反日左翼は嘘ばかり。戦前の特高必携に学ぶ



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「単に模倣のための模倣は決して日本のためにならぬ」という言葉は、日本のところを、会社・組織・家族・身内・自分と置き換えても良いかもしれません。
青少年の教育は別です。
社会にあって責任を担う人にとっては、学びは、単なる鵜呑みではなく、現実とのギャップの中で未来を築くためのものだからです。


20180420 つつじ
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 国家の進運は
 畢竟(ひっきょう)
 その国家本然(ほんねん)の
 独創的改革によって
 はじめて成就し得るものであって、
 決して模倣によって
 招来(しょうらい)し得るものでない。

 日本には本来、
 建国の昔から貴き伝統があり、
 有難き国風がある。

 ロシアの真似も、
 英国の真似も、
 アメリカの真似も、

 すべてそれらは、
 この国風を
 長養(ちょうよう)する
 意味において
 摂取する場合においてのみ
 意義を発揮し得るのであって、

 単に模倣のための模倣は
 決して日本のために
 ならぬのである。

 その昔
 儒教仏教も
 これが国風化したときに、
 はじめてそれは
 日本国家のものと
 なり得た事実に鑑み、

 欧米舶来の新思想もまた、
 これを国風化して
 日本開展の
 一資料たらしむる覚悟が
 なければならぬのである。

この文は、かつて特高(とっこう)と呼ばれた、特別高等警察官の職務手帳の「特高必携」の冒頭序文の一部です。
昭和7(1932)年に刊行されたものです。


20180326 イシキカイカク大学



戦前の特高といえば、思想取締警察であり、苛酷な拷問や尋問を行った恐怖の機構であったと宣伝されています。
これはいまだけでなく、戦前戦中も、おそろしいところだと宣伝されました。
おそろしいところでなければならなかったからです。

日本は察する文化の国です。
事件や事故を起こした人を処罰するのではなく、そもそも事件や事故が起こらないようにしていくことを大事にしてきた国柄を持ちます。
ですから特高は、おそろしいところと思われていなければならなかったのです。

冒頭の「特高必携」序文は、上の文に続けて次のように書かれています。
「特高警察官は、
 彼等に対してよき薫陶を与え、
 よき反省のための
 伴侶であり、
 師であり、
 友であることによって、
 職務の実を挙げ得るよう
 心掛くべきである。
 それは独りその人々の
 幸福たるのみならず、
 国家のための
 至福たるべきものである。」

諸外国における思想取締警察は、これはある国などではいまでも、おそろしい殺人集団です。
捕まれば、二度と生きて娑婆に出ることはできないし、百にひとつも出所できたとしても、そのとき五体満足いられることはまずありません。

ところが我が国の特高では、終戦後、GHQによって逮捕収監されていた思想犯たちが全員釈放されましたが、その全員が、五体満足どころか、終戦頃の食糧難から多くの人たちがほとんど栄養失調状態であった時代に、栄養満点元気溌溂の姿で娑婆に出てきたのです。

そして取調中の死亡者は、特高が開設された昭和7年から終戦の昭和23年までの16年間で、小林多喜二1名だけ、それしか実例がないというのが現実です。

小林多喜二は昭和8年2月20日に死亡し、22日に遺族に遺体が返却されていますが、話としては「翌日遺族に返された小林の遺体は、全身が拷問によって異常に腫れ上がり、特に下半身は内出血によりどす黒く腫れ上がっていた」などと書かれ、さらに同じく共産主義者であった岡本唐貴によって遺体の様子が油絵で写生したとする絵画が残されています。
油絵は、あたかも酷い拷問によって顔中が腫れ上がっているかのように描かれてもいます。

ところがこの小林多喜二の遺体は、共産主義者の千田是也という人物によって、デスマスクが取られ、そのデスマスクはいま小樽文学館に保存されています。
デスマスクを見ると、顔に腫れなどひとつもなく、また拷問によって何度も顔を殴られれば、普通、前歯などは折れてなくなってしまうものなのですが、その前歯もちゃんとあります。

