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ザギトワさんもプーチンさんも、ともにロシアの人であり親日家として知られる人です。
彼らが日本を慕ってくれるのは、日本が軍事的に強いからでも経済力があるからでもありません。
循環経済モデルによって、国民みんなが幸せに生きるための知恵が日本に備わっているからです。
肝心の日本人が、そのことをすっかり忘れています。
それはとっても残念なことです。
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)東京・渋谷駅の待ち合わせ場所としても有名なハチ公前広場。
そこに置かれているのが、忠犬ハチ公像です。
秋田犬のハチは、飼い主が死亡した後も、駅前で飼い主の帰りを待ち続けた「忠犬」として知られ、最近ではその物語がハリウッドでリチャード・ギア主演で「HACHI」という映画にまでなりました。
近年では、その影響からかフィギュア・スケートのアリーナ・ザギトワ選手が愛犬として飼い始めたことでも一躍有名となり、またプーチン大統領の愛犬もまた秋田犬です。
さて、忠犬ハチ公の物語ですが、これは実際にあった出来事で、渋谷に住んでいた東大農学部教授の上野英三郎(うえのひでさぶろう)博士と、その愛犬ハチの物語です。
上野博士は、三重県津市のご出身で、生まれが明治28(1895)年。
東大農学部を卒業後、東大大学院に進学し、そのまま東大教授にまで栄達した逸材です。
その上野博士が専門としたのが「農業土木」で、各個人がそれぞれ所有する農地を合算して広大な農地とすることで、農業生産を担う集団的経営体の育成を図りながら高生産性農業の展開に必要となる生産基盤を整備し、食料自給率の向上に資するというものでした。
現代でもそうなのですが、世界の一般的経済モデルは「労働によって得た財を、労働者を所有する者が蓄える」というものです。
少し考えたらわかることですが、この経済モデルは、一方通行的に富が集められ集積されますから、常に新たな富を生産し続ける必要があります。
生産だけで間に合わなければ、さらに収奪が必要で、このことがかつては植民地支配につながっていたし、現代においても先進諸国の富のために、多くの資源国は途上国と呼ばれ、貧困が支配しています。
これに対して日本型経済モデルは「労働によって得られた財を、みんなで合算してみんなのために遣うことで経済を回す」という経済モデルです。
この場合、収奪の必要がないばかりか、循環によって生産性や人々の生活の安全性が向上し、居住者全員が利益の分配にあずかることができることになります。
一億総中流などといったものも、こうした循環モデルが基礎になります。
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上野博士は、こうした日本型経済循環モデルを、農業政策に活かそうとしたもので、古い言葉ではこれを「田頼(たより)」と呼んでいたものです。
そして上野博士の愛犬だったハチは、実はそうした日本型経済モデルの象徴です。
プーチン氏や、リチャード・ギア、あるいはザギトワが秋田犬を飼うのは、単に秋田犬が可愛いとか利口だということだけではないのです。
ハチが象徴しているのは、忠犬ということだけではなくて、実はその後ろに日本型経済モデルによる民衆の明るい暮らし(昔はこれを「明るい農村」という言葉で表現しました)という文化性があるからなのです。
(単に外見がカッコいいとか可愛いというだけなら、他に優れた犬種がたくさんあります。)
もっというと、「農業土木」というのは、農地の区画整理、用排水施設、農道、客土、暗渠排水路の設営、共同経営隊の組成と運営と非常に広範なものです。
それらを総合的事業としていくのに際し、単にお金持ちである上の人にこれを要求する、あるいはお金を出してくれる人を自分たちの選挙で選ばなければ、一方通行型経済モデルでは工事のための資金が出ません。
昨今の日本でも、これらの工事はあくまで、政府や行政が予算を付けてくれなければ、誰も工事を行うことができない。
ところが日本型経済循環モデルでは、地域住民の人々が、自分たちでこれらの工事を推進することが可能になるわけです。
そして上野英三郎博士は、この分野における草分けとなった方です。
この農業土木の分野を創設した上野博士の教え子は3000名を超えます。
そしてこの思想は、高橋是清の積極財政出動による農業振興政策にも応用されることになりました。
