当時の旅は、宿泊用具から旅の途中の食料まで、すべてを持参しなければならない旅ですから、当然のことですが、旅行者は常に団体です。
そしてその団体が、城塞都市から城塞都市へと移動する際には、都度、城塞都市に入城するための入城税が必要でした。
もともとはその入城税は、城塞都市によってまちまちでしたし、旅人と城の側の力関係によっても都度支払額が変わるものでしたし、欲の深い門番がいれば、その門番への賄賂としての税も支払わなければならないようなものでした。
税といっても、当時の世界に世界共通通貨があったわけではありません。
強いて言えば金銀がその通貨の代わりになっていましたが、そもそもが物々交換の時代です。
金銀以外にも、織物や壺などの物産品、牛や羊などの家畜、あるいは食料や塩などが、対価(通行税)として取られるものであったわけです。
この時代の大陸は、簡単に言えば、そこに住んでいれば、骨の髄まで城兵やヤクザ者に何もかも奪われてしまう時代です。
ですから人々は、ある程度の利益を得たならば、そこで得た利益を持って、他所の土地に逃げ出す人たちも多かったわけです。
要するに、これは今、世界を悩ませている移民と同じです。
そして移民は、みんな金銀や生活物資を持って移動しますから、それを奪うことが、それぞれの城塞都市にとっての大きな収入財源ともなっていたわけです。
けれどもそれでは産業が育ちませんし、城塞間の商業も育ちません。
そこで元は通行税を世界全体を一括定率とし、すべて「鈔(しょう)」と呼ばれる通行証で支払うことができるという仕組みを作りました。
つまり通行証である「鈔(しょう)」をあらかじめ買って持っていれば、元の大帝国の中ならば、どこにでも自由に往来できるし、通行税も「鈔(しょう)」で支払うことができるとしたのです。
そして「鈔(しょう)」は、元王朝に申し出れば、いつにても金銀と交換してもらえるという兌換性を元が保証しました。
これが実は兌換紙幣の事始めになります。
ところが金銀だけですと、不足を生じることがあります。
そこで元は、「鈔(しょう)」を塩とも交換できることにしました。
塩は人々の生活に欠かすことができないものですし、しかも絶えず生産され続けるものでもあるからです。
これによって「鈔(しょう)」は、絶対に金銀や塩と交換できる財としての地位を確立していったわけです。
こうして「鈔(しょう)」は、ペーパーマネー(紙幣)として、はじめて国際通貨としての地位を獲得します。
ちなみにその紙幣のことを、Chinaではいまでも「gen(=元)」と呼び、日本では「enn(=円)」、半島では「ウォン」と呼びますが、それらの呼び名は、すべて、もともとは元が築いた通貨制度から生まれています。
ちなみにドルは、もともとチェコの銀山で作られた銀貨を「ターレル」と呼ぶようになったことに由来し、そこからスペイン語の「ドレラ」が生まれ、米国の「ドル」という名称が生まれたとされていますが、ではどうしてチェコの銀山で、銀貨のことを「ターレル」と呼んだのかというと、タタール(モンゴル)の「鈔(しょう)」と交換してもらえる銀だから、ということが理由とされています。
少し余計なことを書くと、円も元もウオンも、すべてもともとは元の通貨の呼称が母体となってるために、字は違っていても、同じような発音の通貨になっています。
けれども、日本に昔あった両(小判などの単位)や、英国のポンド、メキシコのペソ、タイのバーツなどは、もともと重さの単位から生まれた用語です。
たとえば英国のポンドは、もともとはパンを作る小麦の重量の単位(重さの単位)が交換価値となったものですし、日本の両も、もともとは米1俵の値段です。
要するに元の支配を受けなかったところは、本来もともとは元や円やドルなどとは違う、まったく別な、それぞれの国の伝統に基づく通貨単位を持っていたのです。
後の世にそれほどまでの影響力を持った元の通貨ですが、実はこうした元帝国による経済革命(これは革命と言ってよいほど大きな出来事です)が、その後の世界を築く要因となりました。
通行税である「鈔(しょう)」は、それぞれの都市に徐々に蓄積されていきます。
そして都市間には、それぞれに貸し借りの関係が発生します。
これを取り持つために、元の時代に銀行屋が生まれるのです。
この為替屋の仕事は、元王朝が勢力を弱めた後も、ずっと続きました。
