その祖父の生前、祖父に「おじいちゃんのいちばん尊敬する人は誰?」と聞いたことがあります。
「それはなあ、おじいちゃんのお父さんだよ」と祖父は答えました。
私から見たら曾祖父ですが、曾祖父は明治の官僚だった人で、たいへんに厳しい人であったそうです。
祖母の話では、曾祖父があんまりにも厳格な人であったため、その反発から祖父は大人になってから「道楽(どうらく)に走った」のだそうです。
その厳格だった曾祖父の父(高祖父)は、幕末の激動期を幕臣としてすごした人で、江戸城明け渡しの残務処理の後、浜松に移住したのですが、武家が禄を失った時代でしたから、かなりご苦労されたようです。
商売をはじめもしたのですが、武家の商法で、かなりあった財産も家を残してあとは全部失ってしまう。
そんなことからお家再興(当時は本気でそう思う人がたくさんいた)のためにと、曾祖父は厳格に育てられたし、そのままの人生を送ったようです。
それで明治政府のもとで判事になったのですが、収入が良かったので二号さんを養い、そちらのほうが子の数が多かった。
というか、子が丈夫で、みんな成人するのですね。
祖父が長男だったのですが、祖父の兄弟は祖父と末っ子を残して、あとはみんな子供のうちになくなってしまう。
祖父は、そんな曾祖父を尊敬していて、曾祖父が死んだときには、家督を全部「父が世話になったから」とその二号さんに譲り、ご祖先の位牌だけを相続したのだそうです。
お人好しと言ってしまえばそれまでですが、江戸時代になる前、戦(いくさ)でしんがりをつとめて、家臣とともに一同戦死したりした祖先や、飢饉が続いて知行地のお百姓さんたちに十分なお米を供給することができなくなったときに、分配できる量のお米だけしか口にしなくて栄養失調で亡くなったご祖先、あるいは分家筋ですが、民の側に理があるからと、一揆のときにむしろ農家の側に味方して首を刎ねられたご祖先など、どうも我が家はお人好しの家系らしい。
ただ、いろいろと昔、聞いた話を思い出すと、代々、父を尊敬してきたという点だけは共通しているようで、やはり、立派だったんだなあと感心してしまいます。
どう考えても、自分は親にもご祖先にも全然及びませんが、ここが日本人の良いところで、どのご家庭でも、親父もご祖先も、ずっとたどっていくと、みなさん、立派に生きた人たちばかりというのが日本人の特徴です。
もちろん中には(極端な話)祖先がヤクザだったという方もおいでになるやもしれません。
けれど、そんなヤクザさんであっても、仁義に生き、人の道をまっすぐに生きようと努力を重ねてきたのが日本人だし、日本社会です。
そして鎌倉時代くらいまでさかのぼると、どの家系も全部血がつながってしまうのが、これまた日本人です。
つまり鎌倉以前の日本人は、いまあるすべての日本人の共通のご祖先ということになります。
さらにもっと昔、飛鳥時代や大和朝廷時代くらいまでさかのぼると、もう何度も血が混じってしまう。
そしてその時代の人々の記録が書かれたのが、古事記であり、日本書紀であり、そして万葉集です。
万葉集の歌を馬鹿にしたような解説をしている本も世の中にはたくさんありますが、どうしてそういうとらえかたしかできないのか、たいへん残念に思います。
とりわけ万葉集は、中央発の教育と文化によって成り立つ争いのない日本を目指して、持統天皇の御代に編纂(へんさん)された書です。
いっけんつまらない歌に見えても、その奥には、いまの私達が及びもつかない本気の人生が広がっています。
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』は、そんな思いで書いた本です。
お読みいただき、ありがとうございました。

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コメント
はらさり
私の曾祖母は遊郭にいた、遊女でした。
悲しい事に、彼女の最期は誰も知りません。曾祖父が何年後かに違う遊女を連れてきてそのまま追い出してしまいました。
私は曾祖母が最期しあわせに亡くなっていったことを願わずにはいられません。
娘である祖母によると優しいお母さん。だったそうです。
ちょっとお父さんの話ではなく恐縮ですが、私は曾祖母を尊敬しています。
2020/03/11 URL 編集
昆布
2020/02/07 URL 編集