蘭印作戦と空の神兵



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蘭印作戦(らんいんさくせん)というのは、大東亜戦争の初期にあたる昭和17年(1942)1月11日から同年3月9日まで行われた作戦です。
帝国陸軍の作戦名は「H作戦」。
この戦いのなかのひとつである「パレンバン空挺作戦」は、後に「空の神兵」と歌や映画にもなりました。


20180411 空の神兵2
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)


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「蘭印作戦(らんいんさくせん)」と「空の神兵」について書いてみようと思います。
「蘭印」というのは「蘭領東印度(らんりょうひがしいんど)」の略語です。
オランダ領東インド諸島(英:Dutch East Indies)のことを指します。
いまは独立して「インドネシア共和国」となっていますが、当時はおよそ300年続くオランダの植民地だったのです。

それ以前のインドネシアは、もともとはヒンズー教国だったようです。
ところが6世紀には交易を通じて仏教が伝えられ、さらに13世紀頃にはインドネシアで産出する良質な胡椒(こしょう)を求めてアラブ商人たちが出入りするようになってイスラム教がもたらされました。

こうして15世紀にはイスラム教国(マラッカ王国)が成立し、以後いくつかの王朝が衰退を繰り返したあと、16世紀のはじめにジャワ島西部に位置するバンテンに「バンテン王朝」が成立します。

そのバンテンに、オランダ人がやってきたのが1596年のことです。
このときオランダ人たちは、バンテン王国との交易を希望するのですが断られ、腹いせに付近の住民を殺害してわずかばかりの胡椒を持ち帰りました。
これがたいへん良質だと評判になり、1602年に設立されたオランダ東インド会社は、民間交易を通じてインドネシアに入り込み、胡椒の製造販売を独占するようになり、さらに17世紀後半頃になると内陸部にまで進出してコーヒー栽培の直営農場を持つようになりました。

土地を確保したオランダ東インド会社は、その後王国の後継者争いなどに介入して、ついに王国を属国化することに成功するのですが、そのためにあまりにも資金を使いすぎて資金繰りが悪化し、経営権をフランスの衛星国であるバタヴィア共和国(いまはベルギーとオランダに別れている)に譲り渡しています。

このバタヴィア共和国は、その後、フランス革命の嵐の中で、ホラント王国となり、フランスに併合され、ネーデルラント王国として独立し、いまはベルギーとオランダに別れた国になりました。
そしてインドネシアは最終的にオランダの植民地となって行ったわけです。

大東亜戦争の始まる頃の時代は、戦争における資源エネルギーの中心が、石炭から石油へと変化していった時代にあたります。
そうなると日本は、石炭は自国内で産出しますが、石油がありません。


20180326 イシキカイカク大学

昭和16年7月25日に在米日本資産凍結令を公布した米国は、続く8月1日には対日石油輸出の全面停止を発表しました。
それでも日本は戦争を避けるべく努力を重ね続けますが、外交努力が最早困難となった昭和16年12月1日、御前会議でついに日本は対米英蘭戦を決定します。

ところがこれに先立つ11月2日、ベルリンで自由インドセンターが発足します。
自由インドセンターは、自由インド放送を開始し、インドの独立を呼びかけるようになります。
日本は、米英蘭との開戦をするに際し、同時に東南アジア諸国とインドの独立を支えることを決定したのです。

こうして同年12月8日には、海軍が米国領ハワイにある真珠湾を攻撃、また同日陸海軍航空隊が米国漁領フィリピンを空襲しています。
12月10日には、海軍の航空隊がマレー沖で英国の誇る浮沈戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスを撃沈、またグアム島攻略隊が同島を占領。
12月22日には、フィリピン・ルソン島のリンガエン湾岸に日本陸軍が上陸。
12月25日には、英国領香港島を攻略。
12月28日には、タイのバンコクで、ビルマ独立義勇軍を編成。
翌年1月2日には、フィリピンのマニラを占領。
1月11日には、マレーシアのクアラルンプールを占領します。

そして次に、オランダ領東インドの攻略のために同日(1月11日)から開始されたのが、蘭印作戦です。

蘭印作戦では、1月11日にボルネオ島北部の油田地帯であるタラカン島に上陸してこれを占領、
まだ同日、セレベス島のメナドにも海軍の堀内豊秋中佐率いる334名の横須賀第一特別陸戦隊が、落下傘部隊として世界初の飛行場への急襲降下を行い、作戦を見事に成功させています。

このときの司令の堀内豊秋中佐は、現地の人々を日本人と等しく平等に扱って善政を敷いたことから、わずか3ヶ月後には部隊とともにバリ島に移動するのですが、その移動のとき、落下傘の降下地区のガラビランとラングアン地区の住民数百人が、別れを惜しんで60キロの道を歩いてメナドまで部隊を見送ってくれたといいます。

終戦後、堀内中佐はオランダによって戦犯として処刑されてしまうのですが、地元の人たちは堀内大佐の墓を守り、平成6年には、メナドに堀内大佐の慰霊碑が建てられています。
ちなみにこの堀内大佐が広めてくれたのがデンマーク体操で、それが元になっていまのラジオ体操が生まれています。

さらに1月25日には、ボルネオ島のバリクパパンを占領、
1月31日には、アンボンを8日間の激戦の上陥落させています。
アンボンは天然の良港で、オランダが1599年に基地を建設して以来、モルッカ諸島支配の中心地であり、きわめて頑健な、難攻不落とされていた要塞が建設されていたところです。
そんな要塞のあるところを、わずか8日で陥落させたというのは、これは世界の陸戦の常識を根底から覆すものでした。

