勾玉のお話



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20180929 勾玉
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縄文時代初期(約1万6500年前)からといわず、神武天皇の即位した約2700年前からだけでみても、日本人であれば、誰しもが共通のご先祖さまを何人も持っていることになります。
つまり、生粋の日本人なら、何十世代という尺度でみれば、みんな血のつながった親戚です。


最初に出した本が『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人!』で、2013年11月のことでした。
発刊から5年経ちますが、いまだにこの本はよく売れていて、Amazonのランキングでも3千位以内に入ることもしばしばです。
たいへんありがたいことであり、ご購入の皆様には心から感謝申し上げます。

この本は、ねずブロの過去記事の中から、特にアクセスの多かった記事を中心にセレクトし、さらに内容を強化し、文章も大幅にバージョンアップして刊行させていただきました。
出版当初、ねずさんを好まない人たちから、著者の自己購入も含めて3千部も売れれば御の字だみたいなことを言われましたが、発売前から万部単位のご注文をいただきました。

世の中は敗戦利得特権の日本人のような顔をして日本に住んで日本語を話す日本人でない人たちが、あたかも天下をとったような気で日本のまっとうな意識を潰そうと努力しているようですが、どっこい、そうはいきません。
日本人には日本人のDNAがしっかりと息づいています。

日本人は、縄文どころか旧石器の時代から、この日本列島といういわば自然災害の宝庫ともいえる環境の中で、互いに助け合い、和を大切にすることで生きのびてきたのです。
他人の財を奪って一時的な贅沢を手に入れても、自然の猛威によってまたたく間にすべてを奪われてしまいます。
災害は必ず起こる。
そのとき復興のために働くのは、まさに民衆であり、人々の団結であり、日頃からの人の和です。
そういう生活を、日本人は数万年の歳月に渡って続けてきたし、そうやって生きのびてきたし、そういうDNAを持った者しか、この日本列島では長くは生き残れないのです。

さて、この本のトップに入れたのが、今日ご紹介する「勾玉(まがたま)のお話」です。
いま読み返しても、温かみのある良い序文になっていると思います。

 ***

《序にかえて》勾玉のお話

▼係累の証(けいるいのあかし)

勾玉は、写真で見たり、学校で習ったりしてご存知の方も多いことと思います。
曲玉とも書きます。
『古事記』では「曲玉」、
『日本書紀』では「勾玉」です。

縄文時代の遺跡から多数出土しており、古いものになると一万年以上も昔の遺跡から出土しているものもあります。
また三千年前には、朝鮮半島へも伝播しています。

日本では長い歴史を持った品物ですが、もともとは縄文初期の頃の耳飾りが原型といわれています。
その後、古代日本の装身具か、祭祀に用いられたものとされています。

その勾玉について、こんな話を聞いたことがあります。

いまから二千七百年ほど前に神武天皇が初代天皇として日本を開国なさいましたが、天皇家は、それ以前に上方様(うわかたさま)と呼ばれた時代があって、これが約六千年続いたのだそうです。
その上方様の時代の天皇家は末子相続制で、子供たちの中でいちばん最後に生まれた男の子が、家を継ぐことになっていたのだそうです。

子だくさんの時代です。
たくさんいるお兄ちゃん、お姉ちゃんたちは、民間に降りて結婚し、一般の人々と血縁関係を結びました。
こうして人口が増えてくると、お兄ちゃん、お姉ちゃんたちの一部は、新しい土地を求めて土地を去って行きました。
そのときに、上方様の血族であるという証に、勾玉(まがたま)をもらっていったというのです。

勾玉は湾曲した石ですが、その湾曲した部分には、ご皇室の魂が宿るとされました。
去って行ったそれぞれの家族は、それを我が身の係累の「証」として大事な折には身につけることを伝統とした、というのです。

そうして何世代か経ると、それぞれ他国の土地に定着したお兄ちゃん、お姉ちゃんたちが、はじめはひとりふたりだったものが、幾世代を経て、何百人かの集落となります。
こうなると、同じ先祖を持つ親戚同士(村同士)でも何百年も交流がなくなることがあり、そういう村同士の間で、ある日、なんらかのトラブルが起きる。争いが始まろうとするわけです。

村同士の争い事ですから、これは一大事です。
村長さんは胸にご先祖伝来の勾玉を下げて、皆と一緒に出かけます。
そして敵の軍団と向かい合う。
するとなんと、相手の村長の胸にも、同じ勾玉が!

