沖縄県民斯ク戦ヘリ



この動画、おもしろいです。


末尾に太田中将の電文を掲載します。
どこまでも愛と責任をまっとうされた中将以下の日本の将兵や沖縄県民の生き方から、私達は何を学ぶべきなのか、いまいちど考えてみたいと思いますが、みなさまはいかがでしょうか。

ひめゆり学徒隊が勤務した病院壕跡(南風原町の沖縄陸軍病院南風原壕)
20200706 ひめゆり学徒隊が勤務した病院壕跡
画像出所=https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B2%E3%82%81%E3%82%86%E3%82%8A%E5%AD%A6%E5%BE%92%E9%9A%8A#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E6%B2%96%E7%B8%84%E9%99%B8%E8%BB%8D%E7%97%85%E9%99%A2%E5%8D%97%E9%A2%A8%E5%8E%9F%E5%A3%95.jpg
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沖縄戦における「ひめゆり部隊」が、解散したのが昭和20年6月18日のことです。
いまから75年前のできごとです。
そのひめゆり隊は、学徒看護隊のなかの、ひとつの部隊の名称です。
この部隊は、昭和20(1945)年3月23日に沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校から動員されました。
彼女たちは、負傷兵の看護などを行ないました。

本来、国際法であるハーグ陸戦条約によれば、たとえそれが敵軍であっても、医療施設に対する攻撃はしてはならないことになっています。
しかし米軍は容赦なくそれら医療施設に対しても攻撃を加えました。
このため医局にいた彼女たちのうち117名が死亡してしまいます。

6月18日、沖縄の日本軍がほぼ壊滅したとき、彼女たちにも解散命令が出されました。
けれど逃げまどう彼女たちに容赦なく米軍の銃弾が襲いかかり、107名が解散後に死亡しています。
ひめゆり部隊240名のうち、終戦時までに生き残ったのは、わずか14名だけでした。

ひめゆり隊の女学生たち
ひめゆり学徒隊


沖縄戦での女子学徒による看護隊は、ひめゆり部隊だけではありません。他にも
 白梅学徒隊(沖縄県立第二高等女学校)
 ずゐせん学徒隊(県立首里高女)
 積徳学徒隊(私立積徳高女)
 梯梧学徒隊(私立昭和高女)
 なごらん学徒隊(県立第三高女)
など、それぞれ看護隊として従軍しました。

「白梅学徒隊」は、ひめゆり隊より17日はやい、3月6日に55名で結成され、第二四師団の野戦病院で、看護教育を受けました。
3月23日、沖縄に米軍の猛爆撃が開始され、地上にある病院が危険となったことから、第二四師団の野戦病院は、医師や患者とともに、八重瀬岳の病院壕に移動しました。

病院壕といえば聞こえはいいけれど、ただの「ほら穴」です。
床も壁も天井も地面むき出し、近くに爆弾が落ちれば、轟音とともに天井から土や石が落ちてくる。

その洞穴には、前線で重傷を負った兵たちが運ばれてきました。
沖縄戦でも少しでも動けるものは銃をとって戦いましたから、病院壕に運ばれてくるのは、すでに戦闘能力を失った余程の重症患者です。

彼女たち白梅部隊は、そのほら穴で、負傷兵の看護や手術の手伝い、水くみ、飯炊き、排泄物の処理、傷口に沸いたウジ虫の処置、死体埋葬、伝令などをしました。



《塾・講演等の日程》
どなたでもご参加いただけます。
2020/7/25(土)13:30-16:30 第74回倭塾(於:富岡八幡宮婚儀殿)
 https://www.facebook.com/events/1074216212960822/
2020/8/1(土)13;00〜15:30 羽曳野講演(羽曳野市いずみの里 南島泉集会場)
 https://www.facebook.com/events/662947247910504/
2020/8/15(土)靖国神社昇殿参拝
 https://www.facebook.com/events/2667848776866935/
2020/9/12(土)13:30-15:30 第75回倭塾(於:富岡八幡宮婚儀殿)
 https://www.facebook.com/events/1140192956351381/
2020/10/18(日)13:30-16:30 第76回倭塾(於:富岡八幡宮婚儀殿)
 https://www.facebook.com/events/867036783780708/
2020/11/15(日)13:00〜15:30 日本書紀出版記念(於:靖国会館)
 https://www.facebook.com/events/269322421064039/
2020/12/19(土)13:30-16:30 第76回倭塾(於:富岡八幡宮婚儀殿)
 https://www.facebook.com/events/337364737249840/



