蹂躙されることのない国を築く



ルール(rule)は、ラテン語の「rēgula」という単語が語源で「真っ直ぐな物差し」を意味する語で、語感としては「支配」の意味があります。
日本に住む人なら、国籍の如何を問わず、日本のルールによって支配されなければなりません。
なぜならそれが、日本に住む誰もが豊かさを享受し、安全と安心を手に入れて生活するために必要なことだからです。
そして私達は、二度と日本だからといって、女子供が蹂躙されることのない国を築かなければなりません。

芙蓉(ふよう)の花
20200811 芙蓉の花
画像出所=https://horti.jp/5110
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画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)


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小名木善行です。

ある本からの引用です。
まずはお読みください。
記述は昭和20年8月15日の出来事からです。
(一部、名詞をブログ用に変えています。)

===========

日本が負けたとはどういうことだろう。
一人になっても戦うはずではなかったのか。
そのために私達はあんなにも一生懸命薙刀(なぎなた)の練習をしたはずだ。
負けたら玉砕のはずだ。
負けて日本があるなんておかしい。
12歳の少女の頭は大混乱してきた。
私は妹を残して一人また外へと出ていった。

「軍人の父はどうなるのだろう」
「幼年学校の兄はどうなるのだろう」
「この先、私達はどうなるのだろう」

そんなことを考えながら歩いていた校庭の花壇に咲いていた芙蓉の花。
午後の強い日差しを浴びながら、それは静かに咲いていた。
花びらを淡いピンクに染めて、まるで夢のように優しくて美しかった。
そして、このときの不気味なまでの鎮まり。
8月15日の午後は、私の上で驚くほど静かに流れていった。

しばらくして学校へ戻ってみると、責任者という感じの軍服姿の男性が全員になにやら小さな包みを渡し始めていた。

「これはいったい何?」
「青酸カリ」


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そんな会話が耳に入る。
あぁ、やっぱり玉砕、いや集団自決というのかな。
なぜかほっとする。

「半島人が日本人を
 皆殺しにするといっている。
 現に街では、
 暴徒らによって
 何百人もの日本人が
 殺されているそうだ。
 覚悟しておいてほしい。
 ベルが三回なったら
 この白い包みの中のものを
 飲んでくれ」

その男性はそう言い残すと出ていった。
着替えをする人、化粧を始める人、もって来た缶詰を食べ始める人、ただ泣いているだけの人、様々だ。
誰かが私と妹にキャラメルをくれた。
しかし私と妹は母の手をしっかり握りしめたまま、黙ってそのキャラメルを見つめていた。

暑い日差しが西に傾き窓を赤く染め始めた頃、ずっと遠くのほうから何か異様なざわめきが聞こえる。
耳を澄ますと、それは集団となって何かわめきたてている人間の声だ。

「この学校に収容されている
 日本人を殺すと言って、
 大勢の半島人が
 押しかけてきている」
との情報が伝えられる。

「さぁ薬を飲もう」
「いや、ベルが鳴っていない」
などと騒然となる。

私は窓からその声のする方をじっと見ていたが、やがて、遠くにその姿が目に入るやいなや体中から血の気が引いてしまった。
数百人に上る人々が手に手に竹槍や石をもって大声を出しながらやって来るのである。
校舎のどこかで窓ガラスの割れるすさまじい音が響き渡る。
その場にいた全員が青酸カリを握り締め、ベルの音は今か今かと緊張のあまり震えていた。

その時、
「子供達、集まれ!」
と男達が大声で叫ぶのが聞こえた。
私の手を強く握って離そうとしない母の手を振り切って、声のしている校庭のほうへと歩いていった。
二十人近く集まった子供達を前に、校長先生の話が始まった。

「みんなにお願いがあります。
 よく聴いてください。
 半島の人達は
 子供のいる前では
 絶対に悪いことをしない人達です。
 そういう民族です。
 だから、
 あなた達全員で、
 あの人達の前で、
 『哀号(あいごう)、哀号、
  助けてください』
 と泣き叫んでください」

私はそれを聞いて、真っ先に半島の群衆の前に出ていった。
そして、校長先生が言ったように、
「哀号、哀号、
 助けてください。
 殺さないでください』
と泣きながら懇願した。

みんなも続いて口々に叫んだ。
誰もが皆必死だった。
校長先生はひとり
「半島独立おめでとう」
と叫びながら手を振っている。

私たちの「哀号」の声が裏山にこだましている。
この必死の叫びは半島の人々の心に何を訴えることができたのか。
やがて彼らは、私達に何の危害を与えることもなく引き上げていった。

