◎関西講演(場所:羽曳野市)2020/8/1(土)13;00〜15:30 誇りある日本の歴史と日中問題の根底にあるものについてのお話しです。
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https://www.facebook.com/events/2662876587147043/南京に進出した日本軍の中に、会津若松六十五聯隊がありました。この聯隊は、全員、三〇歳過ぎの家族持ちの寄せ集め部隊でしたから、みんな妻子がいました。 日本を出た時、この部隊には3,695人がいました。けれど上海の激戦のあと、南京に向かったときには、この部隊の要員は1,400名に減っていました。半数以下です。ろくな食料もなく、それだけの被害を受けていながら、なおも戦い続けました。
その会津若松六十五聯隊の隊員たちは、南京で投降してきたチャイナ兵たちに食事を与えるため、自分たちの残り僅かな食料を切り詰めてチャイニーズの投降兵たちに食事を与えました。 そういう行動がなぜできたのかといえば、私達の若き日の父祖たちは、自分の肉体がどんなに過酷な状態に置かれていたとしても、それぞれが自分の魂に恥じない生き方をしようとしてきたから、といえるのではないでしょうか。 |

画像出所=http://acorn.okamura.co.jp/topics/column/2019/06/25/hachimitsu/
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何年か前のことですが、隣家の二階の雨戸の戸袋の下に、蜂が巣を作りました。
はじめは、数匹の蜂がたかっているだけでした。
なんだろう、と思っていました。
何日かすると、それがだんだん見事な蜂の巣になっていきました。
ほんとうに徐々に徐々に・・・。
蜂達が一生懸命毎日コツコツ働いて、ようやく蜂の巣は直系8cmくらいに育ちました。
きっと、もう子供が中にいることでしょう。
そう思った矢先、その蜂の巣に薬品がかけれられ、蜂の巣は撤去されました。
住んでいる人にとっては、いつ刺されるかわからないものだからです。
その蜂の巣があった雨戸の戸袋のすぐ下に、隣のお宅の車庫のトタン屋根があります。
その屋根の上に、一匹の蜂の遺体が転がっていました。
翌日、夏の暑さに窓を開けて外をみていたら、蜂が一匹飛んでいました。
その蜂は、巣があったあたりを、何度も行ったり来たりしていました。
見ていると、そこにあったはずの自分たちの巣を一生懸命に探していることが、その様子からわかりました。
まるで、「ええ?!どうしちゃったの?ここに家があったのに!、ええっ?!おかしいよぉ!」と蜂の声が聞こえてきそうな、そんな蜂の行動でした。
その蜂が、車庫の屋根の上の蜂の遺体を見つけました。
蜂は、その遺体のところに飛んで行くと、遺体のすぐ脇に止まり、なんだか匂いを嗅ぐような仕草をしたり、頭で一生懸命に、死んだ蜂を起こそうとしたり、遺体のまわりをぐるぐると回ったりしていました。
「おい、起きろよ。起きてくれよ。どうしちゃったの?」と、蜂が泣きながら遺体にすがっていることが、仕草から伝わってきました。
小さな蜂でも、そうやって巣を思い、仲間を思う気持ちがあるんだな、と感じました。
昆虫にも魂があるのかもしれないと思いました。
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命は、体が滅びれば、それでなくなります。
けれど魂は永遠です。
そういえば昔読んだ瀬島龍三の『幾山河』に、こんな話が載っていました。
庭の木から蝶の幼虫を取り払おうとした。
すると、その幼虫の親なのでしょうか。
一匹のチョウチョが、その取り除こうとした手に必死にまとわりついてきた。
こんな昆虫でも、愛ってあるのだなと、そう思ったという話です。
アッツ島の玉砕のときのことを書いた瀬島龍三の『幾山河』にあるエピソードです。
蝶でさえ、仲間や子を護ろうとします。
敵わないと知りつつも、必死に戦う。
子や同胞というのは、それほどまでに生き物にとって大切なのです。
