日本は天皇の知らす国



天皇という存在があるからこそ、私たち日本人は、支配者の私有民や動産、奴隷とならずに済んでいます。これを古い日本語で「シラス(知らす、Shirasu)」といいます。
日本は天皇のシラス国です。


20200327 桜
画像出所=https://news.yahoo.co.jp/byline/nakajimakei/20200309-00166927/
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時代劇に出てくる商家といえば、店主がいて、番頭さんがいて、手代(てだい)さんがいて、丁稚(でっち)とよばれる少年たちがいて、という姿を想像される方が多いかと思います。
けれど実際には、そうした体制をとっているのは、ある程度の大店(おおだな)の場合で、小さな、いまでいう中小零細の商家の場合は、「家」というカタチをとっていました。

それがどんなものかというと、まず店主は「親方」などと呼ばれました。
先輩社員が「兄貴分」、その中のリーダー的存在が「若頭(わかがしら)」。
古参ないし仕事の出来不出来によって社員たちには順位がつけられていて、これらがまとまって「若衆(わかしゅう)」。
入社間もなくまだ後輩のいない社員は「新入り」と呼ばれました。

なんだかヤクザの世界みたいですが、実は普通の商店においても、その組織形態は、同じでした。
なぜそうなるのかといえば、店主である親方を実の親と同じ存在に見立てて、社員みんなをその「家族」に見立てていたわけです。

日本は、初代神武天皇が大和の国の橿原(かしはら)に都を定めたとき、「六合(くにのうち)を兼ねて、もって都を開き、八紘(あめのした)をおおいて宇(いえ)と為(せ)んこと、またよからずや」と詔(みことのり)されて出来上がった国です。
天の下をおおう家となろう、というわけですから、国全体がひとつの家族となろうということです。

日本は天然の災害が多い国です。
ですから、日頃から食料(お米)を備蓄しておく必要があります。
そうしなければ、災害によって食料が尽きたとき、人命までも尽きてしまうからです。
けれどそれが大規模災害で、地域全体が食料不足となったときには、他の地域からお米を融通するという体制が必要になります。

神武天皇の建国は、まさに地域を超えたお米の融通とその管理を目的として、天の下がひとつの家族のようになって、互いに助け合っていこうと、そのために地方ごとが独立したクニ(昔は各地方のことをクニと言いました)ではなく、その独立したクニ同士がみんな家族となる日本(やまと)の国としたものです。
初の皇居となった橿原宮も、そのために築かれたものです。
これは日本書紀に書かれ、少なくとも日本書紀が献上されて以降、1300年にわたって我が国の常識とされたことです。

これを「八紘一宇(はっこういちう)」といいます。
GHQにおもねる戦後の学者たちはこれを「日本が海外侵略を正当化する標語」だと決めつけましたが、実は意味がぜんぜん違います。
諸外国のように、権力者が民間人を平気で虐殺したり、その財産等を奪い、蹂躙してきた歴史からすれば、日本がそのような助け合いを前提とした家族国家を目指してきたということは、GHQのいかなるエリートであったとしても考えもつかなかったことであったのかもしれないし、日本を弱体化させようとするのがGHQの目的であれば、それは「何としてもつぶしたい」日本の形そのものであったのかもしれません。

すっかりGHQの、そしてその後の日教組教育に染まった戦後の日本人は、すっかり忘れていますが、八紘一宇という国の在り方が、あたかも侵略用語であるかのように曲解するのは、まさに「心が歪めば、周囲のすべてが歪んで見える」という人の性のさもしさを象徴したものといえます。


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さて商店は、どこもそうですけれど、最初に起業した時点では、創業者ひとりの活躍が店を維持します。
行商をしたり、台所にたったり、それこそ生産活動から、営業活動、帳簿処理にいたるまで、その全てを店主自身がやっていきます。

店がすこし大きくなると、店員を雇うようになります。
店員も、規模の小さいうちは、女房であったり、息子さんたちであったりします。
これを「三ちゃん」経営といいます。
とうちゃん、かあちゃん、にいちゃん、で三ちゃんです。
つまり家族で店を営むわけです。

