この時期にあえて行う日華事変のまとめ

蒋介石は、自らの手を汚すことなく、チャイナ全土から若者を集めて軍服を着せ、日本軍と戦わせているだけで、莫大な支援を個人の口座に受けることができました。すべては、カネのためでした。
このことは、日華事変の教訓として、私達は、しっかりと認識しておく必要があると思います。

20200708 支那事変
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タイトルの日華事変は、チャイナ事変が正式名称です。
チャイナも本当は漢字で書くのですが、その二文字の漢字を使って表記すると、なぜか規約にひっかかるとしてブログそのものを削除されたり、Facebook等の利用停止処分になったりするため、別名である日華事変を用いています。

さて、その日華事変は、日本にとっては、おおむね盧溝橋事件からはじまり、第二次上海事変を経由して、昭和20年の大東亜戦争の終結まで続いたとされる事変です。
一方、同じ事件をチャイナ側から見ると、終結は昭和24年の中華人民共和国の樹立時点、もしくは蒋介石率いる国民党の中華民国が台湾に移動した昭和25年となります。

一方、現在の中共政府は、建国を明治45年(1912年)の中華民国樹立にさかのぼるとしています。
要するに中華民国も中共政府の内であって、彼らは一貫して日帝と戦ってきたという歴史認識になっています。
これはサウス・コリアと同じファンタジー史観でしかありませんが、一点、コリアと異なるのは、自分たちで勇敢に戦って勝利と独立を勝ち得たとしている点です。(コリアはそこが言えない)。

かように歴史というのは、過去にあった事実を、どのように時系列に沿ってストーリー化するかというものであるだけに、実は立場によってまるで異なる記述になります。
ただ、事実を歪曲した歴史認識ですと、歴史の再現性が損なわれます。
つまり歴史が科学ではなくなり、ただの小説になります。

現代日本は、そうした歴史認識について、「近隣諸国に配慮する」としていますが、これは事実と小説を混同するだけのことであり、歴史の科学性(つまり再現性)を日本の歴史学会自らが否定し、歴史を科学からただの小説に落とす野蛮な行為と言わざるを得ません。

さて、第二次上海事件までの経緯をこれから述べますが、あくまで歴史を科学として再現可能性が最大値になるように述べたものです。
そしてその根幹にあるのが、カネです。
日本は正義を大切にしますが、そうした思考をとるのは、我々が人々の幸せこそが国の幸せと考える、きわめて特殊な民族であるからです。
世界は違います。
一部の人の金儲けのために、理屈や思想が利用されるのです。
以下の記述は、読んでいただければわかりますが、結構、目からウロコだと思います。

先に年表をお示しします。
すべて昭和12(1937)年の出来事です。
いまから83年前に、このように緊迫した時代があったのです。

7月 7日、盧溝橋事件 現在この日は人民解放軍の抗日戦争記念日に指定
7月13日、大紅門事件 China兵が北平(北京)大紅門で移動中の日本軍トラック2台に、突然手榴弾を投げ込んで日本兵4人を死亡させた事件。
7月14日、China兵が日本の騎馬兵を惨殺
7月16日、事件を収拾させようとする宋哲元に対して、蒋介石は「日本の策謀に乗じるな、戦備を整えよ」と打電。
7月19日、蒋介石がラジオで『生死関頭』演説を行い戦争の決意を表明
7月25日 廊坊事件、日本軍が国民党から一方的に攻撃を受ける。
7月26日、広安門事件、日本軍が国民党から一方的に攻撃を受ける
7月29日、通州事件 日本人居留民約260名が人類史上最悪といえる残虐さで虐殺される
8月 9日、大山中尉惨殺事件
8月13日、第二次上海事変勃発
8月14日、China軍が上海市街のキャセイホテルやパレスホテルなどを爆撃。
 Chinaはこれを日本軍の仕業だと世界中に宣伝。
8月15日、松井石根大将を司令官とする上海派遣軍を編成
8月23日、国民党軍が上海のデパートを爆撃。日本軍の仕業と世界中に宣伝

盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)に入る前に、事件に至る背景を申し上げたいと思います。
1911年の辛亥革命によって大清帝国を倒した国民党は、中華民国という新たな政権を打ち立てようとしました。
この中華民国の誕生時には、後にチャイナ共産党を組織する毛沢東も、一緒にその誕生を祝っていたのです。

ところが1917年にロシア革命が起こり、1922年にスターリンがロシア共産党の書記長に就任しました。
そして同年12月にソビエト社会主義共和国連邦(略称ソ連)が樹立しました。
ソ連は世界を共産主義にすることを旗印としました。
そのためチャイナの共産党を裏から援助してチャイナを混乱させ、混乱に乗じて中華民国政権を打倒してチャイナに共産党政権がもたらされるように仕向けました。

なぜここでチャイナが対象となったのかというと、チャイナが清国が滅んだ後、国内が分裂状態にあって混乱していたからです。
はじめから混乱している国であれば、そこに油をちょっと加えるだけで炎が燃え上がります。
不正不義の士は、必ず混乱を利用するのです。


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20200401 日本書紀
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そんなソ連を世界の先進諸国は警戒しました。
なぜ警戒するかといえば、共産主義は、自己の主義のために平気で人を殺すからです。
チャイナの蒋介石は、こうした先進諸国の共産党への警戒を、経済的に利用しました。
蒋介石は、麻薬シンジケートをバックに持つことで軍閥として力を得ていました。
そしてその力を利用して、共産主義を叩くことを理由に、欧米列強から軍資金を集めていたのです。

そのために、あるいはさらに資金を得るために、蒋介石は、チャイナ内部の共産主義者を徹底的に弾圧しました。
見つければ容赦なく殺す。
ですからチャイナの共産主義者たちは抵抗しました。
そのリーダーであったひとりが毛沢東です。
毛沢東は、共産主義者たちで軍を組織しました。これが八路軍です。
これによって蒋介石率いる国民党と、毛沢東率いる八路軍が正面衝突するようになりました。

共産党軍である八路軍は各地で敗退を重ねました。
次第に追い詰められ、ついには西安近郊にわずかばかりの兵力を残すのみという状況にまで至りました。
ところがここに、もうひとつの軸がありました。
それが満洲を追われた張学良です。

清国は、清国皇帝が北京を離れて、聖地であり、女真族の出身地でもある満洲に、1932年、新たに満洲国を建国しました。
けれどもその満洲は、満州国建国以前には軍閥の張作霖が牛耳っていました。
張作霖は、武力を背景に満洲一帯を支配し、なんと5年先の税まで取り立てるという強引なやり方で、民衆からの収奪を行い、その一方で、自身は王宮のような建物に住み、贅沢の限りを尽くす生活をしていました。

実際には、ただの砂漠だった満洲を肥沃な大地にしたのは、日本でした。
そして張作霖は、1928年に爆殺されました。
これは旧日本軍が仕組んだ工作であったといわれています。
しかし状況を考えれば、満洲の民を守る方法は、当時、それ以外なかったものといえます。

こうして張作霖は爆殺されますが、事態はそれで終わりになりませんでした。
張作霖の財産を、息子の張学良がまるごと継いだのです。
けれどすでに時代は動いていました。
張作霖と同じ政治を行おうとする張学良に、民衆が反発。
結局、暴政がたたって張学良は満洲を追い出されてしまいます。

権力を取り戻したい張学良は、西安に軍事視察にやってきた蒋介石を拉致し、八路軍に引き立てました。
この西安事件で、蒋介石と毛沢東は裏で手を握ることになるのですが、ここで活躍するのが蒋介石の◯の◯◯◯と、張学良、毛沢東らです。
もともと彼らは同じ一族の生まれです。
そしてこの一族は英国がチャイナで阿片を用いて大儲けをしたときに、英国の手先となった一族です。
このため、娘たちは英語が堪能で、このことが米英に対する工作を実現しやすい環境を生みました。

いわゆる植民地支配といっても、欧米人には東洋人や黒人の言語はわかりません。
ですから現地の言葉のわかる通訳が必要になるわけで、多くの場合、これをその地域に住む少数民族にやらせます。
つまり現地国の社会から排斥されている少数民族に何らかの特権を与えて、これを手足に使う。
これを植民地支配のための間接統治などと言います。

