終わっていない明治維新



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歴史は繰り返すとするならば、黒船から200年後は、2053年です。あと34年。そして今度の戦いは、世界から植民地をなくすことだけではなく、世界にある「人が人を支配する」という文化を、「人と人とが対等に生きることができる世界」に向かわせるという大きな戦いであるともいわれています。明治維新がまだ終わっていないなら、いま国を大切に思う人たちは、ひとりひとりが維新の志士です。


20190806 黒船
画像出所=https://stumbleon.blog.fc2.com/blog-entry-2006.html
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)


明治維新の始期は、嘉永6年(1848)の黒船来航からと、これはおおむね議論の余地なく多くの識者の一致した意見です。
ところが実は、明治維新の終期については、議論が千差万別で、結論がありません。

ある先生は、明治の終わりに条約の改正が行われて晴れて日本が不平等条約から脱することができたのだから、明治44年の条約改正をもって終期とするとおっしゃいます。
またある先生は、大日本帝国憲法発布をもって明治維新の終期とおっしゃいます。
あるいは同じ理由から、帝国議会の成立をもって終期とするという説もあります。
あるいは、日清日露の戦争の勝利をもってという説、
大英帝国との同盟関係の成立をもって終期とする、
廃藩置県をもって終期とする等々、本当に議論は様々です。

なぜ終期が定まらないのか。
それは、そもそも明治維新の位置付けが曖昧で、学者の先生方によって、みなさんご意見が異なるからです。

要するに江戸幕藩体制倒壊という政治体制の変更をもって明治維新と考えるのか。
文明開化という国内の社会構造の変革をもって明治維新とするのか。
憲法制定という欧風化をもって明治維新とするのか。
外国との関係における不平等条約解消を明治維新とするのか。
つまり、明治維新の目的そのものが、明確化されていないから、終期が定まらない(意見がまちまちになる)のです。

しかし、終期が定まらないとするならば、それはもしかすると、「まだ終わっていない」「係属中である」というこかもしれません。



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20190317 MARTH

そもそも明治維新の始期が黒船来航であるということが何を意味しているかといえば、日本が門戸を開かなければならなくなった、つまり鎖国から開国への流れが始まったことを意味します。

それまでの日本は鎖国でした。
鎖国ができるということは、実はすごいことです。
本当は、世界中の植民地支配された有色人種の国や民族は、どの国もどの民族も、植民地支配されるくらいなら、本当はみんな鎖国したかったのであろうと思います。
けれど圧倒的な武力と悪意の前に、それができなかった。
結局、人が人を支配する植民地となり、人口の9割を失い、残った人々は混血となり、所持していた大切な財産は奪われ、ひどいものになると、言語や文化まで一切合財を奪われてしまったわけです。

ところが日本は堂々と鎖国しました。
なぜそれができたのかといえば、日本が江戸初期には世界の鉄砲の半分を持ち、世界の金(Gold)の3分の1を持つ、軍事的経済的な超大国であったからです。
当時の世界にあって日本に勝てる国がどこにもなかったのです。

江戸時代、日本にやってきた外国船は125圏にのぼります。
これら外国船を、幕府はいともやすやすと打ち払っています。
なぜ打ち払うことができたのか。
答えは簡単です。
日本が強かったからです。

ところが幕末にやってきたペリーは、世界初の「炸裂弾を水平発射できる大砲」を船に積んでやってきました。
これは当時にあって、圧倒的な兵器です。
この兵器の前に、日本は鎖国を解かなければならなくなりました。

そしてこの瞬間から、実は日本は、世界から植民地支配をなくす・・・ということは人が人を支配し一方的に収奪するという世界を覆ったひとつの文化を終わらせて、新しい未来を開く・・・というたいへんな使命を負ったのではないかと思います。

この戦いは、長い戦いです。
6世紀のおわりに、隣りに隋という軍事大国ができました。
これに抗して我が国の独立を護ろうとして立ち上がったのが聖徳太子の時代です。
聖徳太子は遣隋使を送り(600年)、新羅征討の軍を出し(600年)、十七条憲法を定め(604年)ました。
そして中大兄皇子は645年の乙巳の変で蘇我入鹿を倒して天皇中心の社会体制を堅持し、公地公民制を敷き(646年)、白村江の敗戦によって半島の権益を放棄し(663年)、続く大海人皇子はは壬申(じんしん)の乱(672年)を起こして皇位に就くと、記紀編纂を命じ、その記紀はそれぞれ712年、720年にできあがり、称徳天皇の時代には道鏡事件が起こり(769年)、桓武天皇の時代に平安京遷都(794年)が行われ、国風文化が花開き、日本は平和と安定の時代を迎えました。
ここまでに、隋の建国(581年)から、およそ200年の歳月を擁しています。

