西洋では、歴史は「
ヒストリー(History)」で、これは見たらわかりますが「Hi's Story」です。
彼のストーリー(筋書き)です。
西洋的歴史認識でわかりやすいのが、H.G.ウエルズの『宇宙戦争』です。
地球上で諸国がお互いに争い合っているところに、強大な火星人が攻めてきて、地球上の諸国を次々と滅ぼしていきます。
そのときひとりのヒーロー(英雄)が立ち上がって、火星人達と果敢に戦う。
そのうち火星人たちが、地球上のインフルエンザにかかって、次々と死んでしまう。
おかげで、英雄は戦いに勝利し、見事、美女を手に入れて結ばれる・・・というのが『宇宙戦争』です。
王国の興亡も、すべて、この筋書きによって描かれます。
先の大戦も同じで、西洋諸国が互いに争っているときに、日本という正体不明の恐ろしい怪物が現れて、西洋諸国を次々に倒してしまいます。
そのときに米国という英雄が立ち上がって、世界を巻き込み、連合国の名で見事日本を打ち負かして、世界に平和と秩序をもたらした、というのが、彼らのストーリーです。
このストーリーを描くためには、日本はどこまでも悪の枢軸国でなければならず、これをくつがえそうとすれば、彼らはそのくつがえそうとする人に対して、
リビジョニスト(History revisionist、歴史修正主義者)だとレッテルを貼って攻撃します。
この歴史認識を変えることはできません。
なぜならそうした歴史認識の枠組みは、彼らにとってはヘロドトス以来の思考だからです。
これが変わるのは、世界に新たな火星人が登場し、これを打ち倒そうとするヒーローが登場し、そのヒーローの戦いに日本が一員として参加して勝利する。
つまり
ジャスティス・リーグ(正義ための同盟国)の一員として戦いに参加し、勝利したときのみです。
このとき世界には新たな秩序が構築され、そこではじめて日本は歴史認識上の同盟国となります。
日米関係について言うならば、もうひとつのファクターがあります。
それは、米国の先の大戦における対日戦争は、
アベンジャーズ(復讐者)としての戦いと定義づけられているという点です。
わかりやすくいえば、日本が真珠湾を騙し討ちしたから、これに米国がアベンジャーズとして報復した、というストーリーが加わっていることです。
ですから日本は、彼らにとっては、ずるくて卑怯な存在と定義されます。
それが歴史認識なのですから、やっかいです。
これをくつがえすには、ここでも新たな報復相手が必要になるわけです。
そしてそのときには、日本もアベンジャーズの一員として、悪と戦う。
その戦いに勝利したとき、はじめて日本は、アベンジャーズの一員として、新たな世界秩序に迎えられることになります。
こうした歴史認識は、日本人のそれとは明確に異なります。
日本人にとっての歴史は、どこまでも「先例」です。
天然の災害の多い日本では、過去において、同種の災害が起きたとき、どのようにしてその被害を食い止め、被災者を救い、町や村の復興を遂げたのかは、極めて重要な課題です。
ですから、日本人にとっては歴史は事実でなければならないし、その歴史は、勝者(災害で言ったら救助者)の歴史のみならず、敗者(災害で言ったら被災者)の側の誠実も正しく述べられることが求められます。
つまり日本人にとっては、歴史は事実の積み上げであり、時系列に整理されたものであり、論理的な再現可能性があり、整理してストーリー化されていなければならないのです。
仮にもし、先の大戦の開戦時点のハワイが日本領であり、そこにある真珠湾の軍事施設に米軍がいきなり奇襲攻撃をかけてきたとしても、だからリベンジ(報復)のために、アベンジャーズになろうという心理は、日本人には働きません。
実際、通州事件や、尼港事件などに対して、日本は反撃をしていません。
日本人は、そうした事件を「災害」と捉え、二度と、同じ災害が起きないようにするために力を尽くすという習慣があるからです。
チャイナの歴史認識は、そうした西洋とも、日本とも異なります。
いわば「〜〜と日記には書いておこう」というのがチャイナ史で、歴史はあくまで政治的正統性のためのものというのが、彼らにとっての歴史です。
たとえば明から清に政権がかわったときの歴史でいえば、清国の歴史では、女真族のヌルハチにはじまる満洲族が、第三代皇帝の順治帝のときに果敢に明と戦い、これを滅ぼしてチャイナに清王朝を建てたことになっています。
けれども真実は、当時の明に疫病(ウイルス性のペスト)が大流行し、明の人口が4分の1にまで減っていたのです。
当然のことながら、こうなると行政も王朝もない(あっても機能していない)わけです。
言ってみれば、人がバタバタと死んで誰もいなくなったところに、清の順治帝が、あたかも無人の野を行くがごとく兵を進めて、新たな王朝を築いたのが清国だったというわけです。
