「棚機(たなばた)」というのは、古代から伝わる日本独自の禊ぎ(みそぎ)のための神事で、秋の収穫を前に、選ばれた乙女が「棚機女(たなばたつめ)」となって禊(みそぎ)をして穢れを祓ったあと、水辺に設置された機屋(はたや)にこもって機織り(はたおり)をします。
乙女が機屋の中にこもって縦糸と横糸で「布」をつくるわけですが、このとき使われる道具が「棚機(たなばた)」です。
できあがった反物(布)や着物(地域によって異なる)を神様に奉納し、そこに神様をお迎えし、村のみんなで秋の豊作を祈るというのが、「棚機(たなばた)」の神事であったわけです。
布は、もともとは野原に生えている麻などを伐(き)って乾かし、そこから繊維をとって糸にして、これを織ったり編んだりして布にしていきます。
日本では、福井県の鳥浜貝塚などから約8000年前の布が出土していますが、要するに縄文時代から布が使われていたわけで、当時は自給自足ですから、それこそ草から繊維をとり、糸にして布にするところまで、村のなかで行なっていました。
ですから昔の人は、一枚の布でもそれは母たちが心をこめて作ってくれたとても貴重で大切なものと考えました。
だからこそ神様に、いの一番に捧げて感謝を捧げたわけです。
そういう風習が、なんと我が国では縄文の昔から定着していたのです。
さて、ここからが大事なところです。
実はこのように一枚の布に対してでも感謝の心を持つという文化は、征服し征服されるという文化のもとでは、絶対に育ちません。
なぜなら、権力者(支配者)は、他所から布でも衣類でも、武力をもって収奪してくれば足りるからです。
収奪するところに、感謝の文化は育ちません。
つまり布は、あるのがあたりまえで、不足すれば奪えば良い。
布は感謝の対象ではなく、収奪による戦利品であって、勝者の富の証(あかし)でしかないのです。
ところが日本というのは、旧石器、縄文、弥生、大和、奈良、平安、鎌倉、室町、江戸、明治、大正、昭和、平成、令和と、歴史がずっと連続しています。
ですから太古の昔からの文化もまた持続しているわけで、それが我が国の感謝の文化になっているわけです。
一枚の布であっても、あるいは道具としての茶碗やお皿、あるいは大工道具や刀剣類であっても、ひとつひとつに神様が宿ると考え、ものを大切にする。
そういう文化が日本に備わっているのは、それらの道具がはじめて作られた原初の時代から、日本が他所の国や民族に征服されることなく、何千年も前からの古くからの文化をずっと大切に保持してきているからです。
つまり、日本が「歴史の連続している国」だから、日本人は感謝の心を大切にするのです。
その日本に、織り姫と牽牛の故事が伝わったのは、6世紀の仏教伝来の頃であったとされています。
男女が一年に一度出会うという物語は、とてもロマンがありますし、牽牛は農業の神様でもあります。
そこで渡来仏教側では、民間に古くから定着していた棚機の行事を、「お盆にご先祖の御霊を迎える準備」に変換して、神事の棚機と同じときに、これを行うようにしていきました。
ちなみに昔は旧暦ですが、7月7日というのは新暦ですとだいたい8月15日のお盆の頃にあたります。
その7月7日の夕方に、ご先祖の御霊をお迎えするのですが、これを仏教用語では「七夕(しちせき)」といいます。
つまりご先祖の御霊が、7日間だけ、この世に帰ってくるというわけです。
ちなみに神道では、家族が亡くなると、その家族の御霊(つまりご先祖の御霊)は、仏教のように極楽浄土に行くのではなく、家の守り神となって、家内にとどまります。
ですから、本当は仏教の「七夕」の考え方は、神道とは異なるのですが、たまたまその日が「棚機(たなばた)」の日であって、その日が仏教の「七夕(しちせき)」であったことから、いつのまにか「七夕」と書いて「たなばた」と呼ばれるようになったわけです。