それが普通だと思うのです。
けれど、次のような話もあります。
ラルフ・タウンゼントは、アメリカ人のジャーナリストです。
昭和7年、彼は上海にいました。
タウンゼントが雇っていた使用人のあるチャイニーズは、爪に火を灯すようにして1800ドルを貯めたのだそうです。
多くのチャイニーズが、上海港に停泊する外国船から垂れ流される残飯を奪い合って生きていた時代のことです。
その使用人にとって、それは一財産でした。
ところがその使用人、よせばいいのに博打に手を出して、貯めたカネをすっかりスッてしまったのです。
しかもそれを、よく知らない男に頼んでやらせてしまったのです。
彼は、あまりのショックに、死にそうなくらい落ち込んでいました。
タウンゼントはかわいそうになって、事情をそのチャイニーズから聞きました。
すると彼はこう言いました。
「ワタシ、もうイケナイ。
友達ミンナ、飲んで笑って楽しそうある。
でもワタシ、声出ないある。
笑えないある。
食べられないある。
ワタシ、何もできない。
けれど心臓だけ
ドッキンコ、ドッキンコと、
時計みたいに鳴っているある。
ココよ、ココ(といって胸に手を当てる)。
夜、睡眠ゼロ、心臓だけドッキンコ。
ワタシ、声も出ねえし、涙もでねえある。
でも心臓だけ泣いているある」
ところがそこまで落ち込んでいたこの使用人、コレラで死んだ友の話となると、ガラリと様子が変わったのだそうです。
いかにも可笑しかったというように大笑いしながら、
「2日前の晩だった。
ワタシ、あいつの家に行ったある。
あいつ、まさか自分が死ぬとは思わなかった。
それからコレラがきた。罹った。
四時間もしないで昨日死んだ」
と、話したあと、大笑いしたそうです。
タウンゼントは、この話に続けてチャイニーズの京劇見物の様子を書いています。
劇中に、かわいそうな場面、たとえば息子が死ぬ、嵐に家を吹き飛ばされるなど、涙をさそう場面があります。
原文を引用します。
「ところがなんと驚くなかれ。
ここで大爆笑が起こるのである。
私自身、何度も芝居小屋に足を運んだから間違いない。
芝居だけではない。
現実も同じである。
何事にも鈍感なのに、
カネの話になるとヘナヘナっとなるのである。」
日本人は、古来、おおいなる存在を信じ、生きているのではなくて、生かされているのだと考えていました。
そして、みんなが安心して食べて行かれる国作りを、なんと太古の昔から行ってきたわけです。
日本は、地震や津波、洪水、火災、噴火など、度重なる天変地異の多い国です。
日頃から災害に備え、万一の場合にも飢えて全滅することがないように、日頃からしっかりと蓄えをしてきた国であり民族です。
だからこそ、日本では「民こそが宝」とする思想が発達しました。
そうすることで、日本は世界最古の国民国家となったし、これを天皇のシラス国として実現してきました。
これに対しチャイナはウシハク国です。
世界中のホテルでは、ポーターさんにチップを渡す習慣があります。
チャイナにも、もちろんその習慣はあります。
ところが世界でおそらくチャイナ一国だけは、そのチップはポーターさんの懐に入りません。
ポーターにはポーターの親方がいて、お客様からいただいたチップは、全部、親方に巻き上げられるのです。
そしてその親方は、親方の親方、つまりその上の親分に、集めたチップを奪われます。
これをチャイナでは、漢字一文字で「搾(さく)」といいます。
「絞(しぼ)りとる」という意味です。
ポーターだけではありません。
街の乞食から、一般企業に至るまで、すべての職種に親方がいます。
そして社会のあらゆる階層で「搾」が行われます。
「搾」に応じなければ、残酷なリンチが待っています。
働いて稼ぐことよりも、働いて稼いだお金を巻き上げる人が上位です。
ウシハク国とは、そういうものです。
日本とは反対です。
日本では、末端で働く人こそが「おほみたから」です。
チャイナは国土が広く、多産系で人口の多い国です。
ですから常に食い物が足らない。
だから、とにかく全ての人が、今、生きることだけに集中しています。
明日のことなど関係ありません。
