向こう系の人たちは、もともと忘年会という習俗があったわけではないため、忘年会はただ酒を飲みながら上司が威張るところと勘違いしているようですが、まったくの履き違えもいいところです。
日本人の場合、例えば昔の武士にしても、裃(かみしも)を付けたときには、上司は絶対の存在です。
たとえば御家老の命令を、末端の武士は絶対に聞かなければならない。
けれど、その御家老が裃(かみしも)を脱いだ着流し姿で、下級武士の家の勝手口に、
「囲碁でも打ちませんか?」
などと言ってやってきたときには、家老という身分を離れた、単なる人としてやってきているわけです。
それを、「へへ〜〜」とばかり平服して迎えたら、馬鹿だといわれました。
映画の「釣りバカ日誌」の、ハマちゃんと会長の関係と同じです。
会社では、大会長と、一介の係長の関係ですが、釣りのときにはハマちゃんが上司で、会長は生徒です。
そうした棲み分けが、ごく自然に行われたのが、日本文化です。
こうした日本文化の歴史は、忘年会などの打上げも含めて、実はとっても古いものです。
そしてその古くからの仕組がわかると、忘年会の意味もわかります。
実はいまから千年以上前の西暦868年頃(平安時代)に編纂された『令集解(りょうのしゅうげ)』という書物があります。
これは養老令について、惟宗直本(これむねのなおもと)という、当時の法律家が私的な注釈書として著した書で、全部で50巻あり、このうち36巻が現存しています。
この『令集解』に『古記』という、いまから千三百年くらいまえの738年頃に成立した大宝令の注釈書が断片的に引用されていて、さらにその『古記』のなかに、さらに古い文献が「一云(あるにいわく)」として又引(またびき)されています。
「一云(あるにいわく)」として引用された文献が、何という名前の書かはわかりません。
ところが、そこに7〜8世紀頃の日本の庶民の生活の模様が書かれています。
これが実に興味深い。
原文は漢文なので、いつものようにねず式で現代語訳してみます。
*****
日本国内の諸国の村々には、村ごとに神社があります。
その神社には、社官がいます。人々はその社官のことを「社首」と呼んでいます。
村人たちが様々な用事で他の土地にでかけるときは、道中の無事を祈って神社に供え物をします。
あるいは収穫時には、各家の収穫高に応じて、初穂を神社の神様に捧げます。
神社の社首は、そうして捧げられた供物を元手として、稲や種を村人に貸付け、その利息を取ります。
春の田んぼのお祭りのときには、村人たちはあらかじめお酒を用意します。
お祭りの当日になると、神様に捧げるための食べ物と、参加者たちみんなのための食事を、みんなで用意します。
そして老若男女を問わず、村人たち全員が神社に集まり、神様にお祈りを捧げたあと、社首がおもおもしく国家の法を、みんなに知らせます。
そのあと、みんなで宴会をします。
宴会のときは、家格や貧富の別にかかわりなく、ただ年齢順に席を定め、若者たちが給仕をします。
このようなお祭りは、豊年満作を祈る春のお祭りと、収穫に感謝する秋のお祭りのときに行われています。
*****
これが、いまから1300年前の、日本の庶民の姿です。
要するに、神社での行事のあと、直会(なおらい)をしているわけですが、この直会の宴(うたげ)のときに、
「家格や貧富の別にかかわりなく、
ただ年齢順に席を定め、
若者たちが給仕を」しているわけです。
社会的身分や、貧富の別なく、席次はどこまでも、ただ年齢順です。
さらに、実はいまご紹介した内容と同じことが、そのまま3世紀の末に書かれた『魏志倭人伝』にも書かれています。
いまから1800年くらい前の日本の姿です。
「その会同・坐起には、
父子男女別なし。
人性酒を嗜(たしな)む」
とあります。
会同というのは、集まりや会議の後の直会(宴会)のことです。
その直会の「坐起(ざき=席順のこと)」には「父子男女別なし」。
つまり身分の上下や貧富の差や男女の区別や、親子の関係に一切関わりなく、みんなで酒を楽しんでいるよ、と書かれているわけです。
つまりここでも、席順は上司だから上座だとか、そのような文化がない。
そうなると席順に困るから、ではどうするかといえば、身分貧富親子男女の別なく、単純年齢順に座っていたことになります。
つまり『魏志倭人伝』に書かれている1800年前の日本の庶民の様子は、そのまま「一云」に書かれている1300年前の日本の習俗と同じです。
そして現代においても少し田舎の方に行けば、こうした習慣は、あちこちで見ることができます。
直会(なおらい)というのは、祭祀のあとに、神事に参加した人たち一同で、御神酒をいただき、神饌(しんせん)を食する行事です。
神饌というのは、御饌(みけ)とも言いますが、お祭りのときなどに、神様に献上するお食事のことで、神様にお食事を差し上げて神様のおもてなしをしたあと、そのお下がりを集まった人たちみんなで、おいしくいただくことを言います。
これを「神人共食(しんじんきょうしょく)」と言います。
神語ですと、古くはイザナミが黄泉の国の食事をしてしまったために、地上社会に戻れなくなってしまったという記述があり、これを「黄泉戸喫(よもつへぐい)」といいます。
要するに、人の体というのは、食べたものからできているわけで、同じものを食べれば、同じ組成の体になる・・・つまりその国の人になる、という考え方が基礎になっています。
