昔はヤクザものの人を「侠客・俠客(きょうかく)」と言いました。
客はもてなしを受けるだけで、汗をかくような仕事はしません。
つまり「侠客・俠客」というのは、汗をかかずに人間関係だけで飯を食っている人たちのことを言います。
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郎長一家28人衆

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倭塾・関西 第五回 (IK歴史勉強会 稲作の歴史と古墳のお話)11月の倭塾関西の日程が11月11日(日)から、11月9日(金)19時に変更になっていますのでご注意ください。以前にもお話したことがありますが、任侠の「侠」という字は、もともとは「俠」と書きました。
字をご欄頂いたらわかりますが、ひとつの字の中に、なんと「人」という字が、ニンベンにひとつ、ツクリに3つで4つも入っています。
そのツクリの「夾」のなかの3つの人の中の一番大きな「人」は「一」の両腕を広げています。
その両脇の中に、小さく人が書かれています。
要するに両腕に子分を従えた親分さんが、ニンベン(人)と対峙しているわけです。
昔はヤクザものの人を「侠客・俠客(きょうかく)」と言いました。
客はもてなしを受けるだけで、汗をかくような仕事はしません。
つまり「侠客・俠客」というのは、汗をかかずに人間関係だけで飯を食っている人たちのことを言います。
江戸時代までの考え方というのは、ある意味、非常にシンプルなものです。
まず天子様がおわします。
汗をかいて現場で働く人がいます。
何かあったら責任を取る(腹を切る)人がいます。
汗をかかず、責任もとらないのが「俠客」です。
以上、おしまいです。
お百姓さんは汗をかきます。
職人さんたちも、汗をかきます。
商売人だって汗をかきます。
行商人はもちろん、お店(たな)を構えて商売をする人も、店員(たなご)も店主も、みんな接客から仕入れ挨拶、経理に納品、店の掃除、製造など、どの過程をとっても、汗をかかない仕事はありません。
汗をかかない、たとえば大店の店主などは、その代りに責任をとります。
お店が潰れれば、全責任を負うのは誰かと考えれば、答えは簡単です。
武士も汗をかきます。
日々、武術の鍛錬にいそしみ、どのような事態が起こっても、それに対処し、失敗すれば責任をとって腹を切ります。
藩主のお殿様もこれは同じです。
どんなに学問ができても、うらなり瓢箪のような青白きインテリであってはならないのです。
武士はどこまでも武士です。
二本差しである以上、武芸を身に付けなければなりません。
そして世の不条理をただし、ご政道を行い、何かあったら責任をとって腹を斬る。
人間関係だけで飯を食っていて、口は出すけど責任をとらず、腹も切らないのが「俠客」です。
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いまの時代には、権限を持ちながら、責任をとらず、責任をとらないのに、人間関係だけで飯を食う人が多発しています。
つまりいまの日本は、まさに「俠客の世」になってしまっているわけです。
権限は、権力の及ぶ範囲のことをいいます。
その権限を持ちながら、責任を取らないならば、それは「俠客」なのです。
「俠客」のことを、別な言い方で「斜めの人」といいます。
体が斜めに傾いていたら、真っ直ぐなものが斜めに見えてしまいます。
そのような「斜めの人」をご政道に付けるようなことがあったら、まっすぐに生きている人たちが、ことごとく処罰の対象になってしまいます。
処罰というのは、経済的に困窮させられることを含みます。
迷惑な話ですが、振り返ってみれば、災害対策用にと、常に余剰人員を抱えていて、それなりの高収入を得ることができた建設関連労働力が、いまやかつての4分の1以下です。
しかも汗をかいて良い仕事をすることが、3K職などと呼ばれて若者に嫌われる職業とされました。
地方にあった商店街は、いまや見るも無残のシャッター通りです。
朝早くから市場で仕入れをして、ご近所さんの食卓を守ってきた魚屋さんも八百屋さんも、みんななくなって、大手のスーパーに吸収されてしまいました。
それでも地方の小規模スーバー、中堅スーパーがまだ元気なうちはよかったのです。
全国規模の超大型スーバーが流通の中心になると何が起こるか。
少し景気が悪くなれば、地方の不経済な店舗はすぐに閉鎖になります。
広々とした駐車場を備えた大規模商業施設が、縄で入り口を塞がれ、空き館になります。
けれど、そうなっても、かつての商店街のシャッターが開くことはありません。
つまり、地方都市には商業施設がない、という現象が起こります。
これを発展させたものが、実は米国です。
その米国で、深刻な問題になっているのが、肥満と栄養失調なのだそうです。
下に動画を貼っておきますが、結論から言えば、大手ストアが流通を寡占した結果、地方の小規模商店や中堅スーパーには流通コストの関係で野菜が回らない。
結果として地方都市の人たちはジャンクフードしか食べられない。