自分さえ良ければ、今日、いま、この瞬間に実入りが多ければ、贅沢ができれば、それで良いと考えます。
これが社会の伝統であり文化です。
だから人の命よりも、自分の今日のお金が大事です。
冒頭に、蜂のお話をしました。
蝶のお話もしました。
そんな昆虫でさえも持っている心を持たない、不幸な国や民族もあるということを書かせていただきました。
日本人と、チャイニーズを分けるもの、それは天皇の存在によるシラス統治の実在と、日本人が持つ魂観にあるのだと思います。
日本人は、古い昔から、「魂こそが本体、肉体は借り物」と考えてきました。
魂が本体ですから、肉体がどんなに辛くても、苦しくても、どこまでも魂を大切にしてきました。
戦時中の兵隊さんたちは、日頃はごく普通の日本人のお兄さんやおじさんたちです。
南京に進出した日本軍の中に、会津若松六十五聯隊がありました。
この聯隊は、全員、三〇歳過ぎの家族持ちの寄せ集め部隊でしたから、みんな妻子がいました。
日本を出た時、この部隊には3,695人がいました。
けれど上海の激戦のあと、南京に向かったときには、この部隊の要員は1,400名に減っていました。
半数以下です。
ろくな食料もなく、それだけの被害を受けていながら、なおも戦い続けました。
その会津若松六十五聯隊の隊員たちは、南京で投降してきたチャイナ兵たちに食事を与えるため、自分たちの残り僅かな食料を切り詰めてチャイニーズの投降兵たちに食事を与えました。
そういう行動がなぜできたのかといえば、私達の若き日の父祖たちは、自分の肉体がどんなに過酷な状態に置かれていたとしても、それぞれが自分の魂に恥じない生き方をしようとしてきたから、といえるのではないでしょうか。
肉体には魂が宿る、魂こそが人の本体である・・・それが日本人にとっての「大和魂」です。
「大和魂」という言葉は、荒ぶる魂のことを言うのではなく、大和人にとって、もっとも大切な魂に恥じないことです。
残念ながら昨今では、日本に住んで日本語を話しながら日本人ではない人たちが増えました。
近年では、大和魂という言葉は、格闘技や喧嘩に勝つことを意味するようです。
大陸や半島系の方には、日本的な「大和魂」は、理解できないのでしょう。
蜂でさえ、魂を持っています。
私達日本人は、いまこそ、魂という観念を取り戻すべきだと思います。
※この記事は2015年7月の記事のリニューアルです。
お読みいただき、ありがとうございました。
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コメント
湘南童子
仰られている其の通りです
霊魂は永久に不滅であります
これを生命と言い光明とも言えましょう
日ノ本の大和は人類を善導する神々の化身であります
虫達を始め私たち生きとし生ける全ての物の天命が完うされますように
失礼いたしました
2020/07/27 URL 編集
にっぽんじん
武漢コロナに対する消毒効果に関する科学的根拠は知りませんが、人体に対して有害といった論には疑問です。
もし有害であるなら水道水を直接飲むことは出来ません。
水道水を作る工程で細菌を殺菌するために次亜塩素酸ソーダを使っています。
水道水の安全性を担保するため、水道水中の次亜塩素酸ソーダ濃度を管理しています。
次亜塩素酸ソーダが無くなれば細菌が入る可能性があるため、末端の水道水の次亜塩素酸ソーダを測定し、次亜塩素酸ソーダが水道水に残るように管理しています。
水道水を使っている家庭は、もしかすると武漢コロナに感染されにくいかも知れません。その根拠はありませんが。
2020/07/27 URL 編集
松さん
暇な夜は頻繁にスーパーマーケットを彷徨いていました。
駐車場の端に小さな小屋があり、雑な京劇を毎晩やってました。
観るのは無料でした。
(タダ!とても珍しいことです)
演題は、いつも似たような悲しい物語ばっかりでした。
ところが、普通は涙する場面なのに誰もが大笑いしていました。
(何で~?笑うとこじゃネ~だろ!)
他人の不幸は蜜の味?
普段は愛想良くても正体はこれ。
心底馴染めないと思いましたね。
2020/07/27 URL 編集