明治維新がなぜ起きたのか。
事の発端が嘉永6年の黒船来航だとするならば、その答えは簡単です。
ひとことでいえば「外圧」です。
日本はその外圧に屈して不平等な条約を締結させられ、国内で蓄積した黄金を大量に国外に流出させました。
幕末の志士たちにとって、手の届かない坂の上の雲は、まさに欧米列強の支配の圧力にいかに抗して、我が国を彼らと対等かつ平等な国家にしていくのかにありました。

そして不平等条約は、いったんは1911年(明治44年)の米国との新・日米通商航海条約の締結によって、ようやく欧米諸国と対等な関係が構築されたかに見えました。
しかしそれは、わずか10年後の1921年(大正10年)のワシントン会議で、もろくも崩れ去っています。

ワシントン会議で日本は主力艦の保有量を対米英6割という不平等を押し付けられ、その後は次々と対等な関係を制限され、やむなく日本が大東亜の戦いを起こして敗戦すると、今度は憲法まで押し付けられて、いまだにODAという名の巨額の戦費賠償を継続しているのが、いまの日本です。

つまり嘉永6年(1853年)の黒船来航に始まる不平等関係はいまだ解消していない。
ということは「外圧」との戦いは、黒船来航から166年を経過したいまも、なお終わっていない・・・係属中であるということを意味します。

歴史を振り返って、隋の大帝国ができた頃の年代と比較してみると、いまはちょうど道鏡事件が起こったくらいの時代にあたります。
そんな事件のあと、和気清麻呂が出て、日本は都を京に移し、その後の平安時代へと向かいました。

歴史は繰り返すとするならば、黒船から200年後は、2053年です。
あと34年。
そして今度の戦いは、世界から植民地をなくすことだけではなく、世界にある「人が人を支配する」という文化を、「人と人とが対等に生きることができる世界」に向かわせるという大きな戦いであるともいわれています。
明治維新がまだ終わっていないなら、いま国を大切に思う人たちは、ひとりひとりが維新の志士です。

お読みいただき、ありがとうございました。


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コメント

井田 知秋

本当にそうですね!
ねずさんの説に心から賛同します。
ちょっと長くなりますが書かせてください。
国内が乱れた「国難の時代」はこれまで大きく3回あったと言えるでしょうか。
3回とも外圧と渡来人がもたらした異文化の衝突から起こっています。
「1度目の国難」は縄文晩期から弥生時代。古事記の上つ巻に書かれている神代の時代です。鬼界カルデラのカタストロフによって縄文文明の中心が西日本から東日本へ移ったあと、人口が希薄になっていた九州から近畿地方にかけ大陸からならず者が侵入してきました。春秋時代のB.C.770年〜400年、戦国時代のB.C.453年〜221年にかけ、秦帝国に統一されるまで中原は戦乱で明け暮れていました。漢民族は本来に海を渡ろうとしない民族なのに、この時ばかりは日本列島に異民族が大挙して流入してきます。そして14000年間戦争の跡が出土していない平和な縄文時代から、いきなり大混乱の弥生時代に突入しました。これが有史上最初の国難です。
そんな中、縄文系でも特に武に長けたクニの一つ、もしくは縄文国家連合の総意として、大陸型の「殺し合い」「奪い合い」の血なまぐさい価値観に染まりつつあった我が国を、縄文系の「生かし合い」「分かち合う」文化で再統一しようと企図したのが天孫降臨と神武東征だったのでしょう。
ねずさんのおっしゃる列島の寒冷化(平均気温-2℃)がB.C.500年頃とすると、国譲りから天孫降臨が起こったのはB.C.600〜500年頃でしょうか。船団を連ねて関東から出立した天孫族の一行は、九州鹿児島から霧島連山の麓に入植し、その後九州南東部に縄文系の一大拠点を築いて高千穂渓谷の上流に都を置くまで、それなりの時間がかかったと思われます。ねずさんが読み解かれた古事記の記述が事実なら、高千穂峡のある五つ瀬川の上流から日向のあたりにかけて詳しく発掘調査すれば、さらに多くの縄文の遺跡が見つかるはずです。そして列島が再び温暖化したB.C.300年以降、縄文系天孫族が九州〜紀州を平定する過程を描いたのが神武東征なのでしょう。
ちょうど本州(秋津洲)の一番くびれた部分、岐阜県や愛知県の県境あたりは縄文と弥生の二つの文化がせめぎあった遺跡が多く出土しています。ちょうど交接したトンボ(秋津)の東側は縄文系の文化圏だったわけです。紀州を制すれば、全国の平定は完了したと言ってよかったのでしょう。
この間、最低でも200年〜300年はかかっていると思われます。場合によると天孫降臨と神武東征の間に500年くらいの開きがあってもおかしくありません。いずれにせよ弥生時代は現在に至る日本文明が失われたかもしれない危機の時代でした。

