として赴任していた。

二人はこの期間に
互いに深い尊敬と信頼を抱いた。
後に鈴木が首相として組閣作業を始めた時、
最初に陸軍省を訪問して、
阿南の陸軍大臣就任を要請している。

昭和天皇も
阿南の無私にして思いやりの深い性格を
よほど信頼されたようだ。
8年後の昭和13年、
阿南は第109師団長としてChinaに出征するが、
この時に昭和天皇は阿南を呼んで
二人だけで夕食をとられた。
阿南は感激して、
次の和歌を作った。

 大君の
 深き恵みに浴(あ)みし身は
 言い遺すべき片言(かたこと)もなし

さらに7年後の昭和20年8月15日、
阿南は侍従武官時代に
昭和天皇から拝領した純白のワイシャツを身につけ、
この和歌を辞世として自決する。

終戦は昭和天皇、鈴木首相、阿南陸相の
見事な連携で実現するのだが、
その十数年前から三者が相互に
深い信頼で結ばれていたことは、
まことに不思議な縁であった。

────────────
4.軍人は政治に拘わらず
────────────
昭和天皇が阿南を信頼された
もう一つの理由は、
阿南が
「軍人は政治に拘わってはならない(政治ニ拘ラス)」
という明治天皇の遺された軍人勅諭に
忠実だった点にもあるであろう。

当時の軍部内には様々な派閥争いがあったが、
阿南には声もかからなかった。
昭和11年の226事件の時に、
阿南は陸軍幼年学校の校長をしていたが、
全校生徒を集め、
「農民の救済を唱え、
 政治の改革を叫ばんとする者は、
 まず軍服を脱ぎ、
 しかる後に行え」
と顔面を紅潮させ、
激しい口調で語った。

この訓示を聞いた生徒の一人は、
「校長閣下は
 侍従武官として天皇のおそば近くに仕えたお方だから、
 陛下のお心を悩ませた将校たちに対して、
 こんなに立腹しておられるのだろう」
と思ったという。

幼年学校長は「陸軍3大閑職」の一つとされ、
平時ならこれで予備役入りする所であったが、
226事件が阿南を
陸軍中枢に引っ張りだす
きっかけとなる。

事件後、綱紀粛正のために兵務局が新設され、
その看板として
人格高潔な阿南が
局長に抜擢されたのである。
その後は人事局長、陸軍次官、航空総監などの要職を歴任し、
陸軍内の誰からも信頼を寄せられた。


────────────
5.陸相就任の覚悟
────────────
昭和20年4月、昭和天皇のご意志により、
鈴木貫太郎が首相を拝命し、
鈴木は即座に陸軍省に赴いて、
阿南の陸相就任をとりつけた。

「これまでにしばしば見受けたことだが、
 大臣が自ら責任を負わねばならぬことがあっても、
 辞職さえすれば
 その責を逃れたとするような態度は
 私は絶対にとらない。
 将来、責任を負わねばならぬようなことに遭遇したら、
 本当に腹を切って、
 お上にお詫び申し上げる覚悟だ。」
陸相就任の数日後に、
親しい友人に阿南はこう語っている。

鈴木内閣で終戦を実現し、
その時は全陸軍を代表して、
死をもってお詫びしようという覚悟で
就任したのである。

しかし、その覚悟をすぐにもらしては、
全陸軍がついてこない。
阿南は鈴木首相と息を合わせつつ、
公式の会議の場では本土決戦を強硬に主張し、
陰では終戦に導くために、
議会での内閣打倒の動きに水を差したり、
米内海相の辞意をなだめたりと、
細やかに手をうっていった。


────────────
6.御聖断下る
────────────
8月6日広島が原爆攻撃され、
9日にはソ連が中立条約を破って
満洲侵攻を開始した。
9日深夜の第一回御前会議では、
「天皇の国法上の地位を変更する要求を含んでいない」
という了解のもとに
ポツダム宣言を受諾しようとする東郷外相案と、
さらに占領、武装解除、戦犯処置などの
条件をつけた阿南陸相らの案が対立して、
結論が出なかった。

