「毎日千人をくびり殺す」と言われたとき、
「では毎日千五百の産屋を建てよう」と答えたのが、イザナキです。
増やす努力をしていこうではありませんか。
ヒントは意外と身近な、
「もう一回見直して感動し直す」
というところにあるのかもしれません。
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倭塾・関西 第五回 (IK歴史勉強会 稲作の歴史と古墳のお話)文化性を失うと物語の勘所さえもわからなくなるということを一点申し上げてみたいと思います。
たとえば義経紀に、源義経と静御前の「吉野山の別れ」という有名な一節があります。
ざっとあらすじを申し上げますと、義経が鎌倉にいる兄の源頼朝に疎(うと)まれて京の都を追われます。
京を出た義経一行は、尼崎から船に乗って九州を目指すのですが、途中、海上で暴風雨に遭って船が難破してしまう。
一行は散り散りになってしまいます。
嵐の中でも、決して手を離さなかった義経と静御前は、一夜開けて芦屋の里に漂着します。
九州落ちが不可能となったため、生き残った弁慶、源有綱、堀景光らと一緒に、一行は陸路で大和へと向かうことにしました。
目指すは奥州平泉です。
大和の吉野山に到着した義経らは、吉水院という僧坊で一夜を明かします。
そこからは、大峰山の山越え路です。
ところが問題がありました。大峰山は神聖な山で、女人禁制なのです。
女の身の静御前は立ち入ることができません。
やむなく義経は、静御前に都へ帰るようにと告げます。
「ここからなら、都もさほど遠くない。
これから先は、ひどく苦しい旅路ともなろう。
そなたは都の生まれ。
必ず戻るから都に帰って待っていておくれ」
それを聞いた静御前は、
「私は義経さまの子を身ごもっています」
と打ちあけます。
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そして、
「別れるくらいならいっそここで殺してください」
と涙ぐむ。
このときの静御前は、鎧をつけ大薙刀を持っています。
鎧姿に身を包み、愛する人との別れに涙する絶世の美女、泣かせる場面です。
静御前が舞ったときの歌です。
見るとても
嬉しくもなし
ます鏡
恋しき人の
影を止めねば
(鏡など見たって嬉しくありません。
なぜなら鏡は愛するあなたの姿を
映してはくれませぬ)
義経一行は、雪の吉野山をあとにしました。
その姿を、いつまでもいつまでも見送る静御前。
一行の姿が見えなくなった山道には、義経たちの足跡が、転々と、ずっと向こうのほうまで続いています。
文治元(1185)年11月のことでした。
ということで以上おしまい。
場面はかわって、静御前が義経を追って山狩りをする僧兵達に捕まる場面へと進んでしまいます。
源義経は、多くの作家さんが小説に仕立てていますが、上の場面はたいてい以上の流れで終わっています。
では、この場面の、いわゆる「泣かせどころ」はどこでしょうか。
鎧姿に身を包み、愛する人との別れに涙する絶世の美女が、義経を見送りながら
「義経さま〜〜」と声を限りに愛する人を呼び続けることでしょうか。
そもそも、追われる身で、そのような大声など、いくら山中とはいえ、あげるものでしょうか。
あるいは、ただ二人が別れる場面だから悲しいのでしょうか。
もちろん、そうした解釈が「よくない」と言っているのではありません。
文学の解釈は自由ですし、人によって反応するところの違いということもあるでしょう。
ただかつては、「ここが一番の見せ場」とされていたものが、昨今では大きく見落とされてしまっていることがあるのです。
それが吉野山が女人禁制であったという点です。
義経が静御前と別れた大峰山は、たしかに女人禁制の山なのですが、義経一行は、頼朝に追われての逃避行の最中です。
いわば緊急活動をしているところです。
しかも人気のない山中であり、さらに大峰山に入る姿を誰かに見られているわけではありません(見られていればすぐに追ってがかかっています)。
つまり、いくら女人禁制の山だとはいっても、女性を連れて入ろうと思えば、いくらでも入ることができる状態にあったのです。
しかも、一山越えるだけで、その先は普通に女人も入れる山です。
そもそもその前の場面で、嵐にあって遭難して助かった身です。
嵐に揉まれ、船が沈んでも、義経と静御前は決して手を離そうとしなかったのです。
だから、嵐がおさまったあと、二人は一緒にいるのです。
それほどまでに愛し合う二人が、追っ手がかかった緊急避難行動中という極めて特殊な情況に置かれていて、それでいながら、目の前にある山が女人禁制の山だからと、誰も見ているわけではないのに、そこで静御前と別れてというのです。
しかも静御前は身重の体です。
