全財産の寄進を受けるのですから、当然、大生部(おほふべ)は大金持ちになります。
そこで大生部は、
「ほら、イモムシを拝んだら、
こんなにお金持ちになったよ」
と、得た品物を沿道に並べて、信者の女性たちに舞を踊らせて世間の注目を集めました。
それで信者になると、
「幸せになるためには
イモムシを拝むだけではなくて、
いったん全財産を
教団に寄進しなければならない」
としたわけです。
なんだかオウムのような話ですが、イモムシを拝んだところで、幸せが向こうからやってくるはずがないことは、ちょっと冷静になって考えれば誰でもわかりそうなものなのに、人間「困ったときは藁(わら)をもつかむ」です。
怪我をして働けなくなったとか、夫が病気したとか、子が病弱だとか、仕事上で何か悩みを抱えたとか、様々な理由でストレスがかかって追い込まれると、どうして何かに頼りたくなるものです。
このことは、戦後の混乱期に我が国で新興宗教が猛烈に信者を増やしたことを考えると、容易に察することができようかと思います。
そして大生部は、そうした人々の衝動を利用して、たくみに私財を肥やします。
さらに大生部は、信者からの寄進で得た財物を沿道に並べ、ついでに酒や野菜や動物の肉を陳列しては、
「新しき富が入ってきた」
と若い女性たちに鳴り物付きで舞い踊らせていたわけです。
おかげで都の人々まで、イモムシを獲ってきては、「これが常世の虫」だとばかり床の間に置いて、歌い舞い、仕事もせずに福(さいはひ)を求めて珍財(たから)を大生部に寄進するようになったわけです。
ところがそれによって豊かになる人はいなくて、はなはだ多くの人が損をしてしまう。
そこに登場したのが、秦河勝(はたのかはかつ)です。
秦河勝は、聖徳太子の側近で、悪を憎み、正道を歩む人でした。
彼は、大生部多(おほふべの おほ)のもとに乗り込むと、一刀両断のもとに大生部を斬り倒し、さらに祭壇のイモムシをすべて処理してしまいます。
秦河勝は、秦(はた)という姓が示す通り、ルーツは秦の始皇帝とされ、この事件よりも100年ほど前にChinaから日本に渡来して帰化した氏族の族長で、たいへん武芸に秀でた人と伝えられています。
また欽明天皇が、夢で、
「吾は秦の始皇帝の再誕なり、
縁有りてこの国に生まれたり」
とのお告げを受けたという逸話が世阿弥の『風姿花伝』にあります。
秦河勝は、聖徳太子の側近として活躍し、また蘇我馬子と物部守屋が戦った丁未の乱(ていびのらん)では、物部守屋の追討戦に従軍して聖徳太子を護りつつ、物部守屋の首を討つという大活躍をした人でもあります。
その秦河勝が、悪徳教祖を討ったということから、巷(ちまた)で流行った歌が、
太秦(うずまさ)は、
神とも神と 聞こえ来る
常世の神を 打ち懲(きた)ますも
です。現代語に訳すと、
「太秦(うずまさ=秦河勝のこと)は、
神の中の神とも言われているよ。
なんたって常世の神を討って
懲(こ)らしめたのだからね」
といった感じになります。
さて、ここで問題です。
秦河勝は、なぜ、イモムシ教団事件の悪徳教祖を討ったのでしょうか。
次の3つのうちのどれでしょうか。
(1)イモムシへの信仰が問題(宗教問題)
(2)大生部が人々を騙したことが問題(詐欺事件)
(3)大生部の歪んだ自己中性が問題(人格問題)
(1)は不正解です。
人が何を信仰しようが、それは構わないことです。
この世は神々の胎内にあるのですから、ありとあらゆるものに神聖が宿る、というのが日本古来の理解です。
このことは、古事記の「隠身」の解説で先日詳しく書かせていただきました。
ですから「イワシの頭も信心から」は、あながち不正解とはいえないし、それがイモムシであっても、それ自体は非難するようなことではありません。
(2)も不正解です。
なるほど教祖の大生部は、人を騙して財産を騙し取っていました。
しかしやっかいなことには、人はイワシの頭で癌が治ったり、たまたまその信仰を始めたところが、その瞬間に何らかの良いことが起こったりすることが少なからずあるのです。
