和気広虫(わけのひろむし)のお話




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和気広虫は、光仁天皇が
「人の短を言わず、
 己の長を誇らざるは
 広虫ひとりなり」
と褒められた女性です。


20191004 和気広虫
画像出所=https://matome.naver.jp/odai/2134726464996516101/2134727176597471903
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)


和気広虫(わけのひろむし)は、備前国の藤野郡の生まれで、後に京の都を開いた和気清麻呂(わけのきよまろ)の姉です。
長じて従五位下の葛井戸主(ふじのへぬし)に嫁ぎました。
広く漢学や仏教に通じて、貞淑のほまれたかい婦人です。

孝謙天皇は、深く広虫を信愛され、正六位下に叙せられました。
その孝謙天皇が落飾(らくしょく・髪をおとして仏門にはいること)されたとき、広虫もまた剃髪(ていはつ)して法弟子となり、このとき上皇から法均(ほうきん)という名を賜り、進守太夫(しんしゅたゆう)の尼位(にゐ)を授けられています。

天平宝字(てんぴょうほうじ)8年(764)9月、藤原仲麻呂の乱があり、数百人が反徒として捕らえられて斬に処せられようとしたとき、法均尼が彼らの命乞いを天皇に上奏し、これによって375人が死を減ぜられて流刑に処せらました。
その後、法均尼は、凶事が続いたことによって生じた孤児たち80余人を自宅に収容し、自らこれを一手に救養し、ことごとく養子を称してねんごろに撫育(ぶいく)しました。
天皇は、深くその徳行を嘉(よみ)とされ、姓を葛木首(かつらぎのおびと)と賜われ、神護景雲2年(768)には、従四位の封戸(ふこ)と、位禄、位田を賜りました。

さてこの頃、僧道鏡(どうきょう)は、君寵(くんちょう)を恃(たの)んで、出入りに警蹕(けいひつ・天皇の出入に際して、先払いが掛け声を掛けること)して、天皇と同じ輿(こし)を真似し、法王を自称してついに天皇の位を伺おうとしていました。



天皇は、法均尼を宇佐八幡宮に遣(つか)わす神夢を得られるのですが、女性の身で遠路は耐え難いであろうと案じられ、弟の和気清麻呂を姉に代えて宇佐に遣わすことになりました。
出立に先立ち、法均尼は、身を以て皇位を護り奉るべしと、弟を激励しました。
清麻呂は敢然(かんぜん)と立って宇佐に至り、

「わが国家は、開闢(かいびゃく)よりこのかた君臣が定まっている。
 臣をもって君と為すこと、
 いまだ之(これ)有らざるなり。
 天津日嗣(あまつひつぎ)は必ず皇緒(こうちょ)を立てよ。
 無道の人はよろしく早く掃除(はらいのぞ)くべし」
との御神託を授かります。

清麻呂はすなわち奈良の都に馳(は)せ帰り、神託のままに奏上しました。
道鏡はおおいに怒り、清麻呂の本官を解いて因幡員外助(いなばいんげのすけ)にし、姓も奪って名をあらためて、別部穢麻呂(わけべのけがれまろ)とし、法均尼も還俗(げんぞく)させて別部狭虫(わけべのさむし)と名乗らせ、また法均尼の妹の明基(みょうき)の名を除くなどし、清麻呂を大隅国に、法均を備後に流しました。

こうして配所にある間、藤原百川(ふじわらのももかは)は、その忠烈(ちゅうれつ)をあわれみ、備後の封郷(ほうきょう)を割いて資を送って慰めたりしました。

宝亀元年(770)8月、光仁天皇(こうにんてんのう)が即位され給うや、道鏡を下野に貶(おと)し、清麻呂と法均尼を赦(ゆる)して京に迎え、姓として和気朝臣(わけのあそん)を賜(たまわ)って、本名に復(ふく)され給い、後に広虫を典蔵(くらのすけ)に任じ、出納を掌(つかさど)るようお命じになられました。

桓武天皇の延暦13年(794)の平安遷都の際、第宅(だいたく・邸宅のこと)を新都に移すにあたって、広虫は正四位上に叙せられ、また典侍(ないしのすけ)に任じられました。
弟の清麻呂もまた摂津職となりました。
姉と弟の仲は睦(むつ)まじく、財物もひとつにして分かたず、栄辱(えいじょく)を共にしました。

かつて光仁天皇は、
「人の短を言わず、
 己の長を誇らざるは
 広虫ひとりなり」
と褒め賜わられました。

広虫は、延暦17年(798)正月19日、70歳でこの世を去りました。
翌年2月21日、弟の清麻呂も67歳で薨去(こうきょ)しました。

広虫と清麻呂は、生前の功績によって、共に正三位を追贈されました。
のちに畏(かしこ)くも孝明天皇は清麻呂に護王大明神の神号を賜われました。
さらに明治天皇は護王神社を別格官弊社に列され、
大正天皇は、御即位の礼の大典のときに、広虫を護王神社に併(あわ)せ祀られました。

