戦陣訓の根本精神に学ぶ責任感と実行力とは



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生死を賭けた戦いの中にあっては、個人的な勇怯の差も、勉強ができるできないも、まったくもって問題になりません。
大切なことは責任感の有無であり、実行力です。
日本における武とは、「たける」ためのものです。
「たける」は「竹る」であり、竹のようにまっすぐにすることです。
世の中の歪みや、人の歪みをまっすぐにただす。
そのために用いるのが「武」です。
従って日本の武は、単に「俺、強ええ」といたずらに虚勢をはるようなものではありません。
責任をまっとうする精神と実行力を養ない、世の歪みをただすのが日本武道です。
それがわからない者は、単なるスポーツ選手であって、日本的武人ではありません。


20180828 戦陣訓
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【お知らせ】
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12月24日(月)13:30 第57回 倭塾 研修室
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12月8日(土)14:00 倭塾・関西 第五回 (IK歴史勉強会 稲作の歴史と古墳のお話)
<国内研修>
12月16日(日)~17日(月) 一泊二日 神話を体感する会
11月の倭塾関西の日程が11月11日(日)から、11月9日(金)19時に変更になっていますのでご注意ください。


昨日、修身教育について「修身教育は価値観を教えるものではない」ということを書かせていただきました。
修身は、価値観を教えるのではなく、価値観の元になる感じることのできる心を養うものであったのです。

逆に価値観そのものを植え込むものの代表が「戦陣訓」です。
「戦陣訓」といえば、「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」という一節ばかりがやたらと強調されていますが、そこで思考停止に陥ってしまうのでは、子供と同じです。
そもそも良いか悪いかといった二律相反的な発想しかできないのは、共産主義思想の典型です。

共産主義思想は、すべてのものを二律相反させて対立させ、次々と対立と排除を繰り返すことで、究極的には支配者ただひとりが、すべての権力を手に入れるという、実はきわめてご都合主義的なものにすぎません。
そしてその権力思考者ひとりのために、どれだけ多くの命が失われてきたかを考えれば、いまさら共産主義のドグマに陥ることが、どれだけ馬鹿げているかが知れようというものです。

そうではなくて、戦陣訓でも、そこから良いものは良いものとして謙虚に学ぶ。
そういうところから、互いの成長が生まれ、よろこびのある未来が拓けるのであると思います。

そこで「戦陣訓」そものをご紹介しても良いのですが、そうするとあまりに長くなるので、昭和16年3月に陸軍省が発行した『戦陣訓の根本精神』という小冊子の冒頭の一部をご紹介してみたいと思います。(原文は、下に示します。)

この小冊子は、阿南陸軍次官、田中兵務局長兩閣下、馬淵報道部長殿、陸軍報道部員中島少佐、陸軍教育総監部本部長今村中將、同部員浦邊少佐などが監修し、日華事変の前線から帰還した岡村、桑木、谷、末松、藤田、荻洲各中将、並びに航空本部西原少佐、井上哲次郎博士、菊池寛氏等によって編集された、当時としてはたいへんに権威のある小冊子です。


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ここの部分をご紹介したのは、戦陣訓がどうのこうのと議論するためのものではありません。
戦陣訓は、兵士たちに皇軍兵士としての自覚を、悪い言葉でいうなら強要した、良い言葉で言うなら薫陶を与えるために書かれたものです。
その意味では、昨今の教育評論家たちがいう、まさに「価値観を強制するためのもの」です。

しかし、そこで書いていることは何かといえば、感情の発露です。
そして生死を賭けた戦場において大切なことは、勇怯の差でもなければ、智謀の格差でもない。
責任感と実行力であると説いています。
そこにすべての精神を方向づけるために、ここでは感情の発露が用いられているわけですから、まさに「戦陣訓」は、価値観を植え付けるものであるといえます。

このことと、修身教育が「価値観の元になる感情」を育成したということを、ごっちゃにしてはいけないと思います。
なぜなら、豊かな感情を持つこと自体は、まったくもって良いことであるからです。
なぜ良いのかはいうまでもありません。
愛はまさに感情だからです。

そして「戦陣訓」をいまあらためて学びながら、ここで強く申し上げたいことは、生死を賭けた戦いの中にあっては、個人的な勇怯の差も、勉強ができるできないも、まったくもって問題にならない、ということです。
大切なことは責任感の有無であり、実行力の有無に尽きるということです。