その上野博士は、大正13(1924)年に購入したのが秋田犬です。
彼はその犬に「ハチ」と名付けたわけですが、これまた実に不思議な取り合わせです。
おそらく名付け親となった上野博士自身も意識はしていなかったことと思いますが、一字一音一義の大和言葉で、
「ハ」は端と端が引き合うこと、
「チ」は凝縮
を意味するとされます。
つまり上下心をひとつにして、力を合わせて末広がりな幸せを築くのが「八(はち)」です。
ハチ公の名前は、まさに上野博士の学問そのものを凝縮した名前になっているわけです。
元来犬好きだった上野博士は、ハチをことのほか可愛がったそうです。
そして可愛がられたハチは、上野博士が出勤する際、いつも博士を渋谷駅まで見送りに行くのが日課となりました。
ところが飼い始めた翌年の5月21日、いつものように見送った博士が、大学の教授会の会議中に脳溢血で倒れ、そのまま急逝してしまうのです。
いつまでも帰らない主人を待って、ハチは3日間も何も食べずに、渋谷の駅前に博士を迎えに行きました。
25日には、上野博士の通夜が松濤の上野宅で行われたのですが、その日もハチは上野博士を迎えに、渋谷駅まで行き、駅から降りて来る人々の中から、博士の姿を探しながら、じっと博士の帰りを待ちました。
主人を失った上野家は、松濤の家を引き払い、ハチは日本橋にある上野博士の奥さんの親戚の堀越宅にもらわれることになりました。
ところがハチはなかなかその家になつかない。
やむなくハチは、浅草の親戚に引き取られることになるのですが、そこからも脱走して、渋谷まで一匹で行ってしまうのです。
そこで上野宅に出入りしていた植木職人の小林菊三郎さんに、ハチは面倒をみてもらうことになるのですが、ハチは、代々木にある菊三郎さんの家から、毎日、渋谷駅まで上野博士を迎えに行ってしまう。
そして腹が減ると、菊三郎さんの家に帰り、食事を済ませるとまた渋谷へ、という日々が続きます。
このときハチは、渋谷駅に向かう途中で、必ず旧上野宅に立寄り、中をのぞいていたそうです。
こうして渋谷駅前で、ハチの姿が毎日見られるようになりました。
ところが、人なつっこいハチは、しばしば通行人に棒で叩かれたりしていじめられます。
あるときは野犬捕獲人に捕まりました。
あるときは渋谷駅の小荷物室に勝手に入り込んで、駅員に追われました。
あるときは子供のいたずらなのでしょうか、顔の目のところに丸く墨で書かれたり、八の字髭を書かれたり(これにはみんな笑ったそうですが)などもしたそうです。
いちばん辛いのが、渋谷駅前の露天の屋台のお客さんや、屋台のオヤジさんから、商売の邪魔だと棒でひっぱたかれたりしたこと。
そんなハチの姿をみかねて、日本犬保存会初代会長の斎藤弘吉さんが、ハチの悲しい事情を人々に知らせようと当時の朝日新聞に「いとしや老犬物語」という記事を寄稿したのが、上野博士が亡くなって8年が経った昭和7(1932)年のことでした。

写真にある通り、この記事は大きく取り上げられたのですが、この記事のハチの写真が、耳が垂れていることから、記者が間違って「雑種」と報道してしまいます。
このため事情を知る人や、秋田犬好きな方々から、新聞社にたくさんの投書が寄せられ、新聞社がその訂正記事を載せたことから、逆にこれが宣伝効果となってハチは人々から可愛がられるようになります。
「忠犬ハチ公」というあだ名も、このころにつけられました。
ハチのひたむきに主人を思う姿は、多くの人の心を打ち、翌昭和8(1933)年には、ハチの銅像を造ろうという話が持ち上がりました。
そして全国の小中学校で寄付が集められました。
おもしろいのはこの頃ハチの物語がアメリカでも紹介され、アメリカの小中学校からもたくさんの寄付が届けられたことです。
ハチの銅像は、彫塑家の安藤照さんという方によって造られました。
安藤さんはアトリエが渋谷区初台にあり、当時のハチの飼い主である小林さんの家と近かったのです。
銅像を造るため、小林さんは毎日安藤さんの家に通ったそうです。
この銅像が渋谷駅前に飾られると、駅の近所では、「ハチ公せんべい」「ハチ公チョコレート」などが販売されるようになりました。
そしてハチは、文部省の尋常小学校修身書の小学2年生の教科書にも掲載される。
尋常小学校二年修身教科書

さて、昭和10(1935)年3月8日、ハチは渋谷駅の反対側の稲荷橋付近で、ひっそりとその生涯を閉じました。
享年13歳でした。
死因はフィラリア病がハチの心臓にまで達したこと。
ハチの胃の中には、焼き鳥の串が数本、胃につきささっていたそうです。