ですからイモムシにしても、何百人、何千人と信者が増えてくると、たまたま偶然に病気が治ったとか、腰痛が取れたとか、仕事が決まったとか、恋愛が成就したとか、なんらかの良いことが起きる人が一定確率で必ずいるわけです。
それがイモムシのおかげかどうかまではわかりません。
しかし誰かが「それはイモムシ様のおかげです」といえば、そうなのだと思いこむ人も中には出てくるわけです。
インチキ教団は、こうした良いことがあると、それを針小棒大に宣伝します。
するとまた騙されて入信する人がいる。
そしてまた一定確率で、たまたま良いことが起こる人が出てくるわけです。
生きていれば、良いこともあれば、悪いこともあるのです。
いまが悪いことだらけなら、必ずどこかで良いことも起きるものです。
その良いことと、イモムシとの相関も、これまたなかなか立証が難しいことです。
なぜなら、何をもって良いこととするかは、それこそ人それぞれだからです。
ということは、やっかいなことですが、必ずしも「イモムシで人を騙した」とはいえなくなってしまうのです。
つまり詐欺は成立しにくいのです。
というわけで、筆者は正解は(3)だと思います。
なぜならこの問題の最大の焦点は、イモムシ信心にあるのでもなく、財物騙取にあるのでもなく、ひとえに大生部の、
「他人の財産を奪ってなんとも思わない自己中心性にある」というところにあると思えるからです。
だから秦河勝は、大生部を一刀両断に討ち果たしたのです。
それ以外に、解決の道がないからです。
仮にもし、このとき秦河勝が大生部を討たなかったら、その後の日本はどうなっていたでしょうか。
人体にできる癌細胞は発達速度が速く、1個が2個に、2個が4個に、4個が8個にと、倍々ゲームで増殖します。
たったひとつの癌細胞が、発生から30回ほどの分裂を繰り返すと、大きさは1センチ、細胞の数はなんと10億個ほどになります。
1センチの癌には10億個の癌細胞が含まれますが、次に分裂すると2センチ20億個に、次は4センチ40億個にと増殖し、10回も分裂すると重さ1キロを超えて取り返しの付かないことになります。
つまり、もしかすると日本の歴史は、その後の仏教の普及に代わって、イモムシ教が普及し、全国にイモムシ寺ができ、いまも教室にはイモムシの像が飾られるようになっていたかもしれないし、私達現代日本人は1400年の伝統あるイモムシ教の信者として、稼いだお金はパチンコ屋ならぬイモムシ教団に献上し、日々イモムシ踊りをしていたかもしれません。
その意味で、ほんとうに秦河勝様様です。
人体に癌細胞を食べる白血球などの免疫細胞があるように、世の中、つまり社会には、正しく人々が相和して、誰もが豊かに安心して安全に暮らせるようにするための「たける」存在は不可欠です。
かつては日本では、その役割を朝廷の貴族が担ったし、次の時代には武士が担ったし、明治以降は師範学校の卒業生が、社会の均衡や正義を貫く働きをしました。
では戦後の日本ではどうなのかというと、不思議なことに人々が豊かに安心して安全に暮らせるようにするために「たける」こと自体が、まるで悪のように宣伝されています。
人体でいえば免疫細胞の行動が制限されることになり、癌細胞によって正常な細胞はひたすら食いものにされている・・・というのが現代の日本です。
なにしろ自動小銃や近距離ミサイルにサリンガスまで所持して、これを東京の上空でバラまこうという明らかな破壊活動を行うテロ集団が、何度も人を殺しながらも宗教の名のもとに野放しにされ、もはやサリンガスをバラまくという直前まで放置されたばかりか、その主犯を死刑にするのに20年以上もかかったという、とんでもない国になってしまっています。
何を信じようが勝手ですが、テロは絶対に許さない。
本部にサブマシンガンなどを大量に隠し持っている集団は、日本国内に他にもあるといわれています。