日本における武とは、「たける」ためのものです。
「たける」は「竹る」であり、竹のようにまっすぐにすることです。
世の中の歪みや、人の歪みをまっすぐにただす。
そのために用いるのが「武」であり、それこそが日本の伝統です。

日本武道が世界から受け入れられているのも、ですから武道を習ったら喧嘩に勝てるとか、試合に勝てるとか、そういうことからではありません。
もちろん入門したての若者の動機は、ただ単に強くなりたい、喧嘩に勝ちたいといったものであったりすることはよくあることですが、武道を極めていくと、そういうことを超越していきます。
なぜなら強いということは、責任と実行力を伴うからです。
そしてそここそが世界で日本武道が認められる最大の要因ですし、日本武道の要諦です。

ところが日本武道を、ただ強くなれる、試合に勝てる、喧嘩に勝てるとのみしか解せない、日本人のような顔をして日本語を話すけれど日本人でない人たちがいます。
そういう人たちは、おもしろいもので、有段者になり、師範クラスになればなるほど、外見がまるでヤクザのようになっていきます。
最初から歪んでいるからです。
歪みをただすための武道を、歪みを正当化するために用いているのですから、話になりません。
そういう人がたとえば居合道をかじると、段位を取るために600万円よこせ、とかになるわけです。
みっともない話です。
「戦陣訓」は、そうした日本武道にある責任をまっとうする精神と実行力を養ない、世の歪みをただすための日本軍の兵士としての心得を述べたものなのです。

==========
「戦陣訓」の根本精神
 陸軍省
==========

昔から各藩には、それぞれ藩の教訓というものがありました。
たとえば佐賀藩には有名な「葉隠れ」があったし、島津藩、細川藩、毛利藩なども藩の教訓を持っていました。
会津藩には会津武士としての精神訓がありました。

陸軍でもかねてから将校や生徒のために、旧幕府の時代に各藩が持っていたこうした教訓のいいとろこだけをとった「精神資料」の発行を考えていました。
その「精神資料」は、勅諭や典令、綱領等に常に内包されている純粋な日本的精神の要素です。
そして軍の重要課題は、その「精神資料」をいかに実行に結びつけるかです。

この度China事変が勃発し、China大陸の戦陣に多くの将兵たちが派兵されました。
戦地に赴いた彼らからも「戦陣訓」の必要性は強く求められていました。
陸軍当局にも同じ認識がありました。
そこで世に出されたのが「戦陣訓」です。

実際に「戦陣訓」を作るにあたって最大の課題となったのは、作るのはいいけれどいったいどのようなものを作ったら良いのか、ということでした。
実戦を前提にした軍の「戦陣訓」である以上、その「戦陣訓」は、
「一読しただけで陶酔し、人が自然に実行に追い込まれるだけの迫力ある内容」
でなければなりません。
なぜなら、そういうものでなければ役に立たないからです。

「戦陣訓」を一読して何が必要かといえば、
「人をして自然に実行に追い込むだけのものが盛られている」
ということです。
では「人をして自然に実行に追い込むもの」とは、いったい何でしょうか。

答えは「感激」です。

戦場にある将兵は感激性が非常に強くなっているものです。
その強くなっている感激性を、正しく理性と一致させ、一死奉公の実をあげさせる。
そこで、戦陣訓の第一の主眼は「感情の指導」ということになりました。

近頃では、世間一般に「感情の指導」ということが足らないと言われています。
「感情指導」のためには、「人間の純情」を捉らえなければなりません。

そこで「戦陣訓」では、天皇陛下に対し奉る国民の真情を呼び起こしたのです。
そうすることで忠君愛国の大義に徹するように導きました。

日本精神を振り返ってみると、「道義の根本」は「忠孝」にあります。
戦陣の夜半、戦闘が止んで人が寝静まる深夜、兵士たちの脳裏に去来するのは何かといえば、それは両親であり、兄弟です。
それは人としての自然の情です。

では親が子に何を希(ねが)っているのかといえば、一死君恩に報ずることです。
これは「孝」の純情から「忠」の大義に徹するものです。
ですからこの純情をつかむことによつて、至誠をはっきりと表すことができる。
言い換えれば「純情即至誠」なのです。

