私達の祖先は、ただ外国の文化をありがたがるのではなく、日本の文化や伝統のもとに、外国の文化を採り入れてきたのです。
なんのためにか。
みんなが豊かに安全に安心して暮らせる国にしていくためです。
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七夕といえば、織姫(おりひめ)様と牽牛(けんぎゅう)様が、一年に一度、天の川を渡って逢うことが許された日とされています。
この織姫と牽牛の物語は、古い時代のChinaの神話からきているものです。
それをなぜ「たなばた」というのか。
また、どう見ても「しちゆう」にしか読めないのに、どうして「七夕」と書くのか。
そんなことを書いてみたいと思います。
まず「たなばた」という和語は、我が国の禊(みそぎ)の神事として、乙女が機(はた)を織って神様に供(そな)えるという行事があり、この機織乙女(はたおりおとめ)のことを「棚機女(たなはたつめ)」、織り機のことを「棚機(たなはた)」と呼んだことに由来します。
そしてこの神事は、お盆を迎える準備として、7月7日に行われることとされていました。
そこへChinaの織姫と牽牛の神話が、あとから伝えられたわけです。
Chinaでは、この神話にあやかって、女の子が織姫のように機織りが上手にできるようにとお祈りする習慣がありました。
これを「乞巧奠(きこうでん)」というのですが、それが日本では、織姫星に願い事をするという行事へと変化していったわけです。
つまりどういうことかというと、
1 日本にもともと古くから「棚機(たなはた)」という7月7日の神事があった。
2 そこに後からChinaの織姫と牽牛の逸話が入ってきた。
3 そのChinaの逸話に、乞巧奠(きこうでん)という願い事をするお祈りが含まれていた。
4 そこでこの両者がミックスされて「七夕(たなばた)」と書いて、お星様に願いをかけるお祭りになった、
というわけです。
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いまでも日本では、クリスマスやハロウィンといった外国のお祭りを普通に輸入して、日本風にアレンジして楽しまれます。
バレンタインデーは、もともとは婚姻を禁止されて嘆き悲しむ兵士たちを憐れんだバレンタイン司祭が、彼らのためにこっそりと結婚式をあげてあげていたことを感謝することからはじまった外国の習慣ですが、日本ではすっかりチョコレート祭りになっています。
また、バレンタインに関して言うと、ホワイトデーは、「いただきものをしたらおかえしをする」という完全に日本の創作習慣で、海外にはホワイトデーはないのだそうです。
しかし勘違いしてほしくないのは、七夕に関して言えば、もともと日本に行事があって、そこに輸入童話がミックスされた、という点です。
Chinaの文化を、まるごと頂戴して七夕にしたわけでありません。
この七夕にちなんだ和歌が百人一首にあります。
6番の中納言家持(大伴家持)の歌です。
鵲(かささき)の渡せる橋に置く霜の
白きを見れば夜ぞ更けにける
歌にある「かささぎ(鵲)の渡せる橋」というのが、七夕のことです。
鵲(かささぎ)は、カラスに似た鳥で、カラスは全身が真っ黒ですが、カササギは白黒の柄がはいった鳥です。
このカササギが、織り姫と牽牛が年に一度天の川を渡って出会うというときに、どこからともなく集まってきて、隊列を組んで天の川に架かる橋になるのだというのが、Chinaの童話です。
織り姫と牽牛は、このカササギがつくってくれる橋を渡って、年に一度の逢瀬を迎えるわけです。
この歌の解釈は、偉い大学教授さんの書いた解説書などをみると、
「かささぎが連なって渡したという橋のように白く霜が降りている。
もう夜もふけてしまったのだなあ」
という意味の歌だとされています。
しかし、その解釈は、どうみてもおかしいです。
なぜならカササギが橋をつくるのは、旧暦の7月7日、いまの暦でいったら8月15日頃の真夏の出来事です。
そんな真夏には、たとえ夜といえども、霜は降りません。
霜は、もっと寒い季節に降るものです。
ところがこの歌は、七夕なのに霜が降りたというのです。
それはあり得ません。
ということは、その解釈は間違っているということになります。
そうではなくて、この歌の季節は冬です。
冬だから、霜が降ります。
冬の夜空には、明け方近くになると夏の星座が浮かびます。
つまり織り姫星も、彦星も出てきます。
そしてこの歌を詠んだ大伴家持は、いまで行ったら自衛隊の幕僚長か防衛大臣、旧軍なら大本営の参謀長のような立場の人です。
大伴家持は、白村江の戦いの後、いつ唐や新羅の連合軍が日本に攻め込んでくるかわからないという危機感の中で、本土防衛のための兵役から兵站、防衛ラインの制定から、武器の調達、訓練内容の選定などなど、ありとあらゆる可能性に対処するために、まさに毎夜、夜中過ぎまで仕事をこなしていたわけです。
そして帰ろうとして庁舎を出ると、あたりには、もう真っ白に霜が降っている。
ほとんど冬景色です。
ところが空を見上げると、そこには満天の星、しかもその星座は、すでに夜明け前の夏の星座になっています。
そして織り姫星と彦星の出会いのために架かるカササギの橋は、まるで隊列を組んだ軍隊の行軍のようです。
祖国防衛のために、軍の総責任者として夜半過ぎまで働く大伴家持にとって、そのカササギたちの隊列を組んだ姿は、祖国を守るために出征する兵士たちの姿に重なったことでしょう。
織り姫に代表されるのは機を織る娘たち、彦星に代表されるのは、農業を営む男たちです。
その男と女を護るということは、つまりは民衆を守るということです。
そのために命がけで軍の組成や兵站や武器の手配や教練にあたる。その企画をする。
そんな大伴家持の姿を詠んだのが、実は、この歌なのです。
私達の祖先は、ただ外国の文化をありがたがるのではなく、日本の文化や伝統のもとに、外国の文化を採り入れてきたのです。
なんのためにか。
みんなが豊かに安全に安心して暮らせる国にしていくためです。
わたしたちの国日本は、そうやって大昔から、持続し、連続してきたのです。
その日本を護る使命は、現代では今を生きている私達に委ねられています。
七夕まつりを、ただ星に願いをという日にするのではなく、遠い昔から祖先たちが築いてくれた日本をあらためて考え直す、そういう日にしてみるのはいかがでしょうか。
お読みいただき、ありがとうございました。
※この記事は2017年7月の記事のリニューアルです。
お読みいただき、ありがとうございました。

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