「2度目の国難」が古事記が書かれた時代です。大陸に誕生した「隋帝国」そしてその後の「唐帝国」の存在は大きく、その西方にある「インド」「ペルシャ帝国」との交易、その媒介役であったユダヤ民族(教徒)とユダヤ教、マニ教や景教(ネストリウス派キリスト教)の渡来もありました。流れ込んでくる膨大な異国の文化、宗教、文物や経典類に押され、文化的軋轢から日本人のアイデンティティが揺らいでいた時代です。
朝鮮半島南部は「倭国」であり日本の一部でしたが、「百済」再興と「新羅」征伐のために天智天皇が送った5万の朝廷軍が、待ち構えた唐と新羅の連合軍に惨敗し、その後九州の海岸線防衛のために関東から防人が派遣されるなど、危機意識から国家観の形成が急務でした。そんな中で起こったのが「壬申の乱」です。天智天皇崩御の後、大海人皇子が皇位を奪取した古代における最大の内乱です。即位された天武天皇は、記紀の編纂を命じ、自らを天皇と称し、「日本」を国号と定めた最初の天皇です。しかし実は渡来人、ユダヤ人だったのではないかと言われています。仏閣に対して神社建築を創建したとき、ユダヤ教の祭祀と思われる様々な型を取り入れたことや、記紀の編纂のように文字による確固とした基盤に固執する姿勢からもそれを読み取ることができます。
中大兄皇子と大海人皇子は大化の改新の英雄ですが、兄弟の契りを結んだだけで、実際には血は繋がっていなかったのかもしれません。現に天武天皇の出生年は記述されておらず、天智天皇より年上だった可能性があります。中大兄皇子が長年にわたって即位を躊躇われた理由も、大海人皇子が皇位を継ぐ機会を防ぐためだったと見ることもできます。
国家という故郷を持たないユダヤ人は、異郷で生き延びるために優れて知的で処世術に長け、入植先の権力の中枢に寄生して国家を内部から乗っ取ろうとします。我が国では当然、皇室がその対象とされたのでしょう。しかし権謀術数に長じたユダヤ人にも不得手はあり、それは国家を崩壊させることはあっても、まともに国家運営をした経験がないことでした。結局ユダヤ人も国家運営にあたっては縄文以来の祭祀国家、シラスという統治の形が最良と気づいたのかもしれません。天武天皇から文武天皇へ、女性天皇や幼い淳仁天皇とかろうじて血をつなぎながら聖武天皇へ、そして孝謙天皇から重祚された称徳天皇までが非日本人による統治の時代と言えます。この間、神社神道にユダヤ教が折り込まれましたが、聖徳太子以来の神仏習合を推し進め、概ね善政だったと言えるでしょう。頑なにユダヤ教のアイデンティティを守ろうとするユダヤ人が次第に日本人に同化していく過程で、ユダヤ人の知恵が良くも悪しくも我が国の国家観の形成に寄与したのでしょう。
しかし皇統をから外れていることは周知の事実だったでしょうし、「それなら俺だって天皇になれるだろう」とばかりに称徳天皇に取り入った道教が法王を名乗り、ついには天皇簒奪を図ったいわゆる宇佐八幡宮事件が起こったとも言えます。孝謙天皇の治世に未遂となった藤原仲麻呂の乱しかり、皇室の乱れはこの時代の不穏な空気に反映しています。
称徳天皇崩御の後、本来の皇統である光仁天皇が即位しましが、即位されるまで暗殺を警戒して酒に溺れているフリをしていたと言います。聖武天皇の皇女である井上内親王は光仁天皇を呪詛したかどで皇后を廃止され、その子の他戸親王も皇太子廃止となり、幽閉先で薨去されました。暗殺説が濃厚ですが、これによって天武天皇の血筋は途絶えました。
そして桓武天皇の治世になり、道教による皇位簒奪を未然に防いだ和気清麻呂が平城京遷都を進言して平安時代が始まるまで約200年。もう少し俯瞰して菅原道真が遣唐使中止を宣言した894年、そして唐帝国が滅んだのが907年。「鎖国」は江戸時代ではなく、すでに10世紀に始まったとする歴史観もありますから、このあたりまで入れると約300年です。この200〜300年は思想や価値観が揺らぎ、皇位簒奪を含め我が国の根幹が乱れた危機的な時代でしたが、新たな体制を獲得しつつ乗り切ってくださった先人には感謝しかありません。