そしてユーラシア大陸にあるすべての城塞間の金融決済を請け負う銀行屋は、常に巨額のお金を預かり、扱うようになりました。
それらのお金は、もともとは他人のお金を、城塞間決済のために預かっているだけのものです。
けれども、そうした決済が連日行われれば、常に懐には大量のお金がストックされることになります。
そのお金は(繰り返しになりますが)他人のお金ですけれど、これを増やすことができれば、その増えた分は自分のお金になります。
これを勧奨したのが、いわゆる投資屋です。
元が勢力を弱めた頃、代わって地中海に勢力を持つようになったのがオスマン・トルコです。
オスマン・トルコの勢力は、この時代の地中海を覆い、地中海交易はすべてオスマンに支配されるようになりました。
このオスマントルコのもとで、元の時代にあった金融為替屋をはじめたのが、いまのユダヤ系資本家と呼ばれる人たちです。
ユダヤ人達は、国土を持たず、ヨーロッパでどこの国にあっても少数民族です。
しかもその国の言葉がわかり、同時に世界に散らばっている同じユダヤ人通しで言葉が通じます。
アジア系民族であるトルコが、白人国家を支配するには、ユダヤ系資本はたいへんに扱いやすい人たちであったわけです。
この頃、そうした地中海交易圏から弾き飛ばされていたのがスペイン、ポルトガルでした。
スペインもポルトガルも、どちらも地中海交易で儲けていたのですが、その地中海交易がオスマン・トルコによって支配されてしまったわけです。
一方、北海やバルト海域では、相変わらず北欧の海賊であるバイキングたちが、強い勢力を持っています。
とてもじゃないけれど、スペインもポルトガルも、そんな危険な北海領域では商売ができない。
そこに目を付けたのが、投資顧問屋たちです。
彼らは、ユダヤ系資本家に資金を出してもらい、その資金でスペインやポルトガルで仕事にあぶれた船長を雇い、船と資金を出す代わりに、アフリカ方面に進出して、土地の原住民たちから財宝を持って帰るように誘われるのです。
海洋探検ですから、船が転覆すれば、すべての投資がパアになります。
けれど、成功すれば、元手が何倍にもなって戻ってくる。
こうしてスペイン人やポルトガル人たちによる世界への海賊進出が始まります。
そして世界は植民地時代に至る。
ところが英国の産業革命によって消費財の大量生産が始まると、あふれた品物の販売先が必要になります。
そして英仏戦争に勝利した英国が力を持つようになります。
海賊ならば、力によって抑える必要がありますから、王権という軍事力を持つ政治制度は資本家や投資屋たちにとっても意味がある存在です。
けれど産業革命によって、民間の力が増してくると、むしろ王権そのものが邪魔になってくる。
とりわけフランスでは、ルイ14世の時代に、王室がたいへんな贅沢三昧をしたことによって、王室の財力そのものが弱化していました。
そこで起きたのが、英国における権利の請願であり、フランスの市民革命です。
とりわけフランスの市民革命からナポレオンのヨーロッパ遠征まで、たいへんな量の軍事物資が動いたため、その物資を受け持つ人たちへの投資は、たいへんな利益を投資屋や資本家たちにもたらしました。
するともっと世の中が混乱して、戦時物資への要求が高まれば、さらに巨利を得ることができるようなります。
そこで社会の混乱と革命を標榜する共産主義者たちにカネや武器を与え、彼らに暴れ回らせる。
彼らが暴れまわれば、それを鎮圧する側にも軍事物資が必要になります。
こうして、金融屋や投資屋たちは、さらに大儲けができるようなりました。
一方、東洋には日本という黄金の国がありました。
なんと世界の3分の1の金を保有している大国です。
そこで、なんとかして日本を騙して、その金を放出させることにしました。
彼らは見事にそれに成功しますが、その一方で日本は強力な軍事力を身につけることになりました。
そしてあろうことか、彼らの所有する植民地を開放せよとまで言い出したわけです。
日本が邪魔になった彼らは、日本を国際連盟からも追い出して孤立させ、経済封鎖まで行って日本を戦争に追い込み、日本を破壊しようとしました。
国土も破壊し、高級官僚を裁判にかけ、公職にある23万人を追い出し、教育制度を破壊し、経済においても日本の円の値打ちを100分の1にするという強引な方法まで用いて完膚なきまでに破壊したはずの日本は、ふたたび復活して世界第二位の経済大国にまでなってしまいます。