軍隊は表むきは「孝」を論じていません。
ですが「忠」の大義は「孝」の純情から発します。

軍人勅諭の中に、
「朕か国家を保護して
 上天(しょうてん)の恵に応し
 祖宗の恩に報いまゐらする事を
 得るも得さるも、
 汝等軍人か其職を
 尽すと尽さゝるとに
 由るそかし」
という文があります。

口語訳したら、
「朕が国家を保護し、
 おてんとう様の恵みに応じて、
 代々の天皇の恩に報いることが
 出来るのも出来ないのも、
 お前たち軍人が職務を
 尽くすか尽くさないかに
 かかっている」
という文です。

陛下がこうおおせられていることは、陛下が「大孝」を大切にするご決意であられる大御心と拝せられます。
とりわけ「お前たち軍人がその職務を尽くすか尽くさないかにかかっている」というお言葉は、自然の間に忠孝をお示しになられたお言葉です。
まさにここに日本の国体の精華があります。

また、同じく軍人勅諭には、
「されは朕は汝等を股肱(ここう)と頼み、
 汝等は朕を頭首と仰きて
 其(そ)の親(したしみ)は
 特(こと)に深かるへき」
とあります。

口語訳すると
「だから朕は
 お前たちを手足のように
 信頼する臣下と頼む。
 お前たちは朕を
 頭首と仰ぎなさい。
 そうすればその親しみは
 特に深くなることであろう」となります。
これは、理屈を越えた「君臣の情的結合」です。まことに恐懼に堪えないものです。

戦陣訓がうかがうのは、まさにこの「情的結合」です。
それは崇高な人情の発露であり、道義の結晶といえます。

そこで戦陣訓では、例えば
本訓その二の第一「敬神」の項で「忠孝を心に念じ」と説き、
第二の「孝道」では純情と大義の関係を説き、
「戦友道」においては、信義の至情を説いています。

また、本訓其の一の第三「軍紀」、第五「協同」では、
「命令一下、喜び勇んで死地に投じ」とか、
「喜び勇んで我を捨てて協カし合う精神を発揮し」といふように、
「欣然(=喜び勇んで)」の言葉がいくつも使われています。

これはとりもなおさず「感情の発露」です。
「みんな喜んで行け、
 理窟ではないぞ!」
いざというとき、喜んで死ぬということが、すなわち「欣然(きんぜん)」です。

そしてこの心をおし進めて行くと、戦場では勇怯の差は、実ははなはだ小さいものでしかない、ということがわかります。
戦場でもっとも大きな働きをするのは、「勇怯の差」などではない。
「責任感の差」です。
これが非常に大きい。

ですから本訓の二の第六「責任」は、
「責任を重んずる者、
 これ真に戦場における
 最大の勇者である」と説かれているのです。
「責任感こそが、どんなに恐怖心が強い者でも、自暴自棄にならずに、献身的に殉国の大勇者にし得る」と教えているのです。

また智謀の差は極めて小であるが、實行力の差は非常に大きいことも「戦陣訓」には説かれています。
「率先躬行(そっせんきゅうこう」の項に於いて
「戦陣は実行をを尚(たっと)ぶ」とこの点を強調している。
しかも第八「名を惜しむ」の項では、
「信義を重んずることによって、個人を美しくし全軍の戦力を至大ならしめる」と説いています。
徳義を重んじることが武人の大本をまっとうすることとしているのです。

さて、最後に一言。
武人がいやしくも戦場に出たからには、生還を期せぬ覚悟が大事です。
いわんや、遺骸が還れるなどとは考えてもならないと教えられています。

けれどもし、九死に一生を得て生還する場合のことを、本訓其の三の第二の「戰場の嗜(たしなみ)」の九に書いてあります。

実はこれは、軍当局としては、はなはだ心苦しいことです。
「戦陣訓」起草に當つて、この一項を書くべきかどうかについて、たいへんな議論になりました。
それほど書くのに迷ったのです。

けれど百人中、九十人迄は事実上生還しているのだから、これらの者に対して、帰還に対する「武人の心得」は、やはり必要ではないかということになって、この一項を加えました。

