2020/8/15(土)毎年恒例 靖国神社昇殿参拝(14:30集合)
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https://www.facebook.com/events/2667848776866935/ 嘉永6年(1853年)の黒船来航に始まる不平等関係は、あれから150年以上経過したいまでも、実は解消していません。 ということは、明治維新はいまなお続いている、ということです。 明治維新の完成は、他らならぬ現代日本人に託された使命です。 その使命を、責任として自覚すること。 それは、日本人としての大和魂を取り戻すことです。 |

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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに小名木善行です。
明治維新の「始期」が、嘉永6年(1848年)の黒船来航であることは、おおむね議論の余地なく多くの歴史家の一致した意見です。
ところが明治維新の「終期」がいつかというと、この議論は千差万別で、様々な意見があってまとまりません。
ある先生は、明治44年に条約の改正が行われて、晴れて日本が不平等条約から脱することができたことをもって明治維新の終期とされると説きます。
明治維新が不平等条約の是正を求めて大きな政権交代を伴ったものである以上、その目的を達成したときが終期になるというわけです。
ある先生は、大日本帝国憲法発布をもって明治維新の終期と説きます。
近代国家の成立を求めて明治維新が行われたのだから、というのがその論拠です。
同じ理由から、帝国議会の成立をもって終期とするという説もあります。
あるいは、日清日露の戦争の勝利をもってという説、
大英帝国との同盟関係の成立をもってという説などもあります。
この「終期」がなぜ大切なのかというと、それによって「明治維新とはなにか」という根源的なテーマないし位置付けが定まるからです。
ということは、逆にいえば、明治維新から150年が経過しながら、いまだに学会の中にあって、明治維新とは何か、あるいは明治維新とはいかなるものであったのかということについて、明確に定まった見解が持てないでいる、ということになります。
明治維新についての研究者、あるいは明治維新から終戦までの「近代史」、終戦からこんにちまでの「現代史」、この2つを合わせて「近現代史」といいますが、明治維新からこの近現代史に至るまでの研究者は、歴史学者から小説家、市井の歴史好きに至るまでたいへんに多いですけれど、いまだに「終期」が定まらないのは、個人的意見としては、「いまだに明治維新は終わっていないから」であると思っています。
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たとえば聖徳太子の時代です。
隣りに隋という軍事超大国が誕生し、これに対して我が国をひとつにまとめることが急がれた聖徳太子の時代、太子が第一回の遣隋使を送ったのが西暦600年、十七条憲法が定められたのが604年です。
ところがこの後、一部の豪族が、あたかも天下をとったかのように国内で勢力を張り、ご皇族さえもないがしろにされるような時代となりました。
この流れを一気に変えられたのが、中大兄皇子の乙巳の変(645年)で、その後、記紀の編纂や万葉集の策定によって、日本を教育と文化によって立国されようとご尽力されたのが第41代持統天皇です。
けれどせっかくのその努力も、道鏡事件(769年)が起こってすべてがご破産になりかけたとき、和気清麻呂が文官でありながら勇猛心をもってこれと戦って国を救い、その和気清麻呂に命じて、新たな都として造営されたのが京都(794年)です。
ところが、せっかくの平安京遷都も、薬子の変(810年)によって、すべてがないがしろになりそうになったとき、坂上田村麻呂がこれを倒して、以後、350年にわたる平安の時代となっています。
つまり何を言いたいのかというと、
「隋の出現(581年)から、薬子の変(810年)まで、230年の歳月を要している」ということです。
大きな変革は、一時に何もかもがひっくり返るわけではなくて、実はそのときどきに、あれもやり、これもやりと、ブリコラージュしているうちに、ようやく素晴らしい時代が到来する。
明治維新は、黒船来航という外圧がきっかけとなりました。
7世紀の大変革も、隋の大帝国の出現という一大事がきっかけとなりました。
明治新政府によって大日本帝国憲法が発布されたのが1889年です。
十七条憲法の制定が604年です。
大東亜戦争の敗戦が1945年、白村江の敗戦が663年です。
どちらも憲法発布から60年弱です。
まさに時代は繰り返しているわけです。
戦後75年を経過した現代(2020年)は、古代でいえば白村江から75年経過した738年、奈良時代の聖武天皇の御世にあたります。
その娘の阿倍内親王(後の孝謙天皇)が皇太子となられた年でした。
そして孝謙天皇の時代に、道鏡が増長することになります。
仮にもし、7世紀の大変革と同じように歴史が繰り返すとするならば、我が国が完全に安定を取り戻すには、
まだあと72年、つまり2092年頃になって、ようやく日本は安定の時期を迎えることになる。
令和で言ったら、令和71年です。
要するに明治維新は、まだ終わっていないし、終わるとするならば、それには、まだあと70年以上の歳月がかかる。