すると体は肥満で、かつ栄養失調という、やっかいな現象が起こります。
いま、その肥満で栄養失調という者は、全米3億人の人口のうちの5千万人。
深刻なのは、その5千万人の貧困層が、もともとは米軍の兵隊さんのなり手だったのに、いまでは肥満と栄養失調のために、兵役の検査で、みんな不合格になってしまうこと。
つまり、米国は深刻な兵隊不足の状況に直面しているわけです。
戦争大国だった米国が、戦争ができない国に変化してきている。
ヨーロッパは、14世紀に元の大帝国に支配された経験から、元の持つ金融為替機能を見習って代行した者たちが、その後のヨーロッパにおける資本家と呼ばれる層となりました。
その資本家が後ろ盾になって、つまりお金を出して、荒くれ者たちを船に乗せてアフリカや南北米大陸から財宝を持ってこさせたのが、いわゆる大航海時代です。
この時代には、荒くれ者たちがちゃんと奪い取った財宝を資本家に献上することを、王権が担保してくれたのですが、この時代が長く続くと、資本家は言うことをきかない王様よりも、自分たちが選んだ頭領にこれを委ねることになりました。
こうして起こったのが市民革命です。
市民革命は、王によって支配された人々が立ち上がったと学校では教えますが、市民というものは、日頃は働いて飯を食うのがやっとの人たちで、立ち上がって政治活動をしたり、武器を手にするような余裕などまったくない人たちです。
そういう人たちを立ち上がらせるためには、莫大なお金がかかります。
つまりスポンサーがいたから、彼らは立ち上がることができたのです。
ではそのスポンサーが誰かといえば、要するに資本家たちです。
市民革命以降、その資本家たちは、政治や企業のバックとなって、政治や企業活動のために政治家や企業家を雇って、資産を増やし続けました。
日本で商法を学ぶと、会社は株主のもので、社員というのは、株主のことを言うなどと、私達の常識とは異なった概念を学びます。
我々の感覚では会社で働く会社に雇用された人たちこそが社員なのですが、
西欧的考え方では会社にカネをだしている株主こそが社員であって、会社で汗を流して働く人は、単なる労働者というわけです。
このような私達の感覚とまったく異なる概念は、要するに14世紀に生まれた資本家のために形成された概念だからです。
我々の感覚からすると、カネとクチを出して、責任もとらず、汗もかかない人たちは「俠客」です。
斜めの人です。
そのような斜めの人が、カネと権力を駆使して私財を肥やし続けているのが、実は近現代の時代です。
これで庶民が豊かに安心して安全に暮らせるようになど、なるはずがないのです。
一部の強大な資本家という名の「俠客」が、何千年かかっても使い切れないような大金を抱え込んで、それをさらに増やすために政治家や軍人やヤクザや暴徒を雇って、世界を牛耳っているわけです。
彼らが日本を怖がり警戒する理由も、実はここにあります。
彼らがもっともおそろしい国、もっとも警戒すべき民族が、日本人だからです。
カネでは絶対に買うことができない、何千年も続く天皇という絶対的権威を持ち、その絶対的権威のもとに、誰もが「おほみたから」とされる。
そして政治権力者は、みずから汗をかいて、民衆が豊かに安全に安心して暮らせる社会を実現しようと努力し、失敗すれば腹を切って責任をとる。
民衆は、誰もが愛と喜びと幸せと美しさを人生において実現するために、汗をかいて努力する。
社会資本は、誰かひとりが独占するものではなくて、災害対策を含む公共の福祉のために用いられる。
そんな天国のような体制を持つ国は、日本しかないのです。
そういうことが人類社会の中で実現することが可能なのだということを、日本は示しているのです。
そのことに気づいたら、世界の市民は変わります。
どうして自分たちが利用されなければならないのか、と普通に考えるようになるからです。
だから戦争で日本をつぶした。
日本が芽を出すたびに、叩いてつぶし続けた。
戦後の日本を支えた、農業、造船業、繊維業、石油業は、こうして潰されていきました。
自動車産業は、いまや日本企業ではなく、現地法人企業となりました。
明治以降の日本人が爪ですくうようににして貯めた郵貯残高は、貸付という名目で世界中に寄贈されて、二度と返らないお金になりました。
政治も、彼らの影響下に置いて、つまらない議論で毎日3億円の資金を費消して、日本を壊すための道具にしました。
ところがそうやってつぶしたはずの日本が、アニメやマンガといった、まったく思いもつかないサブ・カルチャーで、世界を席巻し、日本的思想を世界中に広げてしまいました。
いまや世界の人々は、一部の特権階級の「俠客」が世界を牛耳るのではなく、民衆そのものが、本当の意味での自由や平等を謳歌できる姿を、世界の人々に見せてしまったのです。
いま、世界は大きく変わろうとしています。
気づいていないのは、日本人だけです。
お読みいただき、ありがとうございました。

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