維新と革命のお話

明治維新の初期の頃の志士といえば、吉田松陰、佐久間象山、高杉晋作などです。彼らは倒幕を見ることなく全員亡くなっていますが、彼らが私心を捨てて夢見た東亜の平和と繁栄、民族自立と自尊の理想は、ついには世界を動かし、世界から植民地を一掃し、支配にうちひしがれた被植民地国の人々までにも、平和と自立と繁栄をもたらしたということができます。
ちなみに明治維新の中期に活躍したは維新の三傑とよばれる、西郷隆盛、大久保利道、木戸孝允などが登場しますが、三人とも明治10年前後に亡くなっています。私心を捨てた戦いというのは、わが身の犠牲さえもいとわないものです。
今の日本にも維新を標榜する人たちは政治家にもたくさんいますけれど、私心を捨て、身を捨ててかかるところに、次世代が開けてくるのです。

20200713 ひまわり
画像出所=https://www.i879.com/birth/column/07/
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つい先頃まで「明治維新とは」という定義をめぐって、「講座派」と「労農派」という学説の対立がありました。
おもしろいもので、この二つの対立があることだけが強調されることで、あたかも明治維新について「この二つ以外には論点がない」かのように演出がされていました。

ではこの2つの派が何を言っているかというと、
「講座派」=明治維新は日本が絶対主義国家になろうとした”革命”である。
「労農派」=明治維新は日本が近代資本主義国家になろうとしたブルジョア”革命”である。
というものでした。

ひとめ見たらわかるとおり、どちらも共産主義史観(マルクス史観)によるものです。
つまり、「維新は階級闘争であり”革命”である」という考え方がその基礎になっています。
このため優秀な方ほど、明治維新=革命であったといった漠然としたイメージを抱いている方が多いです。
無理からぬことだと思います。なにせ「それ以外の解釈がなかった」からです。

ところが、そこまで刷り込みを行っていながら、実は「革命」という言葉の定義が曖昧です。
漢語としての「革命」は、ご存知の通り「易姓革命」の略語です。
チャイナ皇帝の横暴が極致に達したとき、天命が革(あらた)まり、皇帝の姓(せい)が易(か)わるという意味です。

たとえば明王朝の皇帝の姓は「朱(しゅ)」です。
その後におきた清王朝の皇帝の姓は「愛新覚羅(あいしんかくら)」です。
つまり王朝が変われば、皇帝の姓も易(か)わるのだというのが、易姓革命の意味であり、革命の意味です。

ところが日本の天皇には姓がありません。
ですから日本では易姓革命は起こりようがありません。
つまり共産主義的階級闘争史観でいう革命は、チャイナの漢語的意味としての革命ではないということになります。



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2020/9/12(土)13:30-15:30 第75回倭塾(於:富岡八幡宮婚儀殿)
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一方、幕末の翻訳家たちは「リボリューション(revolution)」の翻訳語として「革命」を用いました。
「リボリューション(revolution)」というのは、もともとは動詞の「リボルブ(revolve)」からきていて、回転とか循環を意味する言葉です。
それが「激変」を意味する名詞となって「リボリューション(revolution)」となりました。

西洋史の解釈では、もともとギリシャ・ローマ時代には、市民が政治を担っていた。
それが市民から委託された王が政治を担うようになっていたが、市民革命によって、再び市民が政治を担うようになった・・・つまり政権がグルっと回転して(リボルブして)、市民が政治の中心を為すようになったのだ、ということで、リボリューションの用語が用いられているわけです。
これはいわば、政治のルネッサンス(ギリシャ・ローマの時代に還れという運動)であったわけです。

さて、我が国はもともと天皇を中心とするシラス国です。
江戸時代というのは、そのシラス国にあって、武家政治の中心が江戸の徳川将軍が担(にな)っていた時代です。
その政治の中心が、徳川将軍の大政奉還後、薩長と下級貴族の岩倉具視らによって、再び天皇直下に政治の中心を置くという仕組みに変わりました。

