三万年という途方もなく長い歳月の経験から我が国の先人たちが「これしかない」と編み出したものが、天皇を扇の要として民衆を「おほみたから」とするという我が国の形です。
そしてその形は、おそらくはいま世界中で提唱されているどの社会形態よりも、はるかに合理性に富んだものであるといえるものです。
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神話を体感する会11月の倭塾関西の日程が11月11日(日)から、11月9日(金)19時に変更になっていますのでご注意ください。「誰もが平和で豊かで安全で安心して住めるクニ」
ここでいうクニとは、国家そのものだけでなく、身の回りの共同体などのことを含む言葉としてのクニですが、これこそが人類社会が希求した理想国家の形であろうかと思います。
ところが早い話、左右に例をとってみると、人には右の人もいれば左の人もいるわけです。
これを右か左かという二者択一にして、左社会であれば右の人を一切合切殺してしまうという選択をするのが共産主義です。
しかし人を右か左かに分けて、反対側の人と対立すれば、人の世はギスギスとした闘諍の世になってしまいます。
対立し闘争して反対側のを皆殺しにしても、今度は残った人の中でまた対立と闘争が起きます。
つまりこれはゼロサムゲームです。
いわゆる青白きインテリというのは、一般に人望がないものです。
けれども自分が正しいと信じたいし、権力を持ちたいし、自分と異なる考え方をする人を粛清したい。
だから簡単にこの共産主義思想にかぶれてしまいます。
ところが世の中がギスギスとしてくると、世の中の多くの人は、いざというときにあまり頼りになりそうにないそうした青白きインテリよりも、腕力の強い人をまつりあげるようになります。
世の中が平和なら、ドラえもんに出てくるスネ夫が屁理屈を述べることができても、それによって対立や闘争の世の中になれば、人々が頼りにするのは、ジャイアンになるわけです。
さらにいえば、ジャイアンにとっては、反対派は粛清しても良いと、ジャイアンの暴力を正当化してくれる思想はきわめて都合が良いわけで、こうして暴力的な社会が築かれます。
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暴力的な社会では、より多くの暴力をふるって財を成した者が、より大きな権力を得るようになります。
そして権力のために、さらに暴力がふるわれ、その暴力を批難する人たちやクニに対して、スパイまで送り込んで自分たちを正当化します。
実にとんでもない話ですが、「反対派を粛清して皆殺しにして財を奪えば幸せがやってくる」ということを理想とする思想なのですから、結果がそのようになるのはあたりまえのことです。
一方日本は古来、八百万の神々の国です。
異なる価値観、多様な価値観をすべて認めるという、世界的に稀有な国です。
つまり、0か100かのどちらに付くかではなくて、0から100まで、すべてを認めようという社会を築いてきました。
そもそも人の思考とは複雑なもので、思想的には共産主義であっても、スポーツに関してはとっても右翼(笑)みたいな人もいるわけです。
あるいは自由主義を標榜しながら、職場では徹底した専制君主になる人もいます。
人は様々だし、いち個人でも局面によって、あるいは立場によって、あるいは時に応じて、様々です。
「だから全部認めてしまおう」
というのが日本社会です。
誰もが平和で豊かで安全で安心して住める社会の実現が理想なのです。
そうであるなら、あらゆることは、その理想の実現のための、いわば「肥やし」として、良いと思えることをすべて吸収し実行してみようではないか。
それが日本の古来からの形です。
けれども、だからといって0以下のマイナスや、100を越える極端なものまで許容する社会ではありません。
極端なものを排除する。
右か左か、中央で2つに分けて、どちらかを排除するのではありません。
偏差値でいえば、偏差値50をボーダーラインにして、50以下は全員排除して理想国家をつくるのではなくて、
偏差値がマイナスの者や、100を越えるものを排除する。
偏差値でマイナスや100を越えるものがあるのか、と言われそうですが、それがあるのが人間社会です。