少数民族の側は、宗主国の言うことを聞いている限り、宗主国のバックを得て当該国内の特権層です。
あらゆる私的利益を享受することができる。
けれども特権階級になるということは当該国内で蛇蝎のごとく嫌われるということです。
宗主国から嫌われて見捨てられれば、残るのは死のみということになります。

まさにアメとムチなのですが、日本でも米国がGHQ体制を敷いたときに、同様の特権民族が生まれました。
もっとも日本では、当該少数民族はあまりにもレベルが低くて、米軍の将校の妻女にまで手を出すようになり、結局GHQからも見放されてしまったのですが、幸か不幸か日本人は民度が高く、彼らを一様に否定することはせず、なんとかして日本社会に温かく迎え入れようとしてきました。
結果が、良かったのかどうかは、なんともいえません。

さて、チャイナにおいて英国から特権を得たその少数民族は、英国製阿片の人気もあいまって、チャイナ全土の裏社会を牛耳っていきました。
特に内乱の続くチャイナにあって、阿片は、戦いの際に傷を負った兵士たちの傷みを緩和する働きがありましたし、男女ともに性欲を促進するという効果がありましたから、チャイナ国内でまさに飛ぶように売れていきました。
つまり、昭和初期の頃のチャイナでは、政治的には国民党と共産党が政権を争って激しく戦っている一方で、その両方に国民党と共産党のトップの所属する一族が、阿片を売りまくって巨富を得ていたわけです。

もともとチャイナには、明治33年(1900年)の義和団事件のあとに締結された北京議定書によって、列強各国(日本を含めて11カ国)が平和維持のためのPKO部隊を駐屯させていたのです。
ところが大正7年〜大正10年(1918年〜1921年)かけて、スペイン風邪が世界的に大流行し、とりわけチャイナは衛生環境が悪くて、人民の6割ほどの人が死に至るという惨状でしたから、欧米諸国は、疫病怖さにそくさくと兵を引き上げてしまいました。
「チャイナには日本が一番近いし、日本人はあまり疫病に感染しないから、あとは日本さん、よろしく頼む」というわけです。

そういうわけで、チャイナ国内の治安維持は、もっぱら日本軍がこれを取り仕切ることになったのですが、欧米諸国と違い、日本の軍人さんたちや、日本人の商社マンなどには、チャイナのその一家によるカネや酒や女による買収がまったく通じない。
それどころか、民間の治安確保のためにと、密売業者が次々と排除されていきました。

悪得集団にとっては、善意ある集団は極めて邪魔なものです。
もともと共産党も国民党も、その一族が仕掛けている存在ですから、両者は手を握って、ともに日本軍排除を行おうということになるわけです。

この事が行われたのが西安事件(昭和11年(1936年)ですが、これまで西安事件でなぜ蒋介石と毛沢東が手を結ぶことになったのかについて、様々な憶測が行われてきたものの、どれも決め手に至るものがありませんでした。
けれど、もともと蒋介石も毛沢東も、チャイナにおける同じ少数民族の出自であり、その少数民族がチャイナにおける麻薬利権(阿片利権)を牛耳っていたという背景を考えれば、邪魔になった日本を排除するために、この両者が手をにぎることは、むしろ当然の成り行きと見ることができます。

そしてこのことは、頽勢となっていた共産党にとっては勢力挽回の一大チャンスになるし、国民党にとっては、それまでのドイツ一国からの支援ではなく、より経済力の大きな米英からの財務および軍事支援を得るチャンスとなったわけです。

チャイナ社会というのは、誰もが「自分さえ良ければ」という社会です。
自分と自分を取り巻く限られたごく少数の家族だけが潤えば良いのであって、他の人々がどうなろうと知ったことではない。
その潤いというのがカネであって、要するにどうすればカネを得ることができるかが、彼らの行動の一番の物差しです。
その点、日本は真面目すぎるから、日本の軍がいると商売をやりにくい。
こうして裏社会で密かに日本軍排斥が決まり、盧溝橋事件へと発展していくわけです。