たった一人の校長先生の叡智で大勢の日本人の命が救われ、また半島の人達を暴徒とせずにすんだのだ。
この先生の優しく深い微笑みは、私の心に深く刻み込まれている。

「死」に直面していた命が助かったということで、私達の恐怖は一転して歓喜へと変わった。
私は自分の「哀号」の叫びに未だ鎮まらぬ心を抱きながら、学校の裏庭へと出て行った。
裏庭は小高い山の斜面へと続いており、そこに細い道が通っていた。
私は一人その道をゆっくりと歩いていた。

そして次の瞬間息が止まり、恐怖で叫びだしそうになるのを必死にこらえながら草むらの中に身を潜めた。
身体の震えるのを抑えることができなかった。

道の下の方から若い男が五人、まるでお祭りのように大声で歌いながらやってくる。
そしてその男達の持つ棒には全裸にされた女性が逆さまに吊るされている。

二本の棒に片足ずつ結び付けられ、中心には棒が突き刺さっている。
それを神輿のように担ぎながら男達ははしゃいでいるのだ。

女性の長い髪が木の葉の上を引きずられていく。
体中が血に染まっている。
そしてかすかに聞こえる呻き声。

あぁまだ生きている。

どうやって学校まで帰ったのか覚えていない。
この時見た光景は何故か誰にも話さなかった。
だが「一生忘れないぞ」と自分の心に誓った。

この夜、皆はそれぞれ持っている食べ物を出し合って、
「明日をも知れぬ命なのだから」
と宴会のように食べあった。

そうしているうちにも、街のあちこちに火の手が上がり始めた。
日本人住宅や神社仏閣が燃えていると大人達が話している。
一つの火勢が衰え始めるとまた別の所がすごい勢いで燃え始める。

パッと燃え上がる火柱を放心状態で眺めながら、日本は負けたのだと初めて実感する。
皆殺しだといって押しかけてきた村人達、ひとりの女性をなぶり殺しにしようとしていた男達、そして神社にまで火を放っている人々、

いままで「鬼畜米英」と教え込まれてきたが、この時、私の中でその言葉は「鬼畜半島」という言葉にすり替えられたのだった。

=========

この文は、天内みどり著『芙蓉の花〜北朝鮮引揚げの記録〜』という本のP.24〜P.28を引用したものです。
本は、いま二刷りですが、またたくまに在庫がなくなり、新刊なら1300円の本が、古本で1万2,980円の値が付き、いまではAmazonでさえも「取り扱いできない本」にされています。

著者は終戦のときに、やっとの思いで満洲の新京駅から日本に帰ろうと汽車に乗った女性です。
途中、朝鮮の宣川で下車させられ、8月15日を宣川の日本人学校で過ごしました。
上の文はそのときの模様です。
その後ようやく日本に帰還するのですが、今度は文中にある妹さんを北朝鮮によって拉致されています。

本書は、たいへん公平に、同じ半島の人であっても、日本人にとても親切にしてくれた人たちのことも詳しく紹介しています。
従って、ただ恨みつらみを書き記した政治的あな本ではありません。

また本書は終戦時の帰国時に、苦労をともにした妹のかほるさんが、突然失踪し、それが後にNorth Koreaによる拉致被害であった可能性が大きいことも、きわめて冷静に記述しています。

上に紹介した文では、日本が負けたその当日から、半島人たちが集団で日本人を襲う様子が描かれています。
このときの半島は、すでに日本によって36年間も統治されていたのですから、すくなくとも42歳以下の半島人は、日本人としての戦前の教育を受けていた人達です。
にも関わらず、日本が負けたと知るやいなや、瞬時にして暴徒となって集団で、日本人を襲う。
こうした恩知らずの風習は、我々日本人にはおよそ理解できないことです。

彼らの襲撃というのは、日本人にはおそらく想像もつかない激しく、とにかく目につくもののすべてを持ち去ってしまいます。
略奪するときにでも、どれにしようかなと、つい選ぼうと迷ってしまうのは我々が日本人だからで、コリアンやチャイニーズの場合、机でも椅子でも、略奪が終わればまるで引っ越しでもしたあとかのように、何もかも奪い去ってしまいます。
このとき、女性であれば年寄りや子供でも暴行の対象になる。
裸にした女性の膣に木切れや棍棒を挿すというのも、彼らの伝統芸です。
生き残っても外性器の形が変形してしまう。
近年もそうした外性器の形が変形してしまうような酷い性的被害に遭う女性が日本国内であとを絶たないといいます。