だんだんお店が大きくなると、他人さまを雇うようになります。
雇った他人様を、家族として迎え入れるわけですから、店主が親となり、先輩たちが兄(あに)さんとなるわけです。
肉親としての兄弟には、長男、次男、三男、四男と、生まれた年に従って順番がありますから、これと同じように店員も、同様にも順番が付けられたわけです。

ときおり、長男、次男よりも、四男坊がとびきりの才能をもった人だったりすることもあります。
このためお店が大きくなると、兄弟の順番とは別に、番頭、手代、丁稚といった組織上の役割が与えられるようになります。

番頭さんは、店主に代わって店を切り盛りする、いわば総責任者です。
人事、総務、経理財務、営業、管理、監査等、お店の経営活動の一切を切り盛りします。
つまり、いまの会社でいえば、雇われ社長です。

では店主とは何かというと、社長よりも上位のオーナーといった立場になります。
番頭さんも、手代さんも、丁稚君も、全部店主によって雇われた者たちです。
そしてお店も、店主のものです。
けれど経営の一切は、番頭さんに委ねるわけです。

これは実におもしろい形です。
なぜなら店員さんの側から見ると、店員は、社長である番頭さんの私物ではない、という明確な線が引かれることになるからです。
店員さんたちは、店主に雇われているのであって、番頭さんに雇われているわけではない。
つまり店員の地位は、日々の命令を下す番頭さんの私物ではない、ということになるわけです。

しかもその原型は、商家という組織内にあって、番頭さん、手代さん等には、もちろんそれぞれの役割分担があり、責任範囲があるのだけれど、基本的に全員が家族です。
つまりもともと商家の中に奴隷の存在がありません。
みんな家族であって、家族の一員であるということは、ひとりひとりが人として尊重されているということです。

このことを、西洋で生まれた株式会社などと比較してみると、その違いが鮮明になります。
株式会社は、資本家が株主となり、優秀な社長を雇って商売をやらせ、その利益を株主が不労所得として吸い上げるという仕組みです。

この場合、株主に雇われた社長にとって、社員はいわば「手駒(てごま)」であって、そこに人格権はありません。
なぜなら社長は、株主に利益を還元するためだけに存在し、その利益をあげるために社員を利用するからです。
利用価値がないなら、首を斬る。
当然のことです。ただの物なのです。
家族でも身内でもなんでもないのに、利用価値がない社員を手元においていたら、それだけ会社の業績が悪化するだけです。
悪化すれば、社長は株主から自分の首を斬られます。

そういう意味で、西洋的株式会社は、「利益を上げる」という(経済)戦争に特化した組織形態であるといえます。
日本的な家族が支え合い、あるいは近隣の家族(つまり同業他社や顧客、仕入先など)等と互いに助け合って、生きていこうとする組織形態とは、実は根本的に、その存在目的が異なるわけです。

日本は天然の災害が多い国ですから、自分だけが欲をかくことよりも、みんなで共同して日頃から災害に備え、あるいは災害時には互いに支え合うことを前提とします。
森で火災や大水が発生したとき、世界中どこでも野生の動物たちが、洞穴などに避難しますが、そのとき、食肉動物も草食動物も、みんな一緒に避難場所に集合することは、よく知られたことです。
つまり、いざ災害というときには、動物たちであってさえ、相互に助け合い、支え合うのです。
そして災害が去ったあとには、復興工事が待っています。
これまた、お金持ちや権力者ひとりでは、どうにもならないことです。
なぜなら、民間に活力があって、はじめて災害復興が可能になるからです。

こうした文化は、天然の災害の危険のない(もしくは少ない)欧米には育っていません。
というよりも、欧米がある程度進んだ文化を持つようになったのは、14世紀の大航海時代以降のことです。
それまでの西欧は、世界的に見ても文化の遅れた、というより文化の育たない、ただの紛争地帯です。
殺し合いと収奪ばかりが横行した、文化果てる野蛮地帯にすぎません。

