「日本を取り戻す!」と言います。
しかしそのためには、まずは取り戻すべき日本の形を明確にしていかなければなりません。
日本を知ること。
それは日本再生の第一歩ではないかと思います。
←いつも
応援クリックをありがとうございます。

(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)◆
【お知らせ】◆
<東京・倭塾、百人一首塾他>5月5日(土)18:30
百人一首塾 第26回5月19日(土)18:30
第51回 新著出版記念 倭塾6月9日(土)18:30
百人一首塾第27回6月10日(日)13:30
チャンネルAJER 古事記に学ぶ日本型経営学/戦いの時を古事記に学ぶ6月30日(土)13:30
倭塾・東京 第52回7月14日(土)18:00
倭塾・東京 第53回7月28日(土)18:00
百人一首塾 第28回8月15日(水)
ねずさんと靖国昇殿参拝<関西・倭塾>8月10日(金)19:00
倭塾・関西 第一回 (IK歴史勉強会 十七条憲法と創生の神々)9月9日(日)14:00
倭塾・関西 第二回 (IK歴史勉強会 イザナギ・イザナミと古代の朝鮮半島情勢)10月12日(金)19:00
倭塾・関西 第三回 (IK歴史勉強会 大航海時代と大国主)11月11日(日)14:00
倭塾・関西 第四回 (IK歴史勉強会 唐の皇帝と日本の天皇)12月8日(土)14:00
倭塾・関西 第五回 (IK歴史勉強会 稲作の歴史と古墳のお話)日本が世界に誇れるもの。
もちろんいろいろあります。
けれどそれらを通じて、その根幹にあるものとは何か。
その答えが、
「よろこびあふれる楽しいクニ」と、
「豊かで安全で安心して暮らせるクニ」を求める普通の日本人の心です。
ここでいうクニは、国家のみを指すのではありません。
家庭や家族以外の集団のまとまりを意味します。
いまの時代なら、上にあるクニは、会社と置き換えても良いし、市や町と置き換えても良い。あるいは組織でも同じです。
ひとりが一生かかっても使い切れないほどの富を独占して贅沢三昧の暮らしをし、その他の人々が踏みつけられたままで生涯を終える。
そのような社会を望む者は、日本では異端です。
そうではなくて、みんなが豊かになることで、自分もまた豊かになる。家族に少しでも楽をさせてあげることができる。
そのために一生懸命に、みんなとともに働く。あるいは子育てを協力しあって進めていく。
それが日本人の古くからあるあたりまえの姿だったものです。
そしてその心は縄文時代、あるいはもっと古い新石器時代から続くやまと人3万年のたたずまいの中で熟成された、日本人なら誰でもがあたりまえに持つものです。
「よろこびあふれる楽しいクニ」というのは、「豈国(あにくに)」と書いて、これは日本書紀に出てくる言葉です。
「豊かで安全で安心できるクニ」は、古事記に出てくる迩々芸命(ニニギノミコト)の天孫降臨の目的であり神倭伊波礼毘古命の建国の目的です。
神話の形成は、磨製石器の登場と同じ時期に行われた、というのは考古学会の常識です。
なぜなら磨製石器の登場は、ムラの営みと社会的分業の始まりを意味し、そのためには神話といった過去から現在までを示すアイデンティティの形成が不可欠になるからです。
ヨーロッパでは、世界の古代文明の発祥から、それはおよそ7千年前から、としています。
ところが日本では、磨製石器は3万年前のものです。
しかもその磨製石器は、その後の縄文文化の始まりの時代までの連続性を示す複数の磨製石器が出土しています。
つまり、磨製石器を手にして暮らしていた日本列島に住む新石器時代の人々がそのまま縄文人となり、その縄文人がそのまま弥生人となり、その弥生人がそのまま奈良平安人となり、江戸人となり、明治大正昭和人となり、いまの日本人になっています。
そして3万年前以降、磨製石器が連続してあるということは、考古学の常識に従えば、わたしたちは3万年の歴史を持つ世界最古の神話持つ国に住んでいることになります。
3万年です。
これはすごいことです。
そのすごい神話を、いまから1300年前に、再編集したものが古事記と日本書紀です。
古事記と日本書紀は、同じ神話が別々の角度から書かれて掲載されています。
とりわけ日本書紀は、「ある書にいわく」として、同じひとつの神話であっても、複数の様々な言い伝えや伝承があることが紹介されています。
それら様々な言い伝えや伝承を、「すべては神々の御心のままに」という切り口で書いたものが古事記です。
その神々の御心は、常に人々が豊かに安心して安全に暮らすことができるクニにあるということを、古事記は様々な物語を通じて記述しています。
また、それら様々な言い伝えや伝承を、「よろこびあふれる楽しいクニつくり」という切り口で書いたものが日本書紀です。
常によろこびを求めても、様々な試練が襲いかかります。
その試練を、乗り越え乗り越えしたところに、よろこびがあるし、楽しさがあるのだということを、日本書紀の神話はこれでもかというほど、描写しています。
なぜ記紀が編集されたかといえば、7世紀は我が国が再編成を余儀なくされた時代だからです。
そのために日本のアイデンティティを再構築せざるをえなかった。
ところがその日本のアイデンティティというのは、万年単位の歴史を持つだけに、あまりにも深くて、文字にするだけでもあまりにもむつかしい。
そこでこれを異なる切り口で二つの書に書き分けたのが記紀です。
要するに古くは3万年前の磨製石器の時代、さらには1万7千年前からの縄文時代にまでさかのぼる大和言葉で語り継がれた神々のお名前や、さまざまな出来事が、やがて瑞穂の国の神々(高天原の神々)に引き継がれて記紀神話が成立したわけです。
そしてその神話が、明治維新のときに、さらに新たな解釈と近代化が試みられています。
これは個人的意見ですが、私はまだ明治維新は続いていると思っています。
なぜなら明治維新の始期は嘉永六年の黒船来航です。
つまり外国の脅威が引き金です。
そしてその外国の脅威が、日本に強い影響を及ぼしているという点においては、明治の日本も、平成のいまの日本も、実はなんら変わっていないし、解決もしていません。
つまり平成日本は、実はいまだに明治維新の中にあります。
そしてその維新は、実は、外国の脅威にいかに対応するかという小さなものではなくて、我が国が持つ、民衆こそがおほみたからだという究極の民主主義や、世界を誰もが豊かに安心して安全にくらせる社会にする、あるいは世界中がよろこびあふれる楽しい世界へと進化する、その役割に日本人を目覚めさせる大きな揺らぎとして、実はいまも続いているのだと思うのです。
そのことを本にしたのが、『
誰も言わない ねずさんの世界一誇れる国 日本』です。
ネット層というのは、数年前と比べて、だいぶ広がったとはいっても、まだまだ日本全体としては限られた層でしかありません。
トップクラスのブログ・サイトであったとしても、テレビの視聴率に換算したら、0.1%にも満たないものです。
つまり、私たちの国が、本当は「よろこびあふれる楽しい国」を求めて神々が築かれたのだという話を、もっと広く世間に知っていただくためには、この本が、少しでも多くの人の目に停まることが必要です。
是非、みなさまには、ご自分で本書を読むというだけでなく、ご友人などにプレゼントしていただければと思います。
おそらくそのご友人の人生観や政治観が変わります。
お読みいただき、ありがとうございました。

↑ ↑
応援クリックありがとうございます。
講演や動画、記事などで有償で活用される場合は、
メールでお申し出ください。nezu3344@gmail.com 日本の志を育む学問の力 ~昌平坂学問所~
コメント