阿南は
「本土決戦に対しても、それだけの自信がある」
「一億枕を並べて斃れても大義に生くべきである」
と陸軍を代表して強硬意見を述べた。

やがて鈴木首相から、
「意見の対立がある以上、
 陛下の思し召しをもって
 会議の決定としたい」
との動議がなされ、
昭和天皇は初めて意見を述べる機会を得た。

「私の任務は、
 祖先から受け継いだ
 この日本という国を
 子孫に伝えることである。
 今日となっては、
 ひとりでも多くの日本国民に
 生き残ってもらい、
 その人たちに
 将来再び立ち上がってもらうほかに、
 この日本を子孫に伝える方法はないと思う。」


天皇が涙を拭いながら語られるお言葉を、
全員がすすり泣きながら聞いていた。


────────────
7.反対の行動に出ようとするものは、まず阿南を斬れ
────────────
翌朝、阿南は各課の幹部を全員集めて、
御前会議の内容を説明した。
御聖断によりポツダム宣言受諾という結果に、
一同は愕然とした。

「私が微力であるため、
 遂にこのような結果になったことは
 諸君に対して申しわけなく、
 深く責任を感じている。
 しかし御前会議の席で、
 私が主張すべきことは
 十分主張した点については、
 諸君は私を十分信頼してくれていると信ずる。
 このうえは、
 ただ大御心のままに進むほかはない。」
として、阿南は、
和戦両様の構えで
皇室保全の確証が得られるかどうか、
連合国側の回答を待つと述べた。
さらに次のように、
鋭く言い切った。

「今日のような国家の危局に際しては、
 一人の無統制が国を破る因をなす。
 敢えて反対の行動に出ようとするものは、
 まず阿南を斬れ。」


────────────
8.クーデター計画
────────────
アメリカの回答は
12日午前1時頃もたらされた。
「天皇の国法上の位置」に関する
日本側の唯一の条件に対しては、
「最終的の日本国の政治形態は、
 日本国民の自由に表明する意思により
 決定せらるべきものとす」
という曖昧な答えだった。

中堅将校たちは、
このまま国体護持の確約もないまま
和平派によって降伏が決定してしまうことを恐れ、
クーデター計画を立てた。

陸軍大臣の治安維持のための兵力使用権を利用し、
東部軍と近衛師団を動かして
一挙に和平派の要人を監禁し、
大臣の上奏によって
天皇に戦争継続の決意をしていただこう、
というものであった。

クーデター計画を説明された阿南は、
決起反対者もいることから、
「今のような時は、
 お互いが信頼し合ってゆくことが
 一番大事である」
と静かに述べた。
頭ごなしに反対せず、
血気にはやる部下たちを掌握したまま、
終戦に導いていこうという態度である。

決起を促す中堅将校たちの気持ちは、
「立たば阿南大臣を首領として全軍一致、
 しからずんば個々の散発をさけて
 ただ大命(天皇の命令)のままに」
ということであった。
全軍の阿南への信頼が
かろうじて暴発を引き留めていた。

────────────
9.苦しかろうが我慢してくれ
────────────
第2回の御前会議が開かれたのは、
8月14日午前11時過ぎからであった。
阿南は
国体護持の確約が得られなければ戦争継続
という立場から、
もう一度連合国側に照会すべき、
と主張した。

昭和天皇は、
阿南らが反対する気持ちはよく分かるが、
「自分の身はどうなってもよいから、
 国民の命を助けたい」と語られた。
御聖断は再び下された。

午後、陸軍省に戻った阿南に、
若手将校20名ばかりが集まり、
「大臣は、
 国体護持の確証がなければ
 あくまで抗戦と、
 主張してこられたはず、
 決心変更の理由をうかがいたい」
とつめよった。
阿南は絞り出すような沈痛な声で答えた。

