日本人は明るくて正々堂々



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「立っていて腕が飛ばされるとな、
 人間って体の重心がくるって、
 体が独楽(こま)みたいにクルクルまわるんだ。
 おもしろかったぞ。
 それでな、立ち上がるときには
 ニッと笑うんだ。
 それが男だ」


20190416 日本陸軍
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)


「人のものを盗むな」、「人の悪口を言うな」などといったことは、戦前の日本人にとっては、ごくあたりまえの常識でした。
すくなくとも昭和30年代くらいまでは、一般的社会風潮として、日本社会に色濃く残っていたように思います。

うちの実家は市内の街中にありましたが、クルマ好きで自営業を営む父が、家族全員を連れて泊りがけで社員旅行に出かけるときも、家の玄関に鍵などかけなかったし、そもそもその鍵自体が、玄関についていませんでした。

それが昭和40年代になって、なんとわが家も一人前に泥棒さんが入ってくれて、警察官がやってきて「家の玄関に鍵をかけない方が悪い」などといわれ、そこで初めて「家の鍵」などという立派なもの(笑)が取り付けられました。

もっともその鍵を持ち歩くという習慣がなかったから、その鍵は玄関のかもいの上に置きっぱなしになっていました。
子供でも手が届くところに鍵があるのですから、大人が見れば、ちょうど目の高さくらいに堂々とその鍵が置かれていたわけで、いま思えば、「あれはいったい何だったのだろうか」と、思わず笑えてきます。

もっとも、入った泥棒さんのほうも家内に侵入したは良いけれど、盗むものが何もなくて(本当に家の中には何もなかった)、盗まれたのは壁にかけてあった木製の般若のお面だけ(結構高価なものでしたが)という具合でした。

日本は、それくらい治安が良かったわけですが、以前にもご紹介しましたけれども、江戸時代までさかのぼると、これがもっとすごくて、路上に大量の現金が置きっぱなしになっていても、どんなに生活が苦しかろうが、誰もそれを盗もうなどは思いもよらないものでした。

というのは、いまでは現金を送金するときは、銀行のATMを使いますが、江戸時代にも現金の送金は頻繁に行われていました。
どうやっていたかというと、金飛脚(かねびきゃく)と呼ばれる人たちが、街道をエッホエッホと走って全国にお金の配送をしていたわけです。


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20190317 MARTH




ではその金飛脚に、どうやって現金輸送を依頼したのかというと、これは加瀬英明先生から教えていただいたことですが、たとえば江戸から地方にある実家に現金を送金するときには、江戸の日本橋(いま日本橋三越のあたり)に、みんなが送金するお金を持参していました。
そこに現金の送金所があったのです。

お江戸日本橋は、東海道、日光街道、甲州街道、奥州街道、中山道の五街道の出発点であり、到着点です。
ですからそこは、いまの新宿や渋谷の歩行者天国みたいに往来の華やかなところであり、しかも、いわゆる「よそもの」さんたちが往来するところだったわけです。
その日本橋の、橋のたもとに、馬小屋のような屋根の着いた建物があり、その屋根の下に数段の棚があって、そこに竹編みのザルがいくつも置いてありました。
ザルには、全国の各藩の名前を書いた紙が貼ってありました。

現金送金する人は、自分が現金を送りたい先の藩の名前が書いてあるザルに、宛先を書いた紙にくるんだ現金を、ただ置くだけでした。
送金手数料は、各地ごとにいくらいくらと書かれた箱が脇にあって、これまた誰も見ていないところで、送金を依頼する人が、指定された手数料を入れるだけです。
いまでも地方の農道などで、小さな小屋に野菜を並べ、欲しい人はお金を箱に入れて勝手に野菜を持って行くという、無人の農産物販売所がありますが、あれと同じ仕組みです。
見張りも、立会人もいません。

当時250万の人口を持ち、世界最大の都市であった江戸です。
その江戸から全国への送金となれば、おそらくそこには、合計すれば何千両といった大金が毎日、いわば野天のような状態のところに置かれていたわけです。

ところが江戸260年を通じて、日本橋のその現金送金所が、泥棒被害に遭ったということが一度も発生していないのです。
それが日本です。

そういえば、同じく加瀬先生から教えていただいたのですが、江戸時代の享保(きょうほう)年間といえば、テレビの時代劇の「暴れん坊将軍」で有名な将軍吉宗の治世ですけれど、これがちょうど29年続いたわけです。
その29年間に、江戸の小伝馬町の牢屋に収監された犯罪者の数は、いったい何人いたかというと、これがなんと「0人」です。
牢屋に入れられるような犯罪を犯す者自体がいなかったのです。

奉行所が仕事をしないでサボっていたから、牢屋がカラだったのではありません。
奉行所が、犯罪が起きないように一生懸命働いたから、結果として収監される犯罪者の数が「0人」だったのです。

