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政治のことを「色物(いろもの)」と言います。
虹を見たらわかります。
虹は七色と言われ、虹を見ると赤から黄色、青の色があるのがわかりますが、ではどこまでが赤で、どこから黄色になり、青になるのか、その境界線はきわめて曖昧です。
しかし境界は曖昧でも、それでもやっぱり赤は赤、青は青です。
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)百人一首の29番に凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)の歌があります。
心あてに折らばや折らむ
初霜の置きまどはせる白菊の花 (こころあてに おらはやおらむ はつしもの
おきまとはせる しらきくのはな)
歌を現代語訳すると、
あてずっぽうにでも、折れるなら折ってしまおう。
初霜が降りているのと見惑わせる白菊の花
となります。
凡河内躬恒は、身分は決して高くなかった人ですが、後年、藤原公任(ふじわらの きんとう)によって、三十六歌仙のひとりに選ばれました。
紀貫之(きの つらゆき)とも親交のあった和歌の世界のエリートです。
そしてこの凡河内躬恒は、たいへんに思慮深い、深みのある歌を多く詠む大歌人(詠み口深く思入りたる方は、又類なき者なり)と言われた人でもあります。
ところがこの歌を正岡子規は、
「初霜が降りたくらいで
白菊が見えなくなるわけがないじゃないか」
と酷評しています。
このため多くの訳も「霜の降る寒い朝に、白菊の花を折ろうと思っても、霜か白菊か区別がつかないよ。仕方がないから、あてずっぽうに折ってしまおう」といった、あくまでも霜と白菊に限定した解釈しかなされていいないようです。
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正岡子規が指摘しているように、いくら霜が白いといっても、菊の花と霜の区別くらい、誰だって簡単に見分けがつくことです。
では、そんな歌のどこが名歌といえるのでしょうか。
実はこの歌を読み解く最大のキーワードは「白菊」です。
菊の御紋は、いったいどういう人たちが用いるものでしょうか。
わたしたちがよく知る「錦の御旗」に代表される菊の御紋は、皇室の御紋で、正式名称は「十六八重表菊」といいます。
戦前までは、皇族になると同じ「菊の御紋」であっても花びらの数が違っていて「十四一重裏菊」の御紋になります。
また、有栖川宮様、高松宮様、三笠宮様、常陸宮様、高円宮様、桂宮様、秋篠宮様なども、それぞれ菊の御紋をお使いになっておいでになりますが、それぞれ図案はご皇室の「十六八重表菊」とはデザインが異なるものになっています。
ご興味のある方は、ネットなどでお調べいただいたら良いですが、要するに菊の花というのは、そのままご皇室を暗示させる用語になります。
そして「霜(しも)」は、同じ音が「下(しも)」です。
つまり凡河内躬恒は、たとえご皇族であったとしても、下との境目の見分けがつかないなら、手折ってしまえ!と言っているのです。
凡河内躬恒は、日頃はとてもおだやかな人であったと伝えられています。
けれどその穏やかな人が、この歌では実はものすごく過激な発言をしているのです。
所有を前提とする社会では、上の人は下の人を所有(私有)しますから、下の人が上の人を批判したり、「手折ってしまえ」などと過激な発言をしたら、その時点で殺されても仕方がないことになります。
ところが、歌がうまいとはいっても、身分は下級役人でしかない凡河内躬恒が、このような過激な発言をしても、まったく罪に問われることはない。
つまり、この歌は、ひとつには凡河内躬恒が生きた9世紀の後半から10世紀の前半にかけての日本、つまり千年前の日本に、ちゃんと言論の自由があったことを証明しています。
この歌の意味は、詠み手の凡河内躬恒が「白菊と霜の見分けがつかない阿呆」なのではありません。
菊の御紋は、一般の民衆を「おほみたから」としているのです。
ですから権力者が統治する下々の人々は、権力者から見たときに、それを「おほみたから」とするご皇室の方々と同じ位置にあるのです。
そういうことがわからないなら、それがたとえ御皇族の方であったとしても、「手折ってしまえ」と凡河内躬恒は詠んでいるのです。
初霜と白菊は、同じようにみえるものであっても、その本質がまるで異なるものです。
そして民衆は「支配するもの」ではなくて、
民衆は、天皇の「おほみたから」です。
ところが、権力を得ようとする人や、権力に安住する人、あるいは権力を行使する人は、ややもすれば、自分よりも下の人を、自分の所有物と履き違えます。
その区別は、実はとてもむつかしい・・つまり両者はとても似ているのです。
言葉にすれば「シラス」と「ウシハク」の違いです。
けれど、その違いは、権力に目がくらむと、まったく見えないものになります。
なぜなら「シラス」も「ウシハク」も、どちらも統治の基本姿勢のことであり、「統治」という意味においては、白菊と霜の白い色のように、同じ色をしているからです。
政治のことを「色物(いろもの)」と言います。
虹を見たらわかります。
虹は七色と言われ、虹を見ると赤から黄色、青の色があるのがわかりますが、ではどこまでが赤で、どこから黄色になり、青になるのか、その境界線はきわめて曖昧です。
しかし境界は曖昧でも、それでもやっぱり赤は赤、青は青です。
だからこそ我が国は、古来から「シラス」を統治の根本としてきました。
けれど、いつの時代にも「ウシハク」人はいるのです。
その違いがわからないなら、「心あてに折らばや折らむ」、
つまり当てずっぽうでも良いから折ってしまえ(放逐してしまえ!)と凡河内躬恒は詠んでいます。
これを我が国の高位高官の人が言ったというのなら、いささか傲慢さを感じてしまうのですけれど、身分の低い凡河内躬恒が、うたいあげたところに、この歌の凄みがあります。
百人一首の歌の順番には、歌を解する上において、とても大きな意味があるのです。
そしてこの歌は28番歌の源宗于(みなもとのむねゆき)と並んで、我が国の統治の在り方の本質を、わたしたちに厳しくもやさしく教えてくれている歌なのです。
(出典:『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』)
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コメント
六本木の住民
2019/05/02 URL 編集
三上正弘
2019/05/02 URL 編集
さち
反日在日ネットワークをぶっ潰せ!
