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我が国は、国家最高の存在である天皇が、民衆を「おほみたから」としてくれてきた歴史を持つ国です。
だから、誰もがのびのびとみんなのためにと、力を出すことができてきたのです。
みんなで協力し合うことができたのです。
互いに技術を磨き合うという国柄ができたのです。
だから技術大国になれたのです。

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【お知らせ】◆
<東京・倭塾、百人一首塾他>8月15日(水)
ねずさんと靖国昇殿参拝8月26日(日)14:00
チャンネルAJER主催・誰も言わないねずさんの世界一誇れる国日本9月15日(土)18:30
百人一首塾 第29回9月23日(日)13:30
第54回 倭塾・東京 第54回<関西・倭塾>8月10日(金)19:00
倭塾・関西 第一回 (IK歴史勉強会 十七条憲法と創生の神々)9月9日(日)14:00
倭塾・関西 第二回 (IK歴史勉強会 イザナギ・イザナミと古代の朝鮮半島情勢)10月19日(金)19:00
倭塾・関西 第三回 (IK歴史勉強会 大航海時代と大国主)11月9日(金)19:00 倭塾・関西 第四回 (IK歴史勉強会 唐の皇帝と日本の天皇)12月8日(土)14:00
倭塾・関西 第五回 (IK歴史勉強会 稲作の歴史と古墳のお話)<国内研修>12月16日(日)~17日(月) 一泊二日
神話を体感する会11月の倭塾関西の日程が11月11日(日)から、11月9日(金)19時に変更になっていますのでご注意ください。倭人伝というと、『魏志倭人伝』ばかりが目立っていますが、実は『宗書(そうじょ)』にも倭国の様子を伝える「倭国伝」があります。
その『宋書倭国伝』に、西暦478年の『倭王武の上表文』が掲載されています。
この上表文は、倭王武(雄略天皇)が、宋の皇帝に提出した国際文書です。
その中に、次の記述があります。
「封国は偏遠にして、藩を外に作(な)す。
昔より祖禰(そでい)躬(みずか)ら甲冑をめぐらし、
山川を跋渉(ばっしょう)し、
寧処(ねいしょ)するに遑(いとま)あらず。
東は毛人を征すること五十五国、
西は衆夷を服すること六十六国
渡りて海の北、九十五国を平らぐ」
古い言葉でちょっとむつかしいので、現代語に訳してみます。
「我が国日本は、宋からは遠いところにありますが、
昔から我が皇室の祖先は、
みずから鎧(よろい)を着てあちこちを征伐し、
東の方角で55カ国の毛人を征し
西の方角で66カ国の衆夷を服し
そして海を渡って95カ国を平定して
国を統一しました。」
ここでいう「海を渡りて」というのは、朝鮮海峡を渡って、という意味です。
ですから雄略天皇当時までに倭国(わこく)は、
日本列島内で東西に121カ国、
朝鮮半島で95カ国を従えて、
倭国を形成したとわかります。
宗書は宗の国の公式な歴史書ですから、そこに嘘の記述をしたら書いた人は首を刎ねられます。
そういう意味で、とても信憑性の高い史料だといえます。
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その史料に、朝鮮半島は倭国の領土だと書いてあるわけです。
つまり朝鮮半島は、倭人たちの住むエリアだったわけです。
ですからいまでも半島の人たちと、日本人の外見がよく似ているのは、ある意味当然のことといえます。
ところが半島では、高句麗との緩衝地帯として置かれた百済が、同じく緩衝地帯として日本に朝貢していた新羅に滅ぼされました。
新羅は唐と結んで半島を統一するのだけれど、Chinaの軍門に降り、以後、明治に入るまで半島はChinaの属国となり続けました。
そんな半島では、室町時代にやってきた朝鮮通信使が日本の水車小屋を見て、これはたいへん便利なものだから自国にも作ろうと提案して、半島国内にいまでいうプロジェクトチームが作られて、以後、およそ300年間研究がなされるのだけれど、結局日本の幕末近くになっても、まだ水車小屋を作ることができませんでした。
人々の衣料も、我が国のような様々な色彩や絵柄の施された美しい着衣は工夫されず、庶民は何の染も施されていない着衣を着るしかありませんでした。
同じDNAを持つ人たちだったのに、どうして半島がそこまで劣化したのか。
理由は、どこかの国のアマチュアボクシング界の会長さんではないですけれど、支配者がただいたずらに君臨するだけの国家になっていたからです。
支配者ひとりがいい思いができるために、国家が形成されたのです。
そのために社会は上下と支配だけの社会となったし、その支配者のポストをめぐっては、まさに血で血を洗う戦いが繰り広げられました。
良い地位を得るためには、常に人より自分が上であることを見せつけなければなりません。
ですから、社会階層のあらゆる場は、敵対と対立と闘争と暴力で構成されるようになります。
収奪される側は、放っておけば何もかも収奪されますから、泣きわめき、大声を張り上げるしか身を護るすべがありませんでした。
だから火病は、風土病ではなくて、社会的文化として定着しています。
いま人類は21世紀を迎えていますが、こうした支配によって民衆が蹂躙され続けている地域は、いまでも世界にはあります。