お腹の中には義経の子がいるのです。
それでも女人禁制の山だからと、二人はお別れをしています。
誰も見ていなくたって、お天道さまが見ているからです。
もし仮に誰かに見られたとしても、静御前のこのときの服装は、鎧に身を包み、大薙刀を手にしていたのだと、ちゃんと書いてあります。
つまり男装しているのです。
誰か村人にでも誰何(すいか)されたなら、「この者は男にござる」と言い逃れすることもできたのです。
それでも、二人は、女人禁制の山だからと、ここで別れているのです。
静御前も、そんな義経だから愛したのだし、そんな静御前だから、目の前の山が女人禁制と知ったとき、「わかりました」と涙を飲んだのです。
その後の歴史を知っている私たちは、その後、義経は奥州平泉で鎌倉方の追っ手に遭って死に、静御前は捕らえられて鎌倉に送られ、生んだ赤ちゃんも取り上げられてしまい、鎌倉から保釈されたあと、そのまま行方知れずとなってしまったと正史に書かれているのだと知っています。
つまり、二人は二度と逢うことはなかったと歴史は記録しているのです。
それを知るだけに、余計に、このときの黙って通れば見つかることもないのに、仮に見つかったとしても、断固、男だと言い張ることもできたのに、二人はお別れをする。
人が見ていなくても、神仏はちゃんと見ているからです。
そこまでして決められた約束事を守ろうとする。
そこが哀れを誘うのです。
このような文化は、法は破るためにあるとか、見つかりさえしなければ何をやっても良いのだとする、どこぞの半島文化とは全く異なる、いわば対極をなすものです。
昨今では日本に住み日本人のような顔をして日本語を話すけれどに日本人でない人がメディアや文筆業に入り込み、莫大な経済的支援によって駄作をあたかも優良図書のように宣伝工作して販売部数を上げるといったことが多く行われていると聞きます。
しかし残念なことに、微妙なところで視点がズレる。
これは頭の善し悪しとか文の上手下手の問題ではなくて、その人の持つ文化性の問題なのだろうと思います。
戦後教育を受けた私たちは、古来からある日本人としての文化性にふれる機会が極端に少なく、一方、半島文化のゴリ押しが見るもの読むものを席巻している情況下にあります。
それでも面白いもので、普通の日本人なら、言えばわかる。
ところがそっち系の人は、言ってもわかりません。
これは本当に不思議なほど理解できないようです。
先日も書きましたが、ひとクラス40人前後の中学高校の教室で、いわゆる熱心な左翼主義に染まった子は、たいていどのクラスにもひとりはいたものです。
これは構成比にすると3〜4%。
そして現代社会において、共産党が獲得する票数は、やはり同じく3〜4%です。
つまり極端なものに染まって周りが見えなくなる人というのは、どんな社会にあっても、その程度はいるものだということです。
一方、ウヨク系の子というのは、学年にひとり。
つまり構成比にすると0.3〜1.0%です。
いわゆる保守系政党の得票数とこれは同じ比率です。
3%の左がダメだから戦えという生徒というのは、その程度の構成比しかいないということです。
では、残りの大多数の生徒たちはどうかというと、右でも左でもない。ただナカヨクしたいだけの人たちです。
その多くの人たちの全部とは言いません。
ひとクラス40人なら、そのうちの5〜6人が目覚めるだけで、つまり13〜15%の人が、日本は大事な国だ、すごい歴史を持った国なのだという自覚を持つ人がそのくらいになるだけで、日本は必ず変わります。
「毎日千人をくびり殺す」と言われたとき、
「では毎日千五百の産屋を建てよう」と答えたのが、イザナキです。
増やす努力をしていこうではありませんか。
ヒントは意外と身近な、
「もう一回見直して感動し直す」
というところにあるのかもしれません。
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コメント
えっちゃん
「もう一回見直して感動し直す」
きっと、日本人なら、DNAに「日本人の遺伝子」がある人なら、
「あっ、そうだったのか!」
となるのですね。
日本は大事な国だ、すごい歴史を持った国なのだという自覚を持つ人が13〜15%の人になるときが楽しみです。
2018/05/23 URL 編集
heguri
今日も拝読させていただきました。
日本に住み、日本語を話し、日本人のような顔をした
日本人ではない人たちには分からない、本当の日本。
そして日本人の事。
静かに、しかもきっぱりとお怒りの事、共有させて
いただいています。
大東亜戦争後、なし崩しにされた高潔な文化、伝統、
日本を取り戻す、日本人としての矜持を取り戻す。
大切な事ですね。
シェアさせていただきました。
2018/05/23 URL 編集