さらにやっかいなことに、日本語の「民族」と、西欧における「エスニック(Ethnic)」がまた、意味が全然異なるのです。
もともと西洋社会はたいへんに暴力がさかんで、常に上か下かの競争と殺し合いが日常的、恒常的に発生し、一般の民衆が常に身の危険に晒されていたという歴史があります。
このため中世ヨーロッパでは、平均寿命も24〜5歳だったりしています。
こうした厳しい環境の中にあって、自分たちの身を守るために、すすんで王の庇護下にはいる。
王は民衆を守る義務があり、民衆はその見返りとして税を払う。
これが、王の主権のはじまりです。
王の庇護下にある領土領民を守るために、王は進んで主権者として他国と交戦するし、領土を広げ、あるいは植民地をなし、他国から金品を奪って自国の繁栄を図ります。
いいとか悪いとかではなくて、そうせざるを得なかった事情が、西欧社会の歴史にはあったのです。
こういう次第ですから、強い王の下には、いろいろな言語を話し、様々な血縁共同体があり、またときには宗教さえも、同じキリスト教徒とはいっても、カトリックとプロテスタントでは、まるっきり教義が異なるのですけれど、そうした宗教の壁さえも越えて、自分たちの安全をはかるために、様々な地域の様々な人たちがひとつの王のもとに集いました。
たとえばフランスの場合であれば、もともとフランス語を話したのはフランス北部に発生したフランク族だけです。
英語で「フランク(Frank)」といえば、率直といった意味いなりますが、映画『指輪物語』に出てくるエルフ族のように、王が髪の毛をロングヘアに伸ばし、他の者は後ろ髪を刈り上げるといった特徴のある格好をした一族がフランク族です。
このフランク族は民族ではなくて、複数の血族が集まった戦闘集団で、これが次第に勢力を伸ばし、オック語やピカルディ語、ブレイス語、アルザス語、フラマン語など、77種類もの異なる言語を話す人々の住むエリアを次々併合し、ブルボン王朝のルイ14世の時代に最大版図となったエリアが、いまのフランスです。
要するにフランスは「国家(Nation)」です。
これに対して、フランス国内にもともとあった77種類もの異なる言語を話す人々は「エスニック(Ethnic)」です。
日本語だと「民族」と訳されます。
けれどエスニックは、きわめて曖昧なもので、早い話が日本人でフランスに住み、フランス語を流暢に話す人は、日本エスニックなのか、それともフランス・エスニックなのか。
あるいは深く日本を愛し、日本語を日本人以上に流暢に話し、日本文化への造詣が深く、日本国籍を持っているフランス人は、日本エスニックなのか、それともフランス・エスニックなのか。
要するに境界が曖昧なのです。
フランスに住んで、フランス国籍を持っていれば、フランス語を話せなくてもフランス人だというのは、ネイション(Nation)の考え方です。
フランスに住んでいて、フランス語を話しても、日本人は日本人だというのなら、それはエスニック(Ethnic)の考え方です。
しかし、そのエスニックが、当該国の内外で、独立運動や民族自決などと言い出したら、これはもう収拾がつきません。
さらに加えて、日本語の「民族」の定義がもっと曖昧です。
満州国人(ネイション)という意味でも「民族」という語が使われるし、満洲国民であるモンゴル人(エスニック)という場合でも「民族」の語が使われます。
日本語における「民族」という語は、同族意識を持ち、同種の文化・伝統・慣習を有する人間集団として用いられる用語でしかないため、概念として、あまりにも曖昧なのです。
従って、上に述べたように、沖縄の翁長知事が、わざわざ国連にまで出かけて行って、
「沖縄民族(沖縄エスニック)は、大和民族(大和エスニック)によって、意思に反して無理やり併呑されたのだ」などと述べるた場合、日本語で聞くと、さももっともらしいご高説に聞こえますが、これを英語圏などの西欧諸国の人が聞くと「?」マークが点滅します。
