日本人の行動に関する説明責任は、日本人自身にあります。日本人が日本人の行動を、それを単に「あたりまえのこと」や「昔からそうだから」というだけではなしに、ちゃんと理由や意味を説明できるようにならなければならないと思います。 |
Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。
《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。
《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。
コメント
松さん
『我以外皆我師也』
えっ?
宮本武蔵の言葉じゃ無い?
間違って憶えてました(汗)
︙
宮本武蔵/五輪書
『万事において我に師匠なし』
意味がまるっきり違う?
武蔵ってそういうヤツ?
︙
そうでは無いそうですよ。
善いこと悪いこと。
教えられても実践しなければ学んで無いのと同じこと。
だから『師匠なし』だとか。
(う~ん!難しい)
『ひとの話は良く聴け!』
先生にいつも怒られました。
松下幸之助翁は言いました。
『相手の立場になって聴け!』
でも、聴いてる内に自分勝手に結論を創造してしまいます。
更に、自分の筋書きで判断し、分かったように思ってしまいます。
今も…これじゃダメですね。
説明上手と聴き上手。
中々お目に掛かれませんし、努力しても簡単には成れません。
私も創作してみました。
「森羅万象…皆我師也」
2020/07/14 URL 編集
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人間の進化の度合によるのかもしれません
パヨク脳はパソコンならシングルコアでメモリもほんの少しだから自分の欲求を表現するためだけにしか働かない
履歴も保存できないし表現を他のものに変更を検討もできないしウイルスソフトによる入ってくる情報のチェックもできないからパヨク同士の共産思想やアベガーにすぐ感化される
反省できないとか自分を客観視できないのも宜なるかな
それだけの能力の余裕分や複数の基準やチェック機能を駆使するためにはCorei7のCPUと経験や学んだ善悪判断基準を脳内のメモリに展開して最善やよりベターな選択肢を選ぶという高度な処理が自然に知らずに出来てないといけませんから
思いつくままに書いてるためトリトメがありませんが、どうも脳の仕組みに2つのタイプがあるのではと思えてならず、半島の人達にも腹を立てるより、そういう能力の限界や違いが厳然と存在するのだと認識して次の手を考えるべき時に来ているように思います。
2019/12/17 URL 編集
N88-BASIC
語順が自由だから文法なんてない――というリクツだとしたら、日本語やラテン語の方が語順は自由なので文法なんてないということになってしまいます。むしろ、英語や漢文の方が語順は「固い」と言えます。それに詩文は原則的な語順をあえて変えている場合があるので、例示としてはあまり適切ではないかもしれません。英文詩でも前置詞の後置は珍しくありません。
漢文は句法という構文(シンタックス)が発達した文語で、文法(グラマー)は緩いというのが一般的評価だと思います。決まった言い回しだけで表現するわけです。これだと近代的な概念を表現できないので、日本の言文一致運動に刺激されて魯迅たちが日本語や英語の文法や語彙を取り入れて、新しく白話文という文語表現を作り出しました。これを北京発音で発話したものが普通話=現代中国語です。台湾では「国語」と言います。
つまり、現代中国語は20世紀になって作られた人工言語で、それまでの中国語は「統一的な文法がなかった」のではなくて「統一的な口語(話し言葉)」がなかったのです。漢文は文法は緩いものの、東アジア統一言語ではありました。ただ、これは文語(書き言葉)なので漢代はともかく、杜甫の生きた唐代でさえ、漢文で会話していた人はいなかったでしょう。
なお、中国で普通話をネイティブで話す人が過半になったのは21世紀になってからだそうです。それまで中国では言語の統一はなかったわけです。毛沢東は生涯にわたり湖南訛りが抜けなかったといいますが、実は訛りじゃなくて湖南語しか話さなかったとか、鄧小平も四川語だったとか、趙紫陽は河南語だったとかいいます。江沢民になってから、ようやく揚州語ではなくて、揚州訛りの普通話になったとか。信じるか信じないかはあなた次第です。
2019/12/17 URL 編集