この点は、生還を期さない武人の覚悟と矛盾するものではないと考えています。

以上、戦陣訓を一貫する思想について大要を述べさせていただきました。
要するに「戦陣訓」は、「情と義」が全文のいたるところに綾のように織なされているところに特色があるのです。
(P.1-P.10)

「戦陣訓の根本精神」目次

序. 本社主幹 高田元三郎

    解 説

戦陣訓の根本精神 陸軍省
戦陣訓制定の由來とその使命 陸軍省兵務局長 田中隆吉陸軍少將
戦陣訓の社會的反響 大本營陸軍報道部長 馬淵逸雄陸軍大佐
道義の國日本武士道は神代から 文學博士 井上哲次郎
皇軍の「神武の精神」 陸軍中將 岡村寧次
恩威並ぴ行ふ 「正義の軍」 陸軍中將 桑木崇明
平時も非常時も紊れぬ規律 陸軍中將 桑木崇明
没我協力・困苦に克つ  陸軍中將. 谷 壽夫
心を正し身を修め誠を致せ 陸軍中將 末松茂治
盡忠報國こそ最大の孝行 陸軍中將 末松茂治
上下一致の表現「心からの敬禮」 陸軍中將 末松茂治
二人で卅餘名の敵を殲滅した話 陸軍中將 岡村寧次 
幹部が率先すれば必ず勝つ 陸軍中將 岡村寧次 
與ヘられた使命を遂行こそ眞の男 陸軍中將 荻洲立兵
「天皇陛下萬歳」を叫ぶ心 陸軍中將 岡村寧次
十五倍の敵と十日絶食激戰 陸軍中將. 今村 均
清廉潔白 北條清一
不用意に心を許すな 陸軍中將 末松茂治
思想戰の防壁 陸軍中將 藤田 進
敵地の田へ入らなかつた昔の武士 菊池 寛
銃後も良心に恥ぢない行ひを 陸軍中將 桑木崇明
遺骨の還らざる覺悟 陸軍少佐. 西原 勝
愛馬の名を呼びつヽ戰死 陸軍少將 田中隆吉
誇張をやめて正直實行 陸軍中將 荻洲立兵
跋 本社編輯總務 上原虎重
解説者略歴

編輯後記

本書の刊行に當り、阿南陸軍次官、田中兵務局長兩閣下、馬淵報道部長殿、陸軍報道部員中島少佐殿と、陸軍育總監部本部長今村中將、同部員浦邊少佐殿より御示を賜はリ、戦陣訓各項の解説については、前線より歸還せられたる岡村、桑木、谷、末松、藤田、荻洲各中將及び航空本部西原少佐と井上哲次郎博士、菊池寛氏より、御多忙中を談話をいただき、或は二月十二日座談會開催に際し、御出席を賜はリ、有益なるお話を拜聽し、本書に收めることを得ましたこと厚くお禮申上げます。
尚、語義解釋については、文部省倉野監修官の御協力を得ましたこと附言いたします。

陸軍省檢閲濟

昭和十六年三月 十 日 印刷
昭和十六年三月十四日 發行

編輯發行兼相馬基
印  刷  人  
印 刷 所  東京日日新聞社
發 行 所  東京日日新聞社
同       大阪毎日新聞社
定價六十錢
==========