小林多喜二のデスマスク(小樽博物館蔵)
20180420 小林多喜二


拷問によって腫れ上がった下半身写真というものもありますが、なぜか黒ずんでいるのは太ももだけです。
打撲によって腫れ上がったならば、たいていは赤や青に腫れますが、写真では、どうみてもそこが黒ずんでいます。
生きている人の体は、壊死を起こすと、そこは漆黒になりますが、もし太ももが壊死して漆黒になったのなら、膝から下にも血液が回りませんから、下肢全体が黒ずむはずですが、不思議なことに、写真の膝からしたは、まったく外傷が見受けられません。
同様に上半身にも、まったく外傷がありません。
写真を見る限り、これはどうみても、太もものあたりに墨汁を塗って撮った写真にしかみえません。

拷問痕とされる小林多喜二の遺体写真
20180420 小林多喜二2M/center>

今月の12日に、農水省からも出てきたと発表された「首相案件メモ」は、朝日新聞や週刊文春が報じたものが、毎日新聞では手書きであった「13日」が、どういうわけかもとは「3日」となっていたり、ワープロソフトで作成してプリンターで印刷したはずの文書が、なぜか改行位置が不揃い、それどころか同じ文書の中に、明朝体とゴシック体の文字が混在しているなど、あまりにも不自然なものですが、左系の方のこうした捏造は、どういうわけか、昔から仕事が粗いようです。

小林多喜二が亡くなった経緯にしても、築地警察署長が
「(特高警察が)短時間の調べでは自供しないと判断して
 外部からの材料を集めてから取調べようと
 一旦5時半に留置場に入れたが
 間もなく苦悶を始め、
 7時半にはほとんど重体になったので
 前田病院に入院させる処置を取り、
 築地署としては何の手落ちもなかった」
と状況報告をしています。
病院が下した死因も「心臓麻痺」です。
おそらくこれが事実であろうと思います。

戦後に特高警察によって逮捕勾留された人たちが、ゾロゾロと赦免されて出てきました。
それらの中には、後に共産党の幹部になった人や、宗教団体の幹部になった人たちがいますが、彼らが出所して出迎えの人たちの前に現れた当時の写真を見ると、まさに元気溌溂です。

府中拘置所から出所する徳田球一と出迎えの人々
20180420 徳田球一


もし本当に日本の特高警察が、殺人鬼集団のようなものであったのなら、特高に逮捕された人たちは、そもそも出所できていません。
中共やソ連によって、政治犯として逮捕された人たちは、誰も出て来ていません。
なぜなら、裁判もなく、皆殺しにされているからです。

日本ではそうではなくて、そのような平気で皆殺しをするような思想を持つ連中を、取締り、逮捕していたのです。
そこで何が行われたかといえば、捜査官たちが、逮捕した政治犯たちと真面目に向き合い、彼らの話も一生懸命に聞きながら、彼らに対して、その心得違いを諭し、ときに涙を流しながら、彼らに日本の国風にあった改革を考えるよう、懸命に説得を重ねていたのです。

もちろん殴ることもあったでしょう。
しかし日本人は、どこかの人たちのように、楽しみのために人を殴るようなことはしません。
なぜなら日本人の心には愛があるからです。

特高の正式名称は「特別高等警察(とくべつこうとうけいさつ)」です。
一般の警察機構が都道府県単位に独立した組織になっているのに対し、特高は内務省の直下にあって全国規模で捜査が可能とされていました。

特高が設置されたのは大正12(1923)年です。
なぜそういう機構がおかれたのかは、時代を考えると答えはすぐに見つかります。
その前年の大正11(1922)年に、日本共産党が結成されているのです。

大正6(1917)年にはじまる共産主義のロシア革命では、ニコライ二世など、ロマノフ王朝の王族がことごとく虐殺されました。

さらに大正9(1920)年には、ロシアのニコライエフスクで尼港事件が起きました。
共産パルチザンによって約700人の日本人居留民が、みるもおぞましい姿で全員虐殺されています。

大正11(1922)年には、ソ連が世界の共産化を目指してコミンテルン組織をつくり、世界から君主を廃絶することを目標として掲げました。
これは我が国でいえば、天皇の廃絶です。
しかもそのためには、どれだけの人の命を奪っても、それは革命のためだからということで正当化されるというのです。

むしろこのような偏向した殺人思想を持つ者や団体は、取り締まらない方が、国としてどうかしています。

ですからこれは日本だけでなく、世界中で共産主義者に対する逮捕や投獄がさかんに行われるようになりました。
同様に日本でも、日本共産党という極左暴力集団が結成された以上、これを取り締まるための警察機構が組成されました。当然のことです。

