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コロナ禍の乗り越え方を歴史から学ぶ ねずさん・小名木善行先生
《はじめに》 現在市販されているどの万葉集の本を読んでも、ちょっと考えたら誰でもわかりそうなものなのに、「君が袖振る」と「君の袖振る」の違いをちゃんと読み込んで解説したものはありません。 ないから自分で書くしかなかったのですが、日本文化というのは、巷間説かれているよりも、もっとずっと深いものです。 是非、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』をお読みいただければと思います。お薦めです。 |

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あかねさす紫草野行き標野行き
野守は見ずや君が袖振る(原文)茜草指 武良前野逝 標野行
野守者不見哉 君之袖布流
万葉集にある有名な、額田王の歌です。
ところがこの歌、よくみると原文の4句目のところが、
「君
之袖布流」
と書かれています。
どうみてもこれは「君
の袖振る」です。
早い話、「君
が袖を振っている」と、「君
の袖を振っている」では、まるで意味が違います。
この歌は、天智天皇と、弟の大海人皇子(後の天武天皇)、そして額田王との三角関係を証明した歌だというのが通説です。
額田王は、その弟の大海人皇子と結婚して一女を産んでいます。
つまり幸せな結婚をして、娘までもうけているのに、夫の兄と不倫関係にあったというわけです。
「だから古代は性がおおらかだったのだ」
などと、おバカな解説をしているものもあります。
常識で考えてもらいたいのです。
女性が愛する人を大切に思う気持ち、あるいは大切な我が子を思う気持ちは、いつの時代も同じです。
それにそもそも万葉集は、日本の文化・・・つまり日本の国柄を良い方向に築くための書として編纂された歌集です。
そういう目的をもって編纂された万葉集に、ご皇室の不倫関係のような歌を、果たして登場させるのでしょうか。
もちろん、和歌をどのように解釈するかは、読む人の(ある意味)勝手です。
お楽しみとして読もうとするときに、なるほど古代の人もエッチだったんだなあ、と読むのも自由です。
けれど、その理由が、天智天皇の妾(めかけ)となったのに、前の旦那の大海人皇子が野原で額田王に手を振って求愛してきたので、額田王が「もう、ばかね」と詠んだのがこの歌だと言うのでしたら、どうして「君の袖振る」なのでしょうか。

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男性が女性に求愛するために、野原で袖を振ったというのなら、「君が袖振る」でなければ論理的におかしなものになります。
だから、多くの万葉集の解説本が、額田王のこの歌を「君が袖振る」と解説しているわけです。
けれど冒頭に記しましたように、原文は誰がどう見ても「君の袖振る」なのです。
この歌についての解説は、拙著『
ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』に詳しく述べています。
いまいちど復習しますと、まずこの歌は、タイトルに
【天智天皇ご主催の蒲生野での遊猟のときに額田王が作った歌】と書かれています。
この遊猟会(ゆうりょうえ)は668年5月5日に行われた、天智天皇主催の蒲生野での遊猟会を指している
ことがわかっています。
新暦ですといまの六月中旬にあたりますから、ちょうど梅雨が始まる前くらいの季節です。
遊猟会が行われたのは、白村江事件の五年後です。
ようやく事件後の手当が一段落したので、天智天皇があるいみ直会(なおらい)の一環として遊猟会を開かれたわけです。
事が一段落したときに、宴会をしたり、遊猟会などを開催したりなどして、いわゆる直会(なおらい)をするのは、「よろこびあふれる楽しい国」を国の根幹としてきた日本の慣習であり特質です。
そしてこの時代、天皇が天智天皇、つまり兄の中大兄皇子です。
我が国では、天皇は国家最高権威であって、政治権力者ではありません。
ですから、その兄の天皇のもとで、政治権力のトップとして責任を持って辣腕(らつわん)を揮(ふる)っていたのが、弟の大海人皇子です。その妻が額田王です。