そこで1ドル360円の相場を、プラザ合意で280円にし、さらに100円前後にまでしてしまうという離れ業をするのですが、それでも日本は再起三起してくる。
これは彼らの歴史にはありえないことでもあったわけです。
なぜ日本は、そこまで強くなれるのか。
日本の富を流出させ、日本を破壊する工作は150年続けられ、それでも日本は壊れない。
つまり対日150年の投資は、失敗に終わったということです。
西洋における世界支配のモデル構造は、財力によって政治権力を支配して富を得るという形です。
この構図のもとに、共産主義もグローバル主義も民主主義も資本主義も帝国主義も、すべてコントロールされてきました。
一方、日本のモデルは政治権力よりも上位に国家最高権威を起き、その権威のもとにすべての民衆を「たから」とし、宝とされた民衆の活力が富を生みだすという形です。
ところが21世紀になって、まったく新たなマネーの形態が登場します。
それが電子レベルマネーです。
貨幣が電子レベル化されるようになると、戦争や紛争によって資産を運用しなくても、民間の活力が電子マネー化されるようになります。
そうであれば、あえて戦争を仕掛けなくても、電子レベルマネーの通貨性の保障をするだけで、巨額のマネーが転がり込んでくるようになります。
マネーは、ただの数字ですから、その根幹を押さえれば、増やそうと思えばいくらでも増やせるし、他人のマネーを減らすこともACボタンひとつでできることになるのです。
早い話、米国が中共にいくら国債があったとしても、何らかの理由を付けて、ACボタンを押せば、その瞬間に中共政府が保有する米国債の残高はゼロになります。
現時点では、まだセキュリティの問題があって、これは理論だけで実現にまでは至っていませんが、コンピューターが量子コンピューターの時代になると、セキュリティの問題がクリアされるといわれています。
つまり、まったく新たな通貨の時代に世界は突入しようとしているのです。
このことを、人によっては世界の支配者が、愛と光の時代へと向かい始めたとか、アセンションが起こったとかいう言い方をします。
あるいは人によっては共産主義、グローバル主義、民主主義、資本主義といった言い方をします。
あるいは○○の陰謀といった言い方をする人もいます。
けれど実は陰謀でもなんでもなくて、巨額の資産の運用をどのような形で行うかという問題にすぎないものです。
そしてそういう視点で見れば、実は、共産主義もグローバル主義も民主主義も資本主義も帝国主義も、すべて根っこは同じです。
特定金融支配という表現も実は当たりません。
金持ち喧嘩せずなのです。
大資産家は大資産家であって特別な陰謀を持っているわけではありません。
そうした金持ちに近づいて、投資を勧め、大金を動かして大儲けをしようとする人たちによる支配でもありません。
彼らは資産を運用して、ただ儲けようとしているだけです。
その儲けのために最も良い近道が、紛争にあるし、そうした紛争を引き起こすために、紛争をしたい人たちに資金提供をします。
すると紛争が起こり、その鎮圧が必要になって大金が動きます。
世の中がそうやって動いている限り、紛争はなくならないし、紛争を煽る思想や活動は経済的メリットを得るのです。
そしてその大金というのは、元をたどれば、食品のの量(ポンド、バーツ、両)であったり、入城証明書である「鈔しょう)」でしかありません。
要するにもともとは交換価値であったわけです。
その交換価値が、単なる紙に変わることによって、いくらでも増産できるようになり、人類はこの500年の間、その紙に使われ、紙のために国や命を失ってきたわけです。
そしてその紙が、今度は電子レベル化しようとしています。
交換価値は、さらにセキュリティ価値に変化しようとしているのです。
セキュリティ価値に変化するということは、そのセキュリティを破ることを願い行動する者たちが世界経済の敵になります。
だからいま、そうしたセキュリティを台無しにしようとする国や民族、組織への新たな挑戦が始まっています。
正義の概念の乏しいChineseやKorean、メキシカンがやり玉にあげられて叩かれるようになってきたのは、そこに原因があります。
逆にセキュリティを台無しにすることで利益を享受してきた国や民族や組織は、新たに起こったこの動きを潰しにかかっています。
それがいまの世界の根底にある戦いです。
日本は約束を守り、セキュリティやルールをキチンと守る国です。