日本では、軍はどこまでも「たける(竹る)」ための存在です。
日本人なら軍人も民間人も、誰もがそのように考えるし、軍人はそうした期待に応えようと日頃から身を律して働きます。
これは武士の時代どころか、もっとはるかに古い防人の時代から、日本ではずっとあたりまえの常識とされてきたことです。

ところがチャイナでは、軍とヤクザと暴徒がまったく同じものです。
要するに武器を手にした集団であれば、同じ集団が、あるときは国軍にもなるし、暴徒にもなるし、ヤクザにもなります。
つまり、カネになりさえすればよいのです。

一方、この時代の英米仏蘭からすると、日本は人種の平等を主張する許せざる国です。
日本は第一次世界大戦後のパリ講和会議で、世界にむけて人種の平等を高らかに宣言しようとしました。
けれど、そのことは植民地支配と人種差別によって経済運営を図る英米仏蘭の植民地経営によって500年続く富を得ている英米仏蘭の大金持ちたちにとっては、彼らの経済を脅かすという意味で、日本はあきらかな敵です。
そして日本が広大で人口も多いチャイナで泥沼戦になれば、日本の国力は確実に消耗する。

こうして英米仏蘭がスポンサーとなり、チャイナの表向きは国民党、裏では共産党と○家が取り仕切るチャイナの支配層との間の戦乱が期待されることとなりました。

こうした背景のもとで、最初に行われた事件が、盧溝橋事件です。
最近の教科書などには、
「この事件が日中戦争のきっかけとなった」と書いているものがありますが、これは2つの点で歴史認識として成り立ちません。

第一に日中戦争という用語の嘘です。
日本語に「日中戦争」という用語はもともとありません。
支 那事変が正式名称、別名が日華事変です。

大東亜戦争という用語は、昭和16年12月12日に内閣決議で決議された用語で、さらに翌昭和17年2月17日には、法で定められていた「支 那事変」の呼称も、「大東亜戦争」に含めると閣議決定されています。
ここでいう「支 那事変」は、昭和12年(1937年)9月2日の「事変呼称ニ関スル件」という閣議決定で、「今回ノ事変ハ之ヲ支 那事変ト称ス」と定められたことによります。
それ以外の呼称はありません。

ちなみに大東亜戦争について、戦後は英語の「The Pacific War」を邦訳した太平洋戦争という用語が普及しましたが、日本政府がこの名称をその後に正式採用したという事実はありません。
そもそも、当時の大日本帝国の戦いは、何も太平洋に限ったことではなくて、China満洲から東南アジア諸国にまで広がる広大なエリアで戦いを繰り広げていました。

ですから英国の教科書では、この戦いについて「War with Japan(対日戦争)」という用語が用いられています。
また英国の歴史学者クリストファー・ソーンは、「むしろ『極東戦争』と呼ぶべきである」と提唱しています。
では日中戦争という用語は、どこが使っているのかというと、中共政府です。

中共政府は、この戦争のことを「中日戦争」と呼んでいます。
これを日本を主語にひっくり返したのが「日中戦争」で、ですから「日中戦争」の語を用いる人は、中共政府から賄賂をもらって抱き込まれたか、その抱き込まれた人の影響下にある人たち、ということになります。
なぜなら日本政府が正式に決定した名称を故意に用いようとしていないからです。

ちなみに戦争や、軍事衝突を意味する事変について、名称を付けるということは、開始時期をいつと特定するかということと相まって、実はとても重要なことです。
単なる歴史用語だなどという、単純な問題ではありません。

軍は政府の命令で動きます。
従って、国が何年何月何日の何時何分から開始となったと規定すると、それ以降の軍人の給与は、特別手当の対象となり、事件中の戦死者や戦傷病者は、保障や遺族年金等の対象となります。
これは政府による事件の終結宣言の日まで続きます。
夫を戦地で失った妻や子、あるいは戦傷によって子や夫が障害者となって帰還した家族にとって、政府がいつの時点からを保障の対象とするのかは、ある意味生活に直結した国の大事なのです。