そして額田王は、霊力を持つ女性であったことが知られています。
こうした背景のもと、遊猟会の後の直会、つまり懇親会の席で、額田王が披露したのが、冒頭のこの歌です。
まず歌い出しが「あかねさす(茜草指)」です。
茜の開花時期は8〜9月で、この遊猟会はいまでいう6月ですから、ここでいう茜(あかね)は、茜の花のことではないとわかります。
その茜草は、茜色の染料として用いられる草です。
つまり「染めること」を想起させます。
では、何を染めたのでしょうか。
続く「むらさきのいき(武良前野逝)、しめのいき(標野行)」では、同じ「いき(いく)」に、「逝」と「行」が使い分けられています。
「逝」はバラバラになること、
「行」は、進むことです。
つまり、茜色に染めたのは、バラバラになった何かで、それをもとに戻すための道標に向けて何かが進んだわけです。
バラバラになったことは、「むらさきの(武良前野)」でも示されています。
なぜなら「武」は「たける」で歪んだものをまっすぐにすることですし、「良」は良いことです。
「野」が、白村江事件で被害を受けた地方豪族と考えれば、息子を失った地方豪族たちと国(朝廷)の絆(きずな)が途切れてしまっていたこととわかります。
その紐帯(ちゅうたい)を取り戻すための戦いが、この5年間の朝廷の戦いであったわけです。
天皇は、まさにその紐帯を取り戻された。
人々に明確な道標を与えられた、ということを述べているとわかるわけです。
そして「のもりはみずや(野守者不見哉)」の「野守」では、野原の番人と地方豪族を掛けています。
「みずや(不見哉)」の「哉」は言葉を断ち切るときに用いる字で、見ないことを断ち切ることから、「見るでしょう」という意味になります。
さらに「きみのそでふる(君之袖布流)」は、上に立つ者、つまりこの場合は、トップに国家最高権威としての天智天皇がおわし、その天皇の「国をひとつにまとめて、唐の国の侵攻に備え、同時に我が国をひとつにまとめていく」というお示しと、そのお示しのもとで、国家最高の政治権力者として夫の大海人皇子が辣腕をふるってきたこと、そのことが「君の指揮=君の袖振り」として描かれているとわかります。
このように解釈しなければ、冒頭に述べたとおり、「君之袖布流」の意味が説明できません。
再解釈した歌の読みと意味は次のようになります。
【天智天皇ご主催の蒲生野での遊猟のときに額田王が作った歌】
あかねさす紫草野逝き標野行き
野守は見ずや君の袖振る
茜草の根から採れる染料で布を茜色に染めるように野放図な世をまっすぐな美しいものに染めていこうとされている大君の道行き《示しめし》を、これまでバラバラでいて中央の政令を見ようとしなかった地方豪族たちも必ず受け入れていくことでしょう。歌は一見すると、ちょっと艶っぽい感じのする歌です。
けれど、その意味は、この時代に、苦労を重ねて国をひとつにまとめようとして来られた朝廷の人々なら、誰もが、「そうだよね」とわかる内容になっています。
他の者がこのような歌を詠めば、それは天皇へのただのゴマすりになってしまうかもしれません。
けれど 額田王は、政治上の最高権力者である大海人皇子の妻です。
しかも霊力を持つ女性です。
そういう額田王の歌ですから、この歌は「神々の声」としての歌ということになります。
そしてその意味することは、ひとことでいうなら、
「天皇の御治世は、ちゃんとうまく行っていますよ」
ということになります。
そしてさらに額田王のこの歌は、天智天皇の時代の政治の国家最高総括権力者として国家統一のための政務全般のを担っていた夫の大海人皇子の政治が、順調に進行していることを含んでいます。
つまり額田王は、
「夫がちゃんと仕事をしていますから、
天皇はどうかご安心くださいませ」
と詠んでいるわけで、まさに見事な内助の功といえます。
万葉集だけではないのですが、戦後は、あらゆる日本文化が矮小化され、貶められてきました。
そもそも鎌倉時代以前、つまり飛鳥、奈良、平安時代は、いまでは「古代」に分類されています。
古代というのは、歴史の始まりの時代のことを言います。
ですから西洋史なら、古代ローマ帝国の時代、古代ギリシャの時代などと言われます。
古代以前が先史時代です。
つまり考古学的な史料しかなかったり、神話の時代が先史時代です。
ですから、少し前までは、我が国では古代は「古代大和朝廷の時代」のことを言い、縄文時代、弥生時代が先史時代とされていました。