このことについて清の正史は、「病気になったのは明の兵隊ばかりで、女真族の兵には、まったく感染者が出なかった。これは天帝(神)の怒りが明に降り注ぎ、天帝の意思が清に味方したためである。清は果敢に戦って勝利を得て新たに王朝をひらいた」と書いています。
けれど、そもそもウイルスが国を選んで感染するはずなどありません。
要するに清の正史は、いかに清国が勇敢だったかと言いたかっただけで、実際には感染症と飛蝗(ひこう・バッタの大群)で明の抵抗力がなくなったところで皇位を簒奪したにすぎません。
けれどもそれでは(まるで泥棒猫みたいで)体裁が悪いから、勇敢に戦い悪徳政権だった明を攻め滅ぼしたのだと書いているわけです。
つまり「○○と日記は書いておこう」というのが、チャイナ的歴史認識です。
ということは、彼らにとっては政治的な利得が問題なのであって、そこに事実は関係ない。
当然、チャイナの歴史認識には、再現可能性など生まれようもありません。
再現可能性こそは科学としての歴史の最大要素といえるのですが、その大事が、チャイナの歴史認識からは、すっぽりと抜け落ちているわけです。
このことはコリアも同じです。
つまりチャイナもコリアも、彼らは歴史認識に関しては、近代以前に生きているわけです。
このように申し上げると、
「日本だって戦前戦中まで神話を歴史に含めていたではないか。神話は歴史ではない」という反論がありそうです。
勘違いしてはいけません。
国史の授業の中で、なるほど日本は神話を教えていましたが、神話を歴史とは認識していません。
だから、わざわざ「神話」と区別していたのです。
加えて日本における神話はファンタジーではありません。
日本人にとっての神話は、いまでこそ神話と呼ばれますが、もともとは「神語(かむがたり)」と呼ばれていたものです。
神語(かむがたり)というのは、共通の祖先の物語という意味で、祖先をずっとさかのぼっていったとき、400年くらい前までなら、○○家のご祖先の物語となりますが、それ以上昔のご祖先となると、日本中のすべての家系の共通のご祖先の物語となってしまうのです。
日本で最初に正史が書かれたのが西暦720年の日本書紀ですが、ここで3世紀以前の物語は、やはり共通のご祖先の物語となってしまうわけです。
けれど、伝承としてしっかりとした時系列の記録が残っている時代については、それを歴史として書き記し、時系列が疑わしい、それよりももっと古い時代の出来事については、神語として区別したわけです。
実際、日本書紀は、そのような構成で書かれているし、古事記もまた同じです。
ではなぜ「神話」を歴史に組み込んだのかといえば、その理由も明白です。
神話が以後の日本の歴史を築く(あるいは「ひもとく」)「もと」になっているからです。
基本的に歴史で語られるのは、統治者の歴史、つまり政治史が中心になります。
もちろん、歴史の教科書の中には、天平時代の文化とか、足利時代の文化、江戸時代の文化といった項目があり、江戸時代なら、そこで井原西鶴や安藤広重などが紹介されたりもします。
厳密に言えば、政治史、経済史、文化史と、それらは歴史の中の一分野になるものです。
政治史が中心になるのは、日本の国体の姿やその変遷を明らかにするためです。
そうであるなら、その根幹を形成した時代の出来事を歴史に組み込んで記さないわけにはいきません。
さらにいえば、神語が、我が国の政治史に強い影響を及ぼしている以上、これを抜きにしては日本の歴史を語ることができない。
これは現代でも同じです。
日本国憲法は(その憲法としての正統性の問題は別として)、トップに天皇に関する規定があります。
第一章 天皇
第一条【天皇の地位・国民主権】
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
いきなり天皇からスタートです。
ではその天皇とはいかなる存在なのか。
また、我が国の歴史上、どのような存在であり続けたのか。
このことを考える上において、神話の勉強は不可欠の要素です。
なにしろ、天皇の御存在は、神々の国である高天原における天照大御神の統治を模倣したものとされてきたからです。
だから昔も今も、天皇は国家最高権力者ではない。
ではどうして国家の最高権力を持たない人が、国の最上位にいるのかを、きちんと説明しようとすれば、結局のところ、神語に還るしかなくなるのです。
というわけで、世界を震撼させているコロナウイルス問題は、いま世界に新たな時代の到来を予見させています。
コロナウイルスの影響で、これからの世界は大きく変わるし、それに伴って世界の秩序も変わります。