悪口についても、厳しかったことを覚えています。
狭くてウエットな日本ですから、人のうわさ話はよくありましたが、悪口は言わない。
言わなくても「察する」という文化が、そこにあったわけです。

そしてその「察する」という文化の源泉となっていたのが、たった31文字で万感の思いを伝える和歌であったということは、当ブログの百人一首の解説の中で、たびたび書かせていただいていることです。

そういえば、私が子供の頃に死んだ親父がよく言っていたことに、
「喧嘩をするなら、自分より強いやつとやれ」
というものがありました。
子供だって腹の立つことはあるわけです。
男の子だから、当然喧嘩をします。
とっくみあいや殴り合いで生傷が絶えないのが男の子です。

それも自分よりも強い者としか喧嘩しちゃいけないというのですから、これはたいへんで、ですから喧嘩をしたら、負けばかりでした。
負けて鼻血を流して半べそをかきながら、
「今日はこのへんで勘弁しといてやらあ」
気持ちだけは負けてない(笑)

勝負に勝つとか負けるということが問題ではなかったのです。
たとえ負けてもいいから、卑怯な真似をせずに正々堂々と挑む。
それが男の子だと教えられました。

けれど、そうした負けを何度も繰り返しているうちに、子供ながら一計を思いつきます。
単独で喧嘩をするから負けるのです。
強きを挫き弱きを助けるのが男の子だと教わりました。
勝ち負けが問題ではないのです。

正々堂々と正義を貫いたかどうかが問題なのです。
そのために怪我をしても
「体の傷は、三日もすれば治る。
 けれど卑怯な真似をしたという心の傷は
 一生治らん。
 それどころか家名の恥だ」
と教わりました。

その怪我ですが、昔は塗り薬といえば、ヨードチンキです。
これは傷口にとても滲(し)みて、塗るととても痛いものでした。
それで痛がると、
「武士や兵隊さんは、
 戦いの最中に手足が飛ばされても
 声も立てないで我慢するのです。
 たかがこれくらいの傷に
 大げさに騒ぎ立てるものではない」
と言われました。

実際、親戚に、戦時中に爆風で左腕を肩から飛ばされた叔父がいて、その叔父が
「立っていて腕が飛ばされるとな、
 人間って体の重心がくるって、
 体が独楽(こま)みたいにクルクルまわるんだ。
 おもしろかったぞ。
 それでな、立ち上がるときには
 ニッと笑うんだ。
 それが男だ」
なんて言うものだから、少々の怪我で「痛い痛い」などとは言えない。
殴られたり怪我をして痛かったら、べそをかきながらでも、顔だけは笑えと言われたものです。

考えてみると、そういう教育を受けた日本人だからこそ、20倍もの敵と戦うことができたのであろうと思います。
そしてそのおかげで、いまのわたしたちがあるし、いまの有色人種を含む世界の人種の平等があります。

どこかの国が反日をあおることで、立場の保全を図るのは、日本男児は肚のつくりが違うのです。

========
六月五日
あんまり緑が美しい
今日これから死に行くことすら忘れてしまひさうだ
真っ青な空
ぽかんと浮かぶ白い雲
六月の知覧はもうセミの声がして夏を思はせる
「小鳥の声が楽しさう
 俺も今度は小鳥になるよ」
日のあたる草の上にねころんで
杉本がこんなことを云ってゐる
笑わせるな
本日14時55分
いよいよ知覧を離陸する
なつかしの祖國よ
さらば

使ひなれた万年筆を「かたみ」に送ります。

陸軍大尉 枝 幹二 命
第六航空軍司令部
昭和二十年六月六日 沖縄方面にて戦死
富山県出身 二十三歳

===========

お気づきと思いますが、枝幹二陸軍大尉の遺書にある「笑わせるな」は、在日Koreanが人を罵(ののし)るときに使う
「笑わせんじゃねえよ。バッカヤロ−」の「笑わせるな」ではありません。
戦友であり同僚であり、親しい友人の杉本(陸軍大尉?)に最大の愛情を込めた「笑わせるな」です。

日本は、古代の昔から「豈国(あにくに)」、つまり「よろこびあふれる楽しいクニ」を希求してきた国です。
共にその祖国を護(まも)るために、これから死に行こうとするときに、「あいつは俺と同じ気持ちでいてくれて、いつもうまいことを言う。いいヤツだぜ」という、心の底に澄みきった青空のような爽心があって、その澄んだ心を基底にして、「笑わせな」と遺書に書いています。

