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確(かた)く神州(しんしゅう)の不滅を信じること。
任(にん)重くして道(みち)遠きを念(おも)って、
総力を将来の建設に傾けること。
世界の進運(しんうん)に後(おく)れないこと。
これらは昭和天皇の終戦の詔で出てくるご遺命です。
新しい時代を拓いて行こうではありませんか。
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第52回 倭塾 公開講座いま、戦後教育を受けてきた日本人で、日本建国の詔(みことのり)を学校で教わったご記憶を持つ方はいるのでしょうか。
世界中どこの国においても、自分たちの住む国の建国の歴史や建国宣言の内容を教えていない国などありません。
ChinaやSouth Koreaのように、たとえそれがあまりにも荒唐無稽な絵空事であっても、彼らは彼らなりに、自国の建国の歴史と、最低限、建国宣言の言葉とその意義は、義務教育課程で必ず教えることです。
米国でも独立宣言を、なるほど諳(そら)んじることができるまでできる人は少ないかもしれませんが、独立宣言があったこと、およびその精神は必ず誰もが学校で習うことです。
世界の中で、日本だけがそれをしていません。
日本の教育は憲法で義務化され、国家機関としての文部科学省もあります。
あたりまえのことながら、日本という国があるから憲法があり文部科学省もあります。
ところが憲法で義務敎育化した小中学校で、本当にん不思議なことに我が国の建国の経緯も建国宣言も、その心もまったく教られていないし、文科省もそれを教育指導要項に加えていません。
いったい文科省というのは、どこの国の教育監督官庁なのでしょうか。
文科省が日本国の教育を所轄する行政機関だというなら、日本の建国宣言(建国の詔)や建国の経緯を義務教育で教えるのは、あまりにもあたりまえなことといえるのではないでしょうか。
建国宣言があることが教えられず、建国の経緯さえまったく教えられさえもいないということは、国際標準に照らしても、あきらかにおかしなことです。
ところが不思議なことに、日頃国際化を提唱する人たちでさえ誰もそのことに触れようとしません。
敎育関係者や文科省の職員の中には、日本は戦後に大日本帝国から日本国という別な国になったのだと勘違いしている人もいるという話を聞くことがあります。
馬鹿な話です。それならなぜ日本に建国記念日があるのでしょうか。
神武天皇の建国の詔(みことのり)がどのようなものであったか。これを日本書紀から読んでみたいと思います。
●原文
自我東征、於茲六年矣。
頼以皇天之威、凶徒就戮。
雖邊土未清余妖尚梗、而中洲之地無復風塵。
誠宜恢廓皇都、規摹大壮。
而今運屬屯蒙、民心朴素、巣棲穴住、習俗惟常。
夫大人立制、義必隨時、苟有利民、何妨聖造。
且當披拂山林、經營宮室、而恭臨宝位、以鎭元元。
上則答乾霊授国之徳、下則弘皇孫養正之心。
然後、兼六合以開都、掩八紘而為宇、不亦可乎。
観夫畝傍山、東南橿原地者、蓋国之墺区乎、可治之。
●現代語訳
我が東征より六年を経た。
天つ神の霊威によって凶徒は滅んだ。
辺土はいまだ騒々しいが、中洲国に風塵はない。
そこで壮大な皇都と皇居を建てよう。
いま国は出来たばかりで若く、
民心は素朴で穴に住む習俗もいまだ残っている。
それ大人の制を立て義を必ず行い、
いみじくも民に利があるとき(苟有利民)、
聖造に何のさまたげがあろうか。
山林をひらき、宮殿を築き、
宝位に就いて、元々を鎮めよう。
上は乾霊が授けてくれたこの国の徳に答え、
下には皇孫の正しい心を養おう。
しかる後に六合を兼ねて都を開き、
八紘を掩(おほ)いて宇(屋根)となすは、また良からずや。
畝傍山の東南に観(み)る橿原の地は国の真ん中にあたるや。
ここで治むべし」
はじめに「東征より六年を経た」とあります。
「征」の字が後年征服とか征伐などの熟語に用いられるようになったために、神武天皇は大軍を率いて宮崎を出発して、ついには畿内にまで軍事的に進出して畿内に王朝を築いたと解釈されることが多いのですが、すこし違います。
「東征」というのは、「正しいことを行うために東に向かった」という意味です。
では、その「正しいこと」とは何かといえば、誰もが豊かに安心して安全に暮らしていくことができる社会を実現することです。
神武天皇は、それ以前の記述から、稲作農業をいまの中四国から畿内に向けて広げた人であったことがわかります。
神武天皇は、宮崎を兄の五瀬命(いつせのみこと)とともに出発されていますが、この五瀬命という名前も、没後の諡名(おくりな)です。そして五瀬命の「五」は五穀(ごこく)、「瀬」は、田んぼの浅瀬のことを意味しますから、農業指導を行って多くの人びとから尊敬された人であることがわかります。
