ありがたいことだと、あらゆる人やモノや神々に感謝の心を持ち続ける。 昔から言われていることですが、ハイテクが進むと、ハイタッチがより一層求められるようになるといいます。 つまり人と人とのふれあいや、助け合い、心のつながりといったハイテクの真反対のものが求められるようになる。 そしてその真反対の典型が、まさに日本文化の中にあります。 その意味で、古来からの日本的な思考こそが、これからの新しい時代を拓く鍵になっているのだと思います。 |

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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに小名木善行です。
明治維新は、嘉永6年の黒船来航に始まるというのが、歴史の通説です。
やってきたのがペリーです。
だからペリーは、日本を開国させたたいへん立派な紳士であり、素晴らし人格者で、だから日本は開国に応じたのだと書いている人もいるようです。
実際のペリーの人格がどうであったかは、会ったことがないのでわかりません。
ただ、ペリーは、一回目に日本にやってきたあと、1年の猶予を設けて江戸を去って沖縄に投錨しています。
その沖縄でのペリー艦隊の行状は、記録に残っています。
記録によると、ペリーは沖縄本島に到着すると、艦隊の全砲門を首里城に向けたまま、重武装した500人の兵を上陸させました。
そして速射できる大砲を前面に押し立てると、そのまま首里城まで進軍し、琉球王に面会を求め、面会した琉球王に食料と艦船の燃料である石炭の提供を「命じ」ています。
琉球王が「沖縄は石炭を産出しない」というと、ペリーは、
「ならば琉球諸島全部から
石炭を探して掘ってでも持ってこい。
持ってこなければ大砲を打ち込み、
全員皆殺しにする」
といったそうです。
けれどもとにかく沖縄に石炭はありません。
だからその要請に応じることができないと答えると、
「では、
上陸した乗組員たちの
自由な行動を認めろ」
という。
琉球王は安心して、「その程度ならば」と承諾したのですが、これで問題がおこりました。
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上陸したペリー艦隊の乗組員たちは、街を歩く若い琉球の女性の乳房を触るだけでなく、昼間から市中で強姦を始めたのです。
あるいは勝手に民家に上がりこんで、仏壇にお供えしてある酒や食べ物のみならず、先祖の「位牌」まで持って行ってしまう。
さらには強姦に抵抗しようとした住民に向けて銃を発砲し、十二歳の少年を含む三人の村人を負傷させたほか、ナイフを突きつけて民家に押し入り、強姦、暴行、傷害をほしいままにしました。
これにはさすがに琉球の住民たちも怒り、ついに米国水兵たちに投石をはじめたのですが、この結果、ウイリアム・ボードという水兵ひとりが、石のあたりどころが悪くて死亡します。
するとペリーは、石を投げつけた住民たちを、逮捕し、死罪にせよと琉球王に要求しました。
琉球王は、投石した住民を逮捕し、ぺリー同席のもとで裁判を行い、彼を八重山に流刑にしました。
流刑になった犯人は、妻を犯され、息子を殺された被害者だった男です。
そして加害者である米国人水兵の狼藉は一切問題にされることはありませんでした。
時代には、その時代の人達の思考と行動があるものです。
ですから、当時の米国を悪く言うつもりはありません。
ただ、当時の世界においては、まさに力こそが全てであったし、力がなければあらゆる不合理を受け入れるしかなかったということなのです。
日本がかろうじて、ペリーを追い返したり、あるいはペリーに沖縄でのような傍若無人な振る舞いをさせずにいることができたのは、日本に武力があったからです。
こうした力による支配や、力さえあれば、何をやっても許されると考える風潮は、21世紀となった今日においても、世界には根深く残っています。
コロナの発生源でありながら、その事実を認めようとしなかったり、尖閣や小笠原諸島を、まるで自国の海域であるかのごとく不法行為を平然と繰り返す中共もそうですし、米国においても、いまでも力(power)こそが全てであるという風潮は残っています。
男性は女性を力(power)によって支配する。
支配されたくない女性は、男性との対等を主張してジェンダーレス運動を繰り広げる。
それらは、すべて「力(power)による支配(Domination)」が問題の根幹にあるといえます。
「力による支配」が当然と考えられている社会においては、上司が部下に接するのも、夫婦間も、恋人同志であっても、友人間においても、その中心に置かれるのは常に力(power)となります。
そしてその支配がどうしても不服なら、人はそこから逃げ出すしかない。
それが、夫婦であれば離婚するしかないということになります。
日本でも最近ではそうした支配(Domination)が人間関係の要であるかのように履き違える人が増えてきています。
