「いずれ文目(あやめ)か杜若(かきつばた)」というのは、区別しにくいもののたとえとしてよく使われる言葉です。
しかしほんのわずかなコツを掴むと、アヤメ、ショウブ、カキツバタは簡単に見分けることができます。
それは一見、識別しにくいわずかな違いのようですが、知ってしまえば、あまりにも明らかに違うものです。
そういうことは意外と世の中にあふれています。
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尾形光琳「燕子花図」

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「いずれ文目(あやめ)か杜若(かきつばた)」
などといわれて、古来、見分けが付かないことの代名詞のように言われる「あやめ、しょうぶ、かきつばた」です。
上の図は有名な尾形光琳の「燕子花図(かきつばたず)」です。
カキツバタは「杜若(かきつばた)」とも書きます。
どうして上の図は「カキツバタ」と特定できるのでしょうか。
実は答えは非常に簡単です。
花をよく見ると、花の根元に白い模様があります。
これがカキツバタです。
かきつばた(燕子花、杜若)の白いマーク

ということで、冒頭の尾形光琳の絵は、花の根元が白なので、「かきつばた」と特定できるのです。
ショウブは、菖蒲とも書きますが、この花の根元の部分が黄色くなっています。
菖蒲は、花の根元に、はっきりした黄色いマークが付いています。
しょうぶ(菖蒲)の黄色いマーク

菖蒲(ショウブ)は、アヤメ、カキツバタの中では、いちばん大きい(背が高い)といった特徴もありますが、中には背の低いものもあって、なかなか花の高さでは見分けが付きません。
けれど、花の根元を見れば、一目瞭然です。
アヤメは、文目(あやめ)とも書きます。
どうして文目と書くかというと、花の根元があみ目模様になっているからです。
あやめ(文目)の編み目模様

ちなみに「いずれあやめか、かきつばた」という言葉は、源頼政(みなもとのよりまさ)の故事に由来します。
源頼政には、第76代近衛天皇(このえてんのう)のご治世のとき、都に出た鵺(ぬえ)と呼ばれる妖怪を退治したという逸話があります。
鵺(ぬえ)というのは、猿顔で、胴体は狸に似て、手足には虎の爪があり、尾は蛇のような姿をしているという恐ろしい妖怪です。
近衛天皇は、この妖怪にお悩みになられ、武勇の誉れ高い源頼政に、その退治を命じました。
源頼政、鵺退治の図

源頼政は、鵺を見事討ち果たし、鳥羽院(第74代天皇、後に上皇)から、褒美をいただきます。
その褒美というのが、天下に名高い美女の「あやめ御前」だったのですが、このとき鳥羽院は美女二人に、あやめ御前と同じ服、同じ化粧をさせ、三人の美女を源頼政の前に出して、
「どれが本物のあやめ御前か、
見事当てたら御前を譲ろう」
と申されます。
ところが三人ともに美しい。
困った源頼政は、そこで即興で歌を詠みました。
それが、
五月雨(さみだれ)に 沼の石垣 水こえて
いずれかあやめ 引きぞわづらふひらたく言ったら「あまりに美しくて感情がたかぶり、どの姫があやめ御前かわからず病になってしまいそうで」といった意味の即興歌です。
鳥羽院はこの当意即妙の頼政にいたく感激され、あやめ御前を頼政に下賜されたのだそうです。
このときの「いずれかあやめ」の句が、後に転じて「いずれあやめか、かきつばた」になりました。
ちなみに「あやめ」は、背丈はだいたい60cm以下で、あやめ、しょうぶ、かきつばたの中では、花も背丈も、いちばん小柄です。
小柄でも、その美しさは群を抜く。
また花の根元の編み目模様も、女性の複雑な心をあらわしているかのようだといわれています。
***
さて、いかがでしたでしょうか。
毎年掲載しているものですが、三つの花の見分け方は、花の中央部が「白いか黄色いか文目状か」と、たったそれだけのことです。
その見分け方を知らないと、三者の区別はつきません。
意外なことに、どことはいいませんが、市営の公園が、誰がどう見ても文目なのに「ショウブ」と表示してたこともありました。
知ってしまえば、なんてことはないことなのだけれど、知らないと、まったく区別がつかないし、わからない。
「シラス」という統治も、これと同じではないか、という気がします。
国家最高権力の上に、国家最高権威を置く。
その国家最高権威によって、民衆を「おほみたから」とする。
たったこれだけのことで、権力者と民衆の関係は、上下関係ではなくて、人として対等な関係に変わるのです。
けれども世界中で、これに気が付き、これを実施した国は、歴史を通じて、日本以外にはまったくありませんでした。
むしろ明治以降・・・というより、エリザベス女王以降、英国は日本の仕組をなんとかして模倣して、英国の権威となろうと努力を続けています。
ところが周囲はそれがわからない。
権力を持たないということは、開かれた王室となって、日常生活をオープンにすることと、はき違えをしています。
そのようなことをしたら、むしろ権威が損なわれることになりかねないのだけれど、そこがわからない。
英国メディアは、そこがわからないまま、パパラッチを繰り返しています。
知ることで世界の見方が変わります。
そして一度、その見方が変わると、世界は全然別なものに映ります。
お読みいただき、ありがとうございました。

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