(原文)
「戰陣訓」の根本精神   陸軍省

昔から各藩には、それ ゞ 藩の訓といふものがあつた。例へば、佐賀藩に「葉隱論語」があり、島津藩、細川藩、毛利藩といづれも藩の訓を持ち、會津武士には曾津武士の精神があつた。
曾つて、陸軍では將校生徒のために、舊幕時代各藩の持つてゐたかうした訓のいいところだけを採つて「日本精神資料」として研究し、勅諭、典令、綱領等に示されてゐる精神要素の生粹をどう實行するか──と云ふことの必要を痛感し想ひをこのことに致してをつたのである。
たま ゝ 、今次事變の勃發となり、China大陸の戰陣に臨んだ將星の多くが、「戰陣訓」をつくることの必要を認め軍當局においても同じ認識の下に「戰陣訓」の世に出る動機となつたものである。
さて、「戰陣訓」をつくることになると一體どんなものをつくることがよいか──この點について「戰陣訓」の基礎となり底流をなすべき一番大事なことは、一讀、陶醉して人をして自然に實行に追ひ込む迫力のある訓書であらねばならぬ──さう云ふものを書かなければ、物の役にたたぬと云ふ點であつた。
で、この「戰陣訓」を一貫して、何が入つてゐるかと云へば、「人をして自然に實行に追ひ込むもの」が盛られてゐる。「人をして自然に實行に追ひ込むもの」とは一體、何であるかと云へぱ「感激」である。
戰場にある將兵は、感激性が非常に強くなつてゐる。この強くなつてゐる感激性を捉らへて、正しく、理性と一致させて、一死奉公の實をあげさせなければならない。で、第一の着眼は感情の指導といふことであつた。近頃、世間一般に感情の指導といふことが足りないと思ふ。感情指導のためには、人間の純情を捉らへねばならない。それで、この「戰陣訓」は、天皇陛下に對し奉る國民の眞情を喚び起したものである。かくして、忠君愛國の大義に徹するやうに導かねばならぬとの構想の下に書かれたものである。
つら ゝ 日本精神をふりかえりおもんみるに道の根本は忠孝である。
戰陣の夜半、戰ひやんで人しづまる時、まづ、腦底を去來するのは何か──それは兩親であり、兄弟である。これこそ、人間の自然の情である。しかして、親は子と共に何を希つてゐるかと云へば、一死君恩に報ずることを希つてゐるのである。この一事は、孝の純情から忠の大義に徹するものである。而して、この純情をつかむことによつて、至誠を顯現することが出來る。
言葉を換へて云へば、純情即至誠である。軍隊では、表むき孝を論じてゐない。ところが、忠の大義は孝の純情から發してゐる。
軍人勅諭の中に
「朕カ國家ヲ保護シテ上天ノ惠ニ應シ、祖宗ノ恩ニ報イマヰラスルコトヲ得ルモ得サルモ、汝等軍人カ其職ヲ盡スト盡ササルトニ由ルソカシ」
と仰せられてゐることは、天皇陛下が大孝を遊ばされんとする大御心と拜察されるのである。
「汝等軍人カ其職ヲ盡スト盡ササルトニ由ルソカシ」このお言葉は、自然の間に忠孝をお示しになり茲に、我國體の精華が窺はれるのである。
また
「朕ハ汝等ヲ股肱ト頼ミ、汝等ハ朕ヲ頭首ト仰キテソ其親ハ特ニ深カルヘキ」と仰せられてゐる。これは、理窟を離れた君臣の情的結合であつて恐懼に堪へぬ所である。
戰陣訓の覘ふところのものは、この情的結合である。崇高なる人情の發露であり、道義の結晶である。
例へば「敬神」の項において「忠孝を心に念じ」と説き「孝道」においては、純情と大義の關係を説き「戰友道」においては、信義の至情を説いてみる。また、本訓其の一の第三「軍紀」第五「協同」の項において「命令一下欣然として死地に投じ」とか「欣然として没我協カの精神を發揮」といふ風に「欣然」の言葉がいくつも使はれてゐるが、これは、とりもなほさず、感情の發露である。みんな喜んで行け、理窟ではないぞ! 喜んで死ぬ──即ち欣然の姿である。更にこの心をおし擴めてゆくと、戰場では、勇怯の差の如きは、甚だ小なるものである。しかし、責任感の差は、非常に大きい。故に本訓の二の第六「責任」の項において「責任を重んずる者、是眞に戰場に於ける最大に勇者なり。」と説き、如何なる恐怖心強き者も、自暴自棄に陥ることなく、獻身殉國の大勇者たり得ることを捉えてゐるのである。
また、智謀の差は極めて小であるが、實行力の差は非常に大きい。故に「率先躬行」の項に於いて「戰陣は實行を尚ぶ」とこの點を強調し、しかも、第八「名を惜しむ」の項において、義を重んずることによつて、個人を美しくし全軍の戰力を至大ならしめるゆゑんを説いてゐる──かくして、戰場における武人の大本を完からしめんことを戒めてゐる。
終りに臨んで一言したきことは、武人がいやしくも戰場に出たからは、生還を期せぬ覺悟である。況や、遺骸の還ることは考へてもならぬと例えられてゐるのであるが、かりに、九死に一生を得て、生還する場合のことを「本訓其の三、第二、「戰場の嗜」の九に書いてゐるのであるが、これは、軍當局として甚だ心苦しき事で「戰陣訓」起草に當つて、この一項を書くべきや否やについて思ひ迷つたのである。しかし、百人の中九十人迄は事實上生還して居るものであるから、これらのものに對しての歸還に對する「武人の心得」といふものを一言しておくことは、非常に大切であるといふ意見に一致して、この一項を加へた次第であつて、この點、生還を期せざる武人の覺悟と矛盾するものではない。
以上、戰陣訓を一貫する思想について大要を述べたのであるが、これを要するに戰陣訓は「情と義」が全文の到るところに綾の如くに織なされてゐるところに特色がある。(P.1-P.10)

