沈みゆく戦艦大和、1​7歳のあの日




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この記事もまた2012年の初掲載以降、毎年この時期に掲載させていただいている記事です。八杉さんのお言葉から、何かを感じ取っていたけたら幸いに思います。


20180815 戦艦大和
画像出所=http://jap-empire1947.blog.jp/archives/1016764661.html
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)


本文とともに、最後に八杉さんの本件に関する動画をご紹介しますので、是非、そちらもご覧ください。

=====
【沈みゆく戦艦大和、1​7歳のあの日】
http://1minute.raindrop.jp/?p=8807

八杉康夫さん(戦艦大和語り部)
致知2006年7月号特集「人学ばざれば道を知らず」より

****
大和の後部が
白煙を上げているのが
私にも分かりました。

なおも攻撃が続けられ、
魚雷が的中した時は
震度5にも
感じられるほど
激しく揺れました。
次第に船は
傾いていきます。



砲術学校では、
戦艦は15度傾いたら
限界と習ってきましたが、
25度、30度と
どんどん傾いていきます。

それでも、戦闘中は
命令がない限り
持ち場を
離れることは
できません。
その時
「総員、最上甲板へ」
との命令が出ました。
軍には
「逃げる」という言葉は
ありませんが、
これが事実上
「逃げろ」という意味です。

すでに大和は
50度ほど
傾いていましたが、
この時初めて、
「大和は沈没するのか」
と思いました。
それまでは本当に
「不沈戦艦」だと
思っていたのです。

もう海に
飛び込むしかない。

そう思った時、
衝撃的な光景を
目の当たりにしました。

私が仕えていた少尉が
日本刀を抜いたかと思うと、
自分の腹を
掻っ捌いたのです。

噴き出す鮮血を前に、
私は凍り付いて
しまいました。

船はますます
傾斜が
きつくなっていきました。
90度近く傾いた時、
私はようやく
海へ飛び込みました。

 *

飛び込んだのも束の間、
沈む大和が生み出す
渦の中へ
巻き込まれてしまいました。

その時、
私の頭に過ったのは
海軍で教わった
「生きるための数々の方策」です。

海軍に入ってからというもの、
私たちが教わったのは、
ひたすら
「生きる」
ことでした。

海で溺れた時、
どうしても
苦しかったら水を飲め。

漂流した時は
体力を消耗してしまうから
泳いではならない……。

陸軍は違ったのかもしれませんが、
海軍では
「お国のために死ね、
 天皇陛下のために死ね」
などと言われたことは
一度もありません。

ひたすら
「生きること、
 生き延びること」
を教わったのです。

だからこの時も
海の渦に
巻き込まれた時の
対処法を思い返し、
実践しました。

しかし、
どんどん巻き込まれ、
あまりの水圧と酸欠で
次第に意識が
薄れていきます。

その時、
ドーンという
轟音とともに
オレンジ色の
閃光が走りました。

戦艦大和が
大爆破したのです。
そこで私の記憶は
なくなりました。

 *

気づいたら
私の体は水面に
浮き上がっていました。

幸運にも、
爆発の衝撃で
水面に押し出されたようです。

しかし、
一所懸命泳ぐものの、
次第に力尽きてきて、
重油まみれの海水を
飲み込んでしまいました。

「助けてくれ!」と叫んだと同時に、
なんともいえない
恥ずかしさが
込み上げてきました。
この期に及んで
情けない、
誰にも聞かれて
なければいいが……。

すると、すぐ後ろに
川崎勝己高射長が
いらっしゃいました。
「軍人らしく黙って死ね」
と怒られるのではないか。

そう思って身構える私に、
彼は優しい声で
「落ち着いて、
 いいか、
 落ち着くんだ」
と言って、
自分がつかまっていた
丸太を押し出しました。
そして、
なおもこう言ったのです。

「もう大丈夫だ。
 おまえは若いんだから、
 頑張って生きろ」

4時間に及ぶ
地獄の漂流後、
駆逐艦が救助を始めると、

川崎高射長は
それに背を向けて、
大和が沈んだ方向へ
泳ぎ出しました。

高射長は
大和を空から守る
最高責任者でした。

大和を守れなかったという思いから、
死を以て
責任を
取られたのでしょう。

高射長が
私にくださったのは、
浮きの丸太ではなく、
彼の命
そのものだったのです。

 *

昭和60年のことです。
いつもピアノの
発表会などで
お会いしていた女性から
喫茶店に呼び出されました。

彼女は
辺見さんが書かれた
『男たちの大和』を取り出し、
こう言ったのです。

「八杉さん、
 実は川崎勝己は
 私の父です」

驚いたなんていうものじゃありません。

戦後、何とかして
お墓参りをしたいと思い、
厚生省など方々に
問い合わせても
何の手がかりも
なかったのに、
前から知っていたこの人が
高射長のお嬢さんだったなんて……。

念願叶って
佐賀にある高射長の
墓前に手を合わせることが
できましたが、
墓石には
「享年31歳」とあり、
驚きました。
もっとずっと
年上の人だと
思い込んでいたからです。

その時私は
50歳を超えていましたが、
自分が31歳だった時を思い返すと
ただただ恥ずかしい思いがしました。
そして、不思議なことに、
それまでの晴天が
急に曇天となったかと思うと、
突然の雷雨となり、
まるで
「17歳のあの日」
が巡ってきたかのようでした。