典型的なものが、「日本人は頭ごなしに怒鳴りつければ言うことを聞くし、言うことを聞くまで怒鳴り続ければ支配することができる」という半島人の日本人対策マニュアルです。
しかし日本では、なるほど琉球王はペリーの力に屈しましたが、このときの屈辱を沖縄の人々は忘れず、だから先の大戦の際にはまだその記憶が残っていましたから、沖縄の人たちは必死になって米軍の猛攻に耐え抜きました。
また日本本土に於いては、多くの日本人は、いまでも「一寸の虫にも五分の魂」の心得を忘れていません。
ですから会社などにおいて、上司が、ただ権力にものを言わせて部下を支配しようとすれば、部下たちは必ず反目して、面従腹背となります。
こうなると営業成果はあがらず、それが支店なら支店の業績は下降し、本店なら会社自体の業績が悪化します。
日本では、「力(power)による支配(Domination)」は通用しないのです。
代わりにあるのが、理解し、納得し、共感して、共同で事に当たるという姿勢です。
このことは、実際に海外で生活すると、日本人の思考と海外の人たちの思考の違いとして肌で感じるものでもあります。
そしておもしろいのは、多国籍の人々で構成するプロジェクトチームに、日本人が役割の上下を問わずひとりでもいると、そのチームは必ず、確実により良い成果を上げる、という点です。
なぜかといえば、理由は簡単です。
世界中の誰もが、すくなくとも個人に関する限り、誰も「力(power)によって支配(Domination)」されることなど望んでいないからです。
そうではなくて、誰もが自分を認めてもらいたいし、誰もが貢献したいと思ってそこに集っているのです。
ですから、そうした国際的なプロジェクトのような集団で、東洋系の自称大国の人や自称日本の兄貴分という人たちは、やはり世界で嫌われます。
なぜなら、彼らは常に自分だけが大事であり、西欧の人々以上に支配的だからです。
ここに日本のもつ「理解、納得、共感、共同」のおもしろさの世界における普遍性があります。
日本が持つ古来からの人を活かす知恵は、いまや世界が求める知恵になろうとしているのです。
ひとつ誤解があるようなので、そのことに触れます。
よく「これは俺がやった。俺の成果だ」と自慢する人がいます。
それが間違いだと私は思います。
たとえば、このブログひとつをとってもそうです。
なるほど書いているのは筆者ですが、食事の世話など家事全般は細君がやってくれていますし、書いている原稿のもとになる資料等は、別な人が世に出してくれたものです。
原稿書きには、いつもテキストエディットを使っていますが、そのアプリを作ってくれた人がいて、それを採用してくれた人がいて、目の前にあるパソコンを設計し、組み立ててくれた人がいて、それを家まで運んでくれた人がいて、いつも応援してくれている仲間たちがいて等々、すべては人と人とのつながりのなかで、生まれています。
さらにもっというなら、作業している机の周囲の空間の波動に神様が同調してくださるから、知恵をいただける。
ですからすべては、人やモノや空間や神々とのつながりによって織りなされてるにすぎないわけです。
そうであれば、もしそれが成果と呼べるものであるのなら、それは数えきれないくらい多くからの支えによって織りなされているわけです。
そういうことがわからないと、「俺の力(power)で支配(Domination)するのだ」といった、傲慢な思考や行動に陥ることになります。
暗黒面に堕ちるのです。
いつもありがたいことだと、あらゆる人やモノや神々に感謝の心を持ち続ける。
昔から言われていることですが、ハイテクが進むと、ハイタッチがより一層求められるようになるといいます。
つまり人と人とのふれあいや、助け合い、心のつながりといったハイテクの真反対のものが求められるようになる。
そしてその真反対の典型が、まさに日本文化の中にあります。
その意味で、古来からの日本的な思考こそが、これからの新しい時代を拓く鍵になっているのだと思います。
お読みいただき、ありがとうございました。
歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに小名木善行でした。
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コメント
松さん
そんな姿勢が普通の世界。
実現できれば素晴らしいです。
しかし現実は、そうでは無く、不埒な野望が罷り通ってます。
権力の座に就いて支配したがる者が大勢います。
力量も無いのに、立身出世する者が大勢います。
口先三寸だけの若造が大勢世に出てしまいます。
2世だから?3世だから?
人間なんてそんなもの?
世間なんてそんなもの?
利いた風なことを仰る方もいます。
困ったもんですが、これらを突き崩して新しい世界を築く!
遥か遠い道程かも知れません。
人類は、もしかしたら進化してるのでは無く、劣化から滅亡に向かっている?
そんな気もします。
世界には、素晴らしい改革などひとつも無く、自身の首を自分で絞めてるような出来事が止まりませんから。
2020/10/13 URL 編集