↑↑↑クリック↑↑↑
←いつも
応援クリックをありがとうございます。
昨日、福沢諭吉の『学問のすゝめ』をご紹介したので、もうひとつの有名な『脱亜論』について書きます。
『脱亜論』というタイトルは、後年になってつけられたものです。
発表当時にはタイトルはありません。
福沢諭吉が当時「時事新報」という新聞の発行に携わっていて、その社説として明治18(1885)年に書かれた記事が、後年になって『脱亜論』という名称で呼ばれるようになりました。
もともとが新聞の社説ですから、決して長い文章ではありません。原文は、2200字、原稿用紙5枚半の短いものです。
文章は短いですが、そこに書かれたメッセージは、明治政府の基本政策ともなったとても大切なものです。
そしてその内容は、いまこそ我が国において必要不可欠なものです。
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)<原文>
世界交通の道便にして、
西洋文明の風
東に漸(ぜん)し到る処(ところ)
草も木も此風に靡(なび)かざるはなし
蓋(けだ)し西洋の人物
古今(ここん)に大(おおい)に
異(ことな)るに非(あら)ずと雖(いえ)ども
其(その)擧動(きょどう)の
古(いにしえ)に遲鈍(ちどん)にして
今に活潑(かっぱつ)なるは
唯(ただ)交通の利器(りき)を利用して
勢に乘(じょう)ずるが故(ゆえ)のみ故(ゆえ)に
方今(ほうこん)東洋に國(くに)するものの爲(ため)に謀(はかUるに
此(この)文明東漸(とうぜん)の勢(いきおい)に激(げき)して
之(これ)を防ぎ了(おわ)る可(べ)きの覺悟(かくご)あれば
則(すなわ)ち可(か)なりと雖(いえ)ども
苟(いみじく)も世界中の現狀を視察して
事實(じじつ)に不可なるを知らん者は
世と推(お)し移(うつ)りて
共(とも)に文明の海に浮沈(ふちん)し
共に文明の波を揚(あ)げて
共に文明の苦樂(くらく)を與(よ)にするの外(ほか)ある可らざるなり。<現代語訳>世界の交通の便がよくなり、西洋文明の風が東へ東へと向かってきました。
草も木もこの風に靡なびいています。
けれども、西洋の人物が我々と異なっているわけではありません。
彼らの活動は近年、活発になっていますが、それはただ彼らの交通手段を利用して、勢いに乗っているにすぎないことです。
しかし東洋に国を持つすべての人のために考えてみれば、西洋文明の東進の勢いに腹を立てて、これと戦って防ごうとする覚悟は良いとしても、世界の現実を見るならば、これに勝利することは不可能であるというもまた事実です。
むしろ、ともに文明の変化のときであると知り、苦楽をともにして変化を起こしていく他はないといえます。
<原文>
文明は猶(なお)麻疹(はしか)の流行の如(ごと)し。
目下(もっか)東京の麻疹は西國長崎の地方より東漸(とうぜん)して、
春暖と共に次第に蔓延(まんえん)する者の如し。
此時(このとき)に當(あた)り、
此(これ)流行病(はやりやまい)の害を惡(にくみ)て、
此を防(ふせ)がんとするも、『ねずさんのひとりごとメールマガジン』
登録会員募集中 ¥864(税込)/月 初月無料!