そんなのんびりしたことを言っていたら、日本が壊れてなくなってしまうと心配される方もおいでになろうかと思いますが、そんなことはありません。
日本は天壌無窮(てんじょうむきゅう)の国です。
「豊葦原の千五百秋之瑞穂の国は、
是れ吾が子孫の王たる可き地なり。
宜しく爾皇孫就きて治(しら)せ。
行きくませ。
宝祚(ほうそ)の隆(さか)えまさむこと、
当に天壌と無窮かるべし。」これが天照大御神から授かった天壌無窮の御神勅です。
現代語にしたら
「葦の原の広がる豊かな瑞穂の国は、
わが子孫が王となる地である。
よろしく我が孫よ、行って治(しら)しめなさい。
さあ、お行きなさい。
宝のように幸いを得て隆(さか)えること
まさに天地と共に永遠となりましょう。」
となります。
吉田松陰は、安政6年10月、友人で過激派になっていた堀江克之助に手紙で、
「天照の神勅に
『日嗣之隆
(あまつひつぎのさかえまさんこと)、
与天壌無窮
(あめつちときはまりなかるべし)』と之有り候。
神勅相違なければ日本は未だ亡びず、
日本未だ亡びざれば
正気重ねて発生の時は必ずある也。
只今の時勢に頓着するは
神勅を疑ふの罪軽からざるなり」と書きました。
その通りであると思います。
手塚治虫は、
「過去はすでに起きた未来、
未来はこれから起こる過去」という名言を残しました。
歴史は繰り返します。
文明としての物質的な面は、短期間に爆発的に進化を遂げることがあります。
けれどそれを作り出している人間は、そうそう変わるものではありません。
そしてその人間が織りなす社会の仕組みも、時代の流れも、そうそう異なるものではない。
明治維新がなぜ起きたのか。
事の発端が嘉永6年の黒船来航だとするならば、その答えは簡単です。
ひとことでいうなら「外圧」です。
日本はその外圧に屈して不平等な条約を締結させられ、国内で蓄積した黄金を大量に国外に流出させました。
幕末の志士たちにとって、手の届かない坂の上の雲は、まさに欧米列強の支配の圧力にいかに抗して、我が国を彼らと対等かつ平等な国家にしていくのかにありました。
そして不平等条約は、いったんは1911年(明治44年)の米国との新・日米通商航海条約の締結によって、ようやく欧米諸国と対等な関係が構築されたかに見えました。
しかしそれは、わずか10年後の1921年(大正10年)のワシントン会議で、もろくも崩れ去っています。
ワシントン会議で日本は主力艦の保有量を対米英6割という不平等を押し付けられ、その後は次々と対等な関係を制限され、やむなく日本が大東亜の戦いを起こして敗戦すると、今度は憲法まで押し付けられて、いまだにODAという名の巨額の戦費賠償を継続しているのが、いまの日本です。
嘉永6年(1853年)の黒船来航に始まる不平等関係は、あれから150年以上経過したいまでも、実は解消していません。
ということは、明治維新はいまなお続いている、ということです。
明治維新の完成は、他らならぬ現代日本人に託された使命です。
その使命を、責任として自覚すること。
それは、日本人としての大和魂を取り戻すことです。
お読みいただき、ありがとうございました。
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コメント
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敗戦後に日本がおかしくなったという意見が主ですが
私は明治から既に日本が日本らしくなくなっていったと思います。
独立を守るため、欧米の文化を取り入れ、軍拡に励んだ先人に感謝していますが、
それと引き換えに失ってしまったものがたくさんあるのではないでしょうか。
それまでも外国の文化を取り入れてきたわが国ですが
必ず日本風に味付けがされてきたと思います。
でも明治維新はそうではなかった。
西洋の思想やシステムを学ぶことは、諸刃の剣です。
長い太平の世につけられた技術の差を埋めるため、必死の努力で追いつき
差別条約を撤廃し、ついに彼らに対等と認めさせることに成功したのは薬の効能。
その反面、西洋の思想、特にマルクス思想の毒がまわり、
とうとう大日本帝国が滅んでしまいました。
そして今なお解毒されずに国体を侵され続けています。
明治維新はまだ志半ばなのです。
我々が大和魂を取り戻して初めて完成すると思います。
2020/08/08 URL 編集
marurin
参考になりました。ありがとうございました。
2020/08/08 URL 編集
湘南童子
千五百年は大いなる節目のようであります
日ノ本の大和の大天命が完うされますように
2020/08/08 URL 編集
松さん
全くその通りですよね。
年号が改まっただけでは、維新(これあらた)にはなりません。
誰もが実感してると思います。
などと言えば『そう思うソースを出せ』と宣う輩が必ずいます。
それこそ、どこで仕入れたかも分からない「ソース」をネタに、亡国に等しい論(あげつら)いばかりの「歴史ゴロ」がウジャウジャいます。
(相手にしてる暇はありませんが)
しかし!
小名木さんには小名木さんの想いが、私にも私の想いがあります。
ひとはひと。
自分は自分。
自分なりに学び行動する。
それでいいと思っています。
我国の結実はどんなものなのか。
安定期を見ることは叶いません。
せめて兆しだけでも見てみたい。
先ずは、中今をしっかりと建設的に生き抜くことが大切ですよね。
2020/08/08 URL 編集