縄文晩期から弥生初期の人口の激減について



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縄文晩期から弥生初期に至る人口の激減は、その規模からみて、人々の移住の結果であったと考えたほうが、死滅とするよりもはるかに可能性が高いということをあらためて考えてみたいと思います。


20190628 縄文晩期の人口減
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2019/6431/
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)


縄文時代の人口は、日本列島全体で概ね26万人であったとされています。
ところが縄文晩期に、突然人口が8万人程度にまで減少しました。
このことは遺跡からの考古学的検証からも、またDNAの解析からも明らかになっています。
一般的に言われる理由は気象の変化で、この時期急激な寒冷化が進み、そのために木の実などの収穫が落ち込み、餓死者があとを立たなくなったといわれています。

この人口減少のあとから弥生時代が始まり、人口が逆に8万人からいきなり60万人に増加します。
一般的に言われている理由は、渡来人によってもたらされた稲の水耕栽培によって食料が増産されたとするものです。

しかし3つの点で疑問があります。
ひとつは、日本における稲の栽培の開催時期です。
なるほど従来説は、弥生時代に始まったとするものでしたが、考古学的発見によって、我が国ではすでに8千年前には稲作が開始され、4千年前には水田を用いた集落が営まれていたことが証明されています。
つまり人口減少の時代の前に、すでに稲作が開始されているのです。
ということは、稲作伝来が人口の増加をもたらしたという説は成り立ちません。

ふたつめは栽培される稲の種類がChinaや朝鮮半島の稲と種類が異なることです。
下の図をご覧いただくとわかりますが、朝鮮半島にはbタイプがありません。
これでは大陸から朝鮮半島を経由して日本に稲作が渡来したという説は成り立ちません。
20190701 稲作
http://inoues.net/study/japonica1.html


みっつめは食生活です。
なるほど縄文時代が狩猟採集生活に特化したものであれば、急激な気温低下による植物体系の変化によって、それまで採集していた木の実等が採集できなくなったということは、一見、もっともらしい理屈です。
しかしそれ以前から稲の栽培が行われていたなら、この理屈は通用しません。
なぜなら稲は保存に適した品種だからです。

というわけで3つの理由から弥生時代稲作渡来説、および稲作渡来による人口増加説を否定したのですが、ではどうして縄文晩期の急激な人口減少が起こったのでしょうか。
すくなくとも、人口がいきなり3分の1になっているのです。これはたいへん大きな出来事です。



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20190317 MARTH

加えてこの時期、火山の破局噴火もありません。破局噴火はひとつ起これば日本列島全体の人口を激減させるどころか地球規模での人口の大激減をもたらします。
小さな(普通の)噴火はいくつもあったことでしょうが、それら小さな噴火が日本列島全体の人口低下をもたらしたということには無理があります。
地震も同じです。局地的な人口減少をもたらすことがあっても、日本列島全域での人口低下をもたらしたとするには無理があります。26万人が8万人に減少しているのです。

はっきりしている理由がひとつあります。
それは「気温の急激な低下」です。この時期、年平均気温が−2℃ほど低下したことが様々な資料でわかっています。
気温は1℃の違いで仙台と鹿児島の気候がひっくり返りますが、2℃違うということは、鹿児島と樺太の気候をひっくりかえします。
つまり日本列島全体に、たいへんな寒冷化がもたらされたということです。

これだけ寒冷化が進むと、稲作はもともと稲が熱帯性植物であることでもあり、大凶作どころか、栽培自体が困難になってしまいます。
一般に指摘されている通り、寒冷化によって樹木の体系さえも異なってきていきますから、それまでの広葉樹からの木の実の採集も困難になったことでしょう。
食べ物は、もっぱら冷たい海から穫れる魚や貝、海藻などを中心としていかざるを得ません。
しかしその海さえも、冬場は流氷の海になってしまったのです。

