仮名遣いや漢字は、いまの人が読みやすいようにすこし直していますが、これは尋常小学校三年生の修身教科書の最終章である第27に書かれている文章です。
繰り返しますが、これが小学校三年生です。
尋常小学校の修身は、1年生から3年生までの教科書がありますが、いまの教科書と違って、「一年生用」とか「二年生用」とはなっていません。
「巻一」「巻二」「巻三」といったように、単純に巻数の順番が表記されているだけです。
なぜそうなるかというと、昔は「飛び級」があったからです。
優秀な子は、どんどん先に進むことができました。
これには理由があって、昔の寺子屋時代もそうですし、特に田舎などではその傾向が顕著なのですが、学校とは言っても、ひとつのクラスしかなく、そのクラスに一年生から六年生までが一緒に学んだ、といったケースが多かったのです。
そうなると、必然的に上級生は下級生の面倒を見なければなりません。
自分ひとりだけができれば良いのではなくて、下級生たちができるようにしてあげることも、上級生の勤めなのです。
薩摩の郷中教育や、会津の什教育などは、まさにこれを実現したシステムとなっていましたが、それは全国どこの藩でも行われていたことです。
そもそも社会人になれば、年齢ごとに仕事が違うなんてことはないのです。
年長者から若年者まで、ひとつ職場で人間関係を形成します。
教育が、立派な社会人となるように育成するためのものであるとするならば・・・誰だって自然と大人になっていくのですから、それは当然のことと思いますが・・・むしろそうした教育環境の方が、上級生となった者に自然と「責任感を育成する」という意味で、現代教育のスタイルよりもはるかに好ましいものということができようかと思います。
なぜなら社会システムは、いかなる場合においても、責任を伴うシステムだからです。
またテストの点数が、成績上位者から低位者まで、正規分布となることはよく知られた事実ですが、中央値あたりの生徒たちを対象に授業を行えば、とびきりのトップ集団に属する子供たちにはもの足らず、低位集団に属する子供たちにとっては授業が難しすぎてついて行けないという問題が起こります。
正規分布

そこで、成績上位者には、どんどん高学年の教育を与えていく。
成績低位の者にも、無理がないように、しっかりと低位の教科書から順番にマスターしてもらう。
このことは、特に数理系の科目に貴重な働きをします。
算数も数学も積み上げ科目です。
足し算引き算がわからなければ、掛け算割り算は理解できないし、代数になったらもっとわけがわからなくなります。
飛び級も、学年横断的な複合教育も、実は日本以外の諸国では、あたりまえに行われていることです。
生徒の人数の関係で、どうしても学年ごとに教室分けする場合でも、必ず学年横断的な授業が教育システムの中に取り入れられています。
日本は教育の歴史の古い国だけに、教育システムは戦前戦中までは世界の最先端を走っていたと思いますが、戦後はGHQによってこれが破壊され、おそらくいまの日本の教育システムは、アフリカの新興国にさえ及ばない、低次元のものになってる・・と言った人がいました。
なにせ、どうみても生徒に舐められて指導力など発揮できそうにないオカマのオネエが、一人前の教育者顔をしてメディアに出ているくらいです。
オカマでもオネエでも、それは本人の自由だし勝手ですが、それでもどこかに人間的な魅力や、強さがなければ、子供たちはついて来ません。昔のピーターさんや美輪明宏、近年の楽しんごさんのような人なら、まだ生徒たちは付いてくるかもしれませんが・・・。
さて、上にある文章です。
ご一読いただいて、いかがでしょう。
実は、今回ご紹介したものは小学三年生向けの修身教科書の末尾の「よい日本人」というタイトルの小文ですが、同じ内容は、小学一年生から六年生まで、すべての修身教科書の末尾に(もちろん内容の濃薄や文章の長短はありますが)掲載されているものです。
内容は、どれも同じです。
もっとも簡にして要を得ているのが小三かなあと思ったので、三年生のものをご紹介しました。
「修身教育は価値観の押しつけであって、
