日本書紀が最初の神として描く、国之常立尊(くにのとこたちのみこと)の登場です。
誕生した場所は、「洲壞浮漂(くにつちのうかびただよう)」ところです。
ここで「つち」のことを、「壊」という字で書いています。
では、その「洲壞(くにつち)」とは、天にあるのでしょうか。それとも地にあるのでしょうか。
実は、日本書紀は、そのどちらとも書いていません。
ここは大切なところです。
清陽なるものから神が生まれたわけでなく、重濁なるものから神が生まれたわけでもない。
その両方の存在の中から、国之常立尊以下の神々が誕生していると書いているのです。
ここが日本書紀のおもしろいところです。
天地二元論ではないのです。
天地両方があって、はじめて神が成る。
もっというなら、天地の結びから神が成られているのです。
つまりはじめに混沌があり、そこから天地が分かれ、その天地の結びから神が成られたとしているわけです。
もっというなら、清陽と重濁は、両方あってひとつだということです。
清陽でありさえすれば良いということではなく、重く濁った状態にあっても、それもまた神の内なのです。
このことは、重く濁った土の中から、大切な農作物が生まれることを考えれば、きっと「なるほど」とご納得いただけるものと思います。
次いで次国狭槌尊(くにのさつちのみこと)、豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)が成られます。
「くにのさつち」の「さ」は、早苗、早乙女などと言うように、稲のことを指す言葉です。
「つち」は農地を耕す農具です。
つまり「くにのさつちのみこと」は、稲作のための境界を定める神様です。
豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)は、豊かさを斟(く)むのですから、豊年満作を意味します。
これもまた農耕の神様です。
国の中心があり、そこで農業がはじまり、豊年満作となる。
これが創生の三神です。
つまり日本書紀からは、はじめから農業を中心とした、臣民の誰もが絶対に食べるに困らない、飢えることのない、豊かで安心して安全に暮らせる国つくりを根本にしていこうとういう日本書紀を編纂した人たちの強い意思を読み取ることができます。
日本書紀の編纂は、もともと天智天皇の681年の詔が開始の発端とされています。
このときの皇后陛下が鸕野讚良野皇后(うののさらのおほきさき)、つまり後の持統天皇です。
天武天皇の時代の政治は、大臣をひとりも置かずに、ご皇室が直接政務を担った時代です。
これを皇親政治(こうしんせいじ)といいます。
けれど天皇は「示す」ご存在であり、政治は責任を負うものです。
そして681年といえば、直接政治に責任を持つことになった草壁皇子(くさかべのみこ)、大津皇子(おほつのみこ)、高市皇子(たけちのみこ)らは、2年前の679年に、天皇の皇后(持統天皇)から、吉野宮で互いが助け合う盟約をかわさせられています。
このなかで高市皇子が20代後半と最年長ですが、地位は草壁、大津に続く三番目。そして草壁、大津の皇子らはまだ十代です。
つまり、この時代に実際に政務の中心となって、権力の中心となっていたのが誰かといえば、それは鸕野讚良野皇后(うののさらのおほきさき)、つまり後の持統天皇以外にない、ということになります。
そして持統天皇が強い意思で進めたのが、日本書紀と万葉集の編纂です。
そしてその持統天皇こそ、皇族の争いから武力をなくし、教育と文化によって皇族や貴族のみならず、日本全国から争いを取り除く、現代日本にまで続く日本人の民度の基礎を築いた偉大な天皇です。
さらにいえば、その御意思は、災害の多発する日本において、決して民衆が飢えることのないよう、常日頃から農業を振興し、食料の備蓄を行い、争いがなく、災害対策のための社会インフラ整備に欠かせない教養と技術を振興し、その教養と技術の育成と、平和な社会の実現のために、日本の社会全体の基礎に、教育と文化を置くというものでした。
日本書紀は、まさにそうした持統天皇の強い信念と御意志を、そのまま反映した書になっている、そのことがわかるのが、まさにこの最初の三神のお名前であり、そのご神名の意味するものであるわけです。