日韓併合が1910年、終戦が1945年です。
35年間は、彼らも日本人だったわけですが、35年間というと、1.5世代にあたります。
台湾を日本が併合したのが1985年、以後、ちょうど50年間日本が統治したのですが、50年だと2世代になります。
この違いは大きい。

のみならず、半島の場合、日本に住んで日本人としてのしっかりとした教育がされたあとでさえも、彼らの獣性は何も変わらない。
戦後74年間、日本に住んで日本の教育を受けてきても変わらないわけです。

念の為申し上げますが、すべての半島人がそうした獣であると申し上げているのでは有りません。
世の中は「白か黒かの二局」ではなくて、世の中は「分布」です。
獣じみた人(というより人の皮を被った獣)から、きわめてまっとうな人に至るまで、学校のテストの点数の分布と同様、ほぼ正規分布に従うと考えるのが正解です。
ただ、全体としての分布が、より高位に向かわないと、下層が厚くなる。
この下層というのが、「力関係が上位になれば、自らの欲望のままに、下の者に対しては何をやっても良い」と考える、人というより、より獣に近い層になります。

世の中というのは、たった一度でも、小学校の校門前に児童の生首が置かれるという事件があれば、以後、日本全国すべての児童が集団登下校をするようになる。
そういうものです。
それが健全かつ賢明な判断というものです。

たったひとりでも、たった1件でも、不逞な輩がいれば、全体を警戒しなければならない。
なぜなら、誰が人の皮をかぶったケダモノなのかは、事件が起こってみなければわからないからです。
それなら、全部を警戒せざるを得ない。

だから国境があるし、法制度があるし、ルールがあるのです。
日本にある彼らの団体は、公然と反日に走りますが、本来であれば、彼らのコミュニティ(団体)の中で、日本で絶対に犯罪者を出さないことを目指し実施し実現していくべきです。
それが日本の社会に受け入れられる唯一の方法です。

それができないなら、日本は江戸時代のように、犯罪者が出た場合、その犯罪者が住む、あるいは犯罪者をかくまったマンションは、マンションごとお取り潰しにするくらいの治安の徹底ができるように我が国の法を改定し、私権を制限すべきです。
江戸時代は、これは本当に実施されていたことで、長屋で犯罪者が出れば、あるいは犯罪者をかくまえば、その長屋はお取り潰しで、これは本当に長屋が壊されて撤去されましたし、家主と地主は遠島、向こう三軒両隣は、以後、戸主が牢屋送りになるだけでなく、家族は数年から数十年、課税額が三倍増しになりました。

犯罪が起きるということは、民度が低いということです。
ならば犯罪が起きないように、政府も辛い政府にならざるを得ない。
これはあたりまえのことです。

「哀号」と言って土下座して号泣すれば許すという性癖も、彼らの特徴です。
どちらが上か、どちらが下かという上下関係でしか物事を見ることができない彼らは、自分が上だという実感を得ることができれば満足するのです。
ただし彼らはその満足を継続するために、毎日でも、何年でも、ずっとその支配の確認をし続けます。

この心理を、あたかも日本人の生態であるかのように誤認させた『謝罪の王様』という映画がありましたが、日本人には理解できない行動パターンです。
なぜなら日本人には常に「一寸の虫にも五分の魂」という心理が働くし、「罪を憎んで人を憎まず」というのが日本人の精神性だからです。

上古の昔から天皇という存在によって、民がおほみたからとされてきた日本には、民族のDNAとして和の精神が根付き、また身分や立場や上下の関係を越えて、人として対等という共通心理があります。
だから土下座しようが下出に出ようが、許せないものは許せないし、たとえ許せない宿敵であっても塩を送るのが日本人です。

そしてそうしたことがあたりまえになっているのは、日本に天皇という存在があったからです。
このことを、私達は、もう一度、日本社会全体として、しっかりと認識し直さなければならないと思います。

やや厳しいことを述べてしまいましたが、日本において、人種や民族に限らず、誰もが豊かに安全に安心して暮らせるようにするためには、ルール(Rule)が必要です。
ルール(rule)は、ラテン語の「rēgula」という単語が語源で「真っ直ぐな物差し」を意味する語で、語感としては「支配」の意味があります。