とりわけコロナウイルスが、チャイナ発という事実は、それによって被害を受けた諸国に、新たなジャスティス・リーグ(正義ための同盟国)の形成をうながすことになります。
逆に言えば、事態はそれまで続くということです。
それは、新たな歴史の始まりです。
ジャスティス・リーグでわかりにくければ、「制限的自由貿易同盟」と言い換えても良いです。
ちゃんと約束を守ることができる国だけで交易が行われる。
そうでない国は、国家意思として排除する。交易の対象に含めない。
このことは、国家対国家の貿易問題のみならず、社会全体の構造へと変化していくものと思われます。
つまり、企業取引や、一般の商店の営業に至るまで、すべてこの方向へと向かうわけです。
自由主義なら、いちげんさん歓迎です。
なにせお金を払ってくれるから儲かる。
けれど、そのいちげんさんが、強盗やマフィアだったら、いくらお店が混んでいても、結局、お店は大損します。
制限的自由主義なら、いちげんさんはお断りです。
けれどその分、長く商いができる。
これは京都・祇園の「お茶屋さん方式」です。
祇園のお茶屋さんは、それぞれのお店が何百年の業歴を誇りますが、すべて「いちげんさんお断り」です。
そこでお店が営業しているかどうかもわからないから、お客はんは、すべて紹介以外、お店に入ることができません。
つまり、京都のお茶屋さんは、何百年も繁栄し、その繁栄が安定して、かつ継続しています。
個人生活においても、何にも増して、信用と思いやりが第一になります。
役職や力関係による上下関係によって、人を支配し隷属させようとする人は、社会から脱落します。
そういう上下と支配の価値観しか持たない人は、実社会では排除されてしまうのです。
このことは、暴力学生が、学生のうちは大きな顔ができても、卒業して社会に出た途端、社会に適合しなければ、底辺に封じ込められてしまうことと同じです。
仕事も、在宅勤務で可能なものは、在宅のままに据え置かれることになるかもしれません。
人と人とが会うことが、ネットでも可能ならば、企業は何も高い家賃を払って、都市部に事務所を借りる必要がないからです。
もちろん工場など、機械設備がなければ仕事にならない職種や、物流など、これまで通り人が集まらなければならない職種はあります。
ですから、あくまで全体的な社会の傾向として、のことではありますが、ひとつはっきりといえることは、社会は、コロナをきっかけとして、国際関係から個人生活に至るまで、これから大きく変わる、ということです。
お読みいただき、ありがとうございました。
人気ブログランキング↑ ↑
応援クリックありがとうございます。
講演や動画、記事などで有償で活用される場合は、
メールでお申し出ください。nezu3344@gmail.com ◆最新刊◆ ◆◆◆◆◆ねずさんの代表作となる動画◆◆◆◆◆
《塾の日程》どなたでもご参加いただけます。2020/5/2(土)13:30〜第72回倭塾(於:富岡八幡宮婚儀殿)〜
開催延期https://www.facebook.com/events/199953101362592/2020/6/20(土)13:30〜第73回倭塾(於:富岡八幡宮婚儀殿)
https://www.facebook.com/events/1279660025559485/ |
コメント
名無し伍長
日本のネット利用者は、その能力と数量において世界から隔絶しています。
嘘を吐いてコロナウイルス禍を抑制しようとするその他各国との、決定的な違いです。
(特亜だけではなく、欧米先進国を含むその他各国も感染者情報は嘘ばかりです。
こうした情報の正否も、しっかりと数字の増減を追いかけなければ分かりません。
今、最も正確なコロナウイルス被害情報を持っているのは日本でしょう)
日本においては、たとえ日本政府という権力といえども、嘘を吐き通せません。
今後の世界において得か損かはともかく、日本だけは嘘を吐くこと(嘘がバレて攻撃される事)を恐れています。
逆の見方をするなら、その他の国は真実に基づかない対策行動を採っている事になります。
人を嘘で操る事によりダメージコントロールをする国々は、危機を切り抜けられるのでしょうか?
それとも嘘ではなく科学的対策でダメージコントロールをする日本方式の方が良いのでしょうか?
2020/04/26 URL 編集
takechiyo1949
悔しいからとの報復合戦。
同じ土俵の上で正面衝突。
似た者同士の見憎い争い。
過剰攻撃に荒れる世の中。
善人が泣きをみるご時世。
倍返し。
ドラマの影響で流行語にもなりましたが、現実の世界はドラマとは違います。
繰り返し反撃での長いお付き合いなど御免被りたいです。
「倍…」は、受けた恩に返すものだと思っています。
2020/04/26 URL 編集