このように、まったく異なるものが、渾然一体となって、最後にはみんなが楽しむ「七夕祭り」にまでなってしまうのは、これまたたいへんに日本的な話で、どうして仏教と神道といった異なるものが日本では一体化してしまうのかというと、それは「みんなにとって楽しいことは共有しようではないか」という、これまた日本的思考があるからです。
我が国は、どこまでも民衆が天子様の「おほみたから」である国です。
この七夕に関連した、有名な和歌があります。
大伴家持の歌で、
鵲(かささき)の渡せる橋に置く霜の
白きを見れば夜ぞ更けにける
という歌で、百人一首にも選ばれている歌です。
ここでいう「かささぎ(鵲)の渡せる橋」というのが、七夕のことです。
鵲(かささぎ)というのは、カラスに似た鳥で、カラスは全身が真っ黒ですが、カササギは、白黒の柄がはいっています。
このカササギが、織り姫と牽牛が年に一度天の川を渡って出会うというときに、どこからともなく集まってきて、隊列を組んで天の川に架かる橋になる。
織り姫と牽牛は、このカササギがつくってくれる橋を渡って、年に一度出会うというわけです。
この歌の解釈は、偉い大学教授さんの書いた解説書などをみると、「かささぎが連なって渡したという橋のように白く霜が降りている。もう夜もふけてしまったのだなあ」のような意味の歌だとされているようです。
けれど、その解釈は、どうみてもおかしいです。
というのは、カササギが橋をつくるのは、旧暦の7月7日、いまの暦でいったら8月15日頃の真夏の出来事です。
そんな真夏には、たとえ夜といえども、霜は降りません。霜が降るのは冬です。
ところが、この歌は、七夕に霜が降りている、というのです。
こんなことはあり得ません。
ということは、解釈自体が間違っているということです。
実は、この歌の季節は、冬なのです。
冬だから、霜が降る。
けれど、冬でも、真夜中すぎになれば、天空には夏の星座が浮かびます。
つまり、織り姫星も、彦星も出てきます。
この歌を詠んだ大伴家持は、いまで行ったら自衛隊の幕僚長か防衛大臣、旧軍なら大本営の参謀長のような立場の人です。
その大伴家持は、白村江の戦いの後、いつ唐や新羅の連合軍が日本に攻め込んでくるかわからないという危機感の中で、本土防衛のための兵役から兵站、防衛ラインの制定から、武器の調達、訓練内容の選定などなど、ありとあらゆる可能性に対処するために、まさに毎夜、夜中過ぎまで仕事をこなしていました。
そんな日々のなか、ある冬の日に官舎を出て帰ろうとすると、あたりには、もう真っ白に霜が降っている。
そして空を見上げると、そこには満天の星が輝き、しかもその星座は、夏の星座だった、というわけです。
星座表をみたらわかりますが、空はまわりますから、冬でも明け方近くなれば星座は夏の星座になります。
その夏の星座に浮かぶ、織り姫星と彦星の出会いのために架かるカササギたちが連なる橋は、まるで隊列を組んだ軍隊の行進のようでもあります。
祖国防衛のために、軍の総責任者として夜半過ぎまで働く大伴家持にとって、そのカササギたちの隊列を組んだ姿は、祖国を守るために出征する兵士たちの姿に重なったことでしょう。
織り姫に代表されるのは、機を織る女たち、彦星に代表されるのは、日頃は農業を営なみ、一朝事ある時は兵役に就く男たちです。
そんな男女の、あたりまえの暮らしを護る。
そのためにしっかりとした国防計画をつくる。
それが大伴家持の立場です。
わたしたちの国日本は、そうやって大昔から、持続し、連続している、世界でも希有な国です。
その日本を守る。
自衛権は、憲法以前に、世界中どこの国にも、そしてどんな人にも備わった自然権です。
日本が憲法で戦争を放棄しても、戦争は日本を放棄してくれるわけではありません。
そうである以上、日本単独でも自衛権は発動するし、日本単独ではなく、他の諸国と力を合わせて非道と戦い、身を守る。それが集団的自衛権です。
これを否定するということは、むしろ戦争を誘発することになる。
なぜなら、戦争は軍事バランスに強弱がついたときに、起こるからです。
世界の歴史は、強い者が弱い者を攻め滅ぼして財産を横取りしてきた歴史です。
