国境のなかった時代



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20181009 領土領海
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画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)


倭種(倭人)と呼ばれる人たちは、背が低い(男性で130cm,女性120cmくらい)ことが特徴で、偉大な人というのは、大きな身長の人(偉大な人=大きな人)として描かれますが、探してみると、世界中に背の低い小さな人が海からやってきて、高い文明をもたらしたといった伝説や神話がたくさん転がっています。
それらが倭種(倭人)たちであったのかもしれないのです。


【お知らせ】
<東京・倭塾、百人一首塾他>
東京の倭塾・百人一首塾は10月から会場がタワーホール船堀に変更になります。
10月8日(月)13:30 第55回 倭塾 研修室 1330-160
10月27日(土)18:00 第30回 百人一首塾 407会議室
11月13日(火)18:00 第31回 百人一首塾 307会議室
11月25日(日)18:00 第56回 倭塾 研修室
12月6日(木)18:00 第32回 百人一首塾 301会議室
12月24日(月)13:30 第57回 倭塾 研修室
<関西・倭塾>
8月10日(金)19:00 倭塾・関西 第一回 (IK歴史勉強会 十七条憲法と創生の神々)
9月9日(日)14:00 倭塾・関西 第二回 (IK歴史勉強会 イザナギ・イザナミと古代の朝鮮半島情勢)
10月19日(金)19:00 倭塾・関西 第三回 (IK歴史勉強会 大航海時代と大国主)
11月9日(金)19:00 倭塾・関西 第四回 (IK歴史勉強会 唐の皇帝と日本の天皇)
12月8日(土)14:00 倭塾・関西 第五回 (IK歴史勉強会 稲作の歴史と古墳のお話)
<国内研修>
12月16日(日)~17日(月) 一泊二日 神話を体感する会
11月の倭塾関西の日程が11月11日(日)から、11月9日(金)19時に変更になっていますのでご注意ください。


国号として日本という名前が公式に表示されたのは、比較的新しい出来事で持統天皇が689年に発せられた飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)です。
それより以前は、外国では倭国、我が国では葦原中国(あしはらのなかつくに)、または大倭(おほやまと)です。

もともと大昔には、世界に国境などありません。
従って、倭人たちが入植しているところが倭国で、魏志倭人伝、梁書などによると、倭種が住む国は、日本から遠く海を1年渡った先まで、倭種の国であったと書かれています。
それがどこの国を指すのか、明確な答えはありません。
しかし複数の証拠が、その地を南米のエクアドルかペルーあたりであったことを示しています。

これが何を意味しているかと言うと、今のような国境など存在しなかった時代、海洋国家日本にとっての葦原中国は、いまでいう世界を意味していたということです。
だからオノゴロ島は地球を意味するし、大倭は巨大な地球に対して小さな人々という意味の言葉になるわけです。

天皇という呼称は608年の隋への国書には「東天皇敬白西皇帝」という記述があり、仮にその記述が720年に成立した日本書紀にしかないとしても、607年の「法隆寺金堂薬師如来像光背銘」には既に「池辺大宮治天下天皇」の記述があり「天皇」の用語が用いられているわけです。

さらに「野中寺彌勒思惟像台座銘」に用いられています。
文面は以下のとおりです。
「丙寅年四月大旧八日癸卯
 開記橘寺智識之等詣
 中宮天皇大御身労坐之時
 誓願之奉彌勒御像也友等
 人数一百十八
 是依六道四生人等
 此教可相之也」
意味は、666年4月に、斉明天皇のご健康のために118名で開眼供養した、というもので、ここに「中宮天皇」という記述が見て取れます。

つまり天皇という呼称は、607年〜666年の間には既に用いられていたわけで、日本という国号が用いられたのが冒頭に記しましたように689年ですから、天皇は、実は日本よりも古いご存在だということになります。
要するに日本は、天皇あっての日本なのです。


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では、なぜ大倭や中つ国を日本に改めたのかというと、これには663年の白村江の戦いにおける敗戦が影響しています。
このときに日本は朝鮮半島における権益を失い、さらに事後に唐が日本本土に攻め込んでくるという情報(唐は実際にその計画をしていました)がありました。
日本は、どうしても国内を豪族たちのゆるやかな集合体から、統一国家へと国の体制を改めなければならなかったのです。

西暦600年代というのは7世紀です。
日本は、この7世紀の大改革とともに、もう一つ外圧によって19世紀に大改革を行っています。それが明治維新です。
7世紀の大改革では、全国が緩やかな豪族たちの集合体という国の形を改め、統一国家を形成しています。
19世紀の明治維新もまた、徳川幕藩体制を改めて統一国家を形成しています。

