戸山伍長(とやまごちょう)と昭子(あきこ)さん



遠く離れた異国の地で最後まで死力を尽くした男たちがいました。
女たちがいました。
過酷な戦場の中に咲いた一輪の花のような恋もありました。
こうした一つ一つが、決して忘れてはいけない私たち日本人の心なのだと思います。

20200716 ゆり
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拉孟(らもう)の戦いは、昭和19年6月から9月まで、ビルマと中国の国境付近で行われた壮絶な戦いです。
守備隊は最後の一兵までこの地を守り抜き、120日間という長期戦を戦い抜いて玉砕しました。
守備隊1280名のうち、300名はほとんど体の動かない傷病兵でした。
そして、そのなかに15名の女性たちもいました。

遅いかかった敵は5万の大軍です。
是が非でも援蒋ルートを確保したい蒋介石が、国民党最強といわれる雲南遠征軍を拉孟に差し向けたのです。
それは米国のジョセフ・スティルウェル陸軍大将が直接訓練を施した米軍式の最新鋭装備の軍でした。

戦いの末期、守備隊に飛行機で拉孟に物資を届けた小林中尉の手記があります。

「松山陣地から兵隊が飛び出してきた。
 上半身裸体の皮膚は赤土色。
 スコールのあとで、
 泥にベタベタになって
 T型布板の設置に懸命の姿を見て、
 私は手を合わせて
 拝みたい気持ちに駆られた。

 印象に深く残ったものに、
 モンペ姿の女性が混じって
 白い布を振っている姿があった。
 慰安婦としてここに来た者であろうか。
 やりきれない哀しさが胸を塞いだ」

上空からみた拉孟を死守する我が軍の周囲が全部、敵の陣地と敵兵によって埋め尽くされていました。
小林機は低空から二個の弾薬包を投下しました。
これに応えて守備隊の兵や女性たちが手をちぎれるほど振りました。
小林中尉はこの何分か何十分後かに戦死しているかもしれない彼たち彼女たちの顔を心に刻み込もうと、飛行機から身を乗り出すようにしました。
けれど溢れる涙で眼がかすんで前が見えなくなったそうです。

熱い思いに駆られた小林中尉は、弾薬包を投下したあと直ちに離脱すべしとの命令だったのですが、敵の弾幕をくぐって急降下してあらんかぎりの銃弾を敵陣に叩き込みました。
愛機を敵弾が貫きました。
敵弾が体をかすめました。
それでも弾倉が空になるまで撃ち続けました。
その気持、痛いほどわかる気がします。



《塾・講演等の日程》
どなたでもご参加いただけます。
2020/7/25(土)13:30-16:30 第74回倭塾(於:富岡八幡宮婚儀殿)
 https://www.facebook.com/events/1074216212960822/
2020/8/1(土)13;00〜15:30 羽曳野講演(羽曳野市いずみの里 南島泉集会場)
 https://www.facebook.com/events/662947247910504/
2020/8/15(土)靖国神社昇殿参拝
 https://www.facebook.com/events/2667848776866935/
2020/9/12(土)13:30-15:30 第75回倭塾(於:富岡八幡宮婚儀殿)
 https://www.facebook.com/events/1140192956351381/
2020/10/18(日)13:30-16:30 第76回倭塾(於:富岡八幡宮婚儀殿)
 https://www.facebook.com/events/867036783780708/
2020/11/15(日)13:00〜15:30 日本書紀出版記念(於:靖国会館)
 https://www.facebook.com/events/269322421064039/
2020/12/19(土)13:30-16:30 第76回倭塾(於:富岡八幡宮婚儀殿)
 https://www.facebook.com/events/337364737249840/



20200401 日本書紀
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守備隊に混じっていた女性たちは軍人ではありません。
軍とともに移動してきた慰安婦たちです。
慰安婦と言えば聞こえはいいですが、要するに売春婦です。
現代の倫理では理解しがたいことですが、売春は人類の社会史始まって以来の女性の職業でした。
東西の文学にも、パリのオルセー美術館の名作にすらそれは登場しています。