子供たちに施すべきではない」
という意見があります。
そのように公言してはばからない政治家(主に野党)もいます。
いかがでしょう。
ここに書かれていることは、日本人として、あるいはもっというなら「人として」大切なことばかりなのではないでしょうか。
一方、日本の大切なものを破壊したり、外国に売り渡すことに一役買って利益を得ているような人たち、あるいはそこにぶら下がっているような人たちにとっては、まさに修身教育は邪魔な存在でしかありません。
そもそも修身教育が目指しているものは、価値観の押し付けではなく、「価値観の元になるもの」を育成するものです。
人には、それぞれに違いがあり、個性があります。
その個性に応じて、その人の持っている良いところを、より一層伸ばしていく。
そのためには、個性のもとになる価値観の源泉となるものを育成していかなければならないのは当然すぎるほど当然のことです。
ある中学校で、集団縄跳びがありました。
ひたすら飛ぶことに一生懸命になる子、
ひときわ大きな声で、みんなに掛け声をかける子、
持久力のない子に、一緒になってマラソンをしようと持ちかける子、
ひとりひとりの子供によって、その行動はみんな違います。
その中に、ひとり、どうしても上手に飛べない子がいました。
みんなで飛ぶのですが、何度もその子の足が縄にひっかかってしまう。
集団縄跳びは、みんなひとつ方向を向いて飛びます。
けれどその子の前にいた子が、後ろ向きになって、うまく飛べない子の手を握り、一緒になって掛け声をかけながら、飛んであげていました。
それでも足がひっかかってしまう、その飛べない子が、ついに座り込んで泣き出してしまうと、その後ろ向きになった子は、泣いている飛べなかった子を抱きしめて励ましていました。
ひとりひとり、個性があるのです。
その個性の発揮が、より良い方向に向かうことを、成長といいます。
悪い方向に向かうなら、それは不良です。
不良に走る者は、社会人として失格です。
そんな不良からみれば、修身教育は「価値観の押しつけだ」と思えるかもしれない。
しかしそのような不良を放置すれば、社会道徳は失われ、社会の秩序が崩壊してしまうのです。
現にいまの日本がそうなっています。
そうであれば、その「良い方向」とは、一体どのようなものなのかを、子供たちに示していかなければなりません。
それがつまり「価値観の元になるもの」であり、修身教育です。
その修身教科書の末尾には、上に示した「よい日本人」があります。
この文が「よくない」というのであるならば、具体的にどこがどのように良くないのか、説明していただきたいものです。
冒頭に「天皇皇后両陛下を敬え」と書かれています。
それが良くないのでしょうか。
日本は、海外から見たら、誰がどう見ても、れっきとした君主国です。
しかもその君主国は、2千年以上の歴史を持つ世界最古の君主国です。
そしてその頂点にある天皇は政治権力を持たず、民衆を「おほみたから」とする国です。
これによって政治権力者が民衆を支配するのではなく、権力者が民衆を天皇から預かるという社会システムができあがります。
そうなることによって、我々日本人は、世界中のどの国も実現できなかった、「民衆の権力からの自由」を得てきたのです。
そのどこがいけないのでしょうか。
また「紀元節・天長節・明治節などの祝日のいわれをわきまえよ」とあります。
紀元節は2月11日の神武天皇即位の日
天長節は12月23日の今上陛下の御誕生日
明治節は11月3日の明治天皇の御誕生日です。
君主の誕生日を祝わない国など、あるのでしょうか。
あるのなら教えていただきたい。
現代日本以外に、そのような国は世界に皆無です。
しかも我が国の天皇は、我が国国民全員の共通のご先祖のなかの本家です。
つまり天皇は日本全国の各世帯の、本家の中の総本家です。
本家のお爺ちゃんのお誕生日を祝って、何が悪いのでしょうか。
「国旗を大切にせよ」とあります。
日本の国旗は、世界最古の日輪の国旗です。
軍国主義の象徴?
冗談じゃないです。
日本は世界で最も古くから平和と繁栄を実現してきた歴史を持つ国です。
不快感を持つ人もいる?