20200401 日本書紀
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手術は、医師たちによってほら穴の中で行われました。
爆風によってつぶされた腕や脚は、最早切り取るしかありません。
切り取った手足は、バケツに入れ、それを白梅部隊の女学生が、交代で敵の爆撃のない早朝に表に捨てに行きました。

4月下旬になると、負傷兵が増加し、ほら穴の入り口付近まで、負傷兵であふれるようになりました。
やむをえず5月上旬には、東風平国民学校の裏手の丘にも分院を開設し、収容しきれない患者をそこへ移すのだけれど、その分院のある場所にも、米軍が迫ってきました。

やむなく分院を閉鎖し、もとの八重瀬岳の本院へ患者と白梅隊を集合させたのですが、この分院を閉鎖するとき、歩けない負傷兵たちに白梅隊のメンバーが、青酸カリなどを与えて彼らを処置しました。
彼女たちは、沖縄県立第二高等女学校の最上級生(四年生)とはいえ、いまならまだ高校一年の乙女(おとめ)です。

痛みに苦しむ患者たちの日常の世話をし、彼らと親しく会話も交わしていたものを、歩けないと知った彼らに、青酸カリを渡したのです。そのときの心の痛み、辛さ、苦しさ、哀しさはいかばかりだったことでしょう。

6月4日、八重瀬岳の本院にも、敵の手が迫りました。
病院は、約500名以上の重症患者の「処置」をしました。これもまた白梅隊の仕事でした。

そして、病院は解散となりました。
白梅隊も解散になりました。
彼女たちは、軍と行動をともにしたいと願い出ました。
しかし、死を覚悟した軍の兵士達は、彼女たちの願いを退けました。
どうしても、彼女たちには生き延びてもらいたい。それが兵士たちの願いでした。

彼女たちは、数人ずつに別れて、南部に向けて撤退しました。
逃げるあてなどありません。
爆風渦巻く中、8名が途中で死亡し、ようやく16名が国吉(現糸満市)でほら穴を見つけ、そこに隠れました。そこがいま「白梅の塔」のある洞窟です。

その16歳の武器さえ持たない彼女たちの隠れる壕に、6月21日、米軍が「馬乗り攻撃」を仕掛けてきました。
「馬乗り攻撃」というのは、ほら穴の上から穴をうがち、その穴からガソリンなどの可燃物を注ぎこんで火を着ける攻撃方法です。

この攻撃で、壕に隠れた彼女たちのうち、6名が死亡しました。
6月22日も同様の攻撃を受けて2名が死亡しました。
そして後日1名も、重度の火傷のため米軍病院で死亡しています。

馬乗り攻撃


「ずゐせん女子学徒隊」は、沖縄県立首里高等女学校の、やはり4年生(いまの高校一年生)の61名の少女たちでした。

彼女たちもまた、第六二師団の野戦病院(といっても、これもほら穴(壕)です)で、休む間もなく負傷兵の看護をして働き続けました。
まだ16歳の少女が、兵隊の尿を取ったり、膿だらけの包帯を交換したり、傷口にわいたウジ虫を払い落としたり、亡くなった兵隊の死体を運搬したりしたのです。

絶え間なく落ちて来る艦砲弾の下をかいくぐり、水を汲みに行ったり、食事の支度をしました。
4月23日、患者を収容するために壕を出た生徒1名が、砲弾の破片を受けて死亡します。