具体的にはどのようなものを言うかといえば、破壊活動を行う者、他人の財をかすめ取るもの、自己の利益のために他人を犠牲にしてはばからない者、連続強姦魔、殺人鬼、強盗や傷害の連続犯、盗賊、火付け放火魔など、要するに社会に害をなす人非人たちです。
そうした者たちは、必ずしも社会の底辺の悪党ばかりとは限りません。
セクハラ問題で有名になったどこかの国の航空会社のトップのように、社会のいわば頂点に者が率先して悪事をはたらくケースもあります。
むしろ歪んだ社会では、上に立つ者自体が、まさに社会に害をなす人非人であったりします。
悪の天下になってしまうのですね。
我が国の歴史でも、そうした人物が社会の頂点を極めそうになった危機が何度もありました。
代表的なものが道教事件であり、大生部多(おほふべのおほ)による芋虫教団事件でした。
前者では和気清麻呂によって、後者は秦河勝によって、それらは排除されました。
そして我が国が、そうした歪みを持つ者が社会の頂点に立つことを防いできたのが、我が国の天皇の存在です。
天皇は、社会における政治権力者ではありません。
社会の最高権威として神に通じ、民衆をこそ「おほみたから」とする存在です。
天皇という権力者よりも上位の存在があるから、民が守られるのです。
これは究極の民主主義というべきものです。
このことは言葉を変えていえば、社会に歪みを生じさせない、いわば扇の要(かなめ)の役割をしているのが天皇という存在である、ということです。
そうであれば天皇の御存在を軽んじようとする者、天皇の「おほみたから」である民衆を害する者が、悪だということになります。
そのような者は、悪の中の大悪として、当然、早い段階で処罰すべき者です。
そのうえで、自己の利益のために悪事をはたらく者、そのために暴力を用いる者は誅さなければならないことになります。
ところが誅を行う者は、同時に武力を用いる者でもあります。
だから古来我が国では、武は、どこまでも「たける」ためのものとされてきたのです。
おそらく我が国においても、歪みが生じた時代は、歴史以前のもっと古い時代にも何度もあったのであろうと思われます。
なにしろ磨製石器の時代から、すでに3万年もの間、列島の中で人々の営みが続けられてきたのです。
さまざまな出来事があったであろうことは容易に想像できることです。
そして三万年という途方もなく長い歳月の経験から我が国の先人たちが「これしかない」と編み出したものが、天皇を扇の要として民衆を「おほみたから」とするという我が国の形です。
そしてその形は、おそらくはいま世界中で提唱されているどの社会形態よりも、はるかに合理性に富んだものであるといえるものです。
このことを除外視して日本の歴史を語ることは、野球のルールでサッカーをやるようなもの、あるいは年号なしで歴史を語るようなもので、見えるべきものがまったく見えてこなくなる。
戦後のたいがいの日本史を書いたものが、ただ出来事の羅列だったり、出来事が起きた背景やそれによる効果を語っていても、どこか群盲象を撫づ状態に陥ってしまっているのも、これが理由です。
歴史というものは、出来事を年号に従ってただ羅列するだけのものではありません。
それは年表学といって、歴史学とはまったく異なるものです。
さまざまな出来事を、なぜ起こり、どのような経緯があって、その結果どのようになっていったのかを、合理的にストーリー仕立てで説明するのが歴史です。
朝起きて顔を洗って会社に着くまでの経緯を、ただ時系列に起床何時何分、洗顔何時何分、着替え何時何分、電車乗車何時何分と調べることは貴重ですが、それだけでは何も見えてきません。
電車が満員で足を踏まれて腹を立てたということは、大きな事件であっても、それだけではなぜそのとき電車に乗っていたのかがわかりません。
ましてそれだけ嫌な思いをしながら、ではどうして翌日も同じ電車に乗ったのか。
後世の人からみたら、同じ不愉快を繰り返す、ほとんど馬鹿にしかみえないかもしれない。
要するに、生きるために仕事をしていて、そのために会社に通勤していたのだという一点を抜きにして通勤(歴史)を語っても、なぜ、どうして、というストーリーがまったく見えてこない。
これが日本の歴史から天皇とおほみたからを抜きにした歴史論です。
逆に、天皇とおほみたからという点を踏まえれば、日本の歴史が、まさに生きた歴史になっていくのです。
お読みいただき、ありがとうございました。

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