陛下はこの阿南に対して、
「お前の気持ちはよくわかる。
 苦しかろうが我慢してくれ」
と涙を流して仰せられた。
「自分としては、
 もはやこれ以上反対を
 申し上げることはできない。」

阿南が天皇との個人的な信頼を通じて語る言葉は、
よく大御心を若手将校たちに伝えた。
この後、
「陸軍はあくまでも聖断に従って行動す」
との承詔必謹の方針が
明確に打ち出された。
その夜、数人の若手将校が近衛師団長を殺害し、
一時、宮城を占拠したが、
東部方面軍によってすぐに鎮圧された。


────────────
10.ポツダム宣言受諾への電撃的ショック
────────────
翌15日正午、
昭和天皇の玉音放送によって、
ポツダム宣言受諾が伝えられた。
同時に全陸軍は阿南陸相の自刃を知った。
阿南が終戦処理を託した
荒尾興功軍事課長は次のように述べる。

「陸軍は
 昭和20年8月14日朝までは、
 戦争を継続すべきであると考えていた。
 然しこの日から、
 ポツダム宣言受諾の天皇の命令に
 即刻添わねばならぬことになった。」
この天皇の命令に
全陸軍が直ちに従うためには、
単なる命令だけでは徹底しない。
電撃的ショックを必要とするのである。