古代に続くのが中世で、飛鳥、奈良、平安時代が中世とされていたわけです。
ところが近年の文科省を中心とした歴史学会は、飛鳥、奈良、平安時代が古代だという。
そして鎌倉時代から戦国時代までが中世なのだそうです。
これは、歴史認識を近隣諸国に配慮した結果なのだそうですが、そもそも歴史というのは、政治ではありません。
純粋に学問であるべきものです。
そこに政治をからませるのは、おおいに疑問です。
さらにいうならば、その近隣諸国のうち、チャイナは今もまだ、少なくとも近代国家とはいえません。
いまなお、中世封建主義体制にあると言って良い。
お隣のコリアも同じです。
国民の自由な意思が国家意思となるという、近代国家とはまったく言い難い。
すなわち、いまだに北コリアも南コリアも、事実上の中世封建主義体制下にある。
そういう国に、民衆の自由な意思を国家意思とすることを国是とした先進国である日本が配慮する必要が、果たしてあるのかは、はなはだ疑問です。
とまあ、話が脱線しましたが、額田王の上の歌に代表されるように、きわめて高い文化を持った日本、そしてその高い文化を、高らかにうたいあげた万葉集です。
もっとちゃんと、しっかりと読みたいものです。
残念なことに、現在市販されているどの万葉集の本を読んでも、ちょっと考えたら誰でもわかりそうなものなのに、「君が袖振る」と「君の袖振る」の違いをちゃんと読み込んで解説したものはありません。
ないから自分で書くしかなかったのですが、日本文化というのは、巷間説かれているよりも、もっとずっと深いものです。
是非、『
ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』をお読みいただければと思います。お薦めです。
お読みいただき、ありがとうございました。
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コメント
PURPLE HIGHWAY OF ANGELS
この歌の詞書には「天皇遊猟蒲生野時額田王作歌」とはっきり書いてあるのですから、「遊猟会」が主題であることは間違いありません。さらに左注には「紀曰、天皇七年丁卯夏五月五日、縦狩於蒲生野。于時天皇弟諸王内臣及群臣、皆悉従焉」とありますから、この「遊猟/縦狩」が天皇の個人的趣味ではなく、「天皇弟諸王内臣及群臣、皆悉従焉」レベルの国家事業、おそらく大軍事演習ないしは軍事的デモンストレーションだったはずです。白村江の敗戦で軍備力の再整備は火急の事業でした。
それを恋の歌と解釈する輩がいるのは続く21番「紫草能、尓保敝類妹乎、尓苦久有者、人嬬故尓、吾戀目八方」に戀(恋)と入っているからでしょう。この歌の詞書には「皇太子答御歌」とありますから、20番と対になる歌です。つまり、こちらも同じ国家事業について歌っている歌です。
「蒲生野」は現在の滋賀県蒲生郡竜王町辺りです。20番に出てくる「武良前野」はその中の竜王町綾戸付近、延喜式にいう長寸神社(現在の苗村神社)と思われます。つまり地名です。大和から近江に大軍団が来て現地の野守に威力を見せつけたことでしょう――と歌っているわけです。「君の袖振り=君の指揮」でいいと思います。軍事指揮かもしれませんし、国家運営かもしれません。その両方でもいい。
21番の「紫草」は衣の色です。律令体制では皇族臣下の着衣の色は決まっていますから、深紫の御衣を纏う皇后に対する枕詞的な表現になります。「尓保敝類=にほへる」は「(色を)帯びる/染まる」の意味です。「(色彩的に)美しい→女性として美しい」と両義かもしれません。「人嬬」は皇后の意味で、皇太子である私も皇族も内臣・群臣もみな皇后であるあなたを慕っております――という返歌です。古今時代になると「紫」が縁続き、縁の濃さを表す語になったりします。
歌自体は縦狩が終わった後の宴(夜か?)で披露されたものでしょうが、縦狩には皇后も軍装で参加していたのでしょう。「みな立派でした」「皇后陛下もご立派でした」というやり取りです。そのやり取りで「茜草指(あかねさす=昼の意か)」/「武良前野(むらさきの=地名)」に対して、「紫草能(むらさきの)の一語で「茜草指/紫草能」の対比、衣色の「むらさき」を掛けて受けたのが技巧的に優れているということで万葉集に採録されたと思われます。
2020/04/23 URL 編集