ハチが旅立ったあと、渋谷駅には、多くの人が押し寄せて盛大な葬儀が執り行なわれました。
そしてハチの遺体は、上野博士の眠る青山墓地に埋葬されました。
ハチの像は、その後、昭和19(1944)年、戦時中の金属回収運動の中で回収され、溶解されてしまいました。
現在のハチ公像は、昭和23(1948)年に、安藤照さんの息子さんがあらためて作りなおしたものです。
こうしてハチは、いまも渋谷駅前で、主人の帰りを待っています。
戦後の日本人が忘れているもの。
それが「忠」です。
「忠」は、真ん中の心と書きます。
自らの心の中心に置くもの。それが「忠」です。
そしてハチが象徴している「忠」は、上野博士の日本型循環経済モデルを中心に据えるものでもあります。
いまも渋谷駅前で主人の帰りを待つ忠犬ハチ公の姿は、単に上野教授を待っている姿なのではなくて、上野博士の日本型循環経済モデルの復活を待つ姿なのかもしれません。
さて、ハチは、亡くなったあと、剥製となって国立上野科学博物館に展示されています。
ところがこのハチの剥製、なぜか国立上野科学博物館の動物コーナーに展示してあり、ネームプレートに「秋田犬ハチ」と書いてあるだけです。
以前は、きちんと由来の説明書きが添えてあったのです。
けれどいまでは、ただ名前が書いてあるだけです。
なぜ国立上野科学博物館は、ハチの由来を撤去したのでしょうか。
なぜハチは、忠犬ハチ公ではなくて、「秋田犬ハチ」なのでしょうか。
こんなところにまで、日本破壊の魔の手が伸びていると思うと、ぞっとします。
最後にもうひとつ。
ザギトワさんもプーチンさんも、ともにロシアの人であり親日家として知られる人です。
彼らが日本を慕ってくれるのは、日本が軍事的に強いからでも経済力があるからでもありません。
循環経済モデルによって、国民みんなが幸せに生きるための知恵が日本に備わっているからです。
肝心の日本人が、そのことをすっかり忘れています。
それはとっても残念なことです。
お読みいただき、ありがとうございました。
※この記事は2012年3月の記事のリニューアルです。

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コメント
一有権者
この場合、収奪の必要がないばかりか、循環によって生産性や人々の生活の安全性が向上し、居住者全員が利益の分配にあずかることができることになります。
一億総中流などといったものも、こうした循環モデルが基礎になります。
残念ながらこれを日本の社会は壊してきましたね。そして長期政権を担った自民党もバブル期以降経済成長のみに囚われてその動きを加速させてしまいました。
最たるものは小泉劇場と揶揄された小泉政権時。
色々なものを法律の可決により緩和してきましたが、本当にその後の日本社会はアングロサクソン的社会になり和を貴ぶ日本的社会はガタガタと壊れてきています。かといって共産や社民のような野党に日本のかじ取りを任せられないのも事実ですが。
郵政民営化は見直しをすると言ったのだから今一度直すべきでしたね。ところが実際は何もせず郵便局が無くなり山間地の住民は不便になり結局過疎化が急速に進んでしまいましたし、非正規労働についても現状の各差を生んだ最大の政策ミス。これを治す気がなく何もする気がない政治家や役人。これで日本の社会は良くなるわけがない。
2019/03/27 URL 編集
オーツ
ザキトワではなくてザギトワです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%B6%E3%82%AE%E3%83%88%E3%83%AF
2019/03/27 URL 編集
takechiyo1949
『日本国内でしか食の安全は、護りきれない…』
その通りだと思います。
農作物の「地産池消」は、地元の気候に合った作物を地元で消費することですが、顔が見える農家との信頼関係…安全な食材を安心して食べる…何よりも大切なことだと思います。
しかし「良いものは高い!」は何処かにいってしまいました。
「高品質は当たり前」で「競争はコストダウン」です。
コストの大半は人件費です。
働く人の賃金を下げるしかありません。
昔は「給料は生活費」でした。
今は「能力」だ「実績」だの世相になってしまいました。
昇給無し!
賞与無し!
そんなの自業自得だ!
家のローン?
子供の教育?
老後の蓄え?
社員は家族?
そんなの仕事と関係無い!
こんなことをやってると、國は潰れてしまう…そう思えてなりません。
2019/03/27 URL 編集