さて、憲法って、大和言葉でなんて読むのでしょうか。
英語なら「Constitution」です。
では、その英語の意味と、日本語の憲法の意味は、果たして同じなのでしょうか。
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(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)先日も書いたことですが、日本人は「憲法」という言葉に二通りの意味を重ねているように思います。
ひとつは万古不易の変えてはならないもの、という意味です。
もうひとつは、単なる最高法規であって、時代のニーズに合わせて変化させるべきものという意味です。
多くの人が「憲法」という言葉に持っているイメージは、前者であると思います。
だから日本国憲法を変えようといっても、どうしても多くの人には抵抗感を持たれてしまう。
その「憲法」という語は、欧米における最高法規としての「constitution」を訳したものです。
もともと「constitution」は、フランス語と英語が同じ単語のもので、幕末には「律法」とか「律例」などと訳されていました。
ところがこれを明治6年に、元熊本藩士の林正明が合衆国憲法の訳本を、あるいは元津山藩士の箕作麟祥がフランス憲法の訳本を出すに際して「憲法」としたことから、帝国憲法がつくられる際にも、欧米への対抗上から(大日本帝国憲法はそのために作った)、そこでも「憲法」という用語が用いられることになり、それから150年経った現代においても、いまだに「憲法」と呼びならわす習慣が続いています。
▼「constitution」
欧米における「constitution」という語は、フランス革命当時のパリ市民たちの手で作られた造語だと言われています。
どのような意味かというと、
con 主(共に)
stitute 立つ(立たせる)
ion 事(事)
が組み合わさった語で、要するに「共同して立てた事」といった意味の言葉です。
単に、人々が集まって共同して打ち立てた決まり、規約と言った意味の言葉で、なるほどフランス革命の際に、パリ市民たちが王権に対して、フランスは自分たちの国であることを打ち立てようとした歴史に基づいて作られた造語であることが、わかります。
要するに「constitution」というのは、共同体のための基本条項みたいなものなのです。
ですから、共同体の形が変化すれば、それに応じてどんどん変えていくのがあたりまえですし、そのことが言葉の上からも明確になっているわけです。
ドイツも日本と同じ第二次世界大戦の敗戦国ですが、その後、ドイツ憲法は60回を超える改定が行われています。
当然です。
時代が変化しているのです。
変えないほうがおかしいと、彼らは考えるわけです。
なぜなら彼らにとっての憲法は、どこまでも「constitution」、つまり共同体のための基本条項でしかないからです。
その意味では、幕末の翻訳語である「律法」とか「律例」の方が、実体に即していたように思います。
▼日本における憲法
では日本におけるもともとの憲法とはどのような意味なのでしょうか。
この言葉が使われたのは、西暦604年の聖徳太子の十七条憲法が始まりです。
これは日本書紀書かれていることです。
日本書紀は、次のように書いています。
(原文)皇太子親肇作憲法十七條
(読み下し文)戊辰、皇太子、親ら肇めて憲法十七条を作りたまふ
(読み方)
つちのえたつのひ
ひつぎのみこ
みづからはじめて
いつくしきのり
とおあまりななをち
つくりたまふ
というわけで、日本書紀では「憲法」と書いて「いつくしき、のり」と読んでいるということがわかります。
これは、もともと我が国の大和言葉として「いつくしき」とか「のり」という言葉があって、それに近い意味を持つ漢字を後から持ってきて、それぞれに「憲」と「法」という字を当てたから、そうなるのです。
では、「いつくしき」とはどのような意味かといえば、
「いつくし」は、威厳があって、おごそかで、端正で美しいことです。
つまり、いかめしいのです。
「のり」は、基準や規範、お手本、法律、人の道など、逸脱してはならないものです。
要するに糊(のり)でくっつくように、そこから離れてはいけないものが「のり」です。
ですから「のりと」といえば、絶対に離れてはいけない神聖なものへの入り口(とびら)を意味している大和言葉とわかります。