このことは、天皇が国家の最高権威であることを、何ら否定したものではありません。
つまり明治維新で起きた出来事は、天皇のもとにある政治権力が、摂関家+将軍家+全国の諸大名という関係式から、薩長の下級武士+下級貴族(岩倉具視ら)に変わっただけのことです。
つまり明治維新は、きわめて大規模な政権交代であったわけで、だから我々の先輩たちは、黒船来航にはじまる幕末から明治にかけての政変上の激変のことを、意図して「明治維新」と呼びました。「明治革命」ではないのです。

「維新」という言葉は、本来「いしん」ではなく、「これあらた」と読みます。
この「維新」という用語は、チャイナ由来の漢語ではなく、『日本書紀』に由来します。
大化2年(646)3月の記事に、大化の改新の詔(みことのり)に応じた中大兄皇子が、
「天も人も合(あい)応(こた)えて、
 厥(そ)の政(まつりごと)
 惟(これ)新(あら)たなり」
 (天人合応厥政惟新)

と述べた。
つまり天皇のもとで、政治体制を一新した、ということが「維新(これあらた)」です。
要するにはっきりと言えることは、明治維新が、我が国にチャイナの易姓革命のような出来事が起こったのではないということです。

なぜなら江戸時代の体制は、京の都に天皇(天子様)があり、その下に律令体制に基づく太政官があり、そのなかのひとつの役職として、将軍職が置かれ、その将軍が江戸で国家の政務を司っていたという体制です。
そして明治後は、その太政官が江戸に移り、その太政官の役職をそれまでの摂関家や徳川将軍、および全国の諸大名から、薩長の下級武士、並びに下級貴族であった岩倉具視らが受け持つことになったというものです。

徳川政権が倒れて天皇政権が出来上がったわけではないのです。
もともと天皇のもとに政体があり、その政体だけが新しいものに変わったのです。
だから「維新(これあらた)」です。
つまり明治維新は、漢語的な意味における「革命」ではありません。

さらに明治維新は、西洋的意味での革命(revolution)とも異なります。
なぜなら歴史がグルリと回転したわけでもないからです。
ちなみに西洋の市民革命における市民とは、政治を担うことができる特権階級の人達のことを言います。
ギリシャ・ローマの時代から、人口の4〜5%の人たちがその特権階級で、残りは奴隷です。奴隷に政治権限はありません。

奴隷というと、黒人奴隷を思い浮かべる方が多いかと思いますが、西洋では、異国から連れて来られた黒人さんが奴隷とされるようになったのは、14世紀の大航海時代以降のことでしかありません。
それ以前は、戦いに破れた国の人々が、王族や貴族も含めて奴隷として売買の対象となりました。
そして食料の生産を含むあらゆる労働(労働は神から与えられた懲罰)は奴隷が行うことであり、特権層(すなわち市民)は、そうした労働から開放された人たち、といった意味になります。

19世紀は黒人が奴隷とされた時代ですが、この時代に行われた市民革命における市民に、黒人奴隷(黄色を含む)は含まれません。
つまり市民とはいっても、その市民自体が特権階級の人たちなのですから、市民革命は政治の主体が王侯貴族から、特権的市民に替わったことを意味するのであって、住民の全て(つまり国民の全て)が政治を担うようになったものではないのです。
だからこそ「市民革命」なのであって、国民革命ではないし、革命当時の社会体制もまた国民国家ではなく、市民国家であったわけです。

フランス革命の場合、パリ市民による市民革命がルイ王朝を倒し、いったんは市民国家が成立しました。
けれど王の支配地はパリばかりではなく、フランス全土が王の支配地でしたから、パリ市民以外の民衆が「俺たちもフランス人だ」と怒り、その中心となったナポレオンがあらためてフランス皇帝に就任し、フランス全土の民衆を兵として起用したことから、ようやく国民国家が誕生しています。
それでも黒人奴隷が解放されるまでには、その後も長い歳月を要しています。

日本の場合、江戸時代までは武家が政治を担っていましたが、武家と農民その他との関係は、所有関係ではありません。
そもそも農民や町民といった一般庶民が天皇の「おほみたから」でしたし、武家と庶民の関係も階層関係ではありません。
いまで言えば、公務員と民間人の関係と同じで、民間人が武家になることもあれば、その逆もありました。