その刃が、大航海時代以降、有色人種国に向けられるようになり、徹底した裏切りと収奪によって、西欧諸国は富を得るようになりました。
つまり野蛮だから、富を得たのです。

チャイナも同じです。
2〜300年に一度、大規模なペストとバッタの大群が全土を襲い、そのために人口の7〜9割が失われ、混乱の中を、北方の鮮卑族が殴り込みをかけて新たな王朝を築いてきたのがチャイナの歴史です。
都度人口の7〜9割が失われ、しかも外国人によって、いわば植民地収奪王朝が築かれるわけですから、文化の伝承がありません。
つまり、王朝ごとに、いわばゼロからスタートしているわけで、しかも悪いことに、新王朝は過去の王朝を全否定しますから、結果として、王朝交代の都度、まるで赤ちゃんが生まれるのと同じで、過去の経験の一切がクリアされてしまいます。
つまり、文化が育たないのです。

よくチャイナの時代劇などを観ますと、男性が頭頂部だけを残して髪の毛を剃り、その頭頂部の髪の毛を長く伸ばして編んでいる姿、あるいは、男女ともいわゆるチャイナ服が、あたかもチャイナの独特の文化であるかのように映像化されますが、それらは、満洲あたりを拠点とした女真族の文化であって、漢族の文化ではありません。
そして新たな王朝によって支配者となった地方長官の類は、地域の生き残った住民からひたすら収奪を行いました。
そこに助け合いの文化など育ちようがなく、とにもかくにも、生きている間にどれだけ贅沢をするか、どうやって生き残るか、そのためには人の肉さえも売買の対象にするという、ある意味凄みのある文化となっているのが、いまのチャイナです。

ちなみにそのチャイナ初のペストは、記録にあるだけでも14世紀と17世紀に西洋にまで波及して、ヨーロッパの人口の6割の命を奪っています。
今回の新型コロナウイルスは、頭痛や39℃程度の発熱、下痢や肺炎を引き起こし、治療しなければ数日で死亡するリスクのある病ですが、実はその症状を持った病気のことを「ペスト」と言います。
このペストが敗血症を伴って体が黒く変色して死に至るものが黒死病ですが、要するに新型コロナウイルスいう呼称は、ある意味、事実誤認を誘うための用語であって、実はこれは「武漢ペスト」と呼ぶべきものです。
実際、チャイニーズの影響の少ない西欧国では、そのように呼ばれて警戒が呼びかけられているのだそうです。

さて、古くからある日本型経営は、店主がいて、店の全ては店員も含めてぜんぶ店主のものだけれど、その店主は(あくまでも大店の場合ですが)、店の切り盛りはしません。
ただ、店主として君臨しているだけです。
実際の経営は、店主によって任命された番頭さんが切り盛りしますが、なぜ番頭さんにそれができるかというと、番頭さんの権限は、店主によって認証されているからです。
つまり、店主の権威によって、番頭さんは権限をふるうことができるわけです。

その番頭さんは、たとえば気に入らない店員がいたとしても、そうそう簡単に、その店員の首をきることはできません。
なぜならその店員が、「番頭さん、オレはあんたに雇われているわけじゃないんだよ」と言われれば、番頭さんは二の句が継げない。
番頭さんが首を斬ろうとするならば、店主をはじめ、周囲のみんなに、充分にそれを納得させなければなりません。

また、店員さんたちは、もちろん番頭さんの言うことを聞いて、目先の利益をあげることにも努力するけれど、店主によってその地位を保障されていることから、目先の利益や、いまの役割をまっとうすることだけでなく、お店の将来、あるいは自分の将来にとって役立つ勉強をかさね、いつかは番頭さんのような立派な人になろうと努力していきます。
そしてそうやって努力を重ねた者が、次の番頭さんになるわけです。

もうすこしまとめると、日本型商店経営というのは、実は、店主は君臨すれども統治せず、つまりある程度大店になると、番頭さんがすべてを切り盛りしていて、店主はそれに口出ししない。
けれどすべての店員は、店主によって雇用された者たちという関係になっています。
こういう関係になることによって、店員達は番頭さんの私物にならない。
人として、仕事に邁進できる。

