
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)元号は「令和」となりましたが、ここであらためて元号のもとになっている日本の統治の根幹としての「知(し)らす」を再考してみたいと思います。
「シラス(知らす、治らす、Shirasu)」は、古事記や日本書紀に出てくる言葉です。
古事記は「知」と漢字一字で表記され、
日本書紀では「治」の文字で書かれています。
どちらも読みは「シラス」です。
基本的に古事記は「神々からの諸々の命(みこと)」を主題にしていますので、シラスを神々の知恵として「知」を用いています。
「知」は、「矢+口」で、神々が降臨される依代(よりしろ)を意味する漢字だからです。
知識とか知恵などの見えない力は、神々から与えられたものだという認識が基底にあります。
日本書紀は「治」で、この字は「サンズイ+ム+口」で、水辺で農機具を用いて田畑を耕す会意象形文字です。
日本書紀は全体のテーマが「よろこびあふれる楽しい国」、つまり「豈国(あにくに)」です。
だから「シラス」を農業を意味する「治」で示しているわけです。
ここで「示している」という言い方をしているのは、日本語は漢字を輸入したから単語ができたのではないからです。
どういうことかというと、いわゆる漢字圏と呼ばれる国や民族の多くは、漢字の音と意味をそのまま用いて自国の単語としています。
ところが日本語のみ、漢字に訓読みがあります。
これは、訓読みをする大和言葉が先にあったからです。
大和言葉の単語に、似合う漢字を、後から輸入したために、訓読みがあるのです。
つまり、「知」にせよ「治」にせよ、どちらも当て字であって、もともと大和言葉の「しらす」を、漢字を借りて表記しているのです。
では、もともとの大和言葉の「しらす」はどのような意味なのでしょうか。
一例としてカタカムナで解釈すると次のようになります。
「し」は、お示し
「ら」は、道
「す」は、進むこと
そこから、
「進むべき道を示すもの」
あるいは、
「お示しの道を進むこと」
あるいは、
「道を進むと示されるもの」
を意味しているとわかります。
ひとことでいうなら、「しらす」は「お示(しめ)し」つまり「シメス」や「シメシ」です。
お示しは、権力行使とは意味の異なるものです。
学校のお昼休みに、バスケットボールをするかサッカーをするかを決めるのが「お示し」です。
サッカーと決まったときに、サッカーのルールを守らせるのが「権力」です。
東日本大震災のとき、時の政府は右往左往するばかりで、まるで機能不全に陥りましたが、このとき陛下が「東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば」をご発信になりました。
この「おことば」は、ビデオメッセージとして陛下ご自身によって発信されました。
このとき陛下は
「この度の東北地方太平洋沖地震は、
マグニチュード9.0という
例を見ない規模の巨大地震であり、
被災地の悲惨な状況に
深く心を痛めています。
地震や津波による死者の数は日を追って増加し、
犠牲者が何人になるのかも分かりません。
一人でも多くの人の無事が
確認されることを願っています。
また、現在、原子力発電所の状況が
予断を許さぬものであることを深く案じ、
関係者の尽力により
事態の更なる悪化が回避されることを
切に願っています。」
とメッセージを発信されました。
このメッセージは英文でも発信され、これによって国内はもとより、世界中からも支援の手が差し伸べられ、またたくまに被災地への対策が進められていきました。
そしてこのとき、陛下は
「自衛隊,警察,消防,海上保安庁を始めとする
国や地方自治体の人々、
諸外国から救援のために来日した人々、
国内の様々な救援組織に属する人々が、
余震の続く危険な状況の中で、
日夜救援活動を進めている努力に感謝し、
その労を深くねぎらいたく思います。」
と述べられましたが、自衛隊が違憲だの、災害救助に自衛隊を差し向けるのはいかがなものかなどの議論は、陛下のこのひとことで消し飛び、自衛隊は、まさに我が国の危機緊急時において、もっとも役立つ機関として、完全に認知されるものとなりました。
このように、陛下のお言葉というのは、権力とはまったく異なり、国家最高権威として、人々を導き、国や国民の進むべき道を示すものです。
実はこのことはとても大切なことです。
権力には方向が必要だからです。
方向を失った権力は、ただの傲慢になり、別な目的を持った者たちに利用されます。
利用されているだけの権力は、いわば舞台の上の役者です。
舞台を実際に動かしているのは、客席に混じっているプロデューサーだったり、スポンサーだったりします。
つまり、権力はあるのに、その実体は国民の目から見て「よくわからないもの」になります。
ところが権力の上に「示し」があると、権力はその方向に向かって進まなければなりません。
つまり権力は「示された方向に向かって進むための機能」という役割になります。
この場合、プロデューサーもスポンサーも役者も監督も、全てはその方向に向かって進む機能ですから、当然に責任関係も明らかになります。
さらにその「示す者」が、国民を「おほみたから」とします。
そして権力は、国民が豊かに安全に安心して暮らせるようにすることが使命」と示します。
すると、どのような国柄が生まれるでしょうか。
これによって我が国は、すでに遅くとも7世紀には明文化した究極の民主主義を手に入れています。
西洋諸国が国民国家に目覚めるのは、ナポレオン以降の19世紀の初めごろのことですから、これは世界に先駆けること千年以上も先行した話です。
そしていまでも日本では天皇がお示しを行われています。
お読みいただき、ありがとうございました。

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コメント
takechiyo1949
「しらす国」の最高権威である天皇を支えているのは誰?
それは…天皇の「おおみたから」である私達民衆です。
その民衆に選ばれた為政者(国家権力・政治権力)は、言葉は悪いですが、サポート役を天皇から親任されたに過ぎません。
近頃「お示し」が有っても何か勘違いして、民衆を支配しようとする政治家や官僚が多い気がします。
行き先を見失う?
とんでもない不敬です。
2019/08/30 URL 編集
takechiyo1949
などと宣って、我国の最先端技術研究を仕分けした者が未だに政治家をやってます。
「お示し」が無ければ方向を見失って責任も取らず何も果たせない?
そんな者共に権力を与えてはなりません。
懲り懲りです。
2019/04/06 URL 編集