「3度目の国難」の時代はアヘン戦争開戦1940年と黒船来航1953年から始まって以来、ねずさんのおっしゃる通りまだおさまっていません。しかも今回は世界を巻き込んで展開しています。
世界戦争は20世紀半ばからかろうじて抑止されていますが、21世紀に入った現在も世界中で紛争は起こっていますし、500年続いた植民地利権を握っていた勢力とのたたかいは今も継続中です。欧米列強による植民地政策の500年が歴史教育でタブー視されているのがその証拠です。新大陸で金銀を奪うためだけに縄文の系譜をもつ我が同胞たちが数千万人虐殺されたことも、インドや東南アジアにおける搾取と悪政によってどれだけの血が途絶えたかも、今でもアフリカ諸国が旧宗主国に富を吸い上げられているかも、教えられることはありません。マスメディアやアカデミックな世界を牛耳っているのが当時の植民地利時代と同じ勢力だからです。
植民地支配ではユダヤ・キリスト教が暴力装置として使われました。「民族浄化」は殺し合いばかりしてきた大陸系特有の概念ですが、キリスト教の根っこには常にユダヤ教の選民思想があり、いざ戦争になると異教徒を討ち亡ぼすまでやめません。これを彼らは「聖絶」と呼びます。皆殺しすることでその地を清めたというのです。白人絶対優位と人種差別意識はもっと根が深く、アーリア人特有の宿痾(死ななきゃ治らないビョーキ)と呼べるものです。
植民地支配を解放した先の戦争は、ねずさんがおっしゃるようにその勢力にとって500年続く利権を奪われたわけですから、憎んでも憎み切れない、そしてそれが正義と知っていればこそ、未来永劫極悪人のレッテルを貼り続けないと気が済まないのでしょう。今でも日本人にだけは知られたくない、知らせまいと思っているはずです。だからこそ、私たちは日本人は明治維新以降、世界の暴虐から命をかけて我が国を守り、人類を解放してくださった英霊に日々感謝を捧げなければと思います。
この勢力は18世紀に欧州の通貨発行権を牛耳ることで国際金融財閥と呼ばれるようになります。そして次に邪魔となった国王の権力を潰すために暴力革命を編み出しました。民衆の「ルサンチマン」を煽って君主と民衆を分断し、民衆に手を下させて君主を倒すという手法です。それを上手に理論化したのが共産主義思想であり、こうした利害がある他人を利用して自らは手を汚さない手法を彼らは「共同戦線」と呼びます。
共産主義思想はキリスト教の鬼子だと言われることがありますが、どちらかというと神の概念を外したユダヤ教そのものに見えます。ロシア革命が起こった1917年、ロンドンではこれをユダヤ革命(ジューイッシュ・レヴォリューション)と囁き合いました。革命の主要メンバーの9割がユダヤ人だったからです。ロシア革命による強制収容所と革命によって殺されたロマノフ王朝の一族、地主家族や知識階級、合わせて200万人という数字も、現代史の中から削除されています。その代わりに仕立て上げられたのが第2期世界大戦のヒトラーによるユダヤ人の強制収用と600万人虐殺というわけです。しかし近年ガス室による虐殺も600万人という数字も、実はフェイクヒストリーだったと明らかになりつつあります。そのとばっちりがGHQによる南京事件と従軍慰安婦の捏造サギなのでしょう。共産主義思想がどれだけの人を殺したか、その数は中共を入れると膨大になり、二つの世界大戦の戦死、被災者をはるかに超えてしまいます。
その後も資本主義と共産主義の対立が尤もらしく煽られましたが、根は同じ、どちらが勝っても世界を牛耳れる両建ての仕組みです。いわばこれも思想サギのようなものです。政治家ばかりがマスコミから批判、攻撃され、その裏で政権を操る官僚エリートや金の力を行使する資本家は批判の対象から外されます。これもロシア革命の時代から何も変わっていません。今ではグローバリズムとか新自由主義とか民主化とか民営化とか、中央銀行の独立が大事だとか、MMTだとか、さらに巧妙な言い回しになっていますが、やはり根は同じ。通貨発行権を私物化し、マネーの力を最大化し、その富で情報と教育を独占し、国際通貨というマネーの力で世界中の富を吸い上げ、世界を牛耳ろうというわけです。
