おもしろいことに、オーウェルがこの本を書きあげた昭和19(1944)年2月当時は、まだ米英とソ連が連合国としての同盟国だったせいで、彼は数社の出版社から出版を断られています。
彼は、半年がかりであちこちの出版社に本を持ち歩き、ようやくこの年の8月になって、セッカー・アンド・ウォーバーグ社に出版を承諾してもらっています。
ところが昭和19年当時といえば、まだイギリスはドイツとの激戦を演じていた頃です。
国内は紙不足で出版しようにも紙がない。
結局、本が出されたのは、ようやく第二次世界大戦が終わった昭和20年8月のこととなりました。
ちなみにナチス・ドイツがソ連に攻め込んだのは、昭和16(1941)年6月22日のことです。
開戦当初は、ドイツの軍事力の前にソ連は連戦連敗です。
ソ連は全土をドイツ軍に蹂躙され、ついに首都モスクワも陥落寸前となるけれど、冬の到来で、かろうじて戦線が膠着化する。
歴史の教科書では、この後、昭和17年6月からはじまるスターリングラードの戦いで、ソ連がナチス・ドイツに圧勝し、これを転機にドイツ軍が潰走を重ねたと書いているけれど、ここには、重要な事実がひとつ書かれていません。
それがなにかというと、実は、ドイツ軍に押され、国家が壊滅の危機に陥ったソ連のスターリンが、米国に泣きついて115億ドル(当時のお金で約4兆1000億円)という途方もない巨額の戦費を借りた、という事実です。
当時の日本の国家予算が8000億円くらいです。
いまの貨幣価値に換算したら約50倍ですから、当時の4兆円というのは、いまのお金で200兆円という額になります。
要するにソ連は、いまの相場で言ったら、200兆円という巨額の戦費を米国から借り、このカネで軍装を整え、さらに米国から様々な軍事技術を導入させてもらって、ドイツ軍に対峙したわけです。
米国にしてみれば、ヨーロッパ戦線においてドイツが、ソ連を手中にすることは、自分たちが戦争に負けることを意味しました。
同時に、英国にしてみれば、米国を動かしてソ連を助けてドイツをやりこめない限り、もはや国家として生き残れない、風前の灯火状態にあったわけです。
ですから英国は米を動かそうと必死だったのです。
ただし、ソ連が借りたお金は、いわゆる軍事借款です。
借りたのであって、もらったわけではない。
つまり戦争が終われば、ソ連は米国にその200兆円を返さなければならないわけです。
それでソ連のスターリンがどうしたかというと、戦争が終わる直前に日本に攻め込み、米国と敵対関係を築いたわけです。
戦争当事国間では、借りた金は返されることはありません。
つまりソ連のスターリンは、要領よく米国からカネや軍備をせしめたあと、米国と敵対関係を築くことで、体よく借金を踏み倒したわけです。
そして結局戦後46年経った平成3(1991)年、このカネを踏み倒したままソ連は崩壊しました。
米国の貸した金は、全部、パアです。
要するに米国も、英国も、スターリンに体よく騙されたのです。
ちなみにこのとき、どうして米国が115億ドルという、途方もないカネを右から左にポンと出すことができたのかについては、実はそのカネはもともと日本のものであったという説があります。
明治維新の少し前、米国はハリスを使って日本との間に日米和親条約を締結しましたが、その細則のなかで、金銀の両替相場を固定制にしました。
これによって日本から大量の金(Gold)が米国に流出しました。
当時の日本は世界の金(Gold)のおよそ3分の1を持っていたというくらい、まさに黄金の国ジパングそのものだったのですが、この流出のために日本国内では流通する金でできた小判が不足となり、やむなく幕府は金の含有量を4分の1にした万延小判を発行するに至っています。
米国はその金を用いて、南北戦争を戦い、戦勝後に南軍が欧州から借りていた戦費を全額償還し、さらにアラスカを当時のロシアからキャッシュで買い、メキシコからアリゾナ州とニューメキシコ州を購入しています。
それでもなお、まだ米国大統領府の金庫には、大量の金塊が保存されていて、結局その残りの金を用いて、ソ連を助けたというわけです。
カネがあって、武装が完璧で、戦意もあれば、ふつう常識で考えてもソ連とドイツの戦いは、ソ連の勝利となります。
結局ドイツでは、昭和20(1945)年4月30日に、ベルリンでヒットラー総統が自殺し、5月2日にはソ連がベルリンを占領し、同月、ドイツは降伏しました。