そうした危険なものが、天然の災害同様、野放しにされ、被害が起きるまでは誰も手出しができないというのは、これは異常な事態です。
国家は、人々の安全と安心のためにあります。
それができない国家なら、それは国家の名を借りた、イモムシ教団のようなものです。
ところがそんな現代版のイモムシ教団の人たちは、論点のすり替えを行います。
つまり本当は(3)の問題なのに、それを上の(1)や(2)の問題だと論点をすり替えるのです。
出されている問題点、あるいは問題点だと喧伝されていることは数多くあります。
けれど、ほんのすこしだけ自分で頭を働かせてみれば、何が正しくて何が間違っているのかを、容易に推測することができます。
これからの時代を生きる上で、このことはとても大切なことです。
******
《日本書紀の原文》
秋七月、東国不盡河辺人大生部多、勧祭蟲於村里之人曰、
此者常世神也。
祭此神者、到富与壽。巫覡等、遂詐託於神語曰、祭常世神者、
貧人到富、老人還少、由是、加勧捨民家財宝、
陳酒陳菜六畜於路側、而使呼曰、新富入来。
都鄙之人、取常世蟲、置於清座、歌儛、求福棄捨珍財。
都無所益、損費極甚。
於是、葛野秦造河勝、悪民所惑、打大生部多。
其巫覡等、恐休勧祭。
時人便作歌曰、
禹都麻佐波
柯微騰母柯微騰
枳舉曳倶屢
騰舉預能柯微乎
宇智岐多麻須母。
此蟲者、常生於橘樹、或生於曼椒。
曼椒、此云褒曽紀。
其長四寸余、其大如頭指許、其色緑而有黒点。
其皃全似養蠶。《現代語訳》
7月に、東国の富士川のほとりに大生部多(おほふべのおほ)という者が現れて、
「これは常世(とこよ)の神で、
この神を祀る者には富と幸いが訪れる。」
「この常世の神を祀れば、
貧しい人は富を得、
老いた人は若くなる」
などと言って、イモムシを祀(まつ)ることを村里の人に勧め、民(おほみたから)の家の財宝(たからもの)を寄進させていた。
そして道のほとりに酒を並べ野菜や動物の肉を陳列しては、
「新しき富が入ってきた」
と舞い踊っていた。
都の人々まで、常世の虫(イモムシのこと)を取ってきて床の間に置いては歌い舞って、福(さいはひ)を求めて珍財(たから)を捨てるようになった。
しかしそれによって豊かになる人はいなくて、はなはだ多くの人が損をしていた。
そこで葛野の秦河勝(はたのかはかつ)が、民(たみ)が惑わされるをにくんで、大生部(おほふべ)を討った。
信徒たちは、恐れて勧め祀ることを休んだ。
ある人が歌をつくった。
太秦(うずまさ)は、
神とも神と 聞こえ来る
常世の神を 打ち懲(きた)ますも
信仰の対象となっていた虫は、常に橘の木や山椒の木に生息する虫で、長さは4寸(12センチ)あまり、太さは親指ほどもあり、色は緑で黒いまだらがあり、形はカイコに似ていた。
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お読みいただき、ありがとうございました。
歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに 小名木善行でした。
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コメント
翠子
2020/11/18 URL 編集
愛国ヒデ
また一読者の小さな誤植の報告に誠意を持って対応して頂き感謝いたしております。
介護職の身なので武漢熱の万一の感染を考え講演会の欠席が続き失礼しています。
本日の記事に対し悪夢のデジャブを見ている様でした。
悪夢では呪文をあげていれば万事うまく行くという団体が強力な政治力を持つ異常事態が続きます。
イモムシを拝むのと何が違うのでしょうか?
悪夢に対し何も出来ずに長い歳月が過ぎてしまいました。
されど現在の悪夢の中で仮に法を犯し天誅を与えてもビクともしないどころか聖人に祭り上げられ逆効果でしょう。
遵法精神を厳守し小名木さんの貴重な記事を参考にさせて頂き精神的パルチザンとして活動を続けていきます。
2020/11/17 URL 編集