「ナガタカズミ海軍大佐の日記」
七月四日
命令に従い、私は艦隊司令部に出頭した。
いまや司令部は前線と化し、空襲の真っただ中にある。
生きて帰れるかわからなかったが、任務終了後、無事に戻ることができた。
とうとう最後の抵抗をする判断が下された。
ひと月にわたる激しい戦艦の砲撃と、絶え間ない空襲に対抗し、前線のわが軍人、兵士達は立派に戦った。
このように絶望的な状況下で戦えるのは日本人だけであろう。
しかし敵の圧倒的な火力を目のあたりにして、さすがの大和魂も歯が立たない。
サイパン島は小さすぎる。
身長150センチと小柄な私でさえ隠れることが困難だ。
七月五日
あと一日か二日で最後を迎える。
何も思い残すことはない。
出来る限りのことは行った。
私の心はおだやかで満ち足りている。
これが運命だ。こうなることが決まっていたのであろう。
どのように名誉ある最期を迎えられるかのみを考えている。
わが妻、シズエへ。
何も言い残すことはない。
君と結婚して十七年がたった。
幸せな思い出に満ちた十七年だった。
来世への思い出でこれ以上のものはないだろう。
君になんとか恩返しをしたかった。
感謝の気持ちでいっぱいだ。
私のぶんも、子供たちを可愛がってほしい。
私が至らぬために、子供たちに迷惑をかけるかと危惧している。
これまで過ごした年月に対し、君になんと礼を言えばいいのかわからない。
体を大切にして、末永く充実した人生を送ってほしい。
今後日本は、本当に困難な時期を迎えるだろう。
日本は、あらゆる勇気を奮い起して困難を乗り越えねばならない。
君は優しすぎる。
父親を亡くした息子たちのよい相談相手になってやり、彼らを強く、廉直な日本人に育ててくれ。
日本がある限り、暮らしに困ることはないだろう。
万一の時が来たら、日本人として名誉ある最期を迎えてほしい。
高宮の父、兄姉、そして板付の義母、義兄、それから「てつお」にくれぐれもよろしく伝えてくれ。
コン、マサ、ヤスへ。
強い正直な日本人になってくれ。
将来の日本を担ってほしい。
兄弟どうし、互いに協力しあい、全力を尽くしてお母さんを助けてあげてくれ。
コンとマサ、君達は兄としてヤスの面倒をよく見てやってくれ。
この日記を託す森海軍中佐は、瀬尾の同級生である。
機会が出来次第、瀬尾に会いに行き、何が起きたのか細かい事情を聞いてほしい。
敵の戦闘機の砲撃や空襲が頭上を飛び交っている。
これまで過ごしてきた年月に対し、君になんと礼を言えばいいのかわからない。
体を大切にして、末長く充実した人生を送ってほしい。
カズミより
ナガタシズエ様
(昭和十九年七月五日)
*
この日記(遺書)は、家族には届けられませんでした。
全員玉砕してしまったため、届けられる人がいなかったのです。

取材班は苦労の末ナガタさんの遺族を見つけました。
妻の静江さんは、95歳でご存命でした。
静江さんに、60年前に夫が残した最後の手紙を渡しました。
静江さんは、静かに日記を読み始めました。
「敵の戦闘機の砲撃や空襲が飛び交ってる・・・」
大変な状況やったんやな・・・
そのあと、静江さんは声を立てて泣き崩れました。
大粒の涙がぽろぽろとあふれていました。
「これまで過ごした年月に対し、
君になんと礼を言えばいいのかわからない。
体を大切にして、
末永く充実した人生を送ってほしい。
和美より
長田静江様」
静江さんは、和美さんの遺書を読んでいたのです。
静江さんは、日記を読み終えた後も泣き続けました。
重松氏が、沈黙を破るように口を開きました。
「静江さん、ひとつ教えてください。
ボクは、この日記を持ってきてよかったですか?
本当は持ってくるべきではなかったかもしれないと思っていました。
迷いがありました。」
それは事実でした。
ここに来るまで重松氏は、他人の古い悲しみを呼び覚ますだけではないのかと、その権利が戦後生まれの自分にあるのか。
どうしても届けたいと思うのは、自分のエゴじゃないのか、と真剣に迷っていたのです。
そして、いま、目の前で泣き続ける老婆を目の前にして、重松氏は自分の選択に自信がなくなっていたのです。
静江さんは、声を震わせながら、重松氏を見つめました。
「夫がそんな気持ちであったかと思うと、
ありがたい気持ちでいっぱいになりました。
見せてもらって、
ほんとうによかったです。
ありがとうございました」