それだけ冷たく寒い時期ですから、春夏秋に収穫した魚や海藻類は、冬場は冷凍保存できたのかもしれません。
ですから日本列島に人が生き残ることはできたのだといえます。
しかしそれだけでは、26万人が8万人に減少するというたいへんな事態を説明することができません。
ではいったいどうして人口がここまで激減したのでしょうか。

そこでひとつ考えなければならないことがあります。
日本が3万年前には神津島との間を往来できたほどの航海技術を持っていた国であるということです。
これは縄文時代が開始された1万6500年前の、さらに倍ほども古い昔のことです。
そういう人々の子孫が、日本列島全体に広がり、26万人の人口を持っていたわけです。

日本列島全体で26万人です。
もちろん土地に所有権なんてありません。
船を持つ海洋民族であれば、寒くなればムラごと南に移動するし、暖かくなればムラごと東に移動します。
とりわけ海中の魚は、気温の変化に敏感で、最近でも多少の温暖化が進んだ結果、半世紀前には御前崎あたりでよく採れたイシモチが、いまでは九十九里沖で採れるようになりました。
つまり水温の変化に応じて、魚たちは移動するわけで、そうなればその魚を食べていた人たちも、魚と一緒に移動する。
これはごく自然なことです。

ただし、縄文人の生活は、単に魚を採っていただけではなく、農耕も営んでいましたから、そうなるとムラの引っ越しはある程度制限されることになります。
それでも気温が樺太と鹿児島が入れ替わったなら、もう引っ越ししなけれならない。
当然の動きといえると思います。

人は食べなければ生きていくことができません。
そして何を食べて生きてきたかによって、それぞれの民族の体質に変化が及びます。
たとえば日本人の多くは、乳製品を体内で分解することができません。
牛乳を飲むと下痢をする人がいるのはそのためです。

日本人の食生活は、お米と小魚と豆と葉っぱと根っこ(大根やレンコンなど)が基本です。
肉食も実は苦手です。
肉を食べると元気がでるといいますが、日本人の場合、食べたすぐ後に瞬発力は出ますが、継続的な力仕事に肉食は向きません。
このことは幾度となく実験によって証明されています。

ちなみに最近では肉食系、草食系という言葉が流行っていますが、肉食系というのは半島の人たちがモンゴルに支配されて以降肉食になっていたことを指し、草食系というのはもともと菜食薄味の日本人のことをいうのだそうです。
肉食だから元気が良いと言いたいのでしょうが、明治のはじめに来日した外国人が、握り飯とたくあんだけで、馬よりも早く江戸から日光まで旅する日本人を観て、あきれるほどにびっくりしています。
草食系の持つパワーは、実は肉食よりもはるかに持続性があることは、いまでは完全に立証されていることです。

要するに日本人は日本古来の普通の食事のほうが、実はパワーが出ます。
逆に日本人が肉食を中心に据えた食生活にすると、日本人の場合、一時的な元気だけで持続力と集中力がなくなり、物事を深く考えることができなくなり、キレやすくなる・・・つまりどっかの半島人と似てくるという報告もあります。
体調がいまいちで、なんだか体がだるくて元気が出ない。そんなときはトンカツを食べに行くよりも、メザシと納豆に漬物でご飯を食べると、意外と元気が出て集中力も戻るものです。

そもそも日本人の腸は植物を消化するために長くなっています。日本人が胴長短足なのはそのためで、逆に肉食になると、腸に負担がかかるのです。
要するに食べ物によって人間の体はできているし、それぞれの民族ごとに、食べ物にもっと合った形に体型までも変化するのです。
そして何千年、何万年という単位で形作られた形質というのは、数百年単位で変化をもたらすことはありません。
このことは、5千年前の白人がいまでも白人のままでいること、黒人もそうであることを考えれば、容易に知れることであろうと思います。