ドイツを破ったあとも、そのために調達した戦費も軍装も、まるごと手元に残っていたソ連は、ヨーロッパ戦線にいた軍を、反転させて満洲や樺太に向かわせ、そこで日ソ中立条約を一方的に破棄して日本に攻め込んでいます。
戦いは、どちらかといえば、日本軍優勢だったとも言われています。
しかし日本は、ポツタム宣言を受け入れて、連合国に降伏する。
日本軍を武装解除させたソ連は、満洲国を建国した日本の技術者や労働者らを、施設や重機ごと、シベリアに連行し、給料も払わず、タダ働きで使役して、国土のインフラの整備をします。
だいたい、日本のいまの自衛隊の国家予算が、人件費こみで約4兆円です。
それを200兆円もGETしたのです。
当時のソ連にはカネはあった。
そして労働力は、日本人抑留者やドイツ軍抑留者を、タダ同然で使役し、また国内に必要なインフラは、まるごと満州から移設しています。
戦後間もない頃、ソ連は「人々が働かなくても○か年計画という計画経済で、国内のインフラが次々と整い、まさに理想国家を形成したと、さんざん宣伝していました。
また日本国内でも、当時の日本の左翼がさんざんソ連を持ち上げていました。
しかしインフラ整備にはお金がかかるものだし、誰かが働かなければ決して整うものではありません。
要するに他所の国から借りた金を返さず、捕虜を労働力として使役し、必要なインフラは他所の国から奪い取ってきて移設した。
そうすることで、一部の共産党の高級幹部だけが、かつての王侯貴族さえも及ばないであろうといえるだけの、贅沢三昧な暮らしをしていたという話です。
したがってかつてのソ連を一言で言うなら、ただの泥棒国家でしかありません。
理想社会が聞いてあきれますが、世界では、泥棒から泥棒しても、泥棒した者が勝ちです。
『アリババと40人の盗賊』は、貧乏なアリババが、40人の盗賊から金貨を奪って大金持ちになる物語ですが、要するに泥棒であれ何であれ、最後に金塊を手に入れた者が勝ちというのが、西洋の理屈です。
日本では、騙す人と騙される人がいたとき、騙した側が悪いとされますが、世界では、むしろ騙された側が悪いとするのが常識であるわけです。
従って、価値観も、真面目に働いてお金を稼いで、みんながそうやって稼いだお金で、みんなが幸せになれるようにみんなが協力しあって社会インフラの整備をすることが正しい人の生き方だとする日本と違い、世界では、カネのある奴から財を奪って大金持ちになることが、ドリームです。
ソ連における共産主義革命も、その意味では、共産主義思想という人々が助け合って生活するユートピアを求める思想を、カネと権力への欲望の塊のような連中が利用して民衆を扇動し、結果として自分たちだけが、この世のありとあらゆる贅沢三昧な暮らしを手に入れた革命であったということができます。
ちなみに、ロシア帝国が滅んで、ソ連が誕生したことで、行き場を失った(国にいたらブルジョアとして殺されます)旧帝政ロシアの旧貴族たちは、こぞって五族協和を目指した満洲国に流入しています。
おかげで旧満鉄の職員には、美しい帝政ロシア貴族の娘たちが数多く採用されていたのですが、満洲がソ連に蹂躙されたとき、その旧貴族の一家や娘たちがどのような運命をたどったのか、歴史家たちは、誰もそのことに言及しません。
どうなったのか気になっていたのですが、さすがは日本です。
ソ連が攻め込んでくるとわかったとき、彼ら帝政ロシアの人々を、なんと早々と上海経由でブラジルに逃しています。
そのブラジルに逃げた、かつて満州にいた帝政ロシアの人々と、ブラジルの日系人たちは、いまもたいへんに深い信頼関係で結ばれているのだそうです。
さて、冒頭に紹介したオーウェルの『動物農場』は、昭和20年には爆発的なベストセラーになり、昭和21年には全米でも発売されました。
そして米国政府は、昭和26年に『動物農場』を30ヶ国語以上の言語に翻訳して、これを世界に配布するための資金援助を行い、さらには、この年、「動物劇場」のアニメ映画の製作にまで出資しています。
アニメ版の「動物劇場」は、いまではDVDにもなっていて、たまにレンタルビデオ屋さんで、見かけることもあります。
『動物農場』では、民衆を扇動して支配者であった人間を追い払い、動物たちが自治政府を構築するのですが、内紛が絶えず、結果独裁者が現れて、反対派を皆殺しにする粛清が行われます。