大正14(1925)年には、先般お話した「治安維持法」が制定され、特高警察の取締に法的根拠が明示されました。
昭和初期には、日本国内の戦時挙国一致体制保持のために、これを否定する反戦運動家や、似非宗教などの反政府的団体も、取締の対象となりました。

戦後、特高によって逮捕投獄された人たちが、GHQの解放によって、牢獄からゾロゾロと出てきました。
彼らが口を揃えて言ったのは、
「自分は
 国家権力による
 いかなる弾圧にも
 めげずに信念を
 貫き通した」
というものでした。

戦後、GHQによって特高警察は解散させられました。
そしてその一方で、元政治犯たちによって、特高は恐怖の国家権力集団としての印象操作がされました。
かつて、その特高警察官として、涙を流して説得にあたっていたまじめで正義感の強い警察官たちの思いは、いかばかりだったことでしょう。

戦後の日本は、否定してはいけないものを否定し、肯定しなければならないものを否定し、否定しなければならないものを肯定してきたといえるのではないでしょうか。


最後にもうひとつ。
冒頭の特高必携の文中に「日本には本来、建国の昔から貴き伝統があり、有難き国風がある。ロシアの真似も、英国の真似も、アメリカの真似も、すべてそれらは、この国風を長養(ちょうよう)する意味において摂取する場合においてのみ意義を発揮し得るのであって、単に模倣のための模倣は決して日本のためにならぬ」とあります。

徳川家康は、弱冠23歳の若い儒者である林羅山(はやしらざん)に徳川幕府の家人教育の一切を委ねました。
その林羅山を開祖とする塾が、後に江戸の昌平黌(しょうへいこう)となり、いまの東大になります。
家康の時代、林羅山などよりもはるかに年齢的にも実績面においても上回る、全国最大の大大名である徳川家にふさわしそうな大物儒学者は全国にたくさんいたのです。

ではなぜ家康が林羅山を取り立てたのかというと、ものすごく明確な理由があります。
それは、当時の時代にあって、全国でただひとり、林羅山だけが儒者でありながら、日本の随神(かんながら)の道を根本に置いて儒学を説いていたからです。

兵法も同じです。
よく孫子の兵法をありがたがる人がいますが、兵法というのは、その国や民族ごとに異なるものです。
早い話、アメリカで誰かが成功したからと、その成功哲学をそのまま日本国内の会社がコピーして用いたところで、事業の成功はおぼつきません。
企業には企業毎の文化があるし、それは国もまた同じで、国ごとにその国の根幹を形成している文化があるのです。

そこを踏まえなければ、いかなる戦術も戦略も成功しないし、学問も空理空論に終わります。
それをゴリ押ししようとすれば、それこそ共産主義者のような破壊活動に頼らざるを得なくなります。
そして、破壊活動に至った瞬間に、その学問は、未来を担う学問ではなく、失敗者の言い訳にすぎないものとなります。

「単に模倣のための模倣は決して日本のためにならぬ」という言葉は、日本のところを、会社・組織・家族・身内・自分と置き換えても良いかもしれません。
青少年の教育は別です。
社会にあって責任を担う人にとっては、学びは、単なる鵜呑みではなく、現実とのギャップの中で未来を築くためのものだからです。

お読みいただき、ありがとうございました。

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コメント

しみず

うわあ‥‥
マジですか‥
小林多喜二、今まで疑いもしなかった。
16年でたった一人?
ははははははは。共産党は完全にダメですね。

heguri

No title
こんばんは!
ちょっと遅くなりましたが、今夜もシェアさせていただきます。
ありがとうございます。

酋長

特高警察への誤解が解けました
50代半ばです。
今まで一貫して、特高は酷かった、戦前日本の恥部だと教えられてきて、拷問の件は恥ずかしながら、今まで自分もそう信じていました。蟹工船は子供の頃に読み、大人になっても読み、こんなに酷かったんだなと思い込んでいました。

左翼系は嘘吐きばかリだとは知っていましたが、特高の働きも真実の部分は知らされず、嘘ばかりだったということが今日分かりました。

この事実をもっと他の方々に知ってもらいたいと思います。
ありがとうございました。
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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