平安初期の大騒動「薬子の変」を学ぶ

薬は苦いものです。もっというなら薬は毒の一種であるともいえます。体の健康を取り戻すために、人は薬と言う名の毒を飲んで健康を得るわけです。
薬子は、平安時代の初期において、まさにその毒となることによって、日本を正常化させました。そうすることで350年の泰平を開きました。これはとてもすごいことだし、私たちがもっとも感謝すべきことであると思います。
薬子を毒婦として、おもしろおかしく描いた作品や、歴史の紹介者は多いです。
けれども大切なことは「学びと感謝」にあるのです。

20200629 薬子の変
画像出所=https://bushoojapan.com/jphistory/kodai/2020/03/06/108032
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さて本題です。

平安時代といえば、平和と安定の時代であり、日本の歴史を代表する教養と文化の時代であったとされます。
それもそのはず。
平安京遷都が794年。
鎌倉時代の始まりが1192年。
そこまで398年ですが、この中の810年の薬子(くすこ)の変で、藤原仲成(ふじわらのなかなり)が射殺されてから、1156年の保元の乱で源為義が処刑されるまで、346年間にわたって律令制に基づく死刑の執行なかったのが平安時代であったのです。

では、その薬子の変とは、いかなるものであったのでしょうか。

まず平安京(京都)への遷都を行ったのが代50代桓武天皇(かんむてんのう)です。
その息子で次の第51代天皇となられたのが、平城天皇(へいぜいてんのう)です。

その平城天皇が、まだ皇太子だった頃のお名前が安殿(あて)親王に、娘を妃(ひん)として差し出したのが、藤原縄主の妻で、5人の子持ちの母、藤原薬子(ふじわらのくすこ)です。

藤原薬子は、このとき娘がまだ幼かったことから、娘の付添いで宮中に出入りするようになるのですが、なんとこの母の藤原薬子が、安殿親王と深い仲になってしまうのです。
正式に妃として迎えた娘がいながら、その母親と不倫関係となる。
さすがに父である桓武天皇も、これはマズイだろうと思し召されておわされるということで、結果として藤原薬子は宮中から追放されてしまいます。

男女の情というのは、周囲が反対し、さらには無理やり引き離されたりすると、余計に燃え上がるものです。
806年に桓武天皇が数え年70歳で崩御なされ、安殿親王が第51代平城天皇として践祚(*1)されます。
 (*1) 践祚というのは、践が位につくこと、祚が皇位を表します。
そして皇位に就かれた平城天皇(もとの安殿親王)は、早々に藤原薬子を宮中に呼び戻し、薬子を尚侍(ないしのかみ)という宮中女官の高官として取り立て、さらに薬子の夫の中納言藤原縄主を大宰府に飛ばしてしまいます。

さて、ここからが問題です。


20200401 日本書紀
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20191006 ねずラジ
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我が国では、天皇は国家最高権威であって、政治権力を持ちません。
天皇の側近が、政治権力の中心者になります。
通常は、その側近は、まさに太政大臣や左大臣、右大臣がこれを担うのですが、まだこの時点で少納言の下の役職の右大弁(うだいべん)でしかなかった薬子の兄の藤原仲成(ふじわらのなかなり)が、妹の七光りで実力を持ち、政治を壟断(ろうだん)するようになるのです。

これではいけないということで、朝廷の高官たちが平城天皇の弟の伊予親王(いよしんのう)を担いで、平城天皇を諌めようとするのですが、事が事前に発覚。
伊予親王は、なんと身に覚えのない謀反(むほん)の罪で母とともに捕縛され幽閉されてしまいます。
二人は身の潔白を主張するのですが聞き入れられず、ついに二人そろって毒を飲んで自殺してしまう。
また事件に連座したとして、朝廷の高官たちがことごとく逮捕され、中央から追われてしまう。

さらに藤原仲成と薬子の兄妹は、809年には平城天皇に奏上して、亡き父の藤原種継に太政大臣を追贈させることに成功します。
父が太政大臣の位にあったということになれば、子の仲成にもそのチャンスがめぐってくる可能性が開けるからです。

ところが、こうして平城天皇のもとで権勢を振るった兄妹ですが、同じ年に平城天皇が病にたおれてしまいます。
ウイルスなどの病原体などがまだ知られていない時代の出来事です。
周囲もこれは伊予親王殿下のタタリではないかと言う。
そうであれば、親王のタタリを回避するには、天皇の位を譲位する他ないということで、平城天皇は弟の神野親王に譲位されます。《第52代嵯峨天皇の御即位》。

面白いもので、権力に目が眩むと、天皇の権威と政治権力の区別がつかなくなります。
このときの藤原仲成、薬子の兄妹がまさにそうで、上皇となって旧都である奈良の都に移られた平城上皇のもとで、兄妹は、なんとかして平城上皇を皇位に復活させようとします。

逆に京の都におわす嵯峨天皇のもとでは、下級の公家にすぎない藤原仲麻呂が、妹の藤原薬子が平城上皇と良い仲であることを奇貨として、政治的な権勢を振るっていた状況が改善されたことで、ようやく一安心となっていたのですが、問題は、京の都の嵯峨天皇はあくまでも権威であって、政治権力は奈良の平城上皇が握っていること、そしてさらにマズイことには、薬子が任じられていた尚侍の職が、天皇による太政官への命令書である内侍宣の発給を掌っていました。
この立場が、平城天皇が平城上皇になられることで、実は一層強化されることになったのです。。

