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言葉というのは、たいせつなものです。
日本語は、多様な文化を採り入れるのに際して、とても適した言語ですけれど、もとからの日本語の言葉の意味をしっかりとわきまえていないと、とんでもなくアコギな連中に引っかかってしまいます。
そういう意味で、日本人が日本語をしっかりと取り戻していくことが、日本を取り戻すための基礎になるのではないかと思っています。
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)よく「夢を実現する」とか「夢をかなえる」といいますが、現代日本人にとって、「夢」というのは、どのような意味を持っているのでしょうか。
英語で夢は「Dream」ですが、語源は古サクソン語の「drōm」で、「よろこび、楽しみ」を意味する言葉が由来です。
アメリカ映画などで、よく「夢をかなえる」などと言いますが、それは語感としては「自分が楽しみにしている希望を実現することでよろこびを得る」という語感があるわけです。
戦後は、なんでもかんでもアメリカさんの真似をすることが流行(はや)りですから、米国人なみに「君の夢を実現しよう!!」などと言われると、ついその気になってしまう人も結構あるようですが、では、日本語の「夢」には、どのような意味があるのでしょうか。
まず漢字の「夢」は、「くさかんむり」の下に「目」を横にした字(これを横目といいます)があり、その下に「夜」という字の省略形があります。
つまり夜は暗いので、草の一本一本がよく見えない・・・というわけで、なんとなくボヤ〜ッとしていて、よくわからないものが「夢」です。
眠っている間に見る夢は、観ているときははっきりしているつもりでも、目が覚めたら忘れてしまう。
だから人が見る夢は「にんべん」に「夢」で、「儚(はかな)い」という漢字になります。
要するに、漢字の意味としては、「夢」は消えてしまうものなのです。
この点が英語の「Dream」と異なるところです。
なにせ消えてしまうものなのです。
「よろこび」が消えてしまったら、さびしいです。
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私達の祖先は、その「ゆめ」に、「夢」という漢字を後から輸入して当てたわけです。
(日本語の漢字に音読みと訓読みがあるのは、もとからの日本語(大和言葉)が先にあって、あとから漢字を輸入したことによります)
では、日本語の「ゆめ」はどのような意味を持つ言葉なのでしょうか。
カタカムナによれば「ゆ」は湧き出るもの、「め」は思考や思念の萌芽を意味します。
この二つが組み合わさって「ゆめ」は「萌え出る思考や思念」を意味します。
ホツマツタへでは「ゆ」は跳ねて登っていくもの、「め」は液体に何かを加えることを意味するのだそうで、「ゆめ」というのは、「何かの力がはたらくことで登っていく」、あるいは「魂がどこかに登っていくことで何かを得る」ことを意味することになります。
私達日本人は、意外と夢を本気にしているところがあって、夢で観たことに恐怖したり、喜んだり、あるいは天の啓示のようなものを感じ取ったりします。
つまり「夢」は、なるほど漢字的な意味で消えてしまうものではあるけれど、ただ消えてしまうものではなくて、何かそこに啓示のようなものを感じ取ったり、萌えるものを感じたりしているわけです。
小野小町に有名な次の歌があります。
思ひつつ 寝(ぬ)ればや人の 見えつらむ
ゆめと知りせば さめざらましを
(あの人のことを思いながら寝たならば、夢にあの人は出てくるのでしょうか。
夢だと知らないまま、そのまま目を覚まさずにいたかったわ)
この歌のおもしろいところは、彼女は夢の中の世界で大好きな人と逢っていて、彼女は夢の中の世界を(仮想)現実としているわけです。
ところが目が覚めてしまえば、「あれはゆめだった」とわかる。
だから恋しくて「ゆめと知らないまま、もっとずっと逢っていたかった」と詠んでいます。
つまり、ゆめの中の世界を、漢字圏の文化のように、ただ消えてしまうものと認識しているのではなく、そこにリアリティを見出しているわけです。
このことはむしろ英語圏のような、よろこびや楽しみを見出していることに近い語感があります。
実におもしろいと思います。
小野小町には次の歌もあります。
こちらはより鮮明です。
うたた寝に 恋しき人を 見てしより
ゆめてふものは 頼みそめてき
(うたた寝に恋しい人を見たあの日から、ゆめというものを頼りにしはじめましたわ)
ここではゆめの中の世界、つまり仮想現実の世界を、自分にとっての現実の世界にしてしまいましたわ、と詠んでいるわけです。
まさに「ゆめによろこびや楽しみを感じている」わけです。
近年ではプレイステーションや、任天堂、スマホなどのゲームに「バーチャル・リアリティの世界」があります。
画像がアニメチックなものもありますが、モンスターハンターのように絵柄がたいへんにリアルなものもあって、そこでは、非力な少年が筋骨たくましい青年となり、あるいはナイスボディの美女となって、大きな平原を渡り歩きます。
ゲームの世界に夢中になって入り込み、いつしか時間を忘れている現代人は、もしかすると「ゆめてふものは 頼みそめてき」と詠んだ小野小町と同じ世界にいるのかもしれません。
それでもゲームの世界(仮想現実の世界)は、あくまで仮想現実の世界でしかありません。
ですから英語圏のような語法で、「夢を叶えよう」と言われると、どこか日本人は違和感を覚えます。
なぜなら「夢は夢でしかないものだ」ということを、誰もが自覚しているからです。
けれど仮想現実で起きたことを、心の支えにすることはできます。
自分の希望を心の支えにして、心の中心に置いて今日を頑張る。
英語の場合は違います。
「ドリームを叶えよう」という言葉は、「自分が抱く希望を叶えよう」という言葉と同一の語彙ですから、そこでいう「ドリーム」は、どこまでも現実世界にあるわけです。
だからそのまま夢の実現のために努力することになります。
China漢字では、現実でも仮想でもなく「消えてしまうもの」ですから、消えるとわかって努力するのは無駄なことですから、そのような漢字圏文化の人たちが、メディアなどで日本国民に「夢をかなえよう!」と呼びかけるときは注意が必要です。
なぜなら彼らは、そのような夢がかなうはずもないし、かなえさせてあげようという気もないことが多いからです。
もろくも消えてしまうものに向かって、誤った誘導を仕掛けるとき、彼らは日本人に「夢をかなえよう」、「夢を実現させよう」と呼びかけます。
つまり「騙し」ですが、「騙す人より、騙される人が悪い」と考えるのが彼らの文化です。
言葉というのは、たいせつなものです。
日本語は、多様な文化を採り入れるのに際して、とても適した言語ですけれど、もとからの日本語の言葉の意味をしっかりとわきまえていないと、とんでもなくアコギな連中に引っかかってしまいます。
そういう意味で、日本人が日本語をしっかりと取り戻していくことが、日本を取り戻すための基礎になるのではないかと思っています。
お読みいただき、ありがとうございました。

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コメント
岡義雄
ありがとうございます。早速シェアさせていただきました。
日本語は難しいですね! 本当の意味を知ることは日本を知る事。
小学校からしっかり教えるべきだと思います。
音読み、訓読みの意味も知らず、存在する事だけ知らされて、
コケにされている気分です。
2018/11/21 URL 編集