https://www.mag2.com/m/0001335031.html最新動画《大人のための修身入門 第十八回「行儀とは?」》
果(はた)して其(その)手段ある可(べ)きや。
我輩(わがはい)斷(だん)じて其(その)術(すべ)なきを證(しょう)す。
有害一偏(ゆうがいいっぺん)の流行病にても
尙且其(なおかつその)勢(いきおい)には激(げき)す可(べか)らず。
況(いわん)や利害相伴(りがいあいともな)ふて、
常に利益多き文明に於(おい)てをや。
啻(ただ)に之(これ)を防(ふせ)がざるのみならず、
力(つと)めて其蔓延(そのまんえん)を助(たす)け、
國民(こくみん)をして早く其(その)氣風(きふう)に浴(よく)せしむるは、
智者(ちしゃ)の事なる可(べ)し。<現代語訳>文明というのは、いわば流行(はや)り病(やまい)のようなものです。
もっか東京の麻疹(はしか)は、西国の長崎から東に進んで、春の温(あたた)かさとともに、次第に国中に蔓延(まんえん)していっています。
だからといって、その流行病の害を憎んで、これを防ごうとしても、はたしてその手段はあるのでしょうか。
私は、断じて、その手段は「ない」と証明します。
有害でしかない流行り病であったとしても、その勢いに激怒して激情を起こしてはいけません。
西洋文明には、私達にとっての利益も多くあるのです。
単純にこれを防ごうとするのではなく、むしろその蔓延を助け、国民に早く西洋の気風を知らしめることが、むしろ智者の努めなのです。
<原文>
西洋近時(きんじ)の文明が、
我(わが)日本に入(はい)りたるは、
嘉永(かえい)の開國(かいこく)を發端(ほったん)として、
國民漸(ようや)く、其(その)採(と)る可きを知り、
漸次(ざんじ)に活潑(かっぱつ)の氣風(きふう)を催(もよ)ふしたれども、
進步の道に橫(よこた)はるに
古風老大(こふうろうだい)の政府なるものありて
之(これ)を如何(いかん)ともす可(べか)らず。
政府を保存せん歟(なら)、文明は決して入る可(べか)らず。
如何(いかに)となれば、
近時の文明は、
日本の舊套(きゅうとう(旧套))と兩立(りょうりつ)す可(べか)らずして、
舊套(きょうとう)を脫(だっ)すれば、
同時に政府も亦(また)、廢滅(はいめつ)す可(べ)ければなり。
然(しから)ば則(すなわ)ち、
文明を防(ふせい)で、其(その)侵入を止(と)めん歟(なら)。
日本國(にほんこく)は獨立(どくりつ)す可(べか)らず。
如何(いかに)となれば、
世界文明の喧嘩繁劇(けんそうはんげき)は、
東洋孤島の獨睡(どくすい)を許(ゆる)さゞればなり。<現代語訳>近代の西洋文明が日本に入ってきたのは、嘉永年間の開国が発端です。
日本国民は、ようやくその西洋文明を、むしろ採り入れるべきと知り、すこしずつ活発に西洋文明を採り入れてきました。
けれども仮にもし、古風老大(=ふるめかしくて尊大)な政府なるものがあって、西洋文明を採り入れることを拒み、いまある政府や体制をそのまま温存しようとするならば、なるほど西洋文明はその国に入り込めないかもしれません。
なぜなら近代の西洋文明というものは、日本の旧来の文明と必ずしも両立するものではありません。
ですから古い外套(がいとう(コートのこと))を脱ぎ捨てるために、旧来老大な政府もまた、廃滅させなければなりませんでした。
このときもし日本が、ただ西洋文明を拒否するだけという挙に出たならば、日本国は独立を保つことさえ困難であったでしょう。
なぜなら、西洋の激しい喧嘩は、東洋諸国が、ひとり眠り続けることを許さないほど激しいものだからです。
<原文>
是(ここ)に於(おい)てか、
我(わが)日本の士人(しじん)は、
國(くに)を重(おも)しとし、
政府を輕(かろ)しとするの大義(たいぎ)に基(もとづ)き、
又(また)幸(さいわい)に帝室(ていしつ)の神聖尊嚴(しんせいそんげん)に依賴(いらい)して、