だからそうした日本精神もまた、破壊のためにいま大金が払われています。
日本人が飢えるようになれば、日本人もまたセキュリティを破る側の泥棒国家に成り下がる期待があるからです。
ついでに申し上げると、日本のいわゆる保守層が、上に述べたような世界の資産層から資金提供を受けることができないできたのは、ただ正義を口にするだけだったからであって、新しい価値観を建設するものではなかったからです。
しかし日本的な和合の価値観は、実は新たな世界をひらきます。
人々が互いに助け合い、認め合い、すべてがひとつにつながっているという日本的価値観は、新たな電子レベルマネーの時代に必要な価値観だからです。
そして同時に、そうした和や結いを否定する者たちに対して、明確にNOを突きつける武(たける)力の復活がなければ、それは絵空事にしかなりません。
以前、このようなお言葉をいただきました。
・近江神宮では「おほしく(意富しく、雄々しく)」
・お伊勢様では「やすらけきよを(安らけき世を)」
です。
つまり眼の前の悪を許さない武士道精神と、それによる安定した世の中の構築を神々が望まれているということです。
日本的価値観は、これから世界に広がる価値観に、必ずなっていきます。
しかしそのためには、日本人の持つ本来の強さもまた、未来志向で復活していかなければなりません。
なぜか。
理由は簡単です。
電子マネーの世界では、いかなる大富豪であっても、ACボタン一つで瞬間的に一文無しにできてしまうのです。
国も同じです。
中共政府は米国債を大量に持っていると自慢していますが、それはACボタンひとつで瞬時に残高0にできる種類のものでしかありません。
これほど強力なペナルティはありません。
しかしセキュリティを破れば、一文無しが瞬時に何百兆円の資産を持つ大富豪になることもできてしまいます。
つまり新しい電子マネーの時代を前に、大富豪になることや、その大富豪に近づくことに生きる価値があるという500年続いた価値観そのものを転換させる必要があるのです。
それは、誰かひとりが大富豪ということではなく、国際的な信用のもとに、誰もが豊かに安心して安全に暮らせることに価値が置かれる社会となります。
つまり大富豪は、そうした国際的信用経済の保証をする存在となることで、その地位を完全に安泰なものとすることができる。
投資会社は、そのために完全に安全なセキュリティの確立のために投資をしている。
その前に、富を蓄えて信用経済の保証役になりたくて、欲をかいている国や組織があるけれど、そのような者たちに世界を委ねるわけに行かないというところに、目下の世界の大きな衝突がある。
前者がトランプさんたち、後者がそれを阻止しようとしているChinaマネーや、そのChinaマネーに汚染されたメディア等です。
そこに対立があるのですが、その対立を従来のように軍事的衝突にしてしまったなら、元の紙マネーの時代の繰り返しにしかなりません。
なぜなら信頼と公正でしか、電子マネーの時代は築けないからです。
お読みいただき、ありがとうございました。

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コメント
つぶらやまどか
日本では銀鋌が鋌銀となり、丁銀となって「ちょうぎん」と呼ばれていましたが一般消費の支払いには大きく重過ぎるため、江戸時代には「小玉銀」というおはじきにようなものが登場、さらに幕末には二朱銀という表記貨幣が登場します。
このころ(というかこれより少し前)、スペインがメキシコから大量の銀を世界に供給し始めます。これはコインの形をしていました。支那人はこれを銀圓と呼びました。圓というのはコインの意味です。圓は日本では円となり、現代中国では元と表記され、韓国ではウォンと発音されます。台湾の紙幣にはいまでも「圓」と書いてあります。
2018/12/05 URL 編集
岡 義雄
今日も拝読させていただきました。シェアさせていただきました。
ロスチャイルドやサッスーンが著名ですね。ロスチャイルドから派生した数々の富豪、またロックフェラーのように成り上がった後ユダヤに支配された富豪など、いずれもユダヤです。コミンテルンもユダヤ資本で動いています。世界を牛耳るユダヤ資本。元はと言えば全て民衆のものです。勝手な解釈ですが、ヒットラーがユダヤを毛嫌いした大きな理由がこれだと思います。
2018/12/05 URL 編集