人口密度が今よりも圧倒的に低くて、日本列島に26万人しか人が住んでいない時代、基本的食材が、気象変動によって獲得が困難になれば、簡単により住みよい土地を求めて移住するのは何もむつかしいことではなくて、当然そうあるべきものです。
高天原の所在地を天界だと言ったのは本居宣長からで、それまでは茨城県の日立だったり、奥飛騨であったり、九州であったり、高天原があったとされる土地が全国各地に散らばっています。
要するに気象変動に合わせて、人々が移動した結果、高天原の所在地も全国にまたがるようになったといえるわけです。

逆に、気象変動に合わせて、食生活そのものを変えるということは、これはほとんど起こりえないことです。
もっとも世界には、征服されたときに、その支配層に媚びて食生活を180度転換させてしまったきわめてめずらしい種も半島のあたりにありますが、強い者(モンゴル)に媚びて食生活まで変えてしまったというのは、ある意味すごいことですが、真似したいとは思いません。

さて、日本が急激な寒冷化を迎えた時代、Chinaでは何があったのでしょうか。
日本の縄文後期にあたる2500年前といえば、Chinaは周王朝から春秋時代ころにあたります。
周王朝は、赤毛の人々だったという説がありますが、きわめて簡単な話、気象の寒冷化に伴って、稲作を行っていた揚子江あたりの人々が南下し、一方、満州からモンゴルあたりで遊牧生活を行っていた人々も、同様に南下したのです。
気象条件が変わったのです。これは当然のことです。
そして、人のいなくなった中原に、北方遊牧民が築いた王朝が周だったというわけです。

なにせもといた満州からモンゴルのあたりは、シベリアのツンドラ地帯のような極寒の地になってしまったわけです。
それでは大事な家畜たちが死んでしまいます。だから南下する。これは遊牧民であれば当然のことです。国境なんてない時代なのです。

その周王朝から春秋時代の主役は、ほぼ黄河流域に集中しています。
南にある揚子江流域で稲作を営んでいた人たちは、周の人たちと食文化が違いますから、これは一緒にはなれません。この時代の歴史にも登場しません。
これが何を意味しているかと言うと、周王朝や春秋時代の影響を受けていない・・・つまりまったく別な食生活のまったく別な民族が、南側でクニを形成しいたということです。

このことからおもしろい類推ができます。
いまと同じくらいの気温であった日本列島が、北樺太なみの気候になったとき、日本列島に住んでいた倭人たちががどうするかといえば、いままでの食文化を保持しようとするなら、ずっと南の地に移住していかなければならない、ということです。

その移住先となったのが、China福建省から湖南省のあたり一帯であったのではないかと思われるのです。
そうであるとするなら、稲の品種(abタイプ)がChina福建省から湖南省のあたり一帯で栽培されるようになることは十分に考えられることです。
この逆の流れが現在の通説なのですが、これは考えにくいのです。
なぜなら、この時代の日本列島は急速な寒冷化によって気温が低すぎて、稲作に適さないからです。

ところが2300年くらい前になると、地球気温が急激に上昇します。
これは本当に急激な上昇で、そうなると北方遊牧民が黄河界隈でさかんな殺し合いを続けている福建省から湖南省のあたりではなく、もともとご先祖(ご先祖といっても、いまでいうから明治のはじめ頃のご先祖です)が住んでいた日本列島に、また船で帰る。
これまたごくあたりまえの選択です。

弥生時代初期の人口増加は、異なる文化を持った大陸からの渡来人たちがやってきて縄文人たちの文化や生活を破壊したのではなくて、200年ほどの間、寒冷化を避けて福建省のあたりまで避難していた倭人たちが、気温の上昇にともなって日本列島に帰ってきたことを示しているのです。

繰り返しになりますが、米と小魚と大根が、倭人たちの食生活の基本です。
倭人文化の最大の特徴は、海洋型で船を用いるということです。
このことは縄文時代の遺跡の発掘調査で、必ず釣り針が見つかることにも明らかです。そして人は移動する生き物です。だから動物といいます。
土地の所有という概念がない時代で今よりもはるかに人口密度も少ない。
日本列島全域が、わずか26万人、Chinaでも秦の始皇帝の時代あたりの人口は、わずか2000万人です。
人が、より住みよい土地を求めて移動したとしても、なんの不思議もない時代です。