ですから「いつくしき、のり」とは、これを守ることが美しい人の道を示したものといった意味になります。
この「いつくしき、のり」に、聖徳太子は「憲法」の漢字を当てています。
「憲」という漢字は、害+目+心で成り立っている字です。目と害の象形は、実は目をえぐりとる刑罰を意味する字です。その心ということですから、これを破ったら目玉をえぐり取るぞ、ということの象形文字です。さすがはChinaで、かなり残酷です。
「法」という字は、実は旧字が
「灋」というむつかしい漢字で、中にある「廌」という字は、もともと穢れた神獣を表します。
その穢れた神獣を「氵(さんずい)=水」で流し「去」るということで「灋」という字が生まれているのですが、戦後は略字の「法」だけが使われるようになった字です。
要するに正邪を識別して悪者を流して去らせるものが「法」だというわけです。
古代のChinaに、いわゆる「法家」と呼ばれる韓非や李斯などがいて、秦の始皇帝の時代には「法家思想による統治が行われた」などとよく言われますが、ここでいう法家というのは、本当ですと「灋家」で、要するに先に決まりをつくることで、悪を去らせようという思想の持ち主であったとわかります。
これが「法家」ですと、単に規則や決まりを大事にした人といった意味にしかなりません。
すこし前に、マニュアル統治がさまざまな企業で大流行し、社内の活動のあらゆるものがマニュアル化されて成分化されれる、そのために会社が莫大なコストを払ったという時代がありました。
そのマニュアルは、いわば業務上の法家思想みたいなイメージのものであったわけですが、もともとは「灋家」なのであって、何が悪かを明確にするのが「灋家思想」であるわけです。
つまりやり方を決めてマニュアルにすることが、あたかも正しい行動のようにもてはやされたのは、実は、まったく間違った物事の考え方であって、東洋思想における「灋家思想」なら、何をしたら罪に問うぞ、ということだけが決まっていればよいのであって、マニュアルはいりません。
この点、昨今の国会の様子を見ても、まるではき違えている人が多くて、なんでもかんでも、やりかた手段方法まで、法で決めようとしている傾向があります。
現実には、何が起きるかわからないのが世の中ですし、その予定していなかったことにも対処しなければならないのが政治なのです。
これをはき違えた人が多いのは、なんだか文字や言葉の混乱に起因しいているような気がします。
さて、いまにして思えば、我が国が大日本帝国憲法を作成したときに、そもそも「憲法」という用語を用いたことが、大きな過ちのもとであったとわかります。
いまさら言ってもはじまりませんが、本当なら江戸時代の翻訳にならって「大日本帝国律例」くらいにしておけばよかったのです。
これを直す機会が、先の大戦の終戦後にやってきたのですが、そのときも、みすみす「憲法」という用語を残してしまいました。
せめて、このときに英語名である「Constitution and Government of Japan」の日本語訳を、「日本国憲法」ではなくて「日本の政府のための法律」くらいにしておけばよかったのです。
なぜなら日本人は「憲法」と聞けば、自動的に聖徳太子の十七条憲法を思い浮かべ、「万古不易の守るべき人の道」と思ってしまうからです。
無理も無いことです。
十七条憲法は、誕生してから1400年間も、皇国臣民に親しまれてきたのです。
しかし日本国憲法の、どこをどう読んでも、そこには「万古不易の守るべき人の道」など書いてありません。
当然です。なぜなら日本人でない人がそもそも英文で作ったものを、日本人が翻訳したものだからです。
つくづく、翻訳というのは大事なことだと思います。
その意味では、大学に語彙学研究所なんてものがあっても良いくらいに思います。
お読みいただき、ありがとうございました。

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コメント
takechiyo1949
他の「ねずブロ」にもコメントしましたが、憲法は金科玉条ではありません。
変えてはいけない?
そんなこと有り得ません。
人が作ったものですから。
軍事力
資金力
政治力
どれが欠けても国家の独立は達成も維持もできません。
『後法は前法を破る』
豈國を目指したいならば、悪しき前法を破る時は今だと思います。
2019/05/03 URL 編集