そこでは民衆の命など、まるで虫けら同然ですし、そのままの状態が百年続けば、その国の人々もどこかの半島人とおなじになるかもしれません。
一部の人たちだけが良い思いをするために、他の多くの人々から収奪を繰り返すという社会体制下に置かれた民衆のことを「隷民(れいみん)」といいます。
奴隷のような身分に置かれた人々という意味です。
奴隷に人権はありません。
同様に、上の言うことをきくのが人間であって、聞かない者は人でさえありません。
では、雄略天皇はどうだったのでしょうか。
内外に216カ国を平定し、そこに君臨し、民衆を支配し収奪したのでしょうか。
熊本県玉名郡和水町(たまなぐんなごみまち)にある江田船山古墳から出土した大刀(直刀)の峰に書かれた銘文には、次の記述があります。
「天の下治らしめしワカタケル大王(雄略天皇)の世、
典曹に奉事せし人、名は无利弖、
八月中、大鉄釜を用いて四尺の廷刀を并わす。
八十たび練り、九十たび振つ。
三寸上好の刊刀なり。
此の刀を服する者は、
長寿にして子孫洋々、□恩を得る也。」
宋書の記述によれば、熊本県は西の衆夷の住処となるのでしょう。
その衆夷が天皇のもとに出仕して文書を司る役所に仕え、退官するときには、極めて精巧に造られた、長寿を得て子孫も繁栄するという霊験あらたかな立派な刀を拝領したと書かれているわけです。
それを剣の銘文にまでしたということは、そのことをたいへんな名誉と考えていたということです。
征服されて「コノヤロー」どころか、天皇のもとで喜々として働いていたということです。
また埼玉県行田市の稲荷山古墳から出土した「金錯銘鉄剣銘」には、
「先祖代々杖刀人首(大王の親衛隊長)として今に至るまでお仕えし、
ワカタケル大王(雄略天皇)の宮が、シキの宮にあるとき、
私は大王が天下を治めるのを助けました。
私と一族がこれまで大王にお仕えした由緒を、
何度も叩いて鍛えあげたよく切れるこの刀に記します」
といった内容の銘文が書かれています。
これまた行田市は宋書によれば毛人の住処であって、征服された地ということにでもなるのでしょうが、そこにあるのは、むしろ雄略天皇との絆です。
どうしてこのようなことになるのか。
少し考えたら誰にでもわかることです。
権力よりも上位の権威をいただくことによって、民衆が「おほみたから」となるのです。
そうなることによって、上下心をひとつにして、土地を耕し、みんなで豊かで安心して安全に暮らせるクニを、自分たちの手で力を合わせて築けるようになるのです。
おそらく血筋をたどれば、日本列島に住む人は、みんな親戚となることでしょう。
けれど、ただ親戚だというだけでなく、誰かひとり、もしくはどこかの一家の贅沢三昧な暮らしのために、他の圧倒的多くの人々が貧困のどん底に置かれてきたのが世界の歴史です。
ところが日本では国家最高の存在が、すすんで民衆を「おほみたから」としてくれたのです。
だから、誰もがのびのびと、みんなのためにと力を出すことができました。
そのためにみんなで協力し合うことができたのです。
互いに技術を磨き合うという国柄ができたのです。
だから技術大国になれたのです。
互いに磨きあうのです。
それは「ライバル関係」ではありません。
敵対関係でもありません。
対立関係もありません。
ましてや競争関係でさえありません。
互いに並びたち、互いに切磋琢磨して、より良いもの、より良い素晴らしいものを求めて成長していく姿がそこにあります。
それを可能にしたのは、ひとりひとりの庶民が「おほみたから」として大切にされてきたという国柄にあります。
日本人は優秀だという人がいます。
私は少し違うと思います。
日本の社会の仕組みが優秀だったのです。
ということは、日本を取り戻すためには、その日本の社会の仕組みの根幹を、世の中に取り戻す・・・つまりそれを常識化する、ということです。
お読みいただき、ありがとうございました。

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コメント
岡 義雄
たった一人の女性を寄って集ってバッシングしたり
一人の権力者の素行不良でその組織が破滅に導かれたり
公僕が奉仕の心を忘れて好き勝手に動いて国益を損ねたり
街のかわら版が嘘ばっかりだったり、昔のちんどん屋さん
(失礼)かと見紛う国会前の大騒ぎ。他にもありますが、
こんなのは、日本人のやることではありません。
少し立ち止まって落ち着いて考えてみて下さい。
日本人としてどうあるべきか、何を為すべきか、
何を信じるべきか。私達は日本人です。
2018/08/04 URL 編集
神無月
さて、文中に書かれております「日本の社会の仕組みが優秀だったのです」のお言葉に、その通りと思いますと同時に、その仕組みを作り上げた者も、日本人なんだよなとの思いでした。
ニワトリが先か卵が先か? よくある問答ですが、善行が当たり前の民族ならではと感じました。
ある方へ、誇りとは何か?と聞いたところ、責任を持つことと言われました。成る程と開眼した思いでした。誇りは自慢のような低次のものではなく、切磋琢磨し全てを受け止める覚悟と理解しました。
平成の終わりを間近にして、日本を刷新するかのごとくの社会情勢と自然環境です。
何となくですが、神様の声が聞こえているように思います。
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2018/08/03 URL 編集