5月20日、敵が迫りくる中、ついにこの野戦病院も退去することになります。
彼女たちは歩ける負傷兵を支え、南部へ移動しました。
そしてまる10日間、砲火の中を逃げまどい、ようやく6月1日、摩文仁村米須の石部隊の壕に到着しました。

しかし、そこは患者と兵隊でいっぱいでした。
やむをえず患者だけを壕に収容してもらい、彼女たちは伊原の崖下の岩間に入りました。

6月7日、その岩間が、直撃弾を受けて落盤しました。
この落盤で、生徒一名が死亡しました。

6月10日、軍は、彼女たち「ずゐせん女子学徒隊」に解散命令を出しました。
しかし彼女たちは納得しません。どうしても軍と行動を共にし、患者たちの面倒をみるといって聞かなかったのです。やむなく解散命令はいったん撤回されました。

6月19日、米軍の砲火が激しくなり、軍は彼女たちに、
「もはやこれまで。
 自分たちはここに残るが、
 君達は解散するから、
 逃げなさい」
と説得しました。

ようやく承諾した彼女たちは、いったん壕外に出るのだけれど、外はあまりに砲撃が激しく、ふたたび、壕に舞い戻るしかありませんでした。

そして6月23日、この壕が、米軍の「馬乗り攻撃」にあいました。
壕の奥はガソリンで焼かれ、入口付近は火炎放射器で焼かれました。
いぶり出されるようにして、生徒たちは壕外に出、米軍に収容されました。
この時の馬乗り攻撃と火炎放射機で、生き残っていた生徒のうち、25名が死亡しました。

結局、動員された61名の女生徒のうち、33名死亡が死亡しています。

ずゐせん女子学徒隊
ずゐせん女子学徒隊2


「積徳学徒隊」は、私立積徳高等女学校の4年生25名です。

彼女たちも同様に、豊見城城跡の第二四師団、第二野戦病院で、負傷兵の看護や手術の手伝い、水くみ、飯上げ、排泄物の処理、死体埋葬、伝令などを行いました。

彼女たちも、5月下旬には、首里の軍司令部まで米軍が迫ってきたため、真壁村糸須の自然洞窟へ撤退しました。
このとき、彼女たちも重傷者に青酸カリで「処置」するようにと命令されるけれど、どうしても、それができません。哀れに思った軍医は「処置」を取りやめました。

しかし、6月20日には、洞窟入口に火炎放射やガス弾を投下され、軍は、自決を決意します。
小池病院長は、彼女たち積徳学徒隊に解散を命じ、
「生き延びて、沖縄戦のことを他府県の人々に伝えよ」と訓辞を与え、自決されました。
生徒たちは壕外へ出て、米軍に収容されました。
動員された25名の生徒のうち4名が死亡しています。

積徳学徒隊
積徳学徒隊


生還した彼女たちは、入隊したときの気持ちを次のように語っています。

「全く不安はなかったね。
 戦争は絶対に勝つもんだと信じきっていたから」
「私たちが行かなかったら、
 誰が傷病者を世話するのって真剣に思ってた」
「ただもうお国のために
 …という気持ちで一杯だったんです」

彼女たちに戦局の様子はわかりません。
ただ、爆弾が落ち、次々に運ばれてくる負傷者を必死に介護した。そして多くの命が失われました。

戦いは敗れました。
しかし戦わなければ、もっと悲惨な運命が待ち受けました。
抵抗しなければ殺されずに済んだなどという甘いことはないのです。

なぜ彼女たちが、ここまで追い詰められ、この世の地獄とも思える厳しい現実に接しなければならなかったのでしょう。
それは戦争だったからです。
では何故、戦争が起こったのでしょうか。
日本の軍部が暴走したから?
ハルノートがあったから?
ルーズベルトが仕掛けたから?
なるほど戦争の原因については、諸説あります。
しかし、どれも他国や他人の「せい」にするものばかりです。