これまた冗談じゃないです。
そういう人もいるから、世界には国境というものがあるのです。
私など、日本の周辺にあるいくつかの国が大嫌いで、その国の国旗を見るだけで反吐がでます。
ですから絶対にそんな国には行きたくないし、そばに寄ってほしくもないし、日本に来てもらいたくない。
でも、その国の人にとっては、その国旗は栄えある国家の象徴です。
世界にはいろいろな価値観を持つ国がある。それで良いのだと思います。
「父母には孝行をつくし、先生をうやまい、学校を愛し、友達は仲良くして助け合い、近所の人には親切にすることが大切」以下の文は、社会道徳そのものです。
そのどこがどのようにいけないのか、説明していただきたいものです。
逆が良いのですか?
父母を嫌い、先生を嫌い、学校を嫌い、友達との交流を避け、近所の人とは付き合わないことが、社会を良くするのでしょうか。
そのような実例で成功した事例が、人類史上どこにあるのか、教えてもらいたいものです。
思うに、冒頭にある文面は、外国人が日本国籍を取得しようとする際には、必ず暗唱させ、これを守ると必ず誓約させるべきものと思います。
すでに日本人になっている者でも同じです。
もし違背すれば、即時日本国籍を剥奪し、国外に追放すべきものです。
それくらい、日本人として、人としてあたりまえのことが書かれている。
あたりまえのこと実践して生きるということは、実はたいへんに難しいことです。
しかし、すくなくとも、その心がけは、日本に住む日本人が常識として共有すべきものです。
お読みいただき、ありがとうございました。

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オメガ
日本財団ソーシャルイノベーションフォーラム始まる
小泉進次郎議員が基調講演
29日から30の分科会開く
各分野の第一線で活躍している専門家が一堂に会し、「にっぽんの将来」を議論し、実践する大型イベント「日本財団ソーシャルイノベーションフォーラム2016」が9月28日、東京・港区の虎ノ門ヒルズフォーラムで始まりました。
初日は笹川陽平・日本財団会長のあいさつに続いて、自民党若手のホープ・小泉進次郎衆院議員が基調講演を行いました。
「にっぽんの将来をつくる」とのタイトルで基調講演を行いました。
小泉議員は講演の中で、東日本大震災の復興政務官として全国を回り、地元の人たちから様々なことを学んだと前置きし、
「日本の最大の課題は人口の減少と少子化だが、いずれもすぐ解決する問題ではない。つまり、将来に悲観的な1億2千万人の社会を選ぶか、将来に楽観と自信を抱く6千万人の社会のどちらを選ぶかだ」
と語り、自信を持って改革に取り組むべきと呼びかけました。
http://blog.canpan.info/nfkouhou/archive/796
(この6千万人を削減すれば、残り6千万人の希望あふれる国になるっての、何か既視感あるなと思ったら、星新一の「生活維持省」ではないか。)
2018/09/24 URL 編集
はっちょもん
授業はクラス毎に学びますが、昼休みはHRの教室に集い昼食を食べながらHR活動をしました。
普通科、商業科、家政科、被服科の1~3年生を35HRに編成された組み合わせのメンバーがHR毎に合唱コンクールや遠足、学校祭、体育大会などの全ての学校行事に取り組んでいました。
先輩、後輩の隔たりがなく、面倒見のいい先輩に相談をしたり、進学、就職でも様々な意見交換が出来る雰囲気が素晴らしかった。
なかには就職先も先輩を頼って紹介してもらう人もいましたし、大学を選ぶのにも先輩から情報を得ることも出来ました。本当に「家族的」な学校生活でした。
これらも過去からの日本の伝統的なスタイルだと思います。
実社会に出てからもHR活動の経験が生かされて良かったです。
進学率向上の為にレクレーション的な時間が問題となり廃止されたのは残念でした。
縦割りホームルーム制(ウィキペディア)
1949年(昭和24年)から1994年3月まで縦割りホームルーム制を行っていた。縦割りホームルーム制とは、学科や学年の枠を取り払ったホームルームを編成し、学校生活の中心にするものである。旧制小浜中学、旧制小浜高女、旧制小浜水産、新制遠敷高校の4校を統合して発足した故に発生した生徒間の対立を緩和することが、縦割りホームルーム制導入の目的であった。