こうした展開は、題材となったソ連のみならず、かつてのフランス革命でも起きていますし、Chinaで共産党が政権を取ったあとにも、また韓国が成立した頃の李承晩も、同じことをしていますし、歴史を振り返ってみれば、世界の歴史の中に登場する王国の多くが、実はまったく同じ展開となっていることに気付きます。
なぜそのようなことになるのかといえば、現在の政権が気に入らないからと、武力を用いて新たな政権を築いたとしても、武力で奪った政権は、武力が強い者が政権を担うということを歴史にしてしまっているわけです。
ですから、より強い武力を持つ者が現れれば、それによって滅ぼされる。
はじめの一歩が、政権の運命を決定づけてしまうのです。
そこで日本を振り返ってみます。
日本は、嘉永六年(1853年)の黒船来航以来、欧米列強に追いつき追い越せの富国強兵政策を行い、88年後の昭和16年には、世界の植民地支配を相手にたいへんな戦争を戦いました。
そして世界中から、植民地支配を無くしました。
これは実に画期的なことで、なにしろ500年続いた植民地支配を終わらせたのです。
すごいことです。
しかし、実はその戦いはまだ続いているように思うのです。
どういうことかというと、なるほど日本は大東亜の戦いを戦い、世界中から植民地支配を一掃しましたが、もし、それで日本がその戦いの勝者となっていたら、日本は、武力によって世界の植民地支配を終わらせたのではなく、新たな支配者となっていたであろうと思えるのです。
つまり、日本が勝って植民地支配を終わらせたのなら、それは日本側にその気があろうがなかろうが、すくなくとも外形的には、単に植民地の支配者が代わったにすぎないことになるのです。
ところが日本は戦いに負けました。
この負けは、実に複雑な負けで、植民地支配を終わらせるという戦争目的を達成して、戦(いくさ)には負けたわけです。
厳密には、負けたというよりも、自ら矛をおさめたという方が正しいとは思いますが、そうはいっても本土が焼土と化したのは事実のわけです。
ところがこの戦いの結果として、500年続いた植民地支配は終わりました。
そして日本は、未曾有の平和と繁栄の戦後73年間を過ごしました。
つまり日本はここで、実は戦いによって植民地支配を終わらせながら、戦いによる勝利をしていない、という不思議な形になっているわけです。
そうすると『動物農場』のように、武力によって権力を奪ったということになりません。
つまり日本の勝利は、『動物農場』のような「動物主義」に基づく「動物農場」も出来ず、その後の動物たちの間の不和や争いも起こらず、指導者が独裁者となって恐怖政治を行なうことにもならない。
つまり日本が切り開いた道は、これまで人類社会が経験してきた『動物農場』のような形とは、まったく別な新しい時代です。
上に立つ者が、恐怖政治を行って下を従えるのではなく、下にある民衆が豊かに安全に安心して暮らせることを第一とする。
そういう、これまでの500年間支配的だった・・・というより、もしかすると人類社会が6千年位の間、ずっと繰り返してきた『動物農場』を、日本は、まったく別な人類社会を提案し、それを実現してきているといえるのです。
そうはいっても、人類社会のなかには、いまなお、武力と権力によって他を支配しようとする国や人があります。
そうしたものと、日本はこれから、干戈を交えずに、まったく異なる新たな世界を切り開いていく。
そういう役割と使命を、いま日本は背負っているといえるのではないか。
そのように思えるのです。
お読みいただき、ありがとうございました。

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コメント
えっちゃん
本の紹介から始まり、昭和17年6月からはじまるスターリングラードの戦いの歴史の教科書の記述、その裏にある巨額の戦費、日本からの大量の金が米国に、、、、その流れを俯瞰してみると、「干戈を交えずに、まったく異なる新たな世界を切り開いていく。そういう役割と使命を、いま日本は背負っているといえるのではないか。」とても腑に落ちるお話です。 開発した原爆を使わず、原爆を2度も経験し、多額のODAを、税金を上げたり、年金支給を先送りしたりしながら、発展途上国に使う日本という国。多くの素晴らしい先人のことをねずさんのブログで知りました。このような人々が生まれる日本は、役割と使命を背負っている国だあろうと思います。
2018/10/04 URL 編集