沖縄の人たちが「ethnic」というのなら、その「ethnic」ごとに「国家(Nation)」が独立しなければならないのなら、フランスなどは、それこそ77カ国に分割しなければならないことになるからです。
アメリカ合州国のように、そもそも多民族共同体としてスタートした国家も、存在すらできません。
日本国内でも、会津人、鹿児島人、上州人、関西人、関東人など、それぞれに微妙に異なる文化・伝統・慣習を持っていますが、それらを異なる「エスニック」と考えるなら、それぞれが民族自決のための独立運動の対象となります。
もっといえば、武家と農家、商家では、文化・伝統・慣習が異なります。
さらに言うなら、お隣のお宅と、自分の家では、文化・伝統・慣習が異なるし、親子兄弟姉妹においても、それぞれに個性があって違いがあります。
要するに「ethnic」を言い出したら、きりがないのです。
きりがないということは、「琉球 ethnic」が、国家として独立主権や排他性を持とうとするということは、そもそも、どっからどこまでが「琉球 ethnic」を示すのかという定義さえも曖昧なわけですから、こうなると、もはや殺し合いと暴力によって、上下と支配を打ち立てるしかなくなってしまうのです。
翁長知事のいう「琉球民族自決」というのは、実は、たいへんに暴力的で危険な思想であるということなのです。
「民族」が「血族」を示す言葉であれば、「何親等までを血族とする」という線引も可能です。
あるいは氏族であれば、「◯◯家の人々」として特定できます。
けれど「ethnic」は、文化・伝統・慣習を同一にする人々という意味であって、特定ができないのです。
まして日本語の「民族」になると、もはやお手上げです。
半島人を民族とする見方も同じです。
半島人は、歴史的にかなり血の密度が濃い人々であって、血族性の高い人たちであると言われますが、では、どこからどこまでがコリアン・エスニックなのかというと、これまた曖昧なのです。
そもそもコリアンは、単一民族ではありません。
語族そのものが6種に別れ、民族的にも扶余系、濊族系、高句麗系、百済系、新羅系、済洲系と、まるでエスニックが異なる人々でした。
新羅や李氏朝鮮王朝などもありましたが、これはたとえてみれば、アフリカにアフリカ王国を自称する暴力団がひとつあったという程度のもので、国内が言語的文化的共同体となっていたわけではありません。
それを、ひとつの語族、ひとつの文化にまとめたのは、実は日本です。
日韓併合後、日本は半島における標準語と標準文字を確立し、ハングルを復活させ、学校をつくり、服飾文化や住居文化、あるいは食文化なども、築いていきました。
もっというと、それまでの半島の王朝は、むしろ半島内のエスニック相互の交流を分断することによって、政権の安定を保っています。
これを日本は、彼らにコリアンとしての誇りをもてるように、朝鮮半島の歴史が始まって以来はじめて、コリアンという文化意識を彼らに植えつけたわけで、こうして生まれたのが、実は「コリアン」というエスニックです。
要するにもともと朝鮮半島では、李氏というひとつの「エスニック」が、朝鮮半島内にある「他の5つのエスニック」を束ねて王朝「ネイション」を築いていたわけです。
その半島を併合した日本は、李氏朝鮮王朝を正統な「ネイション」として扱い、朝鮮半島にある異なる「エスニック」もまとめてひとつの「エスニック」として統合しようとしたわけです。
朝鮮半島がネイションではなく、日本ネイションの一部となったわけですから、日本はそのようにしたわけです。
その意味では、これは私見ですが、日本の半島統治は失敗したと思っています。
むしろ半島は、ひとつのエスニックに統合するのではなく、6つの県に分割して、それぞれのエスニックの文化を蘇生、復活させ、エスニック毎の郷土愛を育むべきであったのではないかと思っています。
多くの日本人は、いまでも、このエスニックとネイションの区別がついていません。
「民族」という便利な用語で、エスニックとネイションの両方をひとまとめにしてしまっていることに安住し、エスニックの独立という言葉の持つ恐ろしさに気付いていません。