斷(だん)じて舊政府(きゅうせいふ)を倒(たお)して、
新政府を立て、國中(くにじゅう)朝野(ちょうや)の別なく、
一切萬事(いっさいばんじ)、西洋近時の文明を採り、
獨(ひと)り日本の舊套(きゅうとう)を脫(だっ)したるのみならず、
亞細亞全洲(あじあぜんしゅう)の中に在(あっ)て、
新(あらた)に一機軸(いちきじく)を出し、
主義とする所は唯(ただ)脫亞(だつあ)の二字に在(あ)るのみ。<現代語訳>
ですから我が国の武士たちは、国を重いものとし、政府を軽いものとする大義に基づいて行動しました。
また幸いにも我が国には、神聖なご皇室の尊厳がありました。
そこで日本は、旧政府(江戸幕府)を倒し、貴族や民衆の区別を捨てて西洋の文明を採り入れて古い日本を脱し、さらにはアジア全体のなかにあって、日本国ならではの新しい基軸を打ち出してきました。
その日本が採用したものは、ただ「脱亜」の二字であるといえます。
<原文>
我(わが)日本の國土(こくど)は、
亞細亞(アジア)の東邊(ひがしのほとり)に在(あ)りと雖(いえ)ども、
其(その)國民の精神は、
既(すで)に亞細亞の固陋(ころう)を脫(だっ)して、
西洋の文明に移りたり。
然(しか)るに爰(ここ)に不幸なるは近隣に國あり。
一(ひとつ)をChinaと云(い)ひ、
一(ひとつ)をKoreaと云(い)ふ。
此(これ)二國(にこく)の人民も、
古來(こらい)亞細亞流の政敎風俗に養(やしな)はるゝこと、
我(わが)日本國民に異(こと)ならずと雖(いえ)ども、
其(その)人種の由來(ゆらい)を殊(こと)にするか。
但(ただ)しは、同樣の政敎風俗(せいきょうふうぞく)中に居(い)ながらも、
遺傳敎育(いでんきょういく)の旨(むね)に
同じからざる所(ところ)のものある歟(のか)、
日支韓三國相對(あいたい)し、
支と韓と相似(あいに)るの狀(さま)は、
支韓の日に於けるよりも近くして、
此(この)二國の者共(ものども)は、
一身に就(つ)き、又(また)一國(いっこく)に關(かん)して、
改進(かいしん)の道を知らず、
交通至便の世の中に、
文明の事物(じぶつ)を聞見(ぶんけん)せざるに非(あら)ざれども、
耳目(じもく)の聞見(ぶんけん)は、
以(もっ)て心を動かすに足らずして、
其(その)古風舊慣(こふうきゅうかん)に戀々(れんれん)するの情(じょう)は、
百千年の古(いにしえ)に異(こと)ならず、
此(この)文明日新(にっしん)の活劇場(かつげきじょう)に、
敎育の事を論ずれば儒敎主義と云(い)ひ、
學校の敎旨は仁義禮智(じんぎれいち)と稱(しょう)し、
一(いち)より十(じゅう)に至るまで、
外見の虛飾(きょしょく)のみを事として、
其(その)實際(じっさい)に於ては、
眞理原則(しんりげんそく)の知見なきのみか、
道德(どうとく)さへ、
地を拂(はら)ふて、
殘刻不廉恥(ざんこくふれんち)を極(きわ)め、
尙(なお)傲然(ごうぜん)として
自省(じせい)の念(ねん)なき者の如し。<現代語訳>
日本の国土はアジアの東のほとりにありますが、その日本の国民精神は、すでにアジアの固陋(=ふるくさくて、頑固に新しいものを受け入れない態度)を脱して、西洋文明を受け入れています。
ところがここに、不幸な近隣の国があります。
そのひとつがChinaであり、
いまひとつがKoreaです。
この2国の人々も、日本と同じく、古い時代からアジア独特の政教や風俗にひたってきましたが、同じような政教風俗のもとにあっても、遺伝子か教育に何かの違いでもあるのか、日本、China、Koreaの中で、ChinaとKoreaのよく似ている様子は、日本と彼らの国との類似点よりもはるかに多いものです。