ところが明治維新を成した薩長の下級武士や下級貴族たちは、貴族政治、武家政治のどちらも否定し、四民平等としました。
そしてその後に行われた自由民権運動は、庶民の政治参加を求めるものでした。
つまり政治の形は、貴族や武家の手を離れて、天皇のもとで庶民の代表と公務員が行うという形へと変化したわけです。
これが「維新(これあらた)」です。

そこには「明治維新後の日本が絶対主義国家になろうとした”革命”」もありませんし、「ブルジョア」もいません。
つまり、学会を二分したとされる「講座派」も「労農派」も、どちらも根本的に解釈を間違っている、ということです。

そもそも共産主義のマルクス史観というものは、
「すべての階級は、おのれの利得のために行動する」という確信を根本にしています。
だから王政によって、王や貴族たちが優雅でリッチな暮らしをして、一般の民衆(労働者)は、どんなに努力しても一生貧乏なままにいるのだから、労働者階級が決起して王や貴族階級を打ち倒し、その特権を剥奪して新たに労働者階級のための政権を打ち立てる、というのがマルクス的革命論です。
つまり、革命の主体となる労働者、あるいは市民といった存在は、革命を実施した後に、自分に利得があるという期待が革命の原動力になっています。

先ほどのフランス革命でいえば、飢えて怒ったパリの商工業者たちが、ルイ王朝を襲撃して打ち倒し、王朝の財産を奪い取って、パリの商工業者たちでこれを分取りました。
ところがルイ王朝の領土は、フランス全部に及んでいるわけです。
そのフランス全土に及ぶ財産を、どうして「パリ市民と名乗る、パリの商工業者」だけで分取るのか。フランス国民はパリ市民だけでなく、パリ以外にも、フランスの国土全部にいるのだから、滅んだルイ王朝の財産は、全フランス国民に分け与えるべきだ、と、こういう主張をして辺境の地からパリを目指したのがナポレオンだったわけです。
この一連の大騒ぎで、フランスではなんと200万人が殺されて死んでいます。

このことは、ロシア革命でも、あるいはChinaの辛亥革命でもみんな同じで、ようするに、革命によって滅ぶ側も滅ぼされる側も、どちらもおのれの欲得(利権、利得)のために戦っているのだし、そのことを「階級闘争」という言葉でまとめているのです。

ところが日本の明治維新をいくら「階級闘争論」で説明しようとしても、まったくそれができません。
なぜなら、革命を推進した武士たちは、革命が成就したあと、四民平等、廃刀令などで武士としての身分をすすんで放棄し、また藩籍奉還では藩主としての地位も放棄しているからです。

維新の推進力になった武士たちが、維新成立後に武士政権を打ち立てたというのなら、革命と言えるかもしれません。
けれど維新成立後に、その武士たちが武士の身分を捨てているのです。
これは、「欲得のために階級闘争を行う」というマルクス史観では、まったく説明がつかないことです。

要するに明治維新は、チャイナの易姓革命でもなければ、西洋的意味での革命(revolution)でもないのです。
あくまで「厥政惟新(そのまつりごと、これあらたなり)」であって、これは同じひとつの国体の中における「政治の仕組みの根本的な変革」を意味します。

明治維新は、私心を捨てて、公(おおやけ)のために尽くす武士たちによって実現されました。
けれど、その武士たちは、公(おおやけ)のために、自ら率先してその身分を捨てました。
これは、相当に民度が高くなければできることではありません。
なぜなら、誰しも欲があるからです。
そんな私欲を捨てることで、どこまでも公(おおやけ)に尽くす。
それは、世界史的にみれば、あるいは世界史の現実からみれば、ほとんど神に近い所業、人間の世界ではありえないといっていいほどの、すごいことであるのです。

そしてその私心を捨てた覚悟と行動が、ついには世界を征する欧米列強の植民地支配との全面戦争を招き、世界の被植民地の独立を促し、さらにはその独立した諸国に日本企業が積極的に進出し、また日本政府が経済協力を行うことによって、それら新興独立国たちが、いまや欧米に負けない経済力を身につけるにまで至っています。