果たして810年、薬子らに動かされた平城上皇は9月6日に、京の都を廃して、奈良に都を遷都するという詔勅が出されます。
もともと奈良は仏教勢力があまりにも強くなりすぎて、朝廷の政治が壟断されてしまっていたことから、桓武天皇の御世に、わざわざ山科の京へと都を移設したのです。
その奈良に再び都が戻るということは、奈良の仏教界からすれば、願ったり叶ったりです。
つまり、藤原仲成、薬子の兄妹は、仏教界を味方に付けることによって、出世栄達を得ようとしたわけです。

本来の官位にないものが、政治を壟断することは、あってはならないことです。
そこで9月10日には、嵯峨天皇のおわす京都の朝廷は、奈良への遷都の拒否を決断します。
そしてさらに藤原仲成を捕らえて右兵衛府に監禁の上で佐渡に左遷し、薬子もまた官位を剥奪するという命令を、嵯峨天皇の詔勅として発します。

このことは本来の原則、つまり天皇は権威であって政治に口を出してはならないという原則に反します。
しかしそうはいっても、政治の中心者となられた平城上皇のもとで、下級官吏にすぎない藤原仲成が国政を壟断するということは、これは許されるべきことではない。
というわけで、奈良からは、政府の高官たちが次々と平城上皇のもとを離れて、京の都に帰ってしまいます。

追い詰められた藤原仲成は、平城上皇を担いで東国で挙兵することを選択します。
そして上皇と薬子を輿に乗せて東へと向かわせる。

ここで登場するのが、後の征夷大将軍で有名な坂上田村麻呂です。
坂上田村麻呂の動きは、まさに疾風迅雷。
嵯峨天皇の勅が出されるやいなや、平城上皇と薬子(くすこ)の一行の行き先に兵を配置すると同時に、藤原仲成の屋敷に向かい、たった一矢で藤原仲成を仕留めて射殺してしまいます。

また平城上皇と薬子の一行は、大和国添上郡田村で坂上田村麻呂の軍勢と出会い、とても勝ち目がないと悟って、平城京に戻り、9月12日には上皇が自主的に剃髮して出家、藤原薬子は毒を仰いで自殺しています。

そしてこのとき、一貫して我が国古来の権威と権力の分離を守り通すために嵯峨天皇側の勝利を祈念し続けたのが、真言宗の開祖で弘法大師の名で知られる空海で、この祈願がもとで空海は我が国の仏教界一の実力者にのぼっています。

藤原薬子は、毒婦とか妖婦などと呼ばれることもありますが、いくつになっても容貌の衰えない美しい女性であったのだろうと思います。
そんな妹を利用して立身出世を目論んだ兄の藤原仲成は、酒好きで酒の勢いで行動する癖があり、長幼の序を度々無視し、また皇族や高徳者を公然と侮辱し、名誉を奪う癖のある人物であったと伝えられています。

美人で名高い妻がいたにも関わらず、その妻の叔母(これまたたいへんな美人)を手篭めにしようとして逃げられ、佐味親王の許へ逃げ込んだその叔母を追って親王の家に上がり込むと、その場で叔母に暴言を吐きながら、道徳に反する行動に出たと『日本後紀』に書かれています。
ですから仲成が殺害されたときには、人々は「自らの行いが招いた事だ」と語り合ったそうです。

本当に不思議なことなのですが、欲に目がくらむと、権威と権力の区別がつかなくなる。
もっというなら、権威と権力の区別がつかなくなったとき、世の中は欲に目がくらんだ社会となります。
まさに戦後というひとつの時代が、そういう時代であったかもしれない。

神々は、平成30年間の不況を通じて、我が国に欲望から冷静になることを人々に求め、さらに今般のコロナ問題が、欲望よりも安全や安心が社会にとってどれだけ大切なのかを知らしめようとされているのではないか。

「薬子(くすこ)の変」は、単に薬子(くすこ)という女性を毒婦、妖婦とすることで、わかったような気になってしまうようにされてしまっていることが多い事件です。

しかし薬子の変がきっかけとなって、あらためて社会における、とりわけ宮中における秩序の大切さが再確認され、またご皇族のあり方が、あらためて人々の道徳的規範であることが再確認されたわけです。
そしてこのことが、平安時代という、平和と安定、そして文化の香り高い時代を切り開きました。
まさに藤原薬子は、その名の通り、日本の「薬」となったのです。

薬は苦いものです。もっというなら薬は毒の一種であるともいえます。
体の健康を取り戻すために、人は薬と言う名の毒を飲んで健康を得るわけです。
薬子は、平安時代の初期において、まさにその毒となることによって、日本を正常化させました。
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コメント

松さん

我国は形状記憶合金
娘の夫と不倫!
己の夫も邪魔!
対立を煽った!
薬子は毒婦だ!
そう批判される訳ですが、良し悪しは別としても、やっぱりバイアスが掛かっていると思います。
(悪者に出来ない御方が介在)
調べると「薬子の変」は「平城太上天皇の変」に変わっています。
(知りませんでした)
これで、薬子への風評被害も少しは減ったかも知れません。
しかし、娘の夫と不倫するなど、弁解や弁護の余地は無いですよ。
愛人に引っ張られる「男」も。
(似た連中…今は巷にウジャウジャ)
そもそも我国は形状記憶合金ですから、こんな事では崩れません。
それだけは確かですね。
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Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
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出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
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