彼らは、一身についても、あるいは一国についても、まったく改(あらた)めながら、前に進むということを知らず、この交通の便が良くなった世界において、日本と同様に西洋文明を目の当たりにしながらも、まったく耳目を開いて西洋の実力を見ようとせず、古くからの慣習に、ただ恋々としている様子は、百年どころか千年の昔から、なんの変わりようもないようです。
この現代の日進月歩の時勢下において、教育のことを論ずればいまだに儒教主義といい、学校での教育といえば、仁義礼智信と称(しょう)し、いちからじゅうにいたるまで、外見を飾ることばかりに終始して、その実態は、心理原則への知見がないのみならず、道徳さえも一切合切(いっさいがっさい)失われ、その習俗は残酷かつ破廉恥でいながら、それいて、傲然として、いっさい自省することさえもありません。
<原文>
我輩(わがはい)を以(もち)て、
此(この)二國を視(み)れば、
今の文明東漸(とうぜん)の風潮に際し、
迚(とて)も其(その)獨立(どくりつ)を維持するの道ある可(べか)らず。
幸(さいわい)にして其(その)國中(くにじゅう)に
志士の出現して、
先(ま)づ國事開進(こくじかいしん)の手始(てはじ)めとして、
大(おおい)に其(その)政府を改革すること、
我(わが)維新の如(ごと)き大擧(たいきょ)を企(くわだ)て、
先(ま)づ政治を改(あらた)めて、
共(とも)に人心(じんしん)を一新(いっしん)するが如き活動あらば格別なれども、
若(も)しも然(しか)らざるに於ては、
今より數年を出(い)でずして、
亡國(ぼうこく)と爲(な)り、
其(その)國土は世界文明諸國の分割に歸(き)す可(べ)きこと、
一點(いってん)の疑(うたがい)あることなし。<現代語訳>私の目からこの二国を見るならば、とても彼らが独立を保つことはできないものでしょう。
本当に幸いにして、国内に志士があらわれ、国を開くためにおおいにその政府を改革するか、あるいは我が国の明治維新のように、大戦(おおいくさ)をして政治を改革し、人心を一新するような出来事でもあれば格別、それができないのであれば、いまから数年を経ずして、彼らの国はなくなり、その国土は西洋文明によって、分割されてしまうであろうことは、一点の疑いもないことです。
<原文>
如何(いかん)となれば、
麻疹(はしか)に等(ひと)しき文明開化の流行に遭ひながら、
支韓兩國(りょうこく)は其(その)傳染(でんせん)の天然に背(そむ)き、
無理(むり)に之(これ)を避(さ)けんとして
一室內(いっしつない)に閉居(へいきょ)し、
空氣の流通を絶(たち)て窒塞(ちつへい)するものなればなり。
輔車唇齒(ほしゃしんしん)とは、
隣國相助くるの喩(たとえ)なれども、
今のChina、Koreaは、
我(わが)日本國のために一毫(いちごう)の援助と爲(な)らざるのみならず、
西洋文明人の眼を以(もっ)てすれば、
三國の地利(ちのり)相(あい)接(せっ)するが爲(ため)に、
時に或(あるい)は之(これ)を同一視し、
支韓を評するの價(あたい)を以(もっ)て我日本に命ずるの意味なきに非ず。<現代語訳>要するに麻疹(はしか)に等しい文明開化の圧力を受けながら、ChinaとKoreaの両国は、その伝染病の自然の流れを見ようともしないで、無理にこれを避けようとして、一室内に閉じこもり、空気の流れさえも遮断(しゃだん)して閉じこもったままでいます。
輔車唇齒(ほしゃしんしん)とは、隣国同士が互いに助け合うことのたとえですが、いまのChinaやKoreaは、日本のために、毛先一本ほどの利益にならない存在であるだけでなく、
この三国が、なまじ近接しているがゆえに、西洋諸国が、日支韓を同一視して、ChinaやKoreaを評する値段で、日本を評価してしまうがために、むしろ日本にとっては、迷惑な存在でしかないものとなっています。
<原文>
例(たと)へばChina・Koreaの政府が、
古風の専制にして法律の恃(たの)む可(べ)きものあらざれば、
西洋の人は日本も亦(また)無法律(むほうりつ)の國かと疑(うたが)ひ、