明治維新の初期の頃の志士といえば、吉田松陰、佐久間象山、高杉晋作などです。
彼らは倒幕を見ることなく全員亡くなっていますが、彼らが私心を捨てて夢見た東亜の平和と繁栄、民族自立と自尊の理想は、ついには世界を動かし、世界から植民地を一掃し、支配にうちひしがれた被植民地国の人々までにも、平和と自立と繁栄をもたらしたということができます。

ちなみに明治維新の中期に活躍したは維新の三傑とよばれる、西郷隆盛、大久保利道、木戸孝允などが登場しますが、三人とも明治10年前後に亡くなっています。
私心を捨てた戦いというのは、わが身の犠牲さえもいとわないものです。

今の日本にも維新を標榜する人たちは政治家にもたくさんいますけれど、私心を捨て、身を捨ててかかるところに、次世代が開けてくるのです。
西郷隆盛は、その遺訓の中で次のように言いました。

「命もいらず、名もいらず、
 官位も金もいらぬ人は、
 仕末に困るもの也。
 この仕末に困る人ならでは、
 艱難を共にして
 國家の大業は成し得られぬなり。」

次世代のために私心を捨て、新たに日本を興す。
そういう政治と、それを支える国民が、いま、求められています。

たとえばネットでいくら批判され中傷されても、まったく微動だにしない人
たちがいます。辻○○○や、菅○○とか、○○とかのです。
彼らの原動力は思想ではなくカネです。
それをすれば個人的利益につながり、儲かるからそれをしているのだそうです。
朝○もまた同じです。カネになるから中共の手先をしています。

米国で中共の手先となっている人たちも同じです。
すべては個人の利得のために動いています。
何かの本質を知ろうとするなら「金の流れを追え」というのは、古来あたりまえのように言われてきたことです。

しかし、そうではない人たちもいます。
英霊たちがそうでしたし、我が国の歴史に名を残す数多(あまた)の偉人たちです。
多くの同胞(はらから)のために(これを正義といいます)身を捨てて戦った人たちです。
身を捨ててかかるということは、私心を捨てるということです。
すでに自分が無になれば、何を言われようが、どう中傷されようが、捨てたもののことをとやかく言われても、まったく動じる必要もない。

日本という国は、そういう人たちによって支えられ、歴史がつむがれてきた国です。
そういう人たちのことを、志をもった武士、という意味で志士といいます。

日本の日本人のすべてが立ち上がるというのは幻想かもしれません。
けれど志士が立ち上がることは、可能なことです。
それこそがいまの日本に、そして世界に求められていることなのではないかと思います。


※この記事は2014年7月の記事のリニューアルです。
お読みいただき、ありがとうございました。


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コメント

コンボ

気になる表現が・・・
細かい事ですが、どうも記事文中に気になる表現や、事実誤認が何点か見受けられます。



>>>ところが日本の天皇には姓がありません。ですから日本では易姓革命は起こりようがありません。<<<

天皇・皇室に姓がないのは事実ですが、「だから易姓革命など起こりようがない」などの論理では、説明になっていません。
これでは一種の言葉遊び(と言うか子供の屁理屈)でしかありません。
我が国における易姓革命とは、神武天皇の男系の血統ではない者(外国人も含む)、もしくは遠く遡れば神武天皇の男系血統に辿り着ける者でも、既に皇族の籍にない者が、実質的な力を背景に皇位に即く事を意味します。



>>>その政治の中心が、徳川将軍の大政奉還後、薩長と下級貴族の岩倉具視らによって、再び天皇直下に政治の中心を置くという仕組みに変わりました。<<<

この「下級貴族」という言い回しも違和感があります。
古代ならともかく、平安期以降ならば「貴族」ではなく「公家」と呼べば良いのではないでしょうか。
江戸期は大名・旗本だって「貴族」ですし、将軍家直参の御家人や各藩の藩士たちだって「下級貴族」ですから。
すなわち日本は大名等の武家貴族と、公卿(公家)等の公家貴族(朝廷貴族)の二種類に分かれていたという事です。



>>>この「維新」という用語は、チャイナ由来の漢語ではなく、『日本書紀』に由来します。
大化2年(646)3月の記事に、大化の改新の詔(みことのり)に応じた中大兄皇子が、「天も人も合(あい)応(こた)えて、 厥(そ)の政(まつりごと) 惟(これ)新(あら)たなり」<<<