そして手当や恩給の支給には、どの戦いで戦死したのか、あるいは戦傷を負ったのかが、やはり重要な事項となります。
逆に言えば、戦争や事変の名前を勝手に変えたり、戦いの始期や終期について、いい加減なことを並べたてて日本を貶める人たちというのは、戦死者や戦傷病者への愛情のカケラもない人たちだといえます。

実際、大東亜戦争で日本が降伏してGHQの支配下に入っていた6年8ヶ月の間、戦死者、線病傷者への恩給は、すべて打ち切られていました。
これによって夫を失った妻女たちがどれだけ戦後に苦労をしたのか、また足や手や視覚、聴覚を失った戦傷病者たちがどれだけ、その間、食うために苦労を重ねたか。
すくなくとも、どんな言い訳さえも、障害者や戦死者に対するこの期間のGHQの態度は人道的なものではなかったということができると思います。

付け加えますと、日本はChinaにおける戦いを、正式に「支 那事変」と命名していますが、ここで「事変」と「戦争」の用語の違いについても明確化しておきます。
「事変」は、警察力で鎮(しず)めることができない規模の事件や騒動です。
「戦争」は、国家が自己の目的を達成するために行う軍事による国家間の闘争です。

そして支 那事変(以下日華事変と呼びます)の勃発の昭和12年(1937年)当時のチャイナには正式に国際社会で認められた公式政府はありません。
当時のチャイナには、日本が支援する南京政府、米英が支援する国民党政府、ソ連がバックについた共産党政府の3つ以外にも、冀東防共自治政府をはじめ、各地に自治政府が混在していました。
つまり統一国家ではなかったし、政府という以上、国の中枢機関として民生用の行政システムを持たなければなりませんが、これがあったのは日本が援助した汪兆銘の南京政府だけで、他にはありません。
つまり当時の国民党にしても、共産党にしても、ただの軍閥でしかなかったし、蒋介石の国民党は、むしろ英米仏蘭から巨額の資金を蒋介石が個人的に得るためだけの機構でしかありません。

従って、いわば群雄割拠の内乱状態にあったチャイナについて、これを正式な行政システムを保有する国家間の武力闘争を意味する「戦争」という用語を用いている時点で、すでに歴史捏造でしかないことになります。

このように申しあげると、米国内でかつて起こった南北戦争だって内戦なのに戦争と呼んでいるではないかという方がおいでになりますが、南北戦争は「アメリカ合衆国(北軍)と、南部11洲によって構成される「アメリカ共和国(南軍)」との戦争です。
つまり、国家対国家の国際戦争です。

日本においても、西南戦争とか戊辰戦争といった言葉がありますが、この当時は、各地の藩のことを「クニ」と呼び、日本全国のことは「天子様の下(もと)」という意味で「天下」と言い表すのが普通でした。
ですから戊辰戦争も西南戦争も、クニ対クニの戦いですから、戦争です。

ちなみに昔の日本語では、「役」「乱」「変」が区別されていて、
「役」は、他国との戦争(文永・弘安の役、文禄慶長の役など)、もしくは辺境のでの戦争(前九年の役、後三年の役など)
「乱」は、現政権に対する反乱(壬申の乱、応仁の乱など)
「変」は、政権に対する陰謀や襲撃(本能寺の変、桜田門外の変など)を意味していました。

従って、この用語の使い分けに従えば、大東亜戦争は、大東亜の役ということになります。
江戸時代までは、このように言葉の定義が明確だったのですが、幕末から明治にかけて、翻訳語が大量に生まれたために、定義があいまいとなり、厳密な用語の区別がなくなって、文字のイメージが優先するというおかしな事態になりました。

たとえば「レボリューション(Revolution)」の翻訳語は「革命」ですが、Chinaの易姓革命と、西洋のリボルビング、つまり復古運動(Revolve)を意味する「レボリューション」とは、もともと意味が違いすぎます。
また、日本における「いつくしき・のり」の漢訳語である「憲法」は、決して変えてはいけない万古不易の真実の法を意味しますが、これは英語の「コンチシューション(constitution)=共同体のための定め」とはまったく語彙が異なります。