軍隊は健康な青年の集団です。
ですからどの国の軍隊にもそれは付随しました。
世界の歴史で、それが無いのはおそらく今の日本の自衛隊くらいなものです。

しかし慰安婦の存在は、決して陰惨な存在ではありませんでした。
前線近い日本の兵隊が如何に彼女たちを大切にし、彼女たちも誠心それに応えたかは、歴戦の下士官であった伊藤桂一氏の著作に屡々活写されています。

彼女たちは戦いが始まるずっと前に、
「ここは戦場になる。
 危ないから帰れ」
と勧められていました。
けれど彼女たちは帰ろうとしませんでした。

拉孟にいたら生きて帰ることはできないかもしれない。
けれど彼女たちは兵士たちと家族のように親しくしていました。
男と女の情が通っていたのでしょう。
だから彼女たちにとって、その場を離れるということは、肉体が生きていても心が死ぬことを意味したのです。

無理に帰そうとすれば女たちは薄情だと怨む。
彼女たちは自分たちも守備隊の一員と考えていたのです。
こうして20名いた女性たちのうち、半島出身者の女性5名だけが先に拉孟を離れ、日本本土からやってきていた15人の慰安婦だけが戦場に残ったのです。

守備隊の中に、戸山という伍長がいました。
戸山伍長は戦いが始まる前、折に触れては女たちの中の菅昭子(すが・あきこ)さんという女性に、辛(つら)く当たっていました。
昭子さんは熊本県天草から慰安婦としてやってきたとても美しい女性です。

その昭子さんに戸山伍長は、
「おまえは道具じゃないか」と罵(ののし)ったのです。
腹をたてた昭子さんは、以後、戸山伍長がいくら金を払うと言っても一切そばへも寄せ付けませんでした。

戦いがはじまりました。
戸山伍長は爆風で両目を失ないました。
その戸山伍長の看護をしたのが昭子さんでした。

二人は結婚を約束しました。
戸山伍長はほんとうは昭子さんのことが好きだったので辛く当たっていたのだということを、昭子さんは女の直感でちゃんとわかっていたのです。
それに男っ気の強い戸山伍長に惚れてもいました。
昭子さんは、慰安婦としての自分の歴史に終止符を打ち、人の妻として死にたいという女としてのただひとつの願いに、このときすべてを賭けたのです。

二人は、戦いの中で仲間たちに祝福されながら、先ほど決死隊を見送る際に使った盃に水を注ぎ、三三九度をかわしました。
けれどそこは戦場です。
結婚したところで幸せな家庭も、可愛い赤ちゃんも望むことはできません。

「けれど」
と二人は言ったそうです。
「もし来世があるのなら、
 その来世で、
 心も体も
 真実の夫婦(めおと)になりたい!」

婚儀の数日後、戦場に戸山伍長と、そばに寄り添う妻・昭子さんの姿がありました。
昭子さんは、全盲の戸山伍長の眼になって、手榴弾投擲の方向と距離を目測し伝えていました。

その日の第三波の敵が来襲しました。
敵の甲高い喚声を聞いた戸山伍長は、
「少年兵?」
と昭子さんに聞きました。
そして手榴弾の信管を抜こうとした手を一瞬止めました。

砲弾が唸る中、昭子さんは、
「十五、六の少年兵ですよ」
と叫びました。
敵兵とはいえ相手は年端もいかぬ子供です。

そのとき、その少年兵が投げた手榴弾が、夫婦の足元に転がってきました。
手榴弾は轟音とともに炸裂しました。
戸山伍長と昭子さんは、こうして壮烈な戦死を遂げられました。

戦場で死を待つばかりで子を持つことも叶わない二人は、たとえ敵兵といえども少年を殺すことがはばかられたのでしょう。
二人の御魂は神に召されました。

 *

戦時中に下士官以下の兵としてお亡くなりになられた方々は、戦後のベビーブームのときに、一緒に亡くなられた上官たちから「先に生まれ変わりなさい」と言われて、現世に生まれ変わったと教わりました。
きっと戸山伍長と昭子さんの夫妻も、きっとその頃の日本に生まれ、戦後の高度成長と平和な時代をご一緒に、そして相思相愛の素敵な人生をお過ごしになられたのだと思います。