「明治維新」の「維新」の由来はそちらではありません。それはやはり至那由来の漢語です。
至那の四書五経の内の『詩経』にある詩の一文が由来です。
同書の中の【大雅】の「文王」という章の中に記されている、以下の一文が由来です。

『周雖舊邦、其命維新。(周は旧邦なりと雖も、其の命維れ新たなり。)』
【現代語訳:周は古い国ではあるが、新しく天命を受けている。】

水戸藩士であり、水戸学の大家でもある藤田東湖が、天保元(1830)年に藩政改革への決意を述べる際に、上記の『詩経』の【大雅】から、上記一文を引用して用いたのが最古とされています。
これがいつしか世の中に広まり、「明治維新」の「維新」の部分の由来となった訳です。

大化改新の詔の一文の方が由来ならば、「明治惟新」と表記される事でしょう。
しかし実際に維新の「維」の字は、「糸(いとへん)」であって、「小(りっしんべん)」ではありません。



>>>ちなみに西洋の市民革命における市民とは、政治を担うことができる特権階級の人達のことを言います。<<<

>>>そして食料の生産を含むあらゆる労働(労働は神から与えられた懲罰)は奴隷が行うことであり、特権層(すなわち市民)は、そうした労働から開放された人たち、といった意味になります。<<<

>>>つまり市民とはいっても、その市民自体が特権階級の人たちなのですから、市民革命は政治の主体が王侯貴族から、特権的市民に替わったことを意味するのであって、住民の全て(つまり国民の全て)が政治を担うようになったものではないのです。<<<

失礼ながらヨーロッパ史には御詳しくないように見受けられます。
ヨーロッパの「市民」、特に古代ギリシア、古代ローマ社会での「市民」とは、「自由民(自由市民)」全般を指します。
すなわち奴隷ではなく、市民権(現代で言う所の国籍)をちゃんと保有している者の事です。
だから奴隷とか市民権を持たない他所者(外国人とか他所の市民)でもなければ、全員がそこの「市民」です。

そして市民ならば全員が「特権階級」だった訳でもありません。
現代日本で言えば、我々のような特権階級でもない、富裕でもない一般庶民でも、日本国籍を保有していれば「日本国民」であるのと同様に、奴隷でなく市民権を有していれば、れっきとした市民です。

だから参政権はあっても、富裕でもなく特権階級でもない以上、市民(自由民)でも労働はしなければなりませんでした。
街中の商店主や職人なんかの商工業者たちも奴隷ではなく、市民権を持つれっきとした市民(自由民)ですけど、階級は貴族ではなく平民ですし、労働だってしてますよね?

市民権を持つ市民(自由民)の中でも、貴族階級(特権階級)とそれより下の平民に分かれてる訳です。
なので「市民=特権階級」というのは違います。
市民ならば全員が貴族階級(特権階級)だった訳ではありません。

松さん

ねずさんの言葉は耳が痛い?
『私心を捨てた戦いは、我身の犠牲さえも厭(いと)わないもの』

ねずさんの言葉は耳が痛い?
そう感じる政治家が居たとしてら、まだ見込みはありそうです。
(そうは見え無いお方ばっかり)

死ぬかも知れない戦争に?
いくな~!いかせるな~!
何が何でも絶対反対だ~!
金科玉条の如く宣う方がいます。
理不尽な外敵に侵略されても、言いなりに従う?のだとか。
(嘘吐け!我先に逃げるだろ)

6年前の4月…半島で起きた大型旅客船沈没事故を思い出しています。
船長は真っ先に逃げ出し、残った船員の避難誘導も不適切でした。
私心しか無い輩の所為で、多数の高校生等が見殺しにされました。
(38度線で何が起きても、我国は金銭や戦力などで関わってはいけません)

守りたい者がいるから!
命を懸けて守りにいく!
(単に死ににいくのでは無い)
先人の導きは尊いです。
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: nezu3344@gmail.com
電話:080-4358-3739
出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦
『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』
『誰も言わない ねずさんの世界一誇れる国 日本』
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