「戦陣訓の根本精神」目次
序. 本社主幹 高田元三郎
 解 説
戦陣訓の根本精神 陸軍省
戦陣訓制定の由來とその使命 陸軍省兵務局長 田中隆吉陸軍少將
戦陣訓の社會的反響 大本營陸軍報道部長 馬淵逸雄陸軍大佐
道義の國日本武士道は神代から 文學博士 井上哲次郎
皇軍の「神武の精神」 陸軍中將 岡村寧次
恩威並ぴ行ふ 「正義の軍」 陸軍中將 桑木崇明
平時も非常時も紊れぬ規律 陸軍中將 桑木崇明
没我協力・困苦に克つ  陸軍中將. 谷 壽夫
心を正し身を修め誠を致せ 陸軍中將 末松茂治
盡忠報國こそ最大の孝行 陸軍中將 末松茂治
上下一致の表現「心からの敬禮」 陸軍中將 末松茂治
二人で卅餘名の敵を殲滅した話 陸軍中將 岡村寧次 
幹部が率先すれば必ず勝つ 陸軍中將 岡村寧次 
與ヘられた使命を遂行こそ眞の男 陸軍中將 荻洲立兵
「天皇陛下萬歳」を叫ぶ心 陸軍中將 岡村寧次
十五倍の敵と十日絶食激戰 陸軍中將. 今村 均
清廉潔白 北條清一
不用意に心を許すな 陸軍中將 末松茂治
思想戰の防壁 陸軍中將 藤田 進
敵地の田へ入らなかつた昔の武士 菊池 寛
銃後も良心に恥ぢない行ひを 陸軍中將 桑木崇明
遺骨の還らざる覺悟 陸軍少佐. 西原 勝
愛馬の名を呼びつヽ戰死 陸軍少將 田中隆吉
誇張をやめて正直實行 陸軍中將 荻洲立兵
跋 本社編輯總務 上原虎重
解説者略歴

編輯後記
本書の刊行に當り、阿南陸軍次官、田中兵務局長兩閣下、馬淵報道部長殿、陸軍報道部員中島少佐殿と、陸軍育總監部本部長今村中將、同部員浦邊少佐殿より御示を賜はリ、戦陣訓各項の解説については、前線より歸還せられたる岡村、桑木、谷、末松、藤田、荻洲各中將及び航空本部西原少佐と井上哲次博士、菊池寛氏より、御多忙中を談話をいただき、或は二月十二日座談會開催に際し、御出席を賜はリ、有益なるお話を拜聽し、本書に收めることを得ましたこと厚くお禮申上げます。
尚、語義解釋については、文部省倉野監修官の御協力を得ましたこと附言いたします。

陸軍省檢閲濟

昭和十六年三月 十 日 印刷
昭和十六年三月十四日 發行

編輯發行兼相馬基
印  刷  人  
印 刷 所  東京日日新聞社
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同       大阪毎日新聞社
定價六十錢

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※この記事は2012年1月の記事をリニューアルしたものです。

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コメント

yuu

責任
最低賃金さえ払えない企業なら潰れればいいし、残業代払えないのなら潰れればいい。社会保険もだせないのならそんな企業は退場してしまえばいい。
「人を雇う」という責任果たせないのになにが「企業」だ。

憲法には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」という規定はあっても、「国は、潰れそうな企業を延命させるように努めなければならない」なんて規定はない。
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

講演のご依頼について

最低3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。
むすび大学事務局
E-mail info@musubi-ac.com
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