大好きだった兄、勇敢で明るくてしっかり者だった息子が、名誉の戦死を遂げたのです。
その死を悼んで、乃木将軍が、大きな碑を建ててくださったのです。
その碑は、地域のみんなで大事に大事に、地元の神社に建立されていたのです。
だから、日論戦争の後、毎年、何か用があって神社に行くたびに、この碑の前で、お父ちゃんに手を合わせていました。
その碑が、日本が戦争に負けたときに、地面に埋められていたのです。
ようやく6年経って、その碑が掘り起こされたとき、もちろん重機なんかありませんから、ぜんぶ手作業です。
近所のおじさんたちが集まって、みんなでエンコラって掘り起こし、碑をきれいに洗って、再び社内に建てました。
神主さんが、祝詞をあげてくれました。
兄を亡くしたおばあちゃんは、そのとき地面にひざまづいて、両手を合わせて泣いていたそうです。
もらい泣きで、その娘さんも一緒に涙を流していました。
汗とドロで真っ黒になっていたおじさんたちも、そんな姿に涙をこらえきれず、あちこちで嗚咽がひびいたそうです。
おばあちゃんには、その碑が亡くなられた兄の姿に見えたのかもしれません。
夫が帰って来た、そんなふうに感じた奥さんもいた。
境内で、碑を起こす人夫さんたちに大声で指揮をとっていたおじさんは、まだ3つだった頃に、伍長だった父を亡くしました。
そんな息子さんも、もう49歳でした。
まだ残暑が厳しい日でした。
お天道様が西の空に沈んで、夜になって、氏子会館で、簡単な宴が催されました。
なつかしいおじいちゃん、青春の日のおじいちゃん、勇壮な出征のときの様子が語られる。
乃木将軍のことが語られる。
「碑が建てられたときはね、県知事さんや、市長さんたちも来てね・・・」
「おめえ、いたずらこいて、兵隊さんに怒られてたろ?」
「やめてよ母さん。あれはもう50年も昔の話でねーか」
宴が終わって、帰り道、またまた境内で、両手を合わせ、深々とお辞儀をして二拍する人々。
そんな歴史が、いま住んでいる、すぐ近くの神社にありました。
この忠魂碑は、いま、全国の主だった神社に建てられています。
そして、そのひとつひとつの忠魂碑に、涙なくしては語れない歴史が刻まれています。
そんな歴史は、紙にも文にもなっていません。
もう90歳になる近所のおじいちゃんが亡くなったら、もう「忠魂碑」が、なぜ、いつ建てられ、戦後の一時期、みんなでそれを埋めて、講和条約のあと、また掘り返したって話は、おそらく消えてなくなってしまうのかもしれません。
本当であれば、近所の小中学校や、高校などが主体となって、地元の様々な歴史を掘り起こし、それを取りまとめて、文書にしていかなければならないのではないかと思います。
なぜなら、歴史というのは、実際の出来事ではなく、書かれたものが歴史となるからです。
出来事は、時の経過とともに失われていくのです。
だから、私達は文字や絵や映像の力を借りて、その失われる出来事を記録し、記憶に留め、それが失われないように、ストーリーを組むのです。
それが歴史です。
戦前は、こうした郷土史などは、市町村の教育長さんが中心となって市町村内の旧制中学などに呼びかけ、学校の教師や生徒たちが郷土史の編纂に取り組むということが、よく行われていました。
いまも、そうした郷土史は、和綴じ本となって市町村に保管されていますが、戦後の市町村の統合によって、いまではそのほとんどが埋もれてしまっていると言われています。
残念なことに、戦後にGHQの指導によって生まれた教育委員会は、小中学校の教職員の人事には関心はあるものの、市町村の郷土史には、ほとんど関心が払われていないと言われています。
本当ならば、郷土史こそ、郷土のほまれであり、郷土を愛する人々のアイデンティティの基礎になるものであるはずです。
地方によっては、県や市のホームページに、教育委員会が中心となって作った郷土史や郷土の名所を紹介しているところもあります。
そうした動きが、小中学校や、地元の高校を通じて、もっと盛んになっていくことを希望します。
人間にとって、小さな歴史こそ、人をつくる大きな歴史なのですから。
お読みいただき、ありがとうございました。

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コメント
くすのきのこ
・・聞いた話です・・空襲でヤられた土地だからかなw・・
八百矢橋の都市より、コッチの方が古いではないか・・それを併合な
どと・・それにアッチも空襲でヤられて、その補充は九州・四国など
から若いのが働きに来て、今ではその三世・四世が大分を占める。大
都市とは流れ者の土地であり、常に新しく刷新していく所。そういう
所とは一緒にはなれない。GHQの政策?は意に介さず、しっかり地
域の歴史教育が成されているようですw雨中でもみこしの祭りやって
ますしwこれから先はどうなるか不明ですが・・地元から離れ難い若
い人々もいるようです。
教科書に各地の歴史話題が載るようになると面白いでしょうねw
2018/06/12 URL 編集
にっぽんじん
ヨーロッパは「チェス」、中国は「麻雀」、アメリカは「ポーカー」、そして日本は「丁半のサイコロ」です。
日本以外は「相手の出方」を見ながら勝負します。
特にアメリカの「ポーカー」は心理戦です。
手持ちのカードが悪くても「強く」出れば勝つことがあります。
それは相手の手持ちカードが分からない場合です。
最終的にものをいうのは「手持ちカード」です。
アメリカと北朝鮮では手持ちカードが最初から分かっています。
どう考えても北が不利です。
トランプ大統領との交渉はいかに強い「手持ちカード」を持つかにかかっています。
日本の「一か八かのサイコロ」も面白いかも知れません。
安倍首相には頑張って欲しいと思っています。
2018/06/10 URL 編集
谷山靖浩
当時を知る地元の古老は、吉田松陰の言葉になぞらえて、津吉 ろう村といえども誓って神国の幹なりというおもいで守ったそうです。さすが吉田松陰が当地平戸へ真っ先に遊学する土地柄ですね。
2018/06/10 URL 編集
疑問
何よりも、その土地に対する深い愛があるので、一見取るに足らない些細な歴史的事実でも、「なかった事」にしたり、疎かにはしません。
全ての人がそうではないが、そういう人が比較的多いです。
彼らをバカにし、一段低く見てはいけないと思います。
2018/06/10 URL 編集