日本に住む人なら、国籍の如何を問わず、日本のルールによって支配されなければなりません。
なぜならそれが、日本に住む誰もが豊かさを享受し、安全と安心を手に入れて生活するために必要なことだからです。

そして私達は、二度と日本だからといって、女子供が蹂躙されることのない国を築かなければなりません。


※この記事は2018年4月の記事のリニューアルです。
お読みいただき、ありがとうございました。
歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
小名木善行でした。


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コメント

翠子

小林千登勢「お星さまのレール」もぜひ知っていただきたい。
半島人が日本の女児にどんなことをしたかが書いてあります。
読むのが辛い本ですが、日本人全員に読んでほしい本です。

haru

私の祖父・父の場合は・・・
小名木先生には、いつも動画などで学ばせていただいています。ありがとうございます!

さて、日韓併合時、終戦までの間、私の祖父母は仕事の関係で朝鮮の水原(スウォン)というところに住んでいました。なので、父は20歳くらいまでそこに住んでいました。

水原はイ・サンという王が築いた華城という城がある街で、その華城の城壁の横あたりに我が家はそれなりの畑を持っていて、現地の小作人たちもいたそうです。
祖父は、そういった人たちにも、遊びに来たら座布団を出し、お茶を出したりして差別することなく付き合っていたと聞いています。

そして、日本が敗戦となることで状況は一変するわけですが、確かに周りの日本宅で茶碗からいっさい根こそぎ取られていったり、屋根伝いに命からがら逃げていったところもあったようです。

そして我が家は、というと、一部、北の方から来た人たちが家に上がり込んでなかなか出ていかないなどの困ったことはあったそうですが、我が家と付き合いがあった現地の人が出ていくように説得してくれたりしたようです。

また、引き揚げることになるのですが、その頃、祖父は身体を悪くして自力では歩けなくなっていたそうです。そこで、付き合いのあった現地の人は、リアカーを用意して我が家の家族が襲われないように守りながら駅まで連れて行ってくれたそうです。そして、無事に港までたどり着き引き揚げ船で日本に帰国できたのです。

我が家はそれなりの土地と割と大きな家を持っていたそうですので、それらを全て捨てざる負えなかったこの引き揚げの話は、95歳になりまだ生きている父としては、生涯の悔しい出来事だったようで、事あるごとにこの話が出ます。そして、財産を失ったことは悔しいようですが、現地の人が引き揚げを助けてくれたことに関しては感謝しているようです。

もちろん、その助けがなかったなら私も現在この世にいない事だと思いますので、私の中にも感謝の気持ちはあります。つまり、今回の記事に書かれているように、良い人もいたのは事実です。

しかし、今回のような話は他でも知りましたが、一部いい人がいるにしても、日本人として許しがたい思いになります。

長々と書きましたが、我が家の体験談として参考にしていただければ、と思います。

松さん

口を利くのは止めましょう
日本女性と交際して
某国人男がビックリ
・割勘OKで婚前同棲もOK
・かわいい系で純粋で純潔
・すぐに感謝し礼儀正しい
・子供の将来は子供が選択
・自分の親への敬意が薄い
・作る飯のおかずが少ない
・辛い食べ物が苦手すぎる
・細かい作法に厳しすぎる
(以上はNETの拾い物です)
要するに、某国の女性は綺麗系だが、性格は正反対なのだとか。
我国の若い女性の方々。
どう思っていますかね。

さて、3%程度の不良混入が認められていた遠い昔もありました。
しかし、現在は認められません。
1000個に1個でもロットアウト!
(度数分布図を書いて遊んでる暇など、疾うの昔に無くなりました。)
委託先は母国語で文句を言います。
『これくらい我慢できないのか?』
「我慢?いたしません!」
(大門未知子ふうに答えます)
あらゆる製造物の品質は人命に関わります。
そういう基本思考の無い連中に物造りをさせることは間違いです。
(国の内外を問わず)

盗人にも三分の理?
如何に筋の通らない言い分でも、理屈はいくらでも付けられます。
三分って「30%」です。
冗談じゃ無いですよね。

何から何まで噛み合わない。
何年経っても噛み合わない。
口を利くのは止めましょう。

-

『竹林はるか遠く-日本人少女ヨーコの戦争体験記』
日系米国人作家のヨーコ・カワシマ・ワトキンズ著

『芙蓉の花〜北朝鮮引揚げの記録〜』
天内みどり著


どちらも、同じ半島で、同じ真実を語っておられる。
以上
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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