私達日本人は、魂は死なずに生きていて、ときに生まれ変わり、またときに神となって護国に尽くすと信じてきた民族です。
私達が失ってはならないもの。
それは、日本人としての魂と、そして何より平和を愛する心なのだと思います。

最後に、戦いの後日談を申し上げておきます。

最後の突撃の日、先頭にはその時点で指揮官となっていた真鍋大尉が立ち、その後ろに聯隊旗手として黒川中尉、そのまた後ろを、かろうじて動ける兵たちが、一塊になりました。
自力で歩けない兵たちは、互いに刺し違えました。
意識のない兵、手も足も動かせぬ重傷兵は戦友がとどめを刺しました。

生き残っていた女性たちは、先立った昭子さんを除く14名でしたが、彼女たちは何より大切にしていた晴着の和服に着替え、戦場のススで汚れた顔に口紅をひいて次々に青酸カリをあおられました。
この日まで喜びも悲しみも辛さも苦しさも分け合ってきた男たちの運命に殉じて、残る14名の女性たちも共に戦死されました。

そんな拉孟(らもう)の玉砕の日、報告行の命令を受けた木下中尉が、ひとり、本体への報告のために、奇跡としか言いようのない生還を果たしました。
木下中尉は、第五十六師団の前線にたどり着き、戦闘の様相を克明に報告しました。

重傷の兵が片手片足で野戦病院を這い出して第一線につく有りさま。
空中投下された手榴弾に手を合わせ、必中の威力を祈願する場面。
尽きた武器弾薬を敵陣に盗みに行く者。

そして15名の慰安婦たちが、臨時の看護婦となって、弾運びに傷病兵の看護に、炊事にと、健気に働いた姿など、語る木下中尉も、報告を受けた五十六師団の面々も、ただただ涙あるばかりだったそうです。

この戦いの中、蒋介石が次のような督戦状を発しました。
「騰越(とうえつ)および拉孟において、
 日本軍はなお孤塁を死守している。
 (中略)
 ミートキーナ・拉孟・騰越を死守している
 日本の軍人精神は
 東洋民族の誇りであることを学び、
 これを範として
 我が国軍の名誉を失墜させるべからず」

この督戦状は蒋介石が、自軍の督戦のために出したものです。
しかし内容が日本陸軍の優秀さや強さを讃える内容になっていたことから、後に「蒋介石の逆感状」と呼ばれています。

拉孟ばかりではありません。
遠く離れた異国の地で最後まで死力を尽くした男たちがいました。
女たちがいました。
過酷な戦場の中に咲いた一輪の花のような恋もありました。
こうした一つ一つが、決して忘れてはいけない私たち日本人の心なのだと思います。


※この物語は拙著『誰も言わないねずさんの世界一誇れる国日本』からの転載です。
お読みいただき、ありがとうございました。


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コメント

日本を愛する日本人より一言。

参政党の4Hにわたる研修会ありがとうございまた。
 今日は4Hにもわたる講義大変ありがとうございました。BUROGUは10数年毎日見せていただいていますが、講義の中には新たな内容も多くあり、やはり生の講義でないと真髄が聞けないことも多いのかなと感じました。
 ただ、受講生の反応に日英同盟の英国女性の話など、うなずかねばならない場面でどっと笑いが出てきたりして勉強不足の人も多いのではと思いました。(だから勉強するのですよね!)
 それにしても参政党のボードメンバーの方や講義をしてくださる講師の方々、本当に西郷氏の言われる始末に負えない方々だと感謝しております。
 定年後、先生方のBUROGUで覚醒した団塊の世代ではありますが自分にできる限りの貢献をしたいと思いました。
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「スパイ防止法」が出ると条件反射的に反対する人たちがいます。
それなら反対しにくい法案名でだしたらどうでしょうか。

法案名は「機密情報漏洩防止法」です。
反対する理由が難しくなります。
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

講演のご依頼について

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