藤田東湖は次の詩を詠んでいます。

妖僧窺神器  妖僧(ようそう)、神器(じんき)を伺(うかが)う
居然臨百官  居然(きょぜん)として百官に臨(のぞ)むは
壮哉清麻呂  壮(さかん)なる清麻呂(きよまろ)
孤忠挽頽瀾  孤忠(こちゅう)に頽瀾(たいらん)を挽(ひ)き
赫々神明統  赫々(かくかく)として神明(しんみょう)を統(とう)す
不容邪気奸  邪気(じゃき)の奸(かん)を容(い)れず
碩学顔何厚  碩学の顔なんぞ厚き
黙黙袖手看  もくもくと袖手(しゅうしゅ)して看(み)る

(現代語訳)
妖(あや)しげな僧侶が、皇位をうかがったとき
いずまいただして百官に相対したのは
壮(さかん)なる和気清麻呂であった。
清麻呂は、波頭が崩れ落ちようとする中(頽瀾)にあってひとり忠義を立て
赤赤と照り輝やいて神明を通し
邪気の奸(かん)いっさい容認せず
深い学問によって厚顔とし
黙々と懐に腕を入れて、一切を見通したのだ。

現代語に訳すと、だいぶ軽くなってしまいますね。
やはり漢詩は漢詩でお愉しみいただくのが良いのかも。

この物語は、以前にもご紹介したことのある昭和13年に大阪府が発行した『女子鑑』の24ページ〜を現代語に訳したものです。

皇統を護るということは、世の中が有らぬ方向に向かったときには、必ず和気清麻呂と広虫の姉弟のように、権力からの迫害を受けることになります。
けれど、世の中は必ず、正しい方向に向かうのです。

このことは実はとても重大です。
なぜならもし仮に、このとき和気広虫と清麻呂の姉弟が、道鏡の側に付いたのなら、その後の日本の歴史は、おそらくは半島と同じ運命をたどっていたであろうからです。

ちなみにこの物語で、天皇が次々と代わられていますが、これにも実は理由があります。
天皇は国家最高権威であり、天皇のお言葉は神の声です。
従って、天皇によって親任された政治権力者もまた、神によって選ばれた人ということになります。
神によって選ばれたのですから、途中解任はありえないことです。

けれど、人のかなしさで、権力を得ると人が変わってしまうことが多々あるのです。
しかし天皇がひとたび親任された以上、途中解任はありえません。
そこでどうするかというと、天皇が交替するのです。
このとき、政治権力者もまた、新たな天皇によって親任されます。
もし、これまでの権力者が、すでに不適任となっていたのなら、このタイミングで、更迭が可能となるのです。
これは、実によくできた仕組みということができます。

お読みいただき、ありがとうございました。


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コメント

いわし雲

No title
私が敬愛している和気清麻呂・和気広虫を取り上げていただき、ありがとうございました。

以前にも和気清麻呂を取り上げていただいたことがあることも承知しております。
その頃から自分でも、和気清麻呂・広虫について少し調べてみました。

学校では教えてくれなかったので、最近までこの2人については、正直良く知りませんでした。


和気町には『和気広虫荘』という特養施設があります。
岡山県の和気町ともこの民間施設とも、私はまったく関係はないのですが、私が若い時には「和気広虫」のことは知らなかったので、『虫の字が入っていて、高齢者の施設としては何か気持ちが悪いな』と思っていました。

ねずさんの以前の記事のお陰で、この特養のネーミングの意味が分かりました。

今後の益々のご活躍をお祈りしております。

k

No title
2679年続く天皇。
何度かの危機、万世一系の危機がありその度に神がかりな人が現れ危機を脱してきていますね。神様に守られているとしか思えない。
今も危機的状況ではありますが、国民が天皇や神様に対して畏敬の念を持ち続けていれば問題無いと思います。

ネコ太郎

第二の道鏡事件
現在の女性宮家、女性天皇論は第二の道鏡事件です。
安倍総理は和気清麻呂になれるかどうか。瀬戸際の状況です。

takechiyo1949

姉弟の功績の重さは計り知れません
権力に群がる私利私欲の輩は、いつの世にもいます。
また、どんなに人柄が良くても、立場を得ると豹変してしまう人も大勢います。
悲しい生き様だと思いますが、それでも『大御宝なのだ』とねずさんは仰います。

皇統を護り抜く…姉弟の功績の重さは計り知れません。
遠い昔の教え。
胸に刻みます。
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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