稲作を行う集落は、周囲が水を引く田んぼですから、住宅の形式が高床式になります。
これは当然のことで、田んぼの水位より床面が低い竪穴式住居では、床に水が染み出してきてしまって住めたものではなくなるからです。
実際、現代の田んぼを営む農家で、竪穴式住居は日本国中探しても一件もありません。
つまり周囲に竪穴式住居に住む人々がまだいるということは、神武天皇の時代には、まだ水耕栽培ではなく狩猟採取型の人々が国内に多く住んでいたことを意味します。
そういう環境下にあって神武天皇は、大和盆地に「山林をひらき、宮殿や室を築き、宝位に就いて元々を鎮めよう」と述べられています。
「宝位」というのは天皇の位のことです。
「元々」というのは、もともといる人々であり、同時にもともとの神々の「おほみたから」たち、すなわち民衆のことを意味します。
そして「上は乾霊が授けてくれたこの国の徳に答え、下には皇孫の正しい心を養おう」と続きます。
「乾霊(けんれい)」の「乾」は天空を意味しますので、「乾霊」とは、天の神々の御霊という意味です。
その天の神々が地上のすべてを授けてくださった。私たちの生命もまた天の神々が授けて下さった。
その御徳に答えて「下々に正しい心を養おう」と述べられています。
ではその「正しい心」とは何かというと「八紘を掩(おほ)いて一宇となす」です。
「八紘」は、四方八方です。
「宇」は、屋根のことです。
つまり都を中心に、四方八方のすべてが、ひとつ屋根の下に暮らす家族となろうと仰せになられています。
その前にある「六合を兼ねて都を開き」の「六合」というのは「東西南北+天と地」の六つを合わせるという意味です。
ですから単に地上社会の世間をひとつ屋根の下におおうのではなく、神々のお住みになられる天上界を含めて、天地のすべてをおおう。
その「おおう」に「掩」という字が使われています。
この字には「手でおおう」という意味があります。
単に世間を一つ屋根の下に暮らす家族同様にみなすということではなくて、「掩」という字が加わることによって、そのために様々に手を下して、民を正しい道に教導していこうではないかというひびきが含まれるのです。
そして「畝傍山の東南に観(み)る橿原の地は国の真ん中にあたるや。ここで治めるべし」と述べられて、橿原宮に、最初の都を置かれたわけです。
神武天皇という諡号(おくりな)は、実は、神武天皇の生きられた時代よりもずっと後の、奈良時代になってから、付けられた漢風諡号です。
もともとの名は、『古事記』では神倭伊波礼毘古命(かむやまといはれひこのみこと)です。
『古事記』には注釈があって「伊波礼毘古」は「以音」、つまりただの当て字であって、これは大和言葉の「いわれた毘古」である、という意味です。
「毘古」は「彦」と同じで、男性を意味しますから、要するにこの諡号は「倭(やまと)の神といわれた男」という意味とわかります。
つまり生きながら「神」と讃えられた人であったわけです。
「神」という用語についても注釈が必要です。
「神」の音読みは「シン、ジン」です。China漢字では、この字は生贄を捧げる台に雷が落ちる象形で、そこから天の神を意味する字となりました。
ところが日本語の読み(訓読み)は、「かみ」です。
「かみ」というのは、古い大和言葉では、ご先祖をずっと「かみ」のほうにさかのぼっていったときに、◯◯家のご先祖だけでなく、およそ六〜七百年経過すると、日本中すべての家系のご先祖がかぶって、誰もが親戚となり、ご祖先が、いまを生きる人々にとって、共通のご祖先となってしまいます。
その共通のご先祖のことを、祖先をずっと上(かみ)にさかのぼった先にある人々の共通のご先祖という意味で「かみ」と呼んだのです。
ですから、田舎の方の郷では、その村に住むすべての人は、同じ血筋だったりしますから、村人たちの共通のご祖先が鎮守の神様として祀られました。
そうした村々が集まると、惣(そう)となります。
これがいまでいう地域のことで、その地域一帯の総鎮守の神様が、国の宮に祀られます。
たとえば武蔵の国の一宮(いちのみや)という具合です。
そして全国の共通のご先祖となられる神様がおいでになるところが、神(かみ)の宮(みや)ということで神宮と呼ばれました。
そして初代天皇である神武天皇の父は、鵜草葺不合命(うかやふきあえずのみこと)です。
その鵜草葺不合命は、海彦山彦の物語で有名な山佐知毘古でお馴染みの、火遠理命(ほをりのみこと)の子です。
その火遠理命は天孫降臨された迩々芸命(ににきのみこと)の子です。
その迩々芸命は、天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)の子です。
その天忍穂耳命は、天照大御神(あまてらすおほみかみ)の子です。
そして天照大御神は、イザナキ、イザナミで有名な伊耶那岐大御神の子です。