「みんなの幸せが自分の幸せでもある」と素直に思える日本人からすると、とても幼稚な(世界セーフク)思想に思えますが、残念ながら世界の民度はまだこの程度なのだと理解する必要があります。またユダヤ教の歴史観をよく見るとその動機もわかります。私たちユダヤ人は常に迫害されてきた、あんな目にもこんな目にもあった、でも神様は守ってくれた、と。この歴史観をお祭りや祝日という形で代々受け継いでいるのがユダヤ教です。そしていつか神は私たちのために世界を解放し、私たちに世界を与えてくださると思っているフシがあります。そこにあるのは民族の根っこに絡みついたルサンチマンなのでしょうか。この民族の心の闇を癒すには、かつて日本人に帰化し同化したユダヤ人のように、「みんなの幸せが自分の幸せ」と思える「和」の社会のありようと、それを実現させる「利他心」を伝えていく以外にないのかもしれません。それは自我の領域を脱して「霊性」を高めるということでもあります。
しかし一方で、それが分からない、理解しようとしない人間には疎外感を感じるくらいの強い社会的制裁圧力や、ならず者を排除・追放する警察力も必要です。これもいつもねずさんがおっしゃっていますね。
歴史は繰り返すという目で見たとき、まず我が国の根幹である皇室のありようを立て直すことです。GHQが残した皇統消滅の仕組みを旧宮家復帰で解決し、教育の場で切り離された皇室と国民の紐帯を取り戻さなければなりません。マスコミや左翼政党が吹っかける女系天皇の議論など、悪意による皇統断絶の工作ですから、道鏡事件に匹敵する悪行です。そしてGHQの置き土産である異民族による分断統治からの脱却が肝要です。日本人の顔をして、日本語を喋り、日本人の名前を持つ日本人ではない人々から政治経済を本来の日本人の手に取り戻すことです。これもかつてのユダヤ人による政権中枢への侵食を思わせますが、これは安倍首相が目下政権運営の一番の目標にしている事案です。改憲発議はそのための餌に見えます。反日外国人政党が一掃されなければ憲法改正など覚束ないでしょうし、安倍晋三首相の登場はまさに天佑と言えるでしょう。
周辺の反日国家「特亜3国」は隣国でありながら、もともと価値観を共有できない異文化の人たちです。そして幸いなことに、国が傾いても反日をやめそうにありません。国際金融財閥の分断政策によってそう作られているので、国是がそもそも反日なのです。菅原道真の遣唐使廃止と10世紀以降の鎖国政策に学んで、中原や半島の古代国家とはほどほどの距離を置くことです。
現代の白村江の戦いも起きる可能性があります。今回は竹島周辺が戦場になりそうですが、戦闘は半日で終わるでしょう。ただしその後の国内テロには注意が必要です。しかしその有事によって特別永住権は剥奪され、我が国に寄生してきた日本人のような顔をした日本人でない人々は居場所を失うことになります。彼らが巣食っていたNHKやマスコミもほぼ解体されることになるでしょう。
ここまで国内の掃除が済んだら国民の大半が覚醒するでしょうから、ようやく憲法改正です。現行憲法は国際法に違反するので廃止とし、大日本帝国憲法に復帰した後、同日に新憲法を発布するという渡部昇一先生が提唱されていた方法が理想的です。十七条の憲法や5箇条のご誓文もあることですし、新憲法展では「我々日本国民は万世一系の天皇を戴き、この星の恒久平和と人々の平等と幸福に貢献することを誓う」と前文に記したら、あまり多くを語らない方がいいでしょう。
日本人には世界に「和の思想」を広げていく使命があります。何しろ令和という時代は「和を世界に令けむ」ですから、国内の問題などさっさと片付けて、世界に貢献しなければなりません。
アヘン戦争から数えて200年は2040年ですから、あと21年。黒船から数えて200年は2053年ですから、あと34年。西洋占星術や800年文明周期説でよく語られるのは、1995年からの72年がその後の1600年を決めるというもの。そうすると2067年までは、あと48年。その頃世界は素晴らしく様変わりしているはずです。そのために私たちは今できることを、最高の善意と勇気を持って、地道にコツコツとやっていく。
そして2200年頃には「みんなの幸せが私の幸せ」という価値観で世界中が纏まり、人類は宇宙へと飛翔していると思っています。

takechiyo1949

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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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