そこで、
「やあやあ、あなたも上方様のご一統ですか」
「ハイ、私は何代の○○様の時代にこの土地に来た者です」
「そうですか。私は何代の□□様の時代ですよ」
「それなら、お互い親戚ではありませんか。ならば戦いなどやめにして、一緒に酒でも酌み交わしましょう」
というわけで、争い事が避けられたのみならず、村同士の交流が深まり、互いに発展することができたのです。
要するに係累の「証」としての勾玉が、争い事を回避させ、村々の発展に寄与したというお話です。

私は、このお話を聞いたとき、なるほどなあと思いました。意外とそれが真実であったのかもしれない、そんな感じがしました。
記録もないはるか古代のお話ですし、その時代に生きていた当事者ではありませんから、実際にどうだったのかは分かりません。
しかし、イザナキノミコト、イザナミノミコトが天の浮き橋に立って、天の沼矛で海水をかき回して引き上げるときに、矛の先から滴った潮が積もり固まって日本列島になったといわれても、あまりに壮大すぎてなかなか理解できないけれど、神武天皇以前から天皇家が日本を統べる皇家であったというお話は、むしろとてもリアルな感じがします。

▼歴史から学ぶ日本人らしさ

縄文時代初期の頃の日本の人口は、日本列島全体でおよそ二万人程度であったろうといわれています。
その人たちの血は現代にまで延々と続いて、私たち日本人に受け継がれているわけです。
おおざっぱ大雑把な計算になりますが、一組のカップルから誕生した子孫は、約700年で1億2700万人になります(一世代25年、1.9倍の人口増加率の場合)。

ということは、縄文時代初期(約1万6500年前)からといわず、神武天皇の即位した約2700年前からだけでみても、日本人であれば、誰しもが共通のご先祖さまを何人も持っていることになります。
つまり、生粋の日本人なら、何十世代という尺度でみれば、みんな血のつながった親戚です。

そして勾玉の物語は、私たち日本人はみんなどこかで血がつながっていて、争いを避け、お互いに協力しあって生きてきたことを思い出させ、日本人はどうあるべきかを私たちに教えてくれているような気がします。

あたりまえのことですが、人でも国でも団体でも、平和なときはみんないい人です。
どんな悪人だって、ニコニコと談笑しているときはいい人になります。
同様に、世界中どこの都市に行っても、普段は同じようにお店が並び、若者がデートし、家族連れがいて、ビジネスマンがいて、普通にいい街です。

大切なのは、そこに災害や事故のような大きなストレスが加わったときに、人々や集団がどうなるかです。
いざというときには、人間の本性が出てしまいます。残念なことに海外などでは、災害時に略奪などの非人道的な行為が発生するのは珍しくないそうです。
東日本大震災は、その「いざというとき」に互いを思いやり、協力しあう日本人の素晴らしさを、あますことなく発現してくれました。

では、その日本的美質や、日本人らしさというのは、どこから来たのでしょうか?
答えは歴史の中から見出せる、私はそう考えています。
歴史を語るとき、常に歴史を批評・批判する人がいますが、私はそれは間違いだと思っています。
あたりまえですが、私たちは過去の歴史の当事者ではありません。その時代に生きていたわけでも、その場にいたわけでもありません。

それなのに、さもすべて見知っているかのように歴史を批評したり批判したりするなど、おこがましいことだと思うのです。
歴史は批評・批判するものではなく、「学ぶもの」だと思います。
歴史から謙虚に学ぼうという気持ちを持ったとき、歴史は私たちに、未来を築き、いまを生きるための素晴らしい智恵や勇気を次々と与えてくれるからです。

そういう意味で、この本がみなさんのお役に立てれば幸いです。



 ****

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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

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