いまの若者たちの間にも、そうした親愛の情と明るさは、しっかりと息づいています。
その日本人の明るさが目覚めるとき、日本は大きく変わります。

お読みいただき、ありがとうございました。

※この記事は2014年4月の記事のリニューアルです。


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はじめに
01-01 私達はなぜ神話を学ぶのか
01-02 古事記と日本書紀の違いとは
第一章
02-01 隠身と別天神
02-02 創生の神々と十七条憲法のただならぬ関係とは
03-01 諸命以と修理固成という重要語
03-02 見立てると成り成りて
03-03 ヒルコをめぐる三つの意味とは
03-04 神議(かむはか)り
03-05 国生みと神生み
03-06 イザナミの神避りと古代の葬祭


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01 修身教育とは
02 誠実
03 孝行
04 礼儀
05 博愛
06 公益
07 よい日本人
08 自立自営
09 我が郷土
10 人の名誉を重んじる
11 勇気
12 進取の気象
13 信義
14 国旗
15 慈善 





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コメント

さえこ




あのラップ調のデモは・・・。
私の知る限りでは、5年前の反原発運動の、施設前に居座ってたデモから始まった様な記憶なのですが。
その時も、デモ隊の言動に無茶苦茶違和感が有りましたが、東京での蝋燭デモとかも始まり・・・。

これらって、はっきり言って、日本人に依る日本人のデモじゃないですよね?ただの反日シナ朝鮮帰化人が騒いでるだけです。本気だったらレイシストシナ朝鮮の原発やミサイルを止めてみなさい!!
変な朝鮮太鼓叩いてるし。

まぁ反日帰化人の一部の若者が、それらに影響を受けて真似しているかもって考え方も出来ますが、その真似した若者たちは、タダの馬鹿です。
私には馬鹿にしか見えませんね。

-

こんばんは。愚痴を聞いて下さい。只今、インディアナポリス?なる映画がやっています。ストーリーはアメリカ駆逐艦のインディアナポリスがテニアン島に原爆を輸送するというものです…さて、齢73の戦後教育に凝り固まった親父は、日本軍が…いや太平洋戦争は日本が全面的に悪いと嘯き、原爆投下は致し方ないと主張します。そこで私は親父に問いました…では何故アメリカはドイツに原爆を使用しなかった?アメリカはここぞとばかりに、黄色人種の日本人を原爆実験に使ったのではないのか?と…親父は黙り込み日本が悪いと言うばかりでろくに反論もできませんでしたよ。アメリカは戦争に介入…いやいや自ら戦争を仕掛けてでも武器を売る腐った国です。いや、アメリカは寧ろ戦争が無くては軍需産業が成り立たない人を殺めてナンボの悪魔の国です…自由主義、民主主義なんて欺瞞です。アメリカは日本を守りません。日本も憲法改正から軍の強化及び、核武装も議論しなくてはならないと思います。

川田

いつもお世話になっております。
中1の時…ケンカで傷だらけで帰宅したら、
親父は勝敗を聞いてきました。悔し泣きした
瞬間『今すぐケンカしに行け!勝つまで帰って来んな!!』と怒鳴られた事を思い出しま
した。近年、親父の学生時代のケンカ相手の
名前を問うと『アイツはパクって奴だった
な~』。赤チンはとってもしみましたね。
あ、親父の命令なのでリベンジに行きました
が相手の親御さんが出て来られて有耶無耶に
終わりました。
ねず様、我が子達ですが、何も教えていない
のに(私が未覚醒)神社で手を合わせてお辞儀
していました(誰も来ないような僻地の神社
)。子供ってお天道様に繋がっていますね。
ご先祖様、ありがとうございます。

おかよしお

No title
こんにちは!
今日も拝読させていただきました。シェアさせていただきました。
ありがとうございます。
現代に生きる我々が強くなるには心の修行が必要です。
これから生まれくる子どもたちには、是非強く育って
欲しいと思います。

takechiyo1949

家の入口に鍵が無い!
子供の頃、山深い村に住んでいました。
家の入口に鍵が無い!
村中そんなでしたね。
バス以外は車も滅多に通らないし、余所者も来ない…駐在さんはいつも暇で、一緒に遊んでくれました。
そう言えば「治安」という単語も聞いた記憶はありません。
みんな顔見知りで貧乏で、盗む物など無かっただけ?
そうかも知れません。
しかし…四季の移り変わりに従って長閑に暮らす村の人々は実に温和でした。
遠い昔の懐かしい風物を思い出しています。

GX

送金
江戸時代、すでに為替手形がございました。いかに飛脚の皆さんが健脚といっても高額現金を送金するには重すぎます。どうしても物理的に大量の現金をやり取りする場合は、荷馬などを使ったでしょう。すばやく大金を送るには手形が便利でした。まあ、現金も手形も同じ価値、信用があるわけですから、現金性の財物という意味では同種のそれですが。それが江戸時代には高度に発達していたのです。一説には為替自体は鎌倉時代に起こったそうです。
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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