China・Koreaの士人(しじん)が惑溺(わくでき)深くして
科學(かがく)の何(なに)ものたるを知らざれば、
西洋の學者(がくしゃ)は日本も亦(また)、
陰陽五行(おんみょうごぎょう)の國かと思ひ、
Chineseが卑屈(ひくつ)にして恥(はじ)を知らざれば、
日本人の義俠(ぎきょう)も之(これ)がために掩(おお)はれ、
Korea國に人を刑するの慘酷(ざんこく)なるあれば、
日本人も亦(また)、共に無情(むじょう)なるかと推量(すいりょう)せらるゝが如き。
是等(これら)の事例を計(はか)れば
枚擧(まいきょ)に遑(いとま)あらず。
之(これ)を喩(たと)へば、
比(この)隣軒(りんけん)を並べたる一村一町內の者共が
愚(おろか)にして無法にして
然(し)かも殘忍無情(ざんにんむじょう)なるときは
稀(まれ)に其(その)町村內の一家人が
正當(せいとう)の人事に注意するも
他の醜(しゅう)に掩(おお)はれて堙沒(まいぼつ)するものに異ならず。
其(その)影響の事實(じじつ)に現(あら)はれて
間接(かんせつ)に我(わが)外交上の故障を成すことは
實(じつ)に少々ならず、
我(わが)日本國の一大不幸と云ふ可(べ)し。<現代語訳>現実の問題として、たとえばChinaやKoreaが、昔ながらの専制を行い、法を尊重しないならば、西洋の人々は日本も同様に無法国家だと疑いを持ちます。
あるいはChinaやKoreaの士大夫(しだいふ)と呼ばれる人たちが、儒教的能書き論におぼれて論理性を重んじる科学のなんたるかを知らないならば、西洋の学者たちは日本人もただの陰陽五行の国かと疑うことでしょう。
またChineseが卑屈で恥を知らないならば、日本人の義侠心も疑われ、Koreaに残酷な刑罰があるならば、日本人も同様に無情な民族や国柄であると推し量られてしまいます。
これらのことは、それこそ枚挙にいとまがないほどです。
このことをたとえていえば、ひとつの町内の人たちのなかに、愚かな無法者であって、しかも残忍無常な者がいれば、まれにその町内にまっとうな人がいたとしても、同じ無法者と疑われてしまうようなものです。
そしてこのことが、日本の外交に重大な故障をなすことは、実にすくなからず起こりうることであるだけに、これは日本の一大事というべきことなのです。
<原文>
左(さ)れば今日(こんにち)の謀(はかりごと)を爲(な)すに、
我國(わがくに)は隣國(りんごく)の開明(かいめい)を待(まっ)て、
共(とも)に亞細亞(あじあ)を興(おこ)すの猶豫(ゆうよ)ある可らず。
寧(むし)ろ其伍(そのご)を脫(だっ)して、
西洋の文明國と進退を共にし、
其(その)China、Koreaに接するの法も
隣國(りんごく)なるが故(ゆえ)にとて
特別の會釋(かいしゃく)に及ばず。
正(まさ)に西洋人が之(これ)に接するの風に從(したがい)て
處分(しょぶん)す可(べ)きのみ。
惡友(あくゆう)を親しむ者は
共に惡名(あくみょう)を免(まぬ)かる可らず。
我(わ)れは心に於て、
亞細亞東方の惡友(あくゆう)を謝絶(しゃぜつ)するものなり
(明治18年3月16日『時事新報』)<現代語訳>以上の次第から、今日日本がどうすべきを問うならば、我が国には隣国が目を覚ますのを待って、ともにアジアを興していく猶予などありません。
むしろ、ChinaやKoreaを脱して、西洋の文明国と進退をともにすべきです。
ChinaやKoreaと接するに際して、彼らが隣国だからと特別扱いする必要はまったくありません。
西洋諸国が彼らの国と接するやり方をもって、我が国もこの両国を処分するのみです。
悪友に親しむ者は、ともに悪名をこうむります。
私は、その心において、アジアの東方にある悪友を、謝絶するものです。
(明治18年3月16日『時事新報』)