天皇も国家も関係ない、
自分の愛する福山を、
そして日本を
守ろうと
憧れの戦艦大和へ
乗った感動。
不沈戦艦といわれた
大和の沈没、
原爆投下によって
被爆者になる、
そして、敗戦。

そのすべてが
17歳の時に
一気に起こったのです。
17歳といえば、
いまの高校2年生にあたります。

最近は学校関係へ
講演に行く機会もありますが、
現在の学生の姿を見ると、
明らかに戦後の教育が
間違ったと思わざるを得ません。

いや、生徒たちだけではない。
間違った教育を受けた人が先生となり、
親となって、
地域社会を動かしているのです。

その元凶は
昭和史を学ばないことに
あるような気がしてなりません。

自分の両親、祖父母、曾祖父母が
どれほどの激動の時代を
生きてきたかを知らず、
いくら石器時代を学んだところで、
真の日本人にはなれるはずがない。

現に「日本に誇りを持っていますか」と聞くと、
学校の先生ですら
「持ってどうするんですか?」と
真顔で聞き返すのですから。

よく「日本は平和ボケ」などと
言われますが、
毎日のように
親と子が殺し合う
この日本のどこが平和ですか?

確かに昔も殺しはありました。
しかし、
「殺してみたかった」などと、
意味もなく
殺すことは
考えられませんでした。

真の平和とは、
歴史から学び、
つくり上げていくほかありません。

鶴を折ったり、
徒党を組んでデモをすれば
天から降ってくるもの
ではないのです。

しかし、
一流の国立大学の大学院生ですら、
「昭和史は
 教えてもらっていないので
 分かりません」
と平気で言います。

ならば
自分で学べと私は言いたい。
自分で学び、
考えることなしに、
自分の生きる意味が
分かるはずがないのです。

人として生きたなら、
その証を残さなければなりません。

大きくなくてもいいのです。
小さくても、
精一杯生きた証を
残してほしい。

戦友たちは
若くして
戦艦大和と
運命をともにしましたが、
いまなお
未来へ生きる
我々に
大きな示唆を
与え続けています。

復員後、長
く私の中に渦巻いていた
「生き残ってしまった」
という罪悪感。
それはいま
使命感へと変わりました。

私の一生は
私だけの人生ではなく、
生きたくても
生きられなかった
戦友たちの人生
でもあるのです。

うかうかと老年を過ごし、
死んでいくわけにはいきません。

未来の日本を託す
若者たちが歴史を学び、
真の日本人になってくれるよう
私は大和の真実を語り続け、
いつか再び
戦友たちに会った時、
「俺も生かされた人生で
 これだけ頑張った」と
胸を張りたいと思います。

********

戦い、散っていかれた英霊たちの願いはひとつ。
日本が、平和で豊かで誰もが安心して安全に暮らせる国となり、世界もまた争いのない平和な世界になること。
後事を託されたのは、いまを生きている私達です。

関連記事
■戦艦大和出撃に込められたメッセージ
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1626.html
■航空戦艦伊勢と日向の物語
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1567.html

※この記事は2012年11月の記事の再掲です。

お読みいただき、ありがとうございました。


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コメント

あき

戦艦大和
戦艦大和は、いや大和型戦艦は、世界一美しい戦型を持ってます。特に、本文に乗せられた写真で見るアングルからの船首から艦橋へすっとした曲線、艦橋とアンテナから一本煙突、さらに中央から後部への流れ。強いものはたくましく、優れたものは美しいということわざは、正解でしょう。これは日本が生んだ傑作で、それを動かす人達は、魂の入った選り抜きだったのでしょう。生き残った人達は、その貴重な経験を、今の私達に、どうか教えてやってください。

takechiyo1949

真の独立を勝ち取る!
原油が確保できなければ我国はどうなる…正に死活問題です。
にも関わらず、特定のマスコミや団体は、九条を盾に、ホルムズ海峡に於ける我国のタンカー船の安全航行維持のための自衛隊派遣に猛反対しています。
自国は自国で護る!
この当たり前の事に反対する?
狂気の沙汰と言わざるを得ません。

『真の平和とは、歴史から学び、つくり上げていくほかありません。
鶴を折ったり、徒党を組んでデモをすれば天から降ってくるものではないのです。』

八杉康夫様のお言葉通りです。
憲法を取り戻す。
自衛権を行使する。
真の独立を勝ち取る。
最優先の施政を熱望します。

田舎じじい

日本人として
教師をしていた者です。
小学校の社会科で日本の歴史を教える時に縄文時代から始まっての古代史を詳しく教えたような気がします。そして近世に近づくと時間がないので、特に昭和史などは軽くサラッと扱ったような気がします。
今に思えばこれが教科書検定と教科書会社の策略だったように思えるのですよ。
昭和史を深く掘り下げられると困る輩がいるんでしょうね。
そして、最近は古代史に於いても昔のような記述がなくなって特亜に有利なことに改編されていると聞き及んでします。任那の日本府、聖徳太子などなど。
小生、還暦近くになってネットをやりだしいろいろな真実に出会い、以前は戦後教育のせいで良心的左翼思想を持っていましたが、現在はネトウヨ状態になっているところです。
やはり日本人としての誇りは持ちたいと思っている昨今です。

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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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