以上のことを簡単に図示すると以下のようになります。
伊耶那岐大御神(いさなきおほみかみ)
↓
天照大御神(あまてらすおほみかみ)
↓
天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
↓
迩々芸命(ににきのみこと)
↓
火遠理命(ほをりのみこと)
↓
鵜草葺不合命(うかやふきあえずのみこと)
↓
神武天皇
つまり神武天皇の高祖父の母が天照大御神、裏返しに言うと神武天皇は天照大御神から五代目の来孫(らいそん)となるわけで、そういう意味では、天孫降臨された迩々芸命が初代天皇でも良かったわけですし、同様にそれは火遠理命でも、鵜草葺不合命でもよかったはずです。
それなのになぜ神武天皇が「初代」天皇とされてきたのかというと、まさに神武天皇が、天照大御神から迩々芸命が授けられた天壌無窮の神勅に基いて、稲作を中心とした我が国を開いた御方だからです。
このことは我が国が、有史以来、ずっと稲作を中心とした農業国として営まれてきたことを示します。
なぜ農業国なのかといえば、臣民の誰もが豊かに安心して安全に暮らせるようにすることを、建国の詔に従って国是としてきたからであり、その詔は、最高神であられる天照大御神の天壌無窮の神勅に基づきます。
こうして我が国は農業立国となり、農業を営む人たちが黎元(おほみたから)とされました。
黎元の「黎」の字は、「禾」が実った稲の象形、「刀」みたいなところが鍬(くわ)や鋤(すき)、「八」みたいなところが、その鍬や鋤の刃、その下にあるのが「水」です。
つまり「黎」という字は、これ自体が稲作を意味する字です。
農業をする人々がいるから、みんなが食べることができるのです。
そしてその稲作農業を推進するために、みんなで力を合わせて土地を開き、田植えをし、稲刈りをし、藁を編んで生活用品にし、決して飢えることのない国を、上下心をひとつにして築いていく。
それが八紘一宇です。
もちろん農業だけしていれば国が成り立つわけではありません。
作物を運ぶ人も必要ですし、鍬や鋤といった農具を作る人、食事を作る人、食事のためのお椀やお皿を作る人、それを運ぶ人、土地を開墾する人、それらを管理する人など、様々な人の様々な営みによって、国が成り立ちます。
そうしたすべての人に感謝し、その一員として自分も働く。
だからいまでも日本人は、食事のときに「いただきます」と言います。
一昔前なら両手を合わせて「いただきます」と言ったものです。
感謝の心があるからです。
商業主義に陥ると、富を持つ者が富を独占し、他者を顧みなくなる弊害が起こります。
そうした弊に陥らないように、日本人は歴史の中で、常に国の根底に「黎元(おほみたから)」を置いてきたのです。
これが我が国の建国宣言です。
日本は長い歴史の中で、度々政権交代はありましたが、常に混乱のあとには、「神武創業に還れ」が合言葉になっていました。
その神武天皇は、さらにまた淤能碁呂島創業、つまりイザナキ大神、イザナミ大神の精神に還ることを、我が国建国の原点とされているわけです。つまり日本は、はるか神々の時代から、ずっと続く国の原点を持つ国なのです。
建国宣言を教えるということは、その国の原点を教えること、もっというなら日本人の原点となるアイデンティティを教えることを意味します。
それをどうして義務教育で教えようとしないのか。
逆にいえば、我が国が国民の幼年敎育の過程において、建国宣言を明瞭明確に教えることができるようになったときこそ、日本が日本を取り戻したとき、つまり本当の意味での独立国となったときといえるのではないかと思います。
確(かた)く神州(しんしゅう)の不滅を信じること。
任(にん)重くして道(みち)遠きを念(おも)って、
総力を将来の建設に傾けること。
世界の進運(しんうん)に後(おく)れないこと。これは昭和天皇の終戦の詔で出てくるご遺命です。
誤解のないように申し上げておきますが、農本主義に還れと申し上げているのではありません。
食を大切にし、誰もが「おほみたから」として大切にされ、
誰もが豊かに安心して安全に暮らすことができ、
ひとりひとりの国民が愛と喜びと美しさを求めて
素直に生きることができる国、
そういう日本を取り戻して行きたいと思うのです。
なぜなら私達の国のはじまりは、
よろこびあふれる楽しい国(豈国)を求めて築かれているのですから。
お読みいただき、ありがとうございました。

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コメント
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大東亜戦争の敗戦以来、色々な事が歪められ貶められ悔しい限りです。
経済も大事ですが、やはり教育が一番大事ですね。
2018/04/05 URL 編集