静江さんは、サイパンへ出征する和美さんを見送った日の光景をはっきりと記憶していました。
それは昭和19年2月のことでした。
静江さんは、線路沿いの道端で、列車を待っていました。
「ここでよいと言われて
家の前で別れたのですが、
私はもう一度姿を見たいと思って、
いちばん下の康をおんぶして、
日の丸の小旗を手に、
近くの国鉄の線路まで急ぎました。
そして線路わきに立っておりました。
間もなく通りかかった汽車の窓に
目を凝らしておりましたら、
主人はこぼれるような笑顔で、
デッキに立っていました。
ふだん笑顔なんか
見せたことがないので、
私はびっくりしました。
軍服姿で、
白い歯を出して、
こちらに笑いかけたのです。
主人は軍の帽子を
頭の上で高く
大きく回しながら
振っております。
いつまでも
いつまでも
振っておりましたよ。
そしてその線路が
まっすぐなんですよね。
笑顔は見えなくなり、
帽子もだんだん小さくなり、
最後、
鉛筆の芯ほどの
黒い天になって
消えて行きました。
私は夢中で小旗を振りながら、
熱い涙を
こらえることが
できませんでした」
静江さんは立ち上がると、重松氏と渡辺氏に深々と頭を下げていいました。
「思い出をいただいて、
こんな嬉しいことはありません」
「最高の宝物をいただいた思いです」
重松氏は、長田邸を出たあと、長田家の墓へ向かい、和美さんの霊につぶやくように報告しました。
「長田さん、
日記、
お届けしましたよ」
参考・引用「最後の言葉」戦場に残された二十四万字の届かなかった手紙
著 重松清・渡辺考 講談社
この本をもとに、junhagemayさんが、この物語を動画にしてくださいました。
国旗の重み ~六十年の時を経て届いた手紙~
もしこの記事をNHKの職員の方で読まれた方がおいでなら、ひとことメッセージを伝えたいと思います。
あなたがたNHKは、インターネットで「NHKオンデマンド」というサイトを持っています。
そこでは、過去の様々な放送の視聴ができますね?
そこで過去、上記の物語、NHKハイビジョンスペシャル「最後の言葉 作家・重松清が見つめた戦争」が視聴できたようなのですが、いまは観れなくなっています。
下の方に、「該当データがありません」と小さく表示されています。
「最後の言葉」の言葉の本を読んだらわかりますが、あなたがたNHKのスタッフは、当初、露骨に日本軍がサイパンで民間人を追い込み、死に至らしめたという内容の番組を作ろうとしていたようですね?
はじめから故意に意図を持った番組を計画していた。
しかし実際に番組収録をはじめたとき、番組スタッフたちが、ひとりひとりの人間の最後の言葉の重みに気付き、番組は当初の企図をはずれて、まったく別な「真実」を伝えるものになった。
オンデマンドでの視聴をできなくしたのは、そういうことからなのですか?
だとしたら、それはとても残念なことです。
長田大佐の死を前にした言葉の重みと、60年目にして手紙を届けてもらった奥様のお言葉の重みの前に、あなた方NHKの企図がけしとんだのではないですか?
公共放送に携わる者として、1万遍の嘘は、一片の真実に及ばない事実を、あなた方は見せつけられたはずです。
だからといって、そういう番組が過去あったという事実を隠ぺいするのは、公共放送に携わる者として、恥ずかしくないのですか?
あなた方も、同じ日本人です。
妻を愛し、子を愛する、普通の人間です。
そして、戦争でなくなられた兵士や一般の方々も、
やはり同じ、妻や子を愛する同じ日本人であったということを、
もういちど思いだしていただきたいのです。
あなた方NHKのみなさんは、かつて戦後60年経った遺書を、ご遺族の方にお届けするというやさしさと良心を持った。
そういうやさしさと良心こそが、国家の公共放送局のスタッフとして、あるいは局として、いちばん大切なものなのではないですか?
※この記事は2010年2月の記事の再掲です。
お読みいただき、ありがとうございました。

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コメント
felice1874
そして、N◯Kの件、まことに同感です。
わたくし自身の考え方はどちら寄りでもないのですが、
昨年N◯Kの取材を受けた時、伝えたくて取材を受けた内容がN◯K側のストーリーに使われてしまっただけとなり、誠に残念でした。以来、N◯Kの放送は、話半分で視聴するようにし、自身の心眼で判断するしかないと感じました。
先の大戦のことはとても大事です。そこに意図的な放映操作があるならば、それはしてはならないことであると存じます。
いつも佳い記事を有難う御座います。
2019/02/13 URL 編集
bou
数年前に砂澤陣さんがアイヌ協会に関する様々な問題を
訴えられておりましたが、今、国会でアイヌに関する法律が
通ろうとしています。
それによって莫大な税金が投入されたり
日本人がアイヌにひどいことをしたとサヨクが
プロバガンダに使おうとしています。
日本政府はサヨクが国連に訴え、国連が圧力をかけるので
人道上に正しいと国際社会に言いたいがために
動いています。
こういう問題があることを知っていただきたいと思います。
アイヌ新法は逆差別?今国会でこのままではすんなり通りそう! アイヌは先住民、 国家分断を招く恐れ 【丸山穂高X藤井厳喜×青山繁晴】
https://www.youtube.com/watch?v=bda6iAjfEpY
2019/02/12 URL 編集
はらさり
静江さん良かったですね。まるで和美さんが隣にいた、寄り添っていたように感じられたことと思います。
私も手紙を書くのが大好きなんですが、お手紙って頂いた時は宝石よりもずっと価値があるんです。
私の個人的な話題ですが、昔に古本の中に手紙が挟んでありました。
誰のだろう、と思いながら見てみると何と消印が昭和!昭和53年とありました。切手も古く、数円時代のものでした。内容は普段の何気ない日常と友情が書いてあります。これを見て二度驚いてしまいました。丁度、私も似た様な文通をしていたから。
私は急いで持主に返そうと思いました。もう20年前だけれど大事なお便りに違いないと。
諸事情で結局は返却出来ませんでした。
でも今回この話を見てやはり返却すべきだった、と思いました。
2019/02/12 URL 編集
岡 義雄
今日も拝読させていただきました。ありがとうございます。
今こそ事実を多くの方に知っていただく機会だと思います。
シェアさせていただきます。
2019/02/12 URL 編集
takechiyo1949
『日本は、あらゆる勇気を奮い起して困難を乗り越えねばならない』
遺族の悲しみを呼び覚ます?
その様にはなりませんでした。
60年の歳月と届いた言葉
夫の生き様をたどる奥様
玉砕を前にした重い覚悟
家族と母国への深い想い
何度読んでも涙が溢れます。
2019/02/12 URL 編集