全軍の信頼を集めている阿南将軍の切腹こそ
全軍に最もつよいショックを与え、
鮮烈なるポツダム宣言受諾の
意思表示であった。

之により全陸軍は、
戦争継続態勢から、
ポツダム宣言受諾への
大旋回を急速に始めた。

それまで激烈な戦争継続要請の電報が
前線から来ていたが、
ピタリと止んだ。
換言すれば、大臣の自刃は、
天皇の命令を
最も忠実に伝える
日本的方式であった。

かくて全陸軍内外550万の将兵が
一日にして矛を収め、
無事に戦後の日本再建に向かう道が開かれた。
「軍を失うも、
 国を失わず」

阿南が14日夜、
最後の閣議へ向かう時に
つぶやいた独り言である。

~~~~~~~~~~~~

昨日の二二六事件の記事の末尾に、
 日本人である以上、
 そこにどんなに対立があったとしても、
 陛下の大御心を悩ませるようなことがあってはならない。
 それが日本人としての自覚の根幹である
と書かせていただきました。

それは、単に自覚や誇りというだけではなく、
自己の命の使い方の問題でもあると思います。
どこまでも日本男児である以上、
 一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ
 以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ
という教育勅語の精神は、
常に腹の底に持すべきものと思います。
それこそが「常在戦場」の心掛けであるものと信じます。

最後にひとこと。
昭和の軍人を見下したようなことを言う人がいます。
腹を切ってから物を言え
と言わせていただきます。
軍人としての覚悟、日本人としての覚悟は、
いにしえの武人も、昭和の軍人も、そして現在の自衛官も
まったく変わりはありません。


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コメント

※3
誰も忘れていない。そもそも名前あるし失礼。お前はその「名もなき兵士達」を上官批判に利用しているだけだろうが。

くすのきのこ

No title
ねずさん今日は。
どんな時代もぶれる事なく美学を追い続けるのが日本人かもw
それは一代で完結するものではなく数世代にわたるものかもw
その中には矛盾と様々な反論を含むからこそ、更に研磨されるものかもw
反論が無ければ思考は深められる事なく、暗愚に陥る。
嘲笑する者達には、それなりに彼らの役割があるのでは?
全ての軍人が誠実だったわけではない。
人間とか人間集団はそういうものそういうものですから。
ですが、そんな中で全体をベースアップして努力してきたのも事実。
嘲笑する者達は、自分らが嘲笑するネタを持っているからあざ笑う。
つまり自分らを嘲っていたりする。問題はそれを自覚して笑うだけ
ではなく、ステップアップしていけるかでは?
もがき続ける姿と、もがく努力を忘れ既得権益にしがみつく姿のどちらが
人生の・・美の・・追求でしょうか?
学問は進むから面白い。膠着した学会・学閥など見苦しい~w




-

No title
軍人にもいろいろいます。分隊長として部下を必死に守りながら戦いに勝とうとした下士官。兵士を無駄死にさせた高級将校、あの将軍のおかげて生きてかえれたと言われる人、あの将軍だけは戦後も絶対にこの土地を踏ませないと憎まれた人・・・。何よりも最前線で戦った「名もなき」兵士たち。彼らにも間違いなく名前があった。それを忘れてはいけません。

硫黄島

こんにちは
いかにも、平和ボケ世代が激動の昭和を潜り抜けた軍人を貶すのは笑止千万です。

いつぞやか、インパール作戦に出撃し散っていかれた英霊の皆様を『無駄死にだ』と述べ、同調を求める御仁がおりました。『私はそんなことはとても言えない』と応えました。御仁はどうにも私の発言が気に入らなかったようで、牟田口閣下のことを「無能」だと扱き下ろし、あらんばかりの悪口を延々と連ねました。

私がなぜ同調しなかったのかと言いますと、牟田口閣下を信じて戦い散っていかれた方達の死を「無駄」だなどと言って汚してはいけないと思ったからです。

なるほど確かに、インパール作戦は少々無謀だったかもしれません。しかし、それを言うなら、国力20倍のロシアを相手に正面から挑んだ日本は、開戦を決断したことそのものがキ○ガイ沙汰です。綱渡りどころじゃなく、東尋坊から飛び降りたのです。でも、いつの世も勝てば官軍ですから、誰も日露戦争を無謀だなどと批判しません。それこそ「負けると分かってて・・・」なんですが、結果的に大和民族の情熱と魂がロシアを上回り、まさに奇跡的な勝利でした。

要するに、戦後世代は結果だけしか見ていないということです。結果が負けたのであれば、ちゃんと反省することが「優等生」のやるべきことだと思っているのでしょう。つまり、自分を優等生だと思いたい、実はただそれだけだったりします。

私などは昔から落第者でしたから、自分を優等生だと思ってないし、優等生になりたいとも思わないので、反省なんかしません(笑)

インパール作戦だけではないけども、何万もの人間が一様に自分の命を擲ってでもやり遂げたいこととは、そこにいったいどんな情熱があるのか、また、それだけ部下に信頼される上司とは、いったいどんな人物なのか。資料だけでは分からない実際の空気というか、生々しく当時を直に体験してみたいという欲求しかありませんし、それだけで充分だと思います。

人間というのは「良い結果」を求める生き物ですから、どうしても反省したがるというか、結果に縛られます。しかし、それではゲームと同じでちっとも面白くない。たかだか100年ぽっちの人生で、どんな結末を見れるというのでしょうか? 歴史の目線で見れば、日米戦争はまだ終わってないというのに。

つまり、『なぜ負けたのか』ではなく、『なぜ戦ったのか』が大事なのです。大義名分なくして勝機なし、すなわち、反省は無意味であり時間の無駄。戦いに勝利したくば、命をかけるに足る動機を得よ、です。

駄文を長々と失礼しました。

KK

日本人としての誇り
お疲れ様です。
昨日に続けての阿南大将の貴重なお話、肝に沁み入ります。
靖國神社に訪れた際は必ず遊就館にも立ち寄るのですが、毎回阿南大将の御遺品の前に立つ度に身が引き締まる思いとともに身を律せねばと反省させていただいております。
話は変わりますが、今回のオリンピックにおける羽生選手や高橋選手、小平選手をはじめ、日本人選手の日本を大事にする気持ち、振る舞いにも感服いたしました。
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

講演のご依頼について

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