また、日華事変の発端を言うなら、これは歴史の流れを見れば、1937年盧溝橋事件がきっかけというよりも、1936年の西安事件の裏合意こそがきっかけであることは明白です。
むしろ盧溝橋事件は、現地で早々に停戦がなされており、事件は現場レベルでいち早く解決してしまっているのです。

また、世界の常識として、「挑発(provocation)」を受けて「戦闘(Attack)」を行うことは、侵略ではありません。完全かつ正統な「自己防衛行動」です。
これは、軍事活動が、敵地で行われたか、自国の領土内で行われたかには一切、関係ありません。
たとえば日本が、日本国内にある米軍基地に攻撃を加えれば、それは侵略行為であって、米軍が応戦すれば、それは自己防衛行為です。
同様にChinaにある日本軍の基地が、Chineseによって軍事的攻撃を受けたなら、それは侵略行為であって、日本の立場はどこまでも「正当な自己防衛行動」です。

ちなみにその蒋介石に対し、
英国は
1939年に1000万ポンド(現2500億円)、
1940年に1000万ポンドを貸与してます。
貸与というのは貸し与えたということですが、国際社会において借りたお金を返したのは、日露戦争のときの日本と、南北戦争のときの南軍の借金を肩代わりして返済した米国くらいなものです。
国際社会では、借りたお金は返さないのが常識です。

フランスは
1938年に1億5000万フランを貸与、
1939年に9600万フランを蒋介石に無償援助しました。

ソ連は
1937年に航空機900、戦車200,トラック1500,銃15万、砲弾12万発、銃弾6000万発を蒋介石に提供し、
1939年には1億5000万ドルを援助(現6400億円)し、
さらにソ連空軍が密かに参戦しています。

米国は
1927〜41年に4億2000万ドルを無償援助、
1940年に50機の新鋭戦闘機、装備、武器、弾丸150万発を援助、
1941年に100機の戦闘機を援助、259名の米空軍パイロットを義勇兵の名目で中国空軍に参戦(フライング・タイガース)させ、さらにトラック300台と5000万ドル分の軍事物資を供与して、米軍事顧問団を派遣、また、500機のB-17爆撃機を援助しています。

蒋介石は、自らの手を汚すことなく、チャイナ全土から若者を集めて軍服を着せ、日本軍と戦わせているだけで、これだけの莫大な支援を個人の口座に受けることができたのです。
すべては、カネのためであった。
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コメント

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伏せ

蒋介石 妻 宋美齢

客家

漁夫

國民黨
> 1911年の辛亥革命によって大清帝国を倒した国民党は、中華民国という新たな政権を打ち立てようとしました。

辛亥革命の時点で国民党はありません。1912年8月に袁世凱政府に反対する野党である中国同盟会、統一共和党、国民共進会、国民公党、共和実進会、全国聯合進行会などが合流して結成された国民党(首班は宋教仁)は、蒋介石が1919年に結成した中国国民党とは別物です。

宋教仁の国民党は宋の暗殺後、党員が第二革命に関係したなどの理由で、1913年11月4日に解散命令が出され、解党しています。

松さん

騙されてはいけません
昭和47年9月25日(1972年)
田中角栄首相は北京を初訪問。
そして9月29日
田中角栄首相と周恩来は「日中共同声明」に調印。
中華民国(臺灣)の外交部は、すぐに我国との断交を宣言。

以上は、今から48年前のことです。
(正に断腸の想いでした)

正式名称「…事変」は、教科書でも「日華事変」と表記され、更に「日中戦争」に変わっているとか。
輩の策略で『日本が中国を侵略した』との宣伝が蔓延っています。
途でも無いことです。
(大陸に忖度する金の亡者がいる)
簡単に騙される人もいます。
しかし、恐れずに敢然と立ち向かう方々も大勢います。

アンテナを高く張り、警戒おさおさ怠り無く、一所懸命に中今を生きなければならないと思っています。
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: nezu3344@gmail.com
電話:080-4358-3739
出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦
『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』
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