それどころか、「国家(Nation)は民族(ethnic)ごとに独立しなければならない」などと、まったく意味不明の論理のパラドックスの中に入り込んでいます。
この理屈は、戦前の朝鮮独立派の不逞コリアンのバカ者どもとまったく同じ発想にすぎません。
同じ会社で働くA君とB君が、それぞれエスニックを言い出したら会社組織は成立しません。
「お前とは生まれや出身や信仰や生活習慣が違うから、一緒に仕事ができない」などという、そんな主張を真に受けていたら、まともな経済活動など成立しません。
同様に、同じひとつのネイション(国家)の中にあって、互いにエスニックが異なるから一緒にやっていくことはできないなどと言い出したら、これまた国家など成立しえません。
日本語の「民族」には、ネイションという意味と、エスニックという意味の両方が内包されています。
このことを明確にしないで、ただ「民族」を言い出すのは、国家解体を唱えているのと同じことなのです。
ちなみに平安時代の初頭、我が国の人口構成は、なんと人口の3分の1が渡来してきた帰化人でした。
渡来先は半島やチャイナだけでなく、タイやインドもあれば、中東やアフリカ、南北アメリカ大陸からまでもあったようです。
当時の日本は、東亜の超大国だったからです。
けれど平安時代は、みなさま御存知の通り、我が国の文化が爛熟期を向えた時代です。
こんなに外国人が多いのに、どうしてそのようことをなし得たかといえば、平安時代の日本が「国家(=ネイション)を営んだからです。
そして国家としての軸になる記紀や、万葉集などの高い文化性をその前の時代に定着させ、さらに広大な農地開拓によって、食料事情に余裕を持っていた。
このことが、どんなに外国人が多く入り込んでも、国内に一点の乱れも生まない強靭な国家を形成する元になっています。
日本が誇れるだけの国家となっていれば、どれだけ外国人が増えても、本当は大丈夫です。
実際、平安時代初期には3分の1の豪族が帰化系の人たちでしたけれど、日本は文化花咲く平和な国を実現しています。
いま、ごくわずかな数百万人程度の外国人によって日本が壟断されるのは、日本人が日本人としての自覚と誇りを失っているからに他なりません。
そしてその自覚は、どこぞの半島人のように、民族(エスニック)としてではなく、国家(ネイション)としての自覚である必要があります。
つまりどのような日本を築くのか。
日本人のその意思こそが、日本をつくるのです。
あたりまえのことです。
※このお話は、新しい歴史教科書をつくる会主催「日本史検定講座」における宮脇淳子先生、倉山満先生の講義をもとに、私なりに考えをまとめたもので、2016年1月の記事のリニューアルです。
お読みいただき、ありがとうございました。

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コメント
よみひと知らす
言葉(単語)ひとつ、その意味や認識や解釈とかが互いに違ってるのに、双方あるいは皆がその違いは無いものとしてその言葉を使い、話しをし主張をしてもダメですわね。かえって不信や混乱や対立などが増すばかりか。
国家は民族を基底にして築き維持していくもんじゃないんですね。
いうなれば、”利害”が一つに成れた大きな集団という感じで受け止めてもいいのかな。その利害の一致、一致しないによって受容するも排除も国家として判断、決定するのは当然のことですね。
なんにでも違いがあって、それこそ「十人十色、なくて七癖」で極端に突き詰めれば民族も国家も社会も成立などしないだろうし。
「民族がー」とか「国家がー」などと声高にさわぐ人たちは、他のところの目的(利害とか・・)があるんでしょうね。
日本国は、いちおう単一民族として長くながくやってきたので、民族と国家についてのそういうところの齟齬が生じたということもあるんでしょうか。
ありがとうございました。
2020/02/04 URL 編集