そして次の目標となったのが、オランダのロイヤル・ダッチ・シェルが操業する製油所と、プラジュ油田によってインドネシアの85%の石油の生産拠点となっていたパレンパンでした。
たとえ戦いに勝利したとしても、石油掘削施設や製油施設が破壊されてしまっては、なんにもなりません。

それは日本側の攻撃によって破壊されてもいけないですし、オランダ側がヤケを起こして施設を爆破させてしまう事態も避けなければならないということです。
しかもバレンパンは、海に面した河口からおよそ100キロの内陸にあります。
上陸用船艇による肉迫では、川を遡上している間に発見されて攻撃を受けたり、あるいは製油施設を破壊される恐れが大きいのです。
そこで採用されたのが、空挺部隊による急襲という作戦でした。

2月14日、降下第1悌団は、輸送機に分乗し、加藤隼戦闘隊に護られながらマレー半島を飛び立ちました。
途中、米軍の戦闘機部隊に発見され、空中戦となりますが、訓練された加藤隼戦闘隊の攻撃の前に、敵機2機が撃墜、残りを敗走させています。

パレンバン上空に着いた第1悌団は、市街地の北方およそ10キロの湿原帯に降り立ち集結するのですが、輸送機から投下されたはずの火器・弾薬のほとんどが入手できず、大半の兵隊さんが携行した拳銃と手榴弾のみで戦闘せざるを得ない状況にあったそうです。

そこに米蘭の装甲車部隊約500名が殺到する。
装備も火力も人数も圧倒的な敵を前に、我が空挺団は奮戦し、なんとこれを打ち破って21時までには飛行場を確保してしまいます。

次いで翌15日の午後、第2悌団がパレンバン市街地南側の湿地に降下しました。
降下するとすぐに先に降下していた第1悌団と連携して、パレンバン市街に突入し、またたくまに同市を占領してしまいます。
この当時の日本軍の強さといったら、もうとてつもないというものです。

パレンパンの占領によって、備蓄石油25万トンおよび油田施設を鹵獲(ろかく)しました。
降下部隊の死傷者は、降下329名中、戦死39名、戦傷入院37名、戦傷在隊11名でした。
そして18日には、遅れて到着した師団主力と連携し、パレンバンの周辺地域を完全に確保しています。

この戦いの成果は、2月15日午後5時10分発表の大本営発表第192号によって、日本の内地に報道されました。
それが有名な「強力なる帝国陸軍落下傘部隊は・・・」で始まる、挺進隊の活躍とパレンバン空挺作戦の成功の発表です。

この後、陸軍の落下傘部隊は「空の神兵」の軍歌となり、また同名の映画が作られて、日本国民におおいに親しまれることになります。

「挺団」という名称にある「挺(てい)」という字は、「身を捨てる」という意味を持つ漢字です。
まさに空中に身をさらして降下するのであり、その降下速度も、普通の落下傘の何倍ものスピードになります(そのため梯団の落下傘には、最初から穴が空いているくらいです)。
このため、空挺団の人たちは、ビルの4階くらいから普通に飛び降りて缶コーヒーを買いに行くくらいのことがごく日常的なレベルになのだそうです。

また挺団は、敵地に奇襲を行なう部隊ですから、極めて戦闘力の強いエリート中のエリートの兵士で構成されます。
本当にすごい人たちで構成されるのですが、世界の戦史では、梯団による奇襲作戦の多くが失敗に終わっています。
最初から厳しい戦闘であり、成功の確立も生還の確立もきわめて低いのです。

ところが日本は、その落下傘部隊による奇襲作戦をものの見事に成功させてしまったわけで、そこから世界の軍隊では、いまも空挺団が特殊部隊の中のエリート中のエリートで構成するようになりました。
それもまた、日本の空の神兵と呼ばれた男達が築いた歴史であったわけです。

お読みいただき、ありがとうございました。

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コメント

one

No title
私、パラシュート部隊の湿地帯降下は白黒画像で見たことがありましたが、飛行場への急襲降下もあったのですね。

石油施設を無傷で確保する。急転直下とは、このことでしょうか・・・。

ラジオ体操の前身が、蘭印作戦時代のデンマーク体操にあったなんて、これまた新鮮な発見です。

No title
スレチですみません。
サッカーの国際試合で国歌斉唱の時、右手を左胸に当てますよね。
私はあの敬意の表し方に違和感を感じます。
あれは白人の文化ではありませんか?
他の東洋人や黒人がしても違和感を感じます。
国旗掲揚も国歌斉唱も直立不動でするものだと思います。
別にサッカー選手に難癖をつけるつもりはありません。
ねずさんのお考えを聞かせて下さると嬉しいです。

えっちゃん

江戸時代の長崎出島
いつもありがとうございます。
今日の記事から、江戸時代の出島の事を想起しました。場所、地形、布教しない、切支丹ではない、と宣言させた和蘭人のみ交易権を与えたという方法の素晴らしさ。等々、記事を読ませていただき、日本の凄さに関心しました。
その日本、取り戻したいと思います。

スーパージェッター

唱歌 空の神兵
空の神兵は、軍歌の枠を超えた奴隷解放の賛歌です。
文部科学省の指導により、準国歌に認定すべきです。
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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