違うと思います。
他人のせいじゃありません。
原因は、軍事バランスが崩れたからです。

日本は、平和を希求する国でした。
そして東洋の有色人種国で、唯一、欧米列強に互することができる国でした。
その日本は、第一次世界大戦終結後、世界に向けて高らかに「人種の平等」を主張しました。
それは、植民地支配され、人としてさえも認められなかったイエローやブラックの人々にとって、人類史上に与えられたひとすじの光でした。
しかしこのことは、同時に欧米の植民地支配によって利益を得ている白人の大金持ちたちにとっての脅威となりました。

そうはいっても当時の日本は英米に並ぶ強大な軍事力を持つ国です。
いやむしろ、世界最強の軍事国家であったということもできます。
ですから白人諸国は、日本の国力を削ごうとしました。

そして大正10(1921)年のワシントン会議において、米英は日本に、米英日の主力艦保有率を、5:5:3とする軍縮案を飲ませました。
平和を希求する日本は、よろこんでこれに応じました。
日本の軍事力が「3」になっても、英国との軍事同盟があるからです。
英国の「5」と日本の「3」を合わせれば「8」、それは世界最強の軍事力を示すものでした。

ところが、この軍縮条約が成立したその日、米国の強い主張によって、20年続いた日英同盟が破棄されました。
そして同日付で、米英の軍事同盟が成立しました。
つまり、米英対日本の軍事バランスは、「10:3」になったのです。

もはや日本に物理的な勝ち目はありません。
弱くなった日本は侮られました。
昭和4(1929)年の世界恐慌の際、米英で日本製品のボイコットを受けました。
昭和3(1928)年に誕生したChinaの蒋介石政権も、露骨な排日運動を展開するようになりました。

そしてあちこちで日本人が、酷い目に遭わされるようになりました。
昭和12(1937)年には通州事件が起こり、そしてついにChina事変が勃発しました。
昭和16(1941)年8月には、米国の日本への石油輸出が全面的に禁輸となりました。
日本が弱国となるやいなや、またたく間に日本は追いつめられていくことになったのです。

世界に条約はあっても法律はありません。
法の執行機関もありません。
あるのは、今も昔も、国家間の力関係だけです。

いったん戦争になれば、条約など誰も守らない。
だからこそ、実際、沖縄戦でも赤十字の旗が翻る病院施設が爆撃されています。
戦時中でさえ、必死に条約を守り通したのは、世界広しといえども日本軍ぐらいなものです。

自衛隊を持つ戦後日本は、戦後75年間、戦争をしていません。
先進国でこの間、まったく戦争をしなかった国は、日本とスイスくらいなものです。

スイスは永世中立を宣言している国です。
しかし、スイスは国民皆兵の国です。
スイスと戦争をする国は、スイス政府を相手取っての戦争はできません。
スイスの760万の国民すべてを相手取って戦争をしなければなりません。
しかもスイスは、国際金融の要を握っています。
世界の大金持ちの資産の多くはスイスに預けてあります。
スイスが戦火に呑まれるということは、世界のお金持ちがその財産を失うということでもあります。
だから、どこの国もスイスは攻めることができないという環境が整っています。
しかももし戦うとなれば、スイス国民全員と戦わなければならない。
核攻撃も意味を持ちません。
なぜならスイスは、各戸に核シェルターが設置されているからです。

日本はどうでしょうか。
日本には世界の大金持ちの資産が集まっているのでしょうか。
日本がもし戦うなら、その国は日本国民全員を相手に戦うことになるのでしょうか。

日本には米軍基地があります。
米国が戦争を始めれば、日本は米軍側ということになり、相手によっては日本本土に空爆その他の攻撃を受けることになります。
仮に、東京や大阪などの大都市に、一発でもミサイルが落下したら、どれだけの惨状が起こるのでしょうか。
あるいは海岸沿いに設置された50基の原発が襲撃されたら、日本は無事でいることができるのでしょうか。