***
財界の方は、よく経済を口にしますが、商売というものは、互いに約束事(ルール)を守るという一点がなければ、繁栄を安定させ継続させることなどできないものです。
モノを売るのは良いのです。
お代をちゃんといただけるのなら、売れば良い。
けれど先に商品を渡して、その後にお代を頂戴する段階になったら、嘘を並べ立てて苦情を申し立てて法外な損害賠償を要求したりするのは、完全なルール違反です。
けれど、現実にはそういう国家が存在します。
国民国家というものは、本来は、国民の繁栄と安定と幸せの継続を求めて成立しているものです。
しかし、そうではなく、一部の政府高官や官僚、あるいはそれらと結託した極悪親分が個人の利益を得るために、形だけは近代国民国家を自称する。
戦前には、中共も北韓も南韓もありません。
中共が成立したのが1949年、北と南が1948年です。
福沢諭吉の『脱亜論』は、それよりもずっと古い1885年に書かれたものですが、その後に成立した特亜三国も、いまだ近代国民国家とはいえない事実上の王朝政治が継続しています。
つまりこの三国は、我が国とはまったく文化が異なる国なのです。
その意味で、福沢諭吉の『脱亜論』は、現代社会においても、そのまままるごと通用します。
お読みいただき、ありがとうございました。

↑ ↑
応援クリックありがとうございます。
講演や動画、記事などで有償で活用される場合は、
メールでお申し出ください。nezu3344@gmail.com
コメント
はらさり
初めて読みました←やはり遅っ!
やはり構っちゃいけないんですね、中北韓には。
そのことをさらっと?書いた福沢諭吉さんってかなり先見の明があったんですね。素晴らしい!
私の周りにもいます。
自分に明らかに問題あるのに難癖付けて相手のせいにする人が。
私も何度も折れて折れ、お金も支援し許してきましたが…許し過ぎました。でもその本人は「当然だ!もっと尽くせ」という態度。
今は絶縁しています。
2019/02/06 URL 編集
にっぽんじん
その彼が慰安婦問題を「中韓の壮大な詐欺」と主張しています。彼の活動によって「慰安婦の嘘」が次第に明らかになり、世界に広まりつつあるそうです。
彼の著書「慰安婦の真実」「歴史の真実」(育鵬社)を是非読んで支援していただきたいと思います。「歴史の真実」は本年2月3日に出版された新刊書です。中国の陰謀プロパガンダの危険性と中韓との関係を鋭く指摘しています。
詳細は2冊の本を読んで真実を知っていただきたいと思います。
2019/02/06 URL 編集
takechiyo1949
それにしても『脱亜論』から134年ですよね。
近隣の「悪友」も我國も…物質的見た目以外、本質的に何か変わったでしょうか。
「悪友」共は用意周到に核武装し、侮れない存在になってしまいましたよ。
現実は実に厳しいです。
「相手の自滅を待っている」だけでは、もうどうにもならないと思いませんか。
私達は、何があろうと怯む訳には参りません。
皇民よ!覚醒せよ!
2019/02/06 URL 編集
岡義雄
今日も拝読させていただきました。シェアさせていただきました。ありがとうございます。
以前から、数度「脱亜論」をFBに掲載していましたが、今こそ我が国が為すべきことであると痛感します。
兎に角距離を置く。国交断絶といっても、ピンとこない人が多いと思いますが、少し前まで支那朝鮮は日本文化を拒絶していましたし、未だに輸入制限をかけられている物も多くあります。バカな企業経営者が多いため、自社の利益の追求の為に国益を損じている行為をやめようとしない。メディアも我が国を貶めるような報道ばかりです。いずれも内部に病巣があって、これの大手術をしない限り止むことは無いでしょう。国民がそれらの事実に漏れなく気づき、声を上げて行かないといけません。現状を正しく知れば「脱亜論」が書かれた時代より遥か昔から特亜三国は何も変わっていない事が分かると思います。
2019/02/06 URL 編集