日本は真逆で、強い者が弱い者を守ってきた歴史です。
日本こそ、強い力を持たなければならない国です。
最後にもうひとつ、書いておきたいと思います。
イザナキとイザナミのニ神は、天の沼矛(あめのぬぼこ)を神々から授かり、天の橋にお立ちになつて、その矛(ほこ)をさしおろして下の世界をコオロコオロとかきまぜて、矛を引き上げられました。
すると矛の先から滴り落ちたしずくが、オノコロ島となったと、古事記に書かれています。
いわゆる国産み神話です。
私は、このくだりにある「天の橋」というのは、天空にかかる天の川のことです。
イザナキ、イザナミの二神が、天の川(天の橋)にお立ちになって、下界を沼矛でかきまわした。
冒頭に天の川の写真を掲示しましたが、いまでもすこし田舎の方に行くと、天の川が実にくっきりと見えます。
大昔は、いまよりもっと美しく夜空を彩ったことでしょう。
その天の川を、天空にかかる大いなる橋に見立てて、その橋の上に立ったイザナミ、イザナキのニ神が、下界の混沌に武器である矛をおろすことによって出来上がったのがオノゴロ島、つまり地球です。
混沌を整える力は「武」、つまり歪んだものを正す力です。
あるいは矛は「天地をつらぬく真実の矛」とも見ることができます。
それが我が国における「武(たける)」です。
※このお話は、2014年7月7日の記事をリニューアルしたものです。
お読みいただき、ありがとうございました。
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コメント
宮崎マンゴー
いつもお疲れ様でございます。ありがとうございます。
七夕の夜、心に沁み入るお話…日本人でありました事を誇りに存じました。感謝でございます。
九州は北部南部豪雨被害でございます。
毎朝毎晩、八百万の神々様へ豪雨がおさまる様拝み致しております。
七夕とは幼い頃から、美しい物語としてきかされてまいりましたので…本日の記事により、遥か古代よりの厳しい背景の歴史に於いての真実なる深み重みが秘められていたのですね。益々、日本が愛おしく存じました。がしかし現状我国は憲法改正が戦後1度も為されないままで、
危機なる事態となっております。
ねず先生様のお伝え下さっておられる様に、日本という強さの中にある誇り貴き国、慈悲深い国である事をありがたく存じます。
今宵、七夕の短冊は飾れませんが…
「美しい日本を、平和なる日本を取り戻したい。防衛力、軍事力を備え、日本を日本国民を護る強い国にして下さい!」と、書き捧げたく存じます。
ねず先生様、どうぞご自愛くださいます様お願い申し上げます。祈
2020/07/07 URL 編集
松さん
彦星/牽牛星=アルタイル/わし座
1年に1度だけ。
七夕の夜の逢瀬。
但し、ふたりは15光年程も離れていますから、そうもいかないようです(笑)
なので、昔の人は盥に水を張って星ふたつを映し、水をかき混ぜてひとつの光にしてあげたそうです。
昔の人も優しかったのですね。
2020/07/07 URL 編集
にっぽんじん
十数年前に検討していたダム建設中止を知事さんが悔やんでいました。
しかし、多くの住民の民意である以上やむを得ないことかも知れません。
ダムは川をせき止め、大量の水を貯水することで川の氾濫を防ぎます。
私は素人だから分からないが、何故川をせき止めなければいけないのでしょうか?
せき止めなくても貯水は可能です。
川底を低くすればその分貯水できます。
トンネルを掘るわけではありません。
ショベルカーで掘るだけです。
20m幅の川を1m掘れば危険数位は1m高くなり、水は1mあたり20トン貯水できます。
これを10Kmやれば20万トン貯水できます。20km掘れば40万トンです。
トンネル工事に比べれば楽な工事で済みます。
掘削で出てきた石は川底に敷き詰め、土は土手のかさ上げに使います。
検討してみて欲しいものです。
2020/07/07 URL 編集