政府は、06年に朝鮮連合小泉政権が女性、女系天皇を容認する皇室典範改正案の国会提出を模索したものの、秋篠宮妃紀子さまが懐妊されたことを受けて断念。12年には在日野田政権が皇族減少への対策として女性宮家創設を軸とする論点整理を公表したが、政権交代で実現しなかった
2019/05/02 URL 編集
woodhome
ローマ法王はありか
これは気がつきませんでした。
調べてみるとカトリックでは法王はおろかその下の司教、司祭、助祭に至るまで女性がその位階につくことは禁じられているようです。
女性が天皇になれないのはおかしいなどと言う軽薄な御仁には,
それを言うならカトリックを先に批判しろ、で終わりですね。
2019/05/02 URL 編集
にっぽんじん
天照大神を始祖とする日本の歴史は2千年を超える世界に類のない国です。
その間に、日本固有の文明を創ってきました。令和が世界の平和に寄与する時代になって欲しいと期待しています。
隣国の韓国は反日を国是としています。
5千年の歴史を誇っているが朝鮮固有の歴史文化はなにもありません。
中国の属国として中華化し、氏名まで中華風に変えて小中華として中華に忠誠を尽くしていました。
歴史は中華歴史を学び、文字は漢文でハングルは打ち捨てられていたのです。日清、日露戦争によって独立したものの独り立ちが出来ない国でした。
そんな国を日本が併合し、近代化を進めたのです。韓国の歴史教育では独立政府が日帝と戦って独立を果たしたかのように教えているがそんな事実はありません。
韓国は併合後、日本の統治を肯定的に受け入れ、日本人として生活をしていたのです。全国民が親日でした。それが反日に転じたのは日本の敗戦です。敗戦後の日本は戦犯国として裁かれ、焦土となった最貧国になったのです。
日本人として暮らしていた韓国人にとっては青天の壁礫でした。
日本と同じ戦犯国にならないためには戦前の日本統治を全否定し、被害者になるしかありませんでした。
が、半島から日本人が去った後の統治は、反日を口にしながら親日だった韓国人が日本の統治制度をそのまま継承しました。当時の韓国人は表面的には反日でも心はまだ親日だったようです。
日本人を悪として日本の統治を否定するために反日教育を行い、子供たちに日本に対する「恨み」を植え付けてきました。その結果が今の韓国です。
元駐韓大使館参事官だった松本厚治氏の著書:韓国「反日主義」の起源(2019年3月4日発行)を読んでください。氏の著書によると韓国の反日は永遠に止むことはないと書いています。
反日が「宗教」になった以上それを変えることは至難の業です。
平成から令和に変わったことを祝す言葉が文大統領から送られてきました。が、真意は「天皇利用」に過ぎません。
韓国との付き合いは距離を置き、程々にしておくことがいいかと思います。
2019/05/02 URL 編集
takechiyo1949
それらにぶら下がる輩?
どちらがシラス?
どちらがウシハク?
私も「似非保守だ!」と言われています。
自ら保守を名乗ったことは一度もありません。
そういうレッテルを貼り歩くことが好きな連中は大勢います。
良く似てますから、最初から見分けることは難しいです。
『手折ってしまえ』
気持ちは良く分かります。
2019/05/02 URL 編集
条項
これまで国民には、
ここに提示した皇族に復帰できる立派な男子の皇族の存在情報が
封印されてきました。!!
大塚耕平議員が、同書の旧皇族の家系図のフリップを示されて、
東久邇家にいらっしゃる悠仁親王殿下と又従兄弟の同世代の五名の男子を
説明されていたのなら、その内の二家族が皇籍復帰していただけるだけで、
悠仁親王殿下が天皇になられて男子の御子様が誕生されなくても、
悠仁親王殿下と同世代の東久邇家五名の男子には
すでに三名の男子の御子様がいらっしゃるので、
皇室は100年安泰になることを国民は一瞬で理解できたと思われます。
安倍首相等国会議員は、
旧皇族に触れると戦後70年を過ぎ民間人云々と発言しますが、
皇籍をGHQに剥奪されて、皇籍降下される皇族に対して昭和天皇は
「またいつ皇室に復帰されるかも知れないので慎ましく生活していてください」
との趣旨を述べられたことは周知の事実です。
それに対して、安倍首相等国会議員のひとつ覚えのような
「70年を過ぎ民間人云々」のことばは通用しません。
2019/05/02 URL 編集
GX
ただし、百人一首の選出は後鳥羽上皇が破れ、流された後ですから、藤原定家が本文の御主張の意味を込めてこの歌を選んだのだということならあり得るかもしれません。
2019/05/02 URL 編集