では日本が戦後、戦争をしないでこれた理由は何でしょうか。
理由は3つあります。

ひとつは、米国の核の傘に守られたことです。日本を攻めることは米国の核を敵にまわすことになる。
ふたつめは、終戦前までの日本が、あまりに強かったことです。
「寝た子を起こすな」、まさにそのことが世界各国の合い言葉でもあったのです。
みっつめは自衛隊です。軍事バランスでいえば、日米軍事同盟は、世界最強の地位を占めています。
だから戦争が起こらなかっただけのことです。
間違っても憲法9条があるからではありません。

よく勘違いしている人がいますが、日本に憲法9条があろうがなかろうが、攻めようとする国には日本の憲法にどのように書いてあろうが関係ありません。
日米同盟がなく、憲法9条だけが存在したなら、日本はもっと早く、Chinaかソ連に攻め滅ぼされていたかもしれないのです。

世界は理想で動いているのではありません。
現実の利害得喪で動いているのです。

弱国となれば、容赦なく攻めてくる。
それは軍事面ばかりとは限りません。
ねつ造史観や、ありもしない慰安婦問題、あるいはサイバー攻撃など、戦争の形は日々変化しています。
なぜ日本がチャイナやコリアにあれほどまでに侮られるのかといえば、日本に憲法9条があり、「日本からは絶対に軍事的に自国が攻められることはない」と彼らは知っているからです。

現に、彼らは、あれだけ日本を侮りながら、日本に対する軍事行動は起こしません。
なぜなら、戦えば負けると知っているからです。
Chinaも同じです。

逆にいえば、日本が軍事面で弱くなれば、Chinaにしても韓国にしても、容赦なく日本を蹂躙します。
竹林はるか遠くや、通州事件、そして上にある沖縄戦の現実が、いまの現実となって蘇(よみがえ)るのです。

「沖縄県民斯ク戦ヘリ」という有名な言葉を残して6月6日に自決した沖縄方面の指揮官、大田実海軍中将は、自決の直前、海軍次官宛てに電報を発しています。
そこに、女子看護隊の様子も描かれています。

このときの電文の全文です。
ねず式で口語訳したものを掲載します。

*********

沖縄県民の実情に関しては、
県知事より報告があったものと思います。
沖縄県には既に通信力がありません。
三二軍司令部もまた通信の余力なしと認められますので、
私は県知事の依頼を受けたのではありませんが、
現状をみすごすことができず、
これに代わって緊急で御通知申しあげます。

沖縄島に敵攻略が開始されて以来、
陸海軍は防衛戦闘に専念し、
県民についてほとんど顧みる余裕がありませんでした。
けれど私の知る範囲において、
沖縄県民は青壮年の全部を防衛行動にささげました。

残る老幼婦女子たちは、
相継ぐ米軍の砲爆撃のために、
家屋と財産の全部を焼却され、
わずかに体だけを
軍の作戦に差支えのない小さな防空壕に避難させていました。
そして砲爆や空爆や風雨に曝されながら、
乏しい生活に甘んじたのです。

そんな苦しい情況のなかで、
沖縄県の若いご婦人たちは、
率先して軍に身を捧げてくれました。
けが人の看護や炊事はもとより、
砲弾運びなどの重労働さえも行なってくださったのです。
なかには挺身斬込隊すら申し出るものありました。

敵が来れば老人子供は殺されてしまいます。
婦女子は後方に運び去られ、
敵兵の毒牙に供せられてしまう。
親子が生別れ、娘を軍衛門に捨てる親もありました。

看護婦に至っては、
軍の移動に際して、
衛生兵が既に出発して身寄りがなくなった重症者を助けてくれました。
その行動は生真面目な心からのものであり、
決して一時の感情に駆られたものではありません。

さらに軍が作戦の大転換をしたときも、
自給自足のために、
敵弾の落ち着く深夜に、
遠く遠隔地方の住民地区へ、
輸送力がまるでないなか、
徒歩で黙々として雨の中を移動してくれました。