これはすごいことです。
そして、ここが日本書紀と古事記の違いです。
古事記は、最初の神様が天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)です。
その神は、何もないところに、最初の中心点として現れ、その存在のすべてを胎内に取り入れた(隠身)というのが、古事記の記述です。
つまり古事記は、宇宙創生から神々の創生を解き明かしているわけです。
要するに古事記は、最初から神々の書として書かれているわけで、だからこそ摩訶不思議な、神々の世界でしかありえないような描写が続いたりもするわけです。
これに対し日本書紀は、地上に住み、生きる我々にとって何が大切かを書いた書です。
実際、日本書紀は成立の翌年から、教科書として用いられています。
つまり日本書紀は、どこまでも教育のために書かれた書であり、その意味において、きわめて論理的な整合性のある(つまり現実味のある)書き方がなされているわけです。
ですからこれを神学的な意味合いや立場から、書かれていることが古史古伝と違うとかいう議論は、まったく当たらないことになります。
書いたものには、必ず書いた意図(目的)があります。
日本書紀には日本書紀の意図や目的があり、他の古史古伝には、また別な意図や目的があるというにすぎないのです。
そして日本書紀の記述からわかることは、持統天皇が天然の災害の多い日本列島において、誰もが安全に安心して豊かに暮らせるようにしていくために必要な論理的な思考を教育の根幹にされたことを示します。
古代における文学(神々の物語)は、世界中どこの国のものであっても、論理の飛躍(たとえばチャイナの神話には、体が半透明な皇帝が登場したりする)が見られますが、論理が飛躍したら、実際の災害対策に、まったく役に立ちません。
論理を飛躍させて実態を見失うことは、災害の多発する日本では即、大量死を招くものになります。
そこで日本書紀は、論理を飛躍させるのではなく、どこまでも客観的に事実を積み上げる工夫がほどこされ、その根拠として、神話を必要な範囲で伝えるという工夫がなされているわけです。
ところが、これを行うと、地方豪族によっては、「我々の持つ神語と内容が違うものは受け入れられない」と、反発する者が必ず出てきます。
そこでこれを防ぐために日本書紀は、神代の出来事の記述については、「一書曰(あるふみにいはく)」として、多くの異説を併記して「一書曰(あるふみにいはく)」という異説の紹介が、日本書紀の神代に限られているのは、そういう理由に基づくものです。
食を根本とし、論理的な教育と、美しい精神文化によって立国する。
7世紀という、古い時代に、これだけのことを実現した国は、世界に類例がありません。
まさに、
日本、おそるべし!です。
お読みいただき、ありがとうございました。
※ ちなみに個人的には、持統天皇の天才性こそが、万世にわたる日本人の性格を築いたと思っています。
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コメント
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神功皇后陛下、持統天皇陛下、卑弥呼など然り、
昔は偉大な日本女性がたくさんいた。
今は大正デモクラシーと戦後の米中朝韓の、
『日本への性差への分断工作』が100年以上も
続く、2600年以上続く日本史においての、
異常事態が続き、日本女性は堕落している。
ねず先生には、宮脇先生か他の女性先生と、
次作は日本女性はかくあれ、を上記の女性偉人
の生涯を通して著述して頂きたいものでございます。
2020/04/30 URL 編集
takechiyo1949
ありがとうございます。
皇位継承権は、母親の地位と生まれた順番によって機械的に決まる。
天皇は、国家最高権威として祭祀を司り、政治権力は臣下が執行する。
持統天皇は、短期間の内にこれらの仕組みを定着させました。
そして時代を越え、現代の私達も受け継いでいます。
物凄い先見の明ですよね。
ねず先生が仰る通り、持統天皇は稀代の名君です。
2020/04/30 URL 編集