実は、こうした仕組みは、日本という国、全体においても、同じ体制がとられていました。
というよりも、日本という国柄が生んだ国の形を、知らず知らずのうちに、商家においても模倣していたと言った方が、正しいといえます。

どういうことかというと、世界中、どこの国においても、民は、豪族や王たちの私有民です。
私有民と書くと聞こえはいいですが、生殺与奪の権を持たれてしまっているのですから、早い話が奴隷と同じ、動産でしかありません。
古来、民は、権力者の動産ですから、当然のこととして、そこには人権など認められていません。
これが世界の常識です。

ところが日本は、その豪族たちの私有民だった人たちも含めて、すべての民を国家最高の存在である天皇の「おほみたから」としてしまったのです。
豪族たちの権力は、その天皇の権威によって与えられたものと規定されます。
豪族たちが支配する民たちは、天皇の民です。
これによって、日本における民は、豪族たちの私有民(動産)ではないことが確定するのです。

日々の生活においては、豪族や大名たちの支配の中で、日本の民は生活しています。
けれど、その民の立場は、豪族や大名などの私有民ではありません。
なぜなら、民衆は天皇の民だからです。

つまり日本は、天皇という存在によって、民衆が豪族や大名といった政治権力者の私有民とならずにこれた、世界でも希有な国柄であったということです。

このことのありがたみは、日本の国から、天皇の存在をないものと考えたら、すぐにわかります。
天皇の存在がなくなった瞬間に、民は、豪族や大名、あるいは昨今なら企業経営者やお金持ちの資本家たちの、ただの私有民になるからです。

私有民というのは、ただの動産です。
動産であるということは、所有物であるということです。
所有者は、所有物を簡単に捨てたり壊したり売ったりすることができます。
このように捨てたり壊したり売ったりすることができる対象の人のことを奴隷(=Slave)と言います。

日本人は、なんだかわからないけれど、天皇という存在をありがたがる、といいます。
それは実は、当然のことなのです。
天皇という存在があるからこそ、私たち日本人は、支配者の私有民や動産、奴隷とならずに済んでいます。

これを古い日本語で「シラス(知らす、Shirasu)」といいます。
日本は天皇のシラス国です。

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コメント

ある日本人の一人。

お互いが困難に協力し合って・・・。
八紘一宇。

諸外国では八族を一つの民族で支配する。
そんな思想なのだろうと思います。

自分が思うに八族が一つの家に慎ましく棲むことだと思います。
屋根に雨漏りがしているならみんなで直して住み続けていく。

そういう言葉だと思います。

にっぽんじん

嘘つきは誰だ
国会で森法相が野党に謝罪した。
「福島原発事故時に検察官が身柄を拘束していた犯罪者十数人を釈放し、市民より先に逃げた」といった国会発言が「嘘」だと野党に追及され、謝罪しなければ国会審議に応じないと安住議員のに脅迫に折れて謝罪したものです。

事実はどうだったのか。ジャーナリストの門田氏が書いている。
彼の文章です。

端的に言えば森法相の発言が正しい。東日本大震災に伴う福島第1原発事故の際、原子炉がメルトダウンし、各納器容器爆発による放射能汚染の危機が迫った平成23年3月16日、福島地検いわき支部は拘留中の強制猥褻犯を含む容疑者12人を処分保留で釈放して閉庁し、郡山に移った。

だが、釈放された容疑者が再犯したことで、いわき市民が激怒。森氏はいわき出身の弁護士でもあり、市民の気持ちを代弁し、国会で当時の民主党政権を責め立てた。江田五月法相は同年5月に福島地検検事正を更迭した。」

嘘つきはどっちなのか。森法相は、謝罪するのなら「移った」を「逃げた」と表現したことを謝罪すれば良かった。マスコミは何故か野党の不都合な事実を隠蔽する傾向がある。

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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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