沖縄県民のみなさんは、
我が陸海軍が沖縄に進駐してきて以来、
終始一貫して勤労奉仕をしてくれ、
物資が乏しく、
節約し続けなければならない苦しい情況のなかにあってさえ、
ひたすら彼らは日本人としての
御奉公の誇りを胸に抱きつつ、
我々と行動をともにしてくれたのです。

本戦闘の末期、
沖縄島は地形が変わってしまうほどの酷い状態となりました。
一木一草さえも燃えて焦土と化してしまいました。
もはや食べ物も、
6月一杯を支えるのがギリギリという状況です。

沖縄県民は、ここまで戦ってくれました。
なにとぞ沖縄県民に対し、
我々が死んだあとも、
後世、特別な御高配を賜らんことを。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

これが有名な「沖縄県民斯ク戦ヘリ」の電文です。

女子高生たちが、二度とふたたび同じ悲哀を味わうことがないように。
そのための具体的責任は、いまを生きるわたしたちにあります。

わたしたちひとりひとりにできることは小さいかもしれないけれど、二度と再び未成年の女の子たちを戦渦に遭わせてはならないという強い意志を持つことは、日本人として、あたりまえの意識であるものと思います。

米国が、世界の警察となることをあきらめ、世界からの軍事面での撤収を言い出したということは、逆にいえば、日本は、これから単独で国を守って行かなければならないときがきているということをあらわしています。

そもそも集団的であれ個別的であれ、自衛権というものは、国家でも個人でも家庭でも、等しく誰もが持っているものです。
自衛権のない主権国家など、あり得ません。

にもかかわらず、こんな簡単なことを否定する。
つまり日本の自衛権そのものを否定する人たちがいます。
いったいどんな下心を持った人たちなのでしょうか。
その人たちには、ひめゆり隊をはじめとした、沖縄の少女たちに、何の責任も哀悼も感じないのでしょうか。
わたしには、そのことが不思議でなりません。

そもそも正しいことを正しく実現するためには、力は必要なものです。
悲劇を繰り返したくないのなら、日本は力を手にするべきです。
そしてその力とは、現代戦においては物理的な打撃力にとどまらず、情報戦における力も含みます。
日本は、いまの政治の仕組みにこだわらず、もっと根幹からの国家の建て直しが必要です。

コロナ問題発生当初から申し上げていますが、12月には本格的な第二波が起きるものと思います。
そもそもコロナは風邪の一種ですから、夏場には威力が落ちるのです。
その第二波は、大規模な死者の発生を招くものであると思います。

そしてそれ以前に、三峡ダムの崩壊によって、Chinaでは3億人以上が亡くなり、食料の6割と産業の5割が失われることでしょう。
その上に、12月からの世界的なコロナ第二波と続くわけです。
その前、10月くらいには、現在江西省で発生しているバッタの大軍の規模が大幅に拡大していくものと思われます。
これらの相乗効果によって、Chinaは人口の8割が短期間のうちに失われる可能性があります。

日本もまた同じです。
たいへんな危険が迫っている。
ただし、日本が世界の良心として目覚めるならば、日本の被災は最小にとどまると思います。
目覚めないならば、Chinaと同じ目に合う。

今回の九州の大雨は、チャイナで被害をもたらした雨雲が日本にまで流れてきたものですが、これと同じで、チャイナに起きる現象が日本にまで影響を及ぼすことは十分に考えられることです。
おそらく日本も、これからの1年で大規模な被災を受けることになるものと思われます。
ただ、それを最小限にとどめて世界の良心として国ごと再生できるかどうかは、これからの日本人のあり方にかかっていると思います。

末尾に太田中将の電文を掲載します。
どこまでも愛と責任をまっとうされた中将以下の日本の将兵や沖縄県民の生き方から、私達は何を学ぶべきなのか、いまいちど考えてみたいと思いますが、みなさまはいかがでしょうか。