ですから、黄泉の国の食事を採れば、黄泉の国の人になってしまうし、神様と同じものをいただけば、神様の国の住民になれるわけです。
これはたいへんにおめでたいことで、ですからこの世での身分の上下や貧富の差に関わりなく、神様の国に最も近いお年寄りが、最も上座になり、以後、男女の別なく、単純年齢順に座が決まるというわけです。
ちなみに縄文時代の集落跡を調べると、村落の真ん中に先祖代々の墓地があります。
このことをもって「縄文時代の人々は死者と共存していた」などという人がいますが、実はもう少し深い。
南米のインディオたちには、自分たちの祖先は倭国からやってきたという神話がありますが、その南米の古くからある集落もまた、村落の真ん中にご先祖の墓所があるのです。
そしてそこにバナナなどの樹木を植えている。
どういうことかというと、埋められた遺体の栄養分を吸って、バナナなどの果樹が大きく育つのです。
大切なときに、その果実をいただく。
そうすることによって、ご先祖からの大切な魂を受け継ぐという習慣なのだそうです。
倭人たちの習俗には、韓族や漢族に見られるような、人肉を食べるという習慣はありません。
そうではなく魂(霊(ひ))を受け継ぐのですが、そうした習慣が、実は、縄文式土器が発見される南米においても、同じ倭種の習慣としていまでも残っているということは、たいへんに興味深いことであると思います。
要するに、伝統文化とか伝統的な習俗には、ちゃんと意味がある、ということです。
知識や知恵というものは、生まれてから現在までの大脳新皮質に記憶された情報のみによってもたらされるものではなく、先祖伝来の膨大な知識や知恵が、意識の表層の奥深くにあると考えられてきました。
仏教では、これを阿頼耶識(あらやしき)、阿摩耶識(あまやしき)といって、五識(視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚)よりもさらに深いところにある無意識の膨大な意識体とあらわします。
神道では、これを神々の知恵とします。
海に浮かぶ氷山のようなもので、水面下、つまり無意識下に、実は人間は膨大な知覚を蓄えている。
このことは西洋の学問でも、近年次第に明らかにされつつあることです。
日本人は、長い歴史と伝統文化を、それを大脳新皮質的表層意識の部分で、ずいぶんと壊されてきているとはいえ、いわば本能的に、無意識下の知性を誰もが共有しているわけです。
何かひとつの行事が終わったら、そこで直会(なおらい)をする。
御神饌をいただき、みんなで酒を飲んで楽しくすごす。
なぜそのようなことをするのかというと、これもまた理由があって、そもそも我々が住んでいる世界を築いたイザナキとイザナミは、豈國(あにくに)、すなわち「よろこびあふれる楽しい国」を求めて、この世界を作られたというのが日本の神語です。
何事も、途中の経過は、つらいものです。
きつい労働もあれば、叱られることもある。
ときに、殴られたり、怪我をすることもあるでしょう。
けれど、そうするのは、あとになって、みんなの喜ぶ顔が見たいからだし、だから事が終われば、その都度、みんなで集まって、単純年齢順に座って、みんなで楽しく酒を飲んで歌って大騒ぎをする。
どこまでも「よろこびあふれる楽しい国」は、みんなで築くものだからです。
こうした考え方や神語が基礎になって、日本人は宴会好き。
何かひとつのことに一段落が付くと、みんなで集まって、地位や身分の壁を取り払って、みんなで楽しく食事(戸喫(へぐい))をして、酒を飲む。
忘年会は、一年の一段落です。
日本人は、半島の人と違って、アルコールの分解酵素を持たない人も多いです。
ですから酒を飲むことが目的ではなくて、みんなで楽しく食事をする。
お酒を飲みたい人は、好きなだけお酒を飲むし、食事を楽しみたい人も、普段の家庭生活ではなかなか食べれないおいしいものを、みんなと楽しくいただきます。
いまでは、飲み屋さんや飲食店で宴会するのが習わしのようになっていますが、もともとは我が国では誰かの家や神社の氏子会館のような共同施設に集まって食事を共にするのがならわしでした。
ですから料理人も出前です。
勅使下向の接待も、接待の場所は飲食店や料亭ではありません。
お屋敷にお招きして、そこで接待をするのですが、このとき接待のための料理などは、主に吉原の女郎屋の料理人が、その料理の腕を揮うことが常でした。
職業差別の習慣があれば、そういう文化は育ちません。
ちなみにいまでも、いわゆる旧家の大金持ちさんの家では、宴会というと、その旧家の屋敷で行われ、近隣の料亭の板さんが出前してきて、その家の台所で腕をふるいます。
昔からの習慣が、いまでも残っているわけです。
冬場の宴会料理といえば、鍋物が定番ですが、この鍋物、実は縄文時代から続く伝統だといわれています。
縄文人はお鍋好き。
縄文時代といえば、いまから1万7千年の昔が始まりですが、いつからかはわからないけれど、すくなくともとんでもなく古い時代から、日本人はお鍋を囲んでいたし、2〜3世紀頃には、すでに家格や貧富の別にかかわりなく、ただ年齢順に席を定めて若者たちが給仕をして、みんなで料理やお酒を楽しんでいたのです。
忘年会のシーズン。
何かひとつが一段落したら、直会をするという古くからの日本の習慣。
私達も楽しみたいものですね。
お読みいただき、ありがとうございました。

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