生徒・教師とも当初は縦割りホームルーム制の導入に戸惑い、定着後も存廃についてしばしば論争が起きた。ホームルームの団結を深めるための行事として、1950年(昭和25年)にホームキャンプと球技大会、1951年(昭和26年)に文化祭におけるホームデコレーションが行われるようになり、「ホーム雑誌」なるものも発行されるようになった。しかし、45年間続いた縦割りホームルーム制は1994年(平成6年)に職員会議で廃止が決定し、その歴史に幕を下ろした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E4%BA%95%E7%9C%8C%E7%AB%8B%E8%8B%A5%E7%8B%AD%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1
2018/09/23 URL 編集
papa
下部構造(=経済)における様々な工夫がそのまま上部構造(=文化)である時代だ。
2018年9月20日
https://twitter.com/masayachiba/status/1042967307104935936
2018/09/23 URL 編集
ゆき
国民学校4・5年生向け
九段下近くの、なんていう資料館か忘れましたが、そこで見ました
大陸と私たち
満州の子どもはからだも大きく、力も強く、蒙古人の子どもはかんげきする心が深く、またロシヤ人の子どもは、きまりのよい生活をします
これらの子どもたちと、日本の子どもはしっかり肩を組んで進まなければなりません。
満州国のおとなりは、支那です。
支那は、日本の十倍もある大きな国です。
(中略)
こんな廣い土地に生まれ育った支那の子どもは、心持もいつのまにか大きくなって、ゆったりとしています。
日本と支那とは、昔からゆききして、手をとりあってきました。
今、日本は大陸から南方へかけて東亜を新しく立てなおすために、勇ましく戦いもし、またあたたかくみちびきもしていますが、一日も早くいっしょに楽しく働くことができる日が来るのを願わずにはいられません。
こんなことを教科書に載せて子どもに教える国民が、本当に戦地で残虐の限りを尽くすわけがない、と
修身に感動しました
2018/09/22 URL 編集
ポッポ
良いことを丁寧に纏めて書いた教科書です。
ただし、日本では敗戦によって、正しいことの定義が変わってしまいました。
日本の憲法の出鱈目さが、最近は日本国民に認識されるようになったと思いますので、修身の教科書を今一度見直した上で、道徳の教科書として国民に教えても良いと思います。
次に、各教育機関の授業は平均的な早さで進めます。ですから、授業の早さは良く出来る生徒には遅く、今でも授業について行けない生徒には早すぎるのですが、良く出来る生徒にはその生徒の能力にあった授業を受けさせることが適切な教育だと思います。
戦後に廃止された飛び級制度は、今の日本に必要な制度だと思いますから復活させるべきだと思います。
日本の国には象徴として天皇がおられますが、その存在と共に国旗もその国の象徴となるものです。
今の日本には不思議な法律がありまして、
刑法第92条には(外国国章損壊等)第九十二条 外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者は、二年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する。
2 前項の罪は、外国政府の請求がなければ公訴を提起することができない。
とあります。そして、国旗及び国歌に関する法律には、国旗の毀損に対する罰則がありません。
しかし、韓国のこれに関する法律を見ますと、自国の国旗の毀損に対しては罰則がありますが、他国の国旗の毀損には罰則がありません。日本とは逆なのです。
可笑しいでしょう。
だから、日本や韓国のデモで、日本の国旗が踏みつけられ、燃やされても何もないのです。
日本は他国と同様に国旗及び国歌に関する法律と刑法第92条を改正して、国旗の毀損を防がなければならないと思います。
>思うに、冒頭にある文面は、外国人が日本国籍を取得しようとする際には、必ず暗唱させ、これを守ると必ず誓約させるべきものと思います。
その通りです。
違背した場合には、日本で刑法による処罰を執行した後に、日本国籍を剥奪し、国外に追放すべきものです。
2018/09/22 URL 編集
里の牛
日本人の品位が世界の常識にどれだけ影響を与えたことか。その現実を認めたくないアメリカや彼ら(大陸や半島)が、戦前教育を軍国主義と言って歴史を捻じ曲げ、それに同調する赤い人たちの手による「戦後教育」の成果?が今の日本の現状。教科書云々言ってる文科省の高級官僚からしてこのありさま。
「よい日本人」は「よい国」の根本であり、究極の国益であり国防であると思う。
2018/09/22 URL 編集