ちなみにChinaの人口は、後漢末には約5600万人の人口にまで回復します。
ところが魏蜀呉の三国時代には818万人にまで減少します。
もともと肉食系の遊牧民たちが中原に南下して、互いに争い、気温の変化によってその多くが北方に去っていったことによって、中原の人口が減少し、これに戦乱が重なって大幅な人口減少がもたらされたといわれています。

この大規模な人口移動については、ヨーロッパでフン族の侵入によるゲルマンの大移動など、歴史時代に入ってからも実際に度々記録されていることです。
ただし、民族移動では食文化は継承されます。
ですから肉食系の遊牧民たちは、やはり肉食を続けるし、農耕民族は農耕生活、漁労民族は漁労を続けます。

一般的にいわれる「弥生時代初期に大陸から先進的な文化を持った渡来人たちが日本に大量にやってきた」という説のとおりとするならば、その渡来人というのは、中原に住む人達であり、それは遊牧民を中核とする肉食および乳製品を食事の中心に置く人たち人たちでなければおかしいということになります。
そうであれば弥生時代は、肉食文化の時代になっていなければおかしくなります。

しかし弥生時代は農耕と漁労の時代です。近代までの日本も同じです。
もし通説が言うように、日本人が肉食人たちと入れ替わったのだとするならば、ではなぜいまでも日本人が乳製品を体内で分解できないのか、体質が肉食に向かないでいるのかの合理的説明がつきません。

日本列島はユーラシア大陸の東のはずれであり、祖代の昔から遠くペルシャの方やヨーロッパ方面からも様々な人種がやってきて日本に帰化して日本人として同化していったことは事実です。
しかしそれらは、あくまでゆるやかな同化で、民族がそっくり入れ替わるような極端な出来事は、海に隔てられた日本では起こらかなったと考えたほうが自然です。

要するに縄文末期から弥生初期に至る人口の激減は、その規模からみて、人々の移住の結果であった。
それは日本列島から福建・湖南あたりへの移住であり、その人たちが気温上昇に伴って戻ってきて、弥生時代初期の急激な人口増加が起こった。
そのように考えると、すべての辻褄が合ってくると思います。

これまでの常識を疑い、まったく新しい視点で歴史を再検証する。
そのとき政治的な「近隣諸国への配慮」は、まったく必要のないことです。

お読みいただき、ありがとうございました。


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コメント

みさくだのかみやさかましませ

ねずさん、ありがとうございます。

日本の食について、保守速で自分も必死に伝えようとしましたが、工作員なのかGHQの洗脳なのか、肉礼賛の肉信者が多くて参ってました。
栄養学的にも、肉は副作用が多く、身体に良くないから控える方針なのに、なぜか肉、肉、肉。

私見ですが、日本人の食の基本は大宜津比売さまのお身体である五穀を、精製しないで頂くのが本来だと思っています。
炭水化物、タンパク質、ビタミン、ミネラルなどが豊富で、全ての栄養素が賄える訳ではありませんが、腸内環境にも良くとても健康的です。
日本食の栄養について調べてますが、長年にわたり培ってきた先人の知恵は、奇跡のバランスだと思ってます。
胡麻や海苔、椎茸、ワカメやヒジキなど、今では地味系な食材の果たしている役割が、実は日本人の栄養バランスに不可欠だと思い知りました。

ちなみに普段から禊(みそぎ)したいと思い、ほぼ菜食です。
十年以上やってますが、まったくもって健康です。
戦後教育の食育はただの商業主義で、疑問だらけです。

takechiyo1949

倭塾!楽しみです。
今週末(7/6)は倭塾ですね。
今朝のテーマはその予習。
それにしても…26万人が8万人?
ビックリです。
更に、8万人が60万人?
御先祖様の衣食住は?
興味津々です。
詳しくは土曜日の倭塾で直に聴いて勉強したいと思います。
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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