同じことが二度繰り返されたわけです。
そしてこの二度とも、そこで合言葉になったのが「神武創業に還れ」です。
我が国は神武天皇によって統一国家を形成していますが、その創業に還ることが統一国家への道となっていたのです。

その7世紀の大化の改新によって日本は独自の元号を用いるようになって独立国家であることを内外に示すとともに、全国各地に中央から国司を派遣するようになりました。
そうなると、国司が赴任できる範囲が日本となります。
この後、東北地方や北海道まで順次日本国に組み入れられていくのですが、実は、いまの日本が日本列島とその近海に浮かぶ島嶼になったのは、ここからのことになります。

つまりそれまでは、倭種(倭人)たちが入植しているエリアが、そのまま倭国だったわけです。
世界史などの図版本を見ると、あたかも古代から世界中の諸国には国境があったかのような図が描かれていますが、西洋にせよ東洋にせよ、それぞれの王国というのは、国王のいる王城とその周辺が王国なのであって、そこから離れれば離れるほど、王の支配は弱まり、どこの国の所有するエリアか判然としなかったのです。
これはいってみれば、いまどきのヤクザさんの「シマ」と同じで、○○通り商店街は、どこそこの組のシマだというけれど、ではその商店街の周辺にある住宅街の人々が、自分たちは○○組の被支配地にあると認識しているかというと、そんなことはありません。

まして、いまよりずっと人口の少なかった時代のことです。
国境など存在しなかったし、まして日本は海洋国家であって、島から島へと自在に往来していたのです。
どこからどこまでが倭種倭人の国であるのかといわれれば、倭人たちが住んでいて、その住んでいる人々に、自分たちは倭人であるという自覚があるところが、倭人の国であったのであって、むしろそれは遠くアフリカから、北米、南米まで、広大な地域に倭人たちが入植していたわけです。

入植と書くと、現地の人たちを支配していた、植民地化していたかのような錯覚を持たれるかもしれませんが、先程も申し上げましたように、いまよりずっと人口が少ない時代のことです。
ポリネシア地方の島々は、ほとんど人が住んでいなかったし、大陸にしても、人はまばらです。
いまの日本人の様子からしても、仮に現地の人に出会ったとしても、そのことをもって征服したとか、支配したとかいうことは、およそ考えられません。
むしろ現地の人々と同化し、現地の人々に農業や漁業、あるいは船の作り方や航海術などを指導することで、現地の人達に喜ばれ、歓迎されていたとみるべきことであると思います。

世界には、背の低い小さな人がやってきて、たいへんに高い文化をもたらしたといった伝説が各所に残っていますが、もともと倭人というのは、身長が男子で130〜140cmくらい、女子で120〜130cmくらいでした。
戦時中頃には、日本人の体格もずいぶんと良くなりましたが、それでも当時の男性の平均身長は155cmくらいです。

ミトコンドリアDNAの解析では、1986年春、米国のフロリダで発見されたミイラ化したヒトの脳細胞から抽出した細胞が日本人と共通するタイプの配列だったし、埼玉県浦和で発掘された縄文人の頭骨のミトコンドリアDNAは、マレー人、インドネシア人と一致したという調査結果があります。

また、ATLウィルスは、白血病を引き起こすウイルスですが、このウイルスのキャリアは、日本列島に最も多く、北米や南米、インドネシア、インド、アフリカ、東ヨーロッパにまで広がりを見せています。

他にも例えば日本語の語順は、「私は(S) 狩りに(0) 行きます(V)」と、主語(S)、目的語(O)、動詞(V)の順、つまり「SOV式」で、英語などヨーロッパの言語は「SVO」の語順ですが、モンゴルからChina、インド、北米南米のインデアン、オーストラリアの原住民などの言語の語順は日本と同じ「SOV式」です。

要するに国境など、まだなかった時代には、日本人は海洋を自由に往来し、世界中に入植していたと考えられるわけです。

日本人がいたところが日本だったと言いたいのではありません。
そうではなくて、国境などまだなかった時代に、日本人は広く世界に広がっていたという、その事実のことを申し上げています。

つまり大昔は、日本の領土がどこからどこまでという認識はなくて、単に倭種倭人がいて、日本の中央にあたる天皇の御在所と交流を持っていたところが、倭種のエリアだったわけです。
それが大化の改新後に、意図して日本を狭いエリアにして、国境をあらためて引いたわけです。

時代はずっと後になりますが、戦国時代頃には、山田長政が活躍したシャム(現在のタイ)の日本人町は、14世紀中ごろから18世紀頃までおよそ8千人の日本人たちが暮らしていました。
スペインにも、日本人町があり、いまも、日本人の顔をした人たちが暮らしています。
そしていまも、実は日本は、海洋面積を含めると196国中、9番目に広い領土領海を保有しています。