《参考》太田中将の電文の原文

沖縄県民の実情に関しては県知事より報告せらるべきも
県には既に通信力なく
三二軍司令部又通信の余力なしと認めらるるに付
本職県知事の依頼を受けたるに非ざれども
現状を看過するに忍びず
之に代って緊急御通知申上ぐ

沖縄島に敵攻略を開始以来
陸海軍方面 防衛戦闘に専念し
県民に関しては殆ど顧みるに暇なかりき

然れども、本職の知れる範囲に於いては
県民は青壮年の全部を防衛召集に捧げ
残る老幼婦女子のみが相継ぐ砲爆撃に家屋と財産の全部を焼却せられ
僅かに身を以て軍の作戦に差支えなき小防空壕に避難

尚 砲爆撃下○○○(文字不明)風雨に曝されつつ
乏しき生活に甘んじありたり

而も若き婦人は率先軍に身を捧げ
看護婦烹炊婦はもとより
砲弾運び
挺身斬込隊すら申し出るものあり

所詮敵来たりなば老人子供は殺されべく
婦女子は後方に運び去られて毒牙に供せらるべしとて
親子生別れ
娘を軍衛門に捨つる親あり

看護婦に至りては軍移動に際し
衛生兵既に出発し身寄りなき重症者を助けて○○(文字不明)
真面目にして一時の感情に駆られたるものとは思われず

更に軍に於いて作戦の大転換あるや
自給自足 夜の中に遥に遠隔地方の住民地区を指定せられ輸送力皆無の者
黙々として雨中を移動するあり

之を要するに陸海軍沖縄に進駐以来
終始一貫 勤労奉仕 物資節約を強要せられつつ
(一部の兎角の悪評なきにしもあらざるも)
只管(ひたすら)日本人としての御奉公の誇りを胸に抱きつつ
遂に○○○○(文字不明)与え○(文字不明)ことなくして本戦闘の末期と沖縄島は実情形○○○○○○(文字不明)

一木一草焦土と化せん
糧食六月一杯を支ふるのみなりと謂う 

沖縄県民斯く戦へり
県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを

******



※この記事は2010年9月の記事をリニューアルしたものです。


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コメント

小学生の同級生のお母様がひめゆり部隊の生き残りだったと思う。担任から聞いたので確かだ。具体的な内容は知らないが、小柄で静かな方だった。ご苦労をされたのだと思った。同級生は男の子で私と誕生日が同じだったし、席も隣で勉強家だった、それにとても優しかった。信州の田舎だったが沖縄を考えるきっかけだったように思う。

松さん

扇の要
Laptopをベランダに持ち出し、ねずブロを読んでいました。
朝から冷たい雨が降っています。
妻が言いました。
『お父さん!鳥肌が立ってる!』
『寒いの?』
(寒いけど…それだけじゃ無いよ)

この10年間。
何度も掲載された沖縄戦のお話。
何度読んでも鳥肌が立ちますね。
鳥肌の原因は「恐怖感からだ」と決め付ける学者がいます。
(自律神経失調症?)
しかし、私の場合は感動と恐怖の両面からだろうと思っています。

さて、ねずさんは仰いました。

世界は、理想では無く現実の利害得喪で動いている。
戦争勃発の原因は軍事バランスが崩れたからだ。

現実は仰る通りだと思います。
経済も軍事も、均衡が保たれないと生きられそうにありません。

しかし…現代人は理想論だけでは何もしませんし、誘惑にも弱いです。
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燃えると二酸化炭素1個と水2個が発生する。
その際に酸素を2個消費する。

メタン16gが燃えると2酸化炭素が44g、水36gが発生し、酸素64gが消費される。
酸素は二酸化炭素と光の光合成で植物によって作られる。
発展途上国では開発のために密林が消失しつつある。

化石燃料を燃やし続ければ、地球の未来は二酸化炭素と水が増加し、酸素が減っていくことになる。
ウキペジアによると水蒸気も温室効果ガスの一つに挙げられている。
日本が開発したスーパーコンピューター富岳で未来を占って欲しいと思う。


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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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E-mail info@musubi-ac.com
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