要するに、日本人に限ったことではありませんが、たとえばアラビア商人は、古代と呼ばれる遠い昔から、シルクロードをはるばる旅して、ユーラシア大陸の東側までやってきていたわけです。
人は、動く動物なのですから、何千年、何万年という歴史を考えるときには、ひとつの民族が、その場所に固定されていてどこにも行かなかったと考えるほうが、むしろおかしいし、まして国境なんてなかった時代がかつてはあったのです。

なかでも倭種(倭人)と呼ばれる人たちは、背が低い(男性で130cm,女性120cmくらい)ことが特徴で、偉大な人というのは、大きな身長の人(偉大な人=大きな人)として描かれますが、探してみると、世界中に背の低い小さな人が海からやってきて、高い文明をもたらしたといった伝説や神話がたくさん転がっています。
それらが倭種(倭人)たちであったのかもしれないのです。

お読みいただき、ありがとうございました。

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コメント

川田

いつもお世話になっております。
私達の御先祖様が世界に赴かれて幸せを共有
されたなんて、御先祖が羨ましく思います。
自身の行いで人が喜んでくれると、自分も
嬉しくなります(ふと…生業とは異なる)。

疑問

強いて言えば、縄文人は、日本列島で混血して「縄文人」になった。
中国の文献における「倭種」が何を指すのかは分かりません。
渡来系弥生人を指すのか、縄文人を指すのか、それらをひっくるめて指すのか。

ただ、縄文人は、北方系とも南方系とも言えず、後期旧石器時代に日本列島に移住した人々が、何千年もの間にゴチャゴチャに混血して「縄文人」になったというのが今分かっている事の全てだそうです。(今のところ、それぐらいしか分からない。)

縄文人の核ゲノムから歴史を読み解く
http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/087/research/1.html

7月9日:東南アジア民族の形成:日本の縄文人も含む(7月6日号Science掲載論文)
http://aasj.jp/news/watch/8656

えっちゃん

No title
今日も、ありがとうございます。
昨日(10月8日)倭塾に参加させて頂き、「秩序と差別を考える」というお話を伺いました。”秩””序”という文字の意味から始まり、国際秩序体制、国際法体制、国連秩序体制とお話が続き、難しいけれど、楽しかったです。国連秩序体制について、「多くの人が誤解している」とお話されていましたが、○十年前の、社会の授業を思い出してみると、世界平和を目指してできた機関であるんだという記憶。なになに、、敵国は侵略国の(日本、ドイツ、ルーマニア、ハンガリー)!!! 何それ! 知らなかった! その記述が教科書にあったら、強烈な記憶にあるはず。教えるのが怖いから先生は、飛ばしていたのか、知らないのか? 今となっては分かりませんが。自由社の「新しい歴史教科書」には、p256に、歴史の言葉として、「国際連合は、日本はドイツなど枢軸国側を牽制する 旧敵国条項 が今も残っている」とありました。きちんとした教科書で、正しいことを知り、日本人として誇りを持って生きることができようにしていきたいと思いました。

疑問

日本人のルーツを調べる研究者たち
>倭種(倭人)と呼ばれる人たちは、背が低い(男性で130cm,女性120cmくらい)ことが特徴

縄文人の成人男性の平均身長が160センチ弱(正確に測るともっと高いという説もあります。)、女性が150センチ弱ぐらいで、肉食が控えられた江戸時代の男女の平均身長よりも少し高いぐらいですから、「倭」という言葉は、必ずしも「低身長」を意味したのではないかも知れません。

ところで、今後数年かけて、非常に大掛かりな、日本人のルーツを探る研究が始まるようです。
国立遺伝学研究所や国立歴史民俗博物館など複数の研究機関の研究者が協力して、古代人や現代人の遺伝子調査がおこなうようです。

研究概要
http://yaponesian.org/

実はこのチームの中に、「私は典型的な『渡来系弥生人顔』と言われている。韓国へ行くと韓国人に間違えらる。」と自慢するなど、渡来系弥生人と現代韓国人を完全に同一視している「親韓」の先生もいるようです。(全員ではない)
以前は、今よりも客観的で慎重な主張を展開していましたが、偉くなるにつれて開き直り?、「大陸推し」や「半島推し」が目に見える形で露骨になり、リベラルな学者達でさえ、その‶異様な熱気”にドン引きするほどだそうで、少